ブラームス:交響曲 第1番
ハイドンの主題による変奏曲
交響曲 第4番
悲劇的序曲/大学祝典序曲
ハイドンの主題による変奏曲
交響曲 第4番
悲劇的序曲/大学祝典序曲
指揮 : エドゥアルト・ファン・ベイヌム
管弦楽 : ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
CD:ユニバーサルミュージック(企画・販売:タワーレコード) PROC‐1934、1936
<「エドゥアルト・ファン・ベイヌムの芸術」(PROC‐1934~7、CD4枚組)から>
指揮のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901年―1959年、57歳没)は、オランダ、アーネム出身。16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団し、その傍ら指揮の勉強を始め、翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ、作曲を学ぶ。 1920年まずピアニストとしてデビュー。同時に各地のアマチュアの合唱団やオーケストラで指揮を執り始め、まもなく指揮者に転向した。1927年にプロの指揮者としてデビューを果たした後、ハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へデビューし、1931年同楽団の次席指揮者となった後、1938年からは名指揮者メンゲルベルク(1871年―1951年)とともに首席指揮者として活躍した。第二次世界大戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の件でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任。さらにロサンジェルス・フィルハーモニックの終身指揮者としても迎えられた。しかし、1959年の4月13日に、アムステルダムでブラームスの交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、惜しまれつつ、その57歳の生涯を終えた。
今回紹介するベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の2枚のCDは、エドゥアルト・ファン・ベイヌム生誕115年の2016年に、オリジナルのマスターより、最新のハイビット・ハイサンプリング(24bit/192kHz)でデジタル化を行い、これをもとにCDマスターを制作し、音質を一新したもの。これらの音源自体は、LP時代から親しまれてきたもので、CD時代でも長らく廉価盤として発売され、既に市場に供給されてきた名盤。これらの音源をもとに新リマスターで復刻し、音質を一新し、CD4枚組のアルバムとして発売されたのが、「生誕115年、エドゥアルト・ファン・ベイヌムの芸術」と銘打たれたベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による「ブラームス:交響曲全集/管弦楽曲集/他」(このうち、交響曲第2番、第3番、それに「アルトラプソディ」はモノラル録音)である。ベイヌムが活躍した時代は、ステレオ録音の初期であったため、ベイヌムの録音は、その多くがモノラル録音として遺されている。このうち、ブラームスの交響曲第1番と第4番、それに3曲の管弦楽曲は、幸いにもステレオで遺されていた。音質を一新したこれらのステレオ録音を聴いてみると、その音質の鮮明な仕上がりには誰もが驚くであろう。ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が現代に蘇ったと錯覚するほどの出来栄えには感心させられる。
<「エドゥアルト・ファン・ベイヌムの芸術」(PROC‐1934~7、CD4枚組)から>
指揮のエドゥアルト・ファン・ベイヌム(1901年―1959年、57歳没)は、オランダ、アーネム出身。16歳でアルンヘム管弦楽団のヴァイオリニストとして入団し、その傍ら指揮の勉強を始め、翌年にはアムステルダム音楽院に入学し、ピアノ、ヴィオラ、作曲を学ぶ。 1920年まずピアニストとしてデビュー。同時に各地のアマチュアの合唱団やオーケストラで指揮を執り始め、まもなく指揮者に転向した。1927年にプロの指揮者としてデビューを果たした後、ハールレム交響楽団の音楽監督に就任。1929年アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へデビューし、1931年同楽団の次席指揮者となった後、1938年からは名指揮者メンゲルベルク(1871年―1951年)とともに首席指揮者として活躍した。第二次世界大戦後の1945年、メンゲルベルクがナチスへの協力の件でスイスに追放されると、ベイヌムはメンゲルベルクの後をついで、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督兼終身指揮者に就任。さらにロサンジェルス・フィルハーモニックの終身指揮者としても迎えられた。しかし、1959年の4月13日に、アムステルダムでブラームスの交響曲第1番のリハーサルを行っていた最中に心臓発作で倒れ、惜しまれつつ、その57歳の生涯を終えた。
今回紹介するベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の2枚のCDは、エドゥアルト・ファン・ベイヌム生誕115年の2016年に、オリジナルのマスターより、最新のハイビット・ハイサンプリング(24bit/192kHz)でデジタル化を行い、これをもとにCDマスターを制作し、音質を一新したもの。これらの音源自体は、LP時代から親しまれてきたもので、CD時代でも長らく廉価盤として発売され、既に市場に供給されてきた名盤。これらの音源をもとに新リマスターで復刻し、音質を一新し、CD4枚組のアルバムとして発売されたのが、「生誕115年、エドゥアルト・ファン・ベイヌムの芸術」と銘打たれたベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団による「ブラームス:交響曲全集/管弦楽曲集/他」(このうち、交響曲第2番、第3番、それに「アルトラプソディ」はモノラル録音)である。ベイヌムが活躍した時代は、ステレオ録音の初期であったため、ベイヌムの録音は、その多くがモノラル録音として遺されている。このうち、ブラームスの交響曲第1番と第4番、それに3曲の管弦楽曲は、幸いにもステレオで遺されていた。音質を一新したこれらのステレオ録音を聴いてみると、その音質の鮮明な仕上がりには誰もが驚くであろう。ベイヌム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団が現代に蘇ったと錯覚するほどの出来栄えには感心させられる。
ブラームス:交響曲第1番は、着想から完成までに21年という長い歳月を要した。これは、ベートーヴェンの交響曲の存在があまりにも大きかったためである。 完成した際には、ハンス・フォン・ビューローから「ベートーヴェンの交響曲第10番」と名付けられるなど高い評価を受け、現在でも最も多く演奏される交響曲の一つ。 この曲でのエドゥアルト・ファン・ベイヌムは、実に堂々と曲に真正面から取り組み、しかも、少しの力みもなく、構成力のきちっとした指揮ぶりを見せる。一つひとつの音を蔑ろにせず、十分な吟味の上に築き上げられた交響曲特有の分厚い響きが、リスナーの耳に心地よく響きわたる。これほど品格のあるブラームス:交響曲第1番を私は聴いたことがない。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏も、一糸乱れず、深い信頼でベイヌムと結びあっていることがこの録音から、じわりと伝わってくる。これは、数あるブラームス:交響曲第1番の録音の中でも、ひと際高く聳え立つ名山の趣がある録音だ。ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲は、1873年に完成した作品。最初に2台ピアノ版、次に管弦楽版がつくられている。 近年になり、主題であるコーラルはハイドン作のものではなく、古くからある賛美歌の旋律を引用したものと考えられているが、一般には、「ハイドン変奏曲」として広く知られている。主題と8つの変奏曲、それに終曲からなる。ここでのベイヌム指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団は、実に自由闊達に変奏曲を演じて見せる。この録音を聴くまで、私はこの曲の1曲、1曲の変奏曲が、これほど面白みのあるものとは知らなかった。この録音は、この曲の真価を誰もが分かる形で表現し尽くした名演と言えよう。
ブラームス:交響曲第4番は、1884年から1885年にかけて作曲されたブラームス最後の交響曲。終楽章にはバロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌを用いるなど、擬古的な手法を採用していることで知られる。古い様式に独創性とブラームス特有のロマン性を盛り込んだ作品として高く評価されている。この曲でのベイヌムの指揮は、基本的には交響曲第1番と変わりはないが、特に第2楽章は、ブラームスに寄り添ながら、ブラームスの晩年の心の内を表現するかのように、ゆっくりと内省的な表現に徹していて、実に見事な出来栄えだ。何かブラームスと対話しているかのような演奏内容である。そしてエネルギッシュな第3楽章、さらには堂々した構成力の第4楽章の指揮ぶりには脱帽。このブラームス:交響曲第4番のベイヌム指揮のCDは、第1番と同様に、歴代1位、2位を争う名演中の名演だ。ブラームス:悲劇的序曲は、1880年に作曲された演奏会用序曲。1879年9月13日に、その日が誕生日だったクララ・シューマンとの連弾で大学祝典序曲とともに披露演奏を行った。この曲は大学祝典序曲の対比としてつくられたもので、特定な悲劇を扱ったものではない。この曲でのベイヌム指揮ぶりは、深みのある曲調を損なわずに、リスナーに分かりやすく表現し尽くしているところが大きな特徴と言える。ベイヌムは常にリスナーと共にあった指揮者であったことが、この演奏から十分に推し量れる。ブラームス:大学祝典序曲は、1879年にブレスラウ大学から名誉博士号を授与され、この名誉博士号の返礼として1880年に作曲した作品で、4つの学生歌が引用されている。この曲でのベイヌムの指揮は、大らかで幸福感にあふれた、この曲の特徴を最大限に発揮することに成功している。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の奏者一人ひとりの達者な腕も存分に楽しめる録音だ。(蔵 志津久)
ブラームス:交響曲第4番は、1884年から1885年にかけて作曲されたブラームス最後の交響曲。終楽章にはバロック時代の変奏曲形式であるシャコンヌを用いるなど、擬古的な手法を採用していることで知られる。古い様式に独創性とブラームス特有のロマン性を盛り込んだ作品として高く評価されている。この曲でのベイヌムの指揮は、基本的には交響曲第1番と変わりはないが、特に第2楽章は、ブラームスに寄り添ながら、ブラームスの晩年の心の内を表現するかのように、ゆっくりと内省的な表現に徹していて、実に見事な出来栄えだ。何かブラームスと対話しているかのような演奏内容である。そしてエネルギッシュな第3楽章、さらには堂々した構成力の第4楽章の指揮ぶりには脱帽。このブラームス:交響曲第4番のベイヌム指揮のCDは、第1番と同様に、歴代1位、2位を争う名演中の名演だ。ブラームス:悲劇的序曲は、1880年に作曲された演奏会用序曲。1879年9月13日に、その日が誕生日だったクララ・シューマンとの連弾で大学祝典序曲とともに披露演奏を行った。この曲は大学祝典序曲の対比としてつくられたもので、特定な悲劇を扱ったものではない。この曲でのベイヌム指揮ぶりは、深みのある曲調を損なわずに、リスナーに分かりやすく表現し尽くしているところが大きな特徴と言える。ベイヌムは常にリスナーと共にあった指揮者であったことが、この演奏から十分に推し量れる。ブラームス:大学祝典序曲は、1879年にブレスラウ大学から名誉博士号を授与され、この名誉博士号の返礼として1880年に作曲した作品で、4つの学生歌が引用されている。この曲でのベイヌムの指揮は、大らかで幸福感にあふれた、この曲の特徴を最大限に発揮することに成功している。ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の奏者一人ひとりの達者な腕も存分に楽しめる録音だ。(蔵 志津久)