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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇カルロス・クライバーのブラームス:交響曲第2番ライブ盤

2009-07-30 09:16:06 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第2番

指揮:カルロス・クライバー

管弦楽:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

CD:EXCLUSIVE EX92T10

 このCDは、カルロス・クライバーがウィーンフィルを指揮したライブ録音のCD。1992年Pと記載されている。カルロス・クライバーは1930年のベルリンで生まれ、2004年にスロベニアで74歳の生涯を閉じているので、62歳の時のライブ録音ということになろうか。演奏は細部まで緻密な計算が行き届いた名演だ。細部まで計算尽くされたというと、何か機械的に聞こえるが、実際の印象は全くその逆で、ブラームスの“田園”交響楽といわれる交響曲第2番に相応しく牧歌的で、伸びやかな雰囲気づくりにものの見事に成功している。ライブ録音なのでスタジオ録音では得られない独特な緊張感が誠にいいのだ。そして、ウィーンフィルの美しい音質が余すことなく録音されているところも、このCDの魅力であろう。

 カルロス・クライバーは、ウィーンフィルを意のままに操るのではなしに、あくまでもオケの自発性を促すような指揮ぶりに徹している。しかし、細部の点では、小粋な演出をちりばめるという、プロも思わず唸らずにはいられないような心配りに、まずは脱帽してしまう。1~3楽章はこのスタイルで押し通し、最後の第4楽章では、それまでの行き方をがらりと変え、今度は独裁者のごとく圧倒的な迫力でオケを最後まで引っ張っていく。

 ブラームスの第2番の交響曲の第4楽章の最後は、ベートーベンの第九の終楽章と終わり方とそっくりといわれるが、カルロス・クライバーは、正にベートーベンのごとく堂々と男性的にブラームスの交響曲第2番の最後を締めくくる。小粋さとド迫力とが一塊となり、一つの交響曲を演出するという心憎いばかりの演奏に、コンサート会場の聴衆が“ブラボー”の嵐で応えて、このCDは終わっている。

 カルロス・クライバーを「ウィキペディア」で見てみると、「カラヤンは彼を正真正銘の天才と評しており(ヨアヒム・カイザーの談話)、またバーンスタインはクライバーの指揮したプッチーニの『ラ・ボエーム』を『最も美しい聴体験の一つ』だと語っている」という文章を見つけ出すことができる。このことを見てもカルロス・クライバーは、並みの指揮者でなかったことがよくわかる。カルロス・クライバーの父は、世界的な名指揮者エーリッヒ・クライバーである。エーリッヒ・クライバーの録音も残っており、聴いてみると、その小粋さは父親譲りであることを窺い知ることができる。親子2代にわたって名指揮者の例はあまり聞いたことがない。日本でいえば、さしずめ尾高尚忠・尾高忠明の親子指揮者ということになろうか。指揮者の素質は経営者と同じように元来天性的なもので、二代にわたって続くことそれ自体が難しいことなのだろう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ルドルフ・ケンペのブラームス交響曲全集

2009-01-29 11:28:11 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第1~4番
       悲劇的序曲/ハイドンの主題による変奏曲

指揮:ルドルフ・ケンペ

管弦楽:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

CD:TESTAMENT(EMI Records) SBT 3054

 ドイツ人の指揮者のルドルフ・ケンペ(1910年6月14日ー1976年5月12日)のこのCDは、最初はあまり印象に残ることはないが、何回も聴くうちにその真価がじわじわと心に沁みてきて、最後にはケンペの虜になってしまうという、独特の魅力が込められた隠れたる名盤なのである。通常指揮者はその指揮ぶりが、フルトヴェングラーみたいだとか(あまりいないが)、ワルターに似ているだとか、まるでトスカニーニみたいなど、と過去の巨匠たちの指揮に似ているといった捉え方をされることが多い。ところがケンペはどの巨匠とも異なり、独自の世界を展開する。そこが新鮮に映るし、魅力ともなっている。強いて挙げればシューリヒトに近いのかもしれない。しかしよく聴くと、シューリヒトは楽団員と一体化して自分の世界に引きずり込むという感じがするのに対し、ケンペはあくまで楽団員の自発性に期待し、団員各自の能力を最大限に発揮させるようにもっていく。

 そこにケンペの魅力の根源がある。曲の最初から自分の個性をぶつけるのではなく、最初はごく普通に淡々と演奏を進めていく。そしてその曲のクライマックスの部分に合わせ、それまで溜めてきたエネルギーをすべて放出するかのごとく、一挙に爆発させる。その爆発も指揮者の爆発でなく、オーケストラ全員の自発的爆発のような感じだ。このためケンペの演奏は何か人間賛歌のような肯定的な明るさを持っている。ブラームスの交響曲は多くの場合、おどろおどろしい感じで、鬱積された感情が内に篭ったような感じの指揮をする指揮者が多いが、ケンペのブラームスの交響曲に対する指揮ぶりはこれと異なり、あたかも、ベートーベンの交響曲の延長線上にあるかのような、健康的で颯爽としたブラームス像を描いてみせる。ケンペはやはり、誰かに似た指揮者でなく、独自の世界を開拓した名指揮者ではなかったのではなかろうか。

 ケンペは一般にはそう有名な指揮者とはいえないので、ざっとその経歴をWikipediaで見てみると・・・。ドレスデン音楽大学でオーボエを学び、ライプチヒ・ゲバントハウス管弦楽団のオーボエ奏者となる。1950年ドレスデン国立歌劇場の音楽監督、1952年バイエルン国立歌劇場の音楽監督を歴任。1954年渡米してニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の指揮者の就任した。1960年ー1963年バイロイト音楽祭で「ニーベルングの指輪」を指揮する。以後、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の各首席指揮者を務める。この経歴を見ると、なかなか玄人ごのみの実力指揮者であったことがうかがえるのだ。

 今回紹介したCDはブラームスの交響曲全集なのであるが、悲劇的序曲とハイドンの主題による変奏曲の2つの管弦楽曲が付録のように収められている。ところがこの付録の悲劇的序曲が交響曲をも凌ぐ超名演なのである。いつもはスロースターターのケンペも、この曲ばかりは、出だしからド迫力で、最後までこの緊張が持続する。ベルリンフィルもこのときばかりは、ケンペの迫力に押されっぱなし、といった感じの必死の演奏が盤面を通じて感じられる。ブラームスの悲劇的序曲を聴くならこのケンペ盤だと聴きながら私は思ったのである。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇朝比奈隆指揮ブラームス交響曲全集

2007-12-04 20:01:07 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲全集

演奏:朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団

CD:ビクター音楽産業 VICC-40162-65

 朝比奈隆指揮の大阪フィルハーモニーのブルックナーの交響曲の放送のビデオを持っているが、演奏が終わった時の聴衆の熱狂振りは他のいかなる演奏会をも上まわる。それほど朝比奈の指揮ぶりは聴衆と一体化したところが凄い。言ってみれば“炎の指揮者”あるいは“魂の指揮者”といったところがぴったりとする。このCDではこの一端を覗き見ることができる。

 全体を通しては巨匠的な印象を受ける演奏でり、ゆったりとしたテンポは最近の指揮者ではなかなかめぐり遭えない。そしてあくまで正統派といった感じで演奏が進むが、一音一音を確認を取るような演奏である。それでいて即興的な印象を与えるので全く飽きることがない。高らかに謳いあげるところは存分に謳いあげ、しかも敏感に曲想をとらえているので全体として瑞々しい。

 小沢征爾が西洋音楽をとことん追求した日本の指揮者の代表とすると、朝比奈隆は日本人が西洋音楽をどのようにとらえ再現するのかを極限まで分かりやすく表現した指揮者の代表といえる。これまでは日本人にとって西洋音楽は学ぶものであり、いかに忠実に表現するかが評価の尺度であった。しかし、これからは日本人として西洋音楽をどう感じ、どう表現したらいいのかが問われる時代となってこよう。この意味から朝比奈隆は小沢征爾を超える評価が出てきても少しもおかしくない。このブラームスの交響曲全集のCDは“炎の指揮者”朝比奈隆の真骨頂を存分に表現した名盤として年月が経てば経つほど評価が高まるのではないか。(蔵 志津久)

 

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◇クラシック音楽◇フリッツ・ライナーのブラームス:交響曲第4番

2007-09-25 20:16:44 | 交響曲(ブラームス)

ブラームス:交響曲第4番

 演奏:フリッツ・ライナー指揮/英国ロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団

CD:米国Chesky Record  

 ブラームスの交響曲第4番は1884-85年にかけて作曲された。ブラームスにとっては最後の交響曲となった。全体的に古典音楽を基調としており、晦渋な音作りとなっていることが、もっともブラームスらしい交響曲といわれている。ただ、よく聴くとロマンチックな面も持ち合わせており、聴けば聴くほど持ち味の良さに気づく。

 フリッツ・ライナーのこのCDは、ブラームスの交響曲第4番の数あるCDの中で、ひときは輝きを放つ名盤である。通常、ブラームスの交響曲はベートーベンのそれのように演奏される。つまり劇的に、力強く、強弱を明確につけるといったことが挙げられよう。ところがフリッツ・ライナーのこのCDは、まったく逆で、実につややかに、緩やかに、そして音が自然に湧き出してくるような感じを受ける。決してぐいぐい引っ張っていくようなところが見られない。しかし逆にこのことがブラームスの狙った曲想を際立たせる結果へと導く。録音も20年前以上とは思えないほど良好で現役盤と言ってもいいほどだ。

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◇クラシック音楽◇オイゲン・ヨッフムのブラームス交響曲全集

2007-09-07 17:10:54 | 交響曲(ブラームス)
ブラームス:交響曲全集

演奏:オイゲン・ヨッフム指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:TOCE‐6927

 ブラームスの交響曲はベートーべンのそれと並び、これが交響曲だといった重さがある。ベートーベンが9つの交響曲を書いたのに対し、ブラームスは4つの交響曲で終わった。しかし、4つの交響曲がそれぞれ違うアプローチで書かれており、4つで十分と考えられる。このCDでヨッフムは素晴らしいブラームスを聴かせてくれる。一つの気負いもなく、静かにブラームスを奏でていくが、それがかえって重厚で、しかもスケールの大きな演奏となっている。フルトベングラーのブラームスは何か天才的で近寄りがたい雰囲気をかもし出すが、ヨッフムのブラームスは人生の伴侶として常に横にいてほしいような親しみを感じる。(蔵 志津久)


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%83%E3%83%95%E3%83%A0
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◇クラシック音楽◇ミュンシュ・パリ管のブラームス:交響曲第1番

2007-07-24 21:11:27 | 交響曲(ブラームス)
ブラームス:交響曲第1番

演奏:シャルル・ミュンシュ指揮:パリ管弦楽団

CD:東芝EMI CC33-3417

 シャルル・ミュンシュは一世を風靡したフランスの名指揮者(フランスに帰化)。このミュンシュがパリ管を率いてブラームスを演奏するとどうなるか。ここでもフランス人がドイツ音楽を演奏すると名演が多いというジンクスが生きてる。こんな優美で壮大なブラームスは聴いたことがない。ブラームスというと男っぽい無骨の感じがする音楽がほとんどだ。その中でも指折りの男っぽいごつごつした交響曲第1番である。通常の演奏も、このことを意識してか、ベートーベンの交響曲のように演奏されるのがほとんどだ。ところがミュンシュとパリ管はそんな俗説に惑わされず、優美にしかも壮大に演奏し、それが現在までブラームス交響曲第1番の中の名盤中の名盤として歴史に名を残すことになった。(蔵 志津久)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5
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