チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:庄司沙矢香
指揮:チョン・ミュンフン
管弦楽:フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団
CD:ドイツグラモフォン UCCG 70006
チャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を1枚にまとめることは、CDの王道といおうか、いわゆる定番である。庄司沙矢香がこれに挑戦したのが、今回のCDだ。2曲の中でも特にチャイコフスキーの協奏曲に関しては、大きな潮流があると思う。すなわち、一つは主にロシア人あるいはロシア系のヴァイオリニストが得意とする民族色の強いチャイコフスキーの演奏であり、もう一つは、主に欧米のヴァイオリニストが弾く、チャイコフスキーから民族色を取り除き、合理的な奏法で再構築した無機質とでもいえる演奏である。庄司沙矢香は、果たしてどちらのチャイコフスキーを弾くのか?興味津々であったが、結論はそのどちらでもなく、庄司独自のチャイコフスキー像を描き出すことに見事成功したことに、このCDの真の存在意義があろう。庄司沙矢香は、民族色に拘泥することはしないが、さりとて無機質な演奏とは無縁な、誠にもって瑞々しい、繊細でナイーブな新しいチャイコフスキー像を再構築することに成功している。私は、これは日本人の演奏家だからこそ、為しえた演奏ではないかと思っている。この録音は2005年10月にパリで行われた。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第1楽章の出だしを聴いただけで、このCDのの質の高さをうかがい知ることができる。庄司沙矢香のヴァイオリン演奏は、実に瑞々しく、しなうように弾き進め、新鮮な輝きに満ちている。オーケストラも魅力的で重厚な音質を目いっぱい発揮しており、庄司のヴァイオリン演奏をものの見事に引き立ってる。ミュンフンはというと、実にメリハリの利いた指揮ぶりで、時としてメリハリが利き過ぎではと思わせる場面にも遭遇するするが、結果的には、ナイーブな演奏を前面に打ち出す庄司のヴァイオリンの特質を、リスナーに印象付けることに成功していると言ってもいいのだろう。この第1楽章は、幾多あるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の録音中でも、一際その存在感を聴く者に強く印象づける出来栄えだ。第2楽章のほの暗い雰囲気も、庄司のヴァイオリンにかかればたちどころに詩的な音楽に昇華される。第3楽章は、庄司のヴァイオリンとミュンフンの指揮が、あたかも競争でもするかのように絡み合って進むが、ここでも庄司の繊細でナイーブなヴァイオリン演奏が光る。
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の庄司の演奏は“瑞々しい”と表現するなら、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の方は、“艶やか”な演奏とでも言ったらよいのであろうか。第1楽章の演奏から、ほどよいスピード感をもって、滑らかに演奏する様は、何とも妖艶な趣を醸し出す。チャイコフスキーと少々違い、メンデルスゾーンでのミュンフンは、あくまで伴奏に徹したような指揮ぶりで、二人のコンビはこちらの方が何かしっくりといっているようにも思える。第2楽章の静かな出だしは、庄司の本領発揮といったところで、彼女独特の豊かな広がりを持った表現力に思わず聴き惚れてしまう。こんな雰囲気をヴァイオリンから引き出せるのは、世界のヴァイオリニストの中でも一、二を争うのではなかろうか。もう何回も聴いたメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトが新鮮に聴こえてくるのだから凄い。最後の第3楽章は、誠にもって軽快な演奏であり、何か庄司もミュンフンもオケも、楽しそうに演奏している様が手に取るように感じられる。あんまり大仰に演奏しない方が、かえって聴いていて爽やかだ。
ところで、庄司沙矢香が1999年、パガニーニ国際コンクールにおいて日本人としては初、しかも、同コンクール史上最年少(16歳)で優勝という快挙を成し遂げたことが、昨日のことのように思い出される。当時、正にスター誕生であったわけで、クラシック音楽専門誌以外の一般誌にも取り上げられるなど、破格の扱いであったことを思い出す。その後、庄司沙矢香がどう進んだのか、知りたくなったので調べてみることにした。庄司は、世界中からアーティストが集って室内楽を演奏するという、毎年スイスで行われている音楽祭「ヴェルビエ音楽祭」に、2001年以来定期的に招かれているそうだ。2002年には、デュトワ指揮、ショスタコーヴィチの協奏曲第1番でNHK交響楽団定期演奏会にデビューを果たし、N響ベスト・ソリストにも選ばれている。2004年にケルン音楽大学を卒業し、パリに移ったとある。ということは現在はパリ在住というわけであろうか。2009年には、クラシック音楽からインスピレーションを得た絵画と映像作品の個展"Synesthesia"(共感覚)を開催するなど、新境地を切り開こうとしているようだ。今後、日本のヴァイオリニスト界のエースとして、国際舞台での大成を期待したい。(蔵 志津久)