★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇庄司沙矢香のチャイコフスキー/メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

2010-06-29 09:43:15 | 協奏曲(ヴァイオリン)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:庄司沙矢香

指揮:チョン・ミュンフン

管弦楽:フランス国立放送フィルハーモニー管弦楽団

CD:ドイツグラモフォン UCCG 70006

 チャイコフスキーとメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を1枚にまとめることは、CDの王道といおうか、いわゆる定番である。庄司沙矢香がこれに挑戦したのが、今回のCDだ。2曲の中でも特にチャイコフスキーの協奏曲に関しては、大きな潮流があると思う。すなわち、一つは主にロシア人あるいはロシア系のヴァイオリニストが得意とする民族色の強いチャイコフスキーの演奏であり、もう一つは、主に欧米のヴァイオリニストが弾く、チャイコフスキーから民族色を取り除き、合理的な奏法で再構築した無機質とでもいえる演奏である。庄司沙矢香は、果たしてどちらのチャイコフスキーを弾くのか?興味津々であったが、結論はそのどちらでもなく、庄司独自のチャイコフスキー像を描き出すことに見事成功したことに、このCDの真の存在意義があろう。庄司沙矢香は、民族色に拘泥することはしないが、さりとて無機質な演奏とは無縁な、誠にもって瑞々しい、繊細でナイーブな新しいチャイコフスキー像を再構築することに成功している。私は、これは日本人の演奏家だからこそ、為しえた演奏ではないかと思っている。この録音は2005年10月にパリで行われた。

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第1楽章の出だしを聴いただけで、このCDのの質の高さをうかがい知ることができる。庄司沙矢香のヴァイオリン演奏は、実に瑞々しく、しなうように弾き進め、新鮮な輝きに満ちている。オーケストラも魅力的で重厚な音質を目いっぱい発揮しており、庄司のヴァイオリン演奏をものの見事に引き立ってる。ミュンフンはというと、実にメリハリの利いた指揮ぶりで、時としてメリハリが利き過ぎではと思わせる場面にも遭遇するするが、結果的には、ナイーブな演奏を前面に打ち出す庄司のヴァイオリンの特質を、リスナーに印象付けることに成功していると言ってもいいのだろう。この第1楽章は、幾多あるチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の録音中でも、一際その存在感を聴く者に強く印象づける出来栄えだ。第2楽章のほの暗い雰囲気も、庄司のヴァイオリンにかかればたちどころに詩的な音楽に昇華される。第3楽章は、庄司のヴァイオリンとミュンフンの指揮が、あたかも競争でもするかのように絡み合って進むが、ここでも庄司の繊細でナイーブなヴァイオリン演奏が光る。

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の庄司の演奏は“瑞々しい”と表現するなら、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の方は、“艶やか”な演奏とでも言ったらよいのであろうか。第1楽章の演奏から、ほどよいスピード感をもって、滑らかに演奏する様は、何とも妖艶な趣を醸し出す。チャイコフスキーと少々違い、メンデルスゾーンでのミュンフンは、あくまで伴奏に徹したような指揮ぶりで、二人のコンビはこちらの方が何かしっくりといっているようにも思える。第2楽章の静かな出だしは、庄司の本領発揮といったところで、彼女独特の豊かな広がりを持った表現力に思わず聴き惚れてしまう。こんな雰囲気をヴァイオリンから引き出せるのは、世界のヴァイオリニストの中でも一、二を争うのではなかろうか。もう何回も聴いたメンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトが新鮮に聴こえてくるのだから凄い。最後の第3楽章は、誠にもって軽快な演奏であり、何か庄司もミュンフンもオケも、楽しそうに演奏している様が手に取るように感じられる。あんまり大仰に演奏しない方が、かえって聴いていて爽やかだ。

 ところで、庄司沙矢香が1999年、パガニーニ国際コンクールにおいて日本人としては初、しかも、同コンクール史上最年少(16歳)で優勝という快挙を成し遂げたことが、昨日のことのように思い出される。当時、正にスター誕生であったわけで、クラシック音楽専門誌以外の一般誌にも取り上げられるなど、破格の扱いであったことを思い出す。その後、庄司沙矢香がどう進んだのか、知りたくなったので調べてみることにした。庄司は、世界中からアーティストが集って室内楽を演奏するという、毎年スイスで行われている音楽祭「ヴェルビエ音楽祭」に、2001年以来定期的に招かれているそうだ。2002年には、デュトワ指揮、ショスタコーヴィチの協奏曲第1番でNHK交響楽団定期演奏会にデビューを果たし、N響ベスト・ソリストにも選ばれている。2004年にケルン音楽大学を卒業し、パリに移ったとある。ということは現在はパリ在住というわけであろうか。2009年には、クラシック音楽からインスピレーションを得た絵画と映像作品の個展"Synesthesia"(共感覚)を開催するなど、新境地を切り開こうとしているようだ。今後、日本のヴァイオリニスト界のエースとして、国際舞台での大成を期待したい。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ムター/カラヤンのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

2010-06-08 09:29:34 | 協奏曲(ヴァイオリン)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:アンネ・ゾフィー・ムター

指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ドイツ・グラムフォン 419 241-2

 このCDは、1988年のザルツブルク音楽祭の実況録音盤で、ヴァイオリンが“ヴァイオリンの女王”ことアンネ・ゾフィー・ムター当時25歳、指揮がヘルベルト・フォン・カラヤン当時80歳で、死の1年前のライブ録音である。カラヤンがムターの才能を見抜き、広く世界へ紹介したことがその後のムターの将来を大きく花開かせたことは、あまねく知られているが、このコンビの歴史的な録音とも言えるのがこのCDなのである。今では、ムターは“ヴァイオリンの女王”と呼ばれ、カラヤンの予言通り、世界のヴァイオリン界に君臨する存在に成長を遂げている。日本へはもう何回も来ているが、今年も来日を果たし、円熟した演奏を披露してくれた。来日中は、彼女として生まれて初めてCDショップでのサイン会を開催するなど、気さくな一面も覗かせてくれた。

 さて、このCDでのムターの演奏は、第1楽章の出だしから、それはそれは実にゆっくりと弾き始める。しかも、名優が舞台の中央に静々と歩むような雰囲気でもあり、聴衆はというと、その名優の目の動き、手の動きのなど一挙手一投足に完全に釘付けにされてしまっているようだ。この辺の雰囲気を醸し出す才能は、ムターは若いときから備えていたようであることを窺い知ることができる。要するのスター性を備えたヴァイオリニストしか持ち得ない資質なのであろう。ここでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏スタイルは、あくまでドイツ・オーストリア音楽風に昇華され、ロシア音楽特有の泥臭さは希薄だ。そこには実にスマートで美しい、ある意味では人工的なチャイコフスキー像が描かれている。伴奏のカラヤンの指揮もこのことを強く印象付ける。

 第2楽章も第1楽章と同じ印象を持つ。限りない美しさと静かさに満ち溢れたチャイコフスキーがそこにはある。ムターのヴァイオリンは女流演奏家のそれではあるのであるが、それをさらに超えたような彼女独自の世界を展開する。この辺はだだのヴァイオリニストとはやはり何処かが違うのだ。スケールの大きな演奏には違いがないのではあるが、聴いているとそんなことはことは感じさせず、あくまで自然な流れの中に身を置いている。この辺にムターの人気の秘密が隠されているように私には思われる。第3楽章は、本来ならチャイコフスキー独特の民族色に覆われたロシア音楽の全開となるのではあるが、ムター/カラヤンのコンビは最後まで演奏スタイルを
変えず、このコンビの美意識に基づいたチャイコフスキー像が描かれる。この辺は、好き嫌いが分かれるところであろう。

 ムターは、1963年にドイツで生まれた。ヘンリック・シェリングに就いてヴァイオリンを学び、13歳のときカラヤンに見い出され、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と共演し、天才少女として国際的に広く知られることになる。これまでドイツ連邦功労勲章一等、バイエルン功労勲章、オーストリア科学・芸術功労十字賞、フランス芸術文化勲章オフィシエなど、多くの賞を授与されている、名実共に世界のヴァイオリン界の第一人者といっても過言ではなかろう。ただ、それだけではなく若い演奏家のため、奨学金制度をつくり、自らレッスンを行うなど、面倒見の良い演奏家としても知られている。これは「自分がカラヤンから受けた教えを次世代へ伝えたいという思いから生まれたもの」(ベルリン在住・城所孝吉氏)だからそうである。ともすると演奏家は、自分の芸術への達成度だけを追い求める傾向がある中で、ムターのこのような活動は一際光を放っているように思われてならない。今後、さらなる円熟度を増した彼女の演奏が大いに楽しみだ。(蔵 志津久) 

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◇クラシック音楽CD◇グリュミオーのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲/ロマンス第1-2番

2010-01-26 09:24:14 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
         ロマンス第1番/第2番

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

指揮:アルチェオ・ガリエラ

管弦楽:ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

CD:日本フォノグラム(PHILIPS) DMP-218

 アルテュール・グリュミオー(1922年ー1986年)のヴァイオリン演奏は、まことにもって典雅で、格調が高く、何よりもヴァイオリンの音色がとろけるような甘さがして、聴くものを夢見ごこちにさせてくれる、数少ないヴァイオリニストであった。いわゆるフランコ・ベルギー楽派の中枢を担う名手として、その名はこれからも不滅であり続けるものと、私は確信している。我が青春のほろ苦い思い出と、常に寄り添うように聴こえてくるのが、グリュミオーのヴァイオリンの音色であるのである。つまり私の中でクラシック音楽の中のど真ん中に位置するのが、グリュミオーのヴァイオリンであり、今回紹介するベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、それに2曲のロマンスである。そんなわけで、このCDは、私の個人的な立場からするとホンとは“誰にも教えたくない、私だけ名盤”そのものなのである。

 このCDの、グリュミオーが弾くベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、誠に美しさにむせ返るような演奏内容である。ちょっと美しすぎるのではとも感じてしまうほどである。しかし、毅然とした構成力で演奏されていることにより、ベートーヴェンらしさはいささかも失われていないのが、“さすがグリュミオー”と感じ入ってしまう。ホンとにこの演奏には夢がある。こんなヴァイオリン演奏は、今のヴァイオリニストにはもう期待できないのかも、とも思ってしまうほどだ。そして、このCDの魅力は、ベートヴェンの2曲のロマンスが、何よりもグリュミオーの名演で聴けることに尽きる。ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、今後もいろいろなヴァイオリニストによって、いろいろな解釈の名演奏が出てこようが、2曲のロマンスの演奏ついては、グリュミオーの演奏に尽きる。優雅で、颯爽としていて、聴いていて一時の甘い邂逅の思いに浸らせてくれるのだ。2曲のロマンスの名演中の名演といえる。

 このCDをさらに盛り上げているのが、指揮のアルチェオ・ガリエラとニュー・フィルハーモニー管弦楽団である。アルチェオ・ガリエラ(1910-1996年)はイタリアの指揮者である。ミラノで生まれ、ミラノ音楽院で学ぶ。1941年指揮者となり、ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団を指揮して、デビューした。第二次世界大戦が勃発するとスイスの亡命する。1964年ー1972年までストラスブール管弦楽団の首席指揮者を務める。このCDのガリエラの指揮ぶりは、実に堂々と明快な演奏をしており、透明な美しさのグリュミオーのヴァイオリンに実にマッチした伴奏がなんとも素晴らしい。イタリア人の指揮者は、トスカニーニやカンテルリも同じだが、イタリアオペラみたいに明確に表現しきるところが魅力だ。しかしこのガリエラも、これからは人々の記憶から忘れ去られていくのだろう。

 そしてこのCDのオーケストラは、英国のオーケストラのニュー・フィルハーモニア管弦楽団である。1945年に創設されているが、設立の目的はEMIのレコード録音であったというから、我々に馴染み深いのもうなずける。初演の指揮者はトーマス・ビーチャムで、以後、クレンペラー、フルトヴェングラー、カラヤンなど一流の指揮者が相次いで演奏している。一時期、経済的問題でニュー・フィルハーモ二ア管弦楽団と名称を変更したが、1977年から再びフィルハーモニア管弦楽団に名称を戻し、現在に至っている。このCDは丁度、ニュー・フィルハーモニー管弦楽団を名乗っていた頃の録音だ。同管弦楽団の音色は明るく、明快な響きが何とも魅力だ。現在の首席指揮者はサロネンである。フィルハーモニア管弦楽団は、過去からから現在に至るまでまで、一貫して高い演奏水準を保っていることは賞賛値する。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇シゲティ/ドラティのベートヴェン:バイオリン協奏曲

2009-09-24 09:17:08 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ベートヴェン:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヨーゼフ・シゲティ

指揮:アンタール・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:日本フォノグラム(PHILIPS) 32CD-3039

 私は若い頃はヨーゼフ・シゲティ(1892年ー1973年)のヴァイオリン演奏は、あまり好きではなかった。何かヴァイオリンの音色がくすんでしまって、演奏にも華やかさが感じられなかったからである。ところが最近になるに従って、シゲティのヴァイオリン演奏が気になり始めて、今では最も好きなヴァイオリニストの一人になったのである。決して外見の派手さを追い求めず、内面から湧き出すヴァイオリンの音色を楽譜に忠実に一音一音かみ締めるように弾いていく。時としてヴァイオリンの音色がきしむような音を出しても、作曲者が求めた曲の本質に迫ろうとする演奏法には、鬼気迫る迫力を感じる場合もあるほどだ。ただ、全体としては、穏やかな演奏スタイルをとり、リスナー一人一人に話しかけるようでもあり、何かノスタルジーすら感じる。ある意味では古きよき時代のヴァイオリン奏者といってもよいかも知れない。

 このCDは、1961年6月にロンドンで録音されたものだ。時にシゲティ68歳。ヴァイオリンの名手も円熟の極にあったわけで、そんな思いでこのCDを聴くと、胸を締め付けられる。何か一生をかけて追い求めてきたものを、静かに紐解くような、そんな静かさに満ち満ちた演奏だ。ヴァイオリン自体の音は決して美しくはないのだが、聴き終わった後、かつてこんな美しいベートヴェンのヴァイオリン協奏曲は聴いたことは一度もないことに初めて気がつく。古今の名録音が多いベートヴェンのバイオリン協奏曲の中でも、特筆されるべき貴重なCDであることは間違いない。

 ヨーゼフ・シゲティは、ハンガリーのブタペストで生まれる。東欧は弦楽器の名手を数多く輩出しているが、シゲティはその代表格の一人だ。10歳でブタペスト音楽院に入ったというから、やはり早熟であったのであろう。有名なヨアヒムのピアノ伴奏でベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾く機会に恵まれ、それが楽壇へのデビューのきっかけとなったわけで、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲との縁はことのほか深いようだ。レパートリーは広いが、現代曲を積極的に取り上げたことでも知られ、イザイ、ブロッホ、バルトーク、プロコフィエフなどの作曲家がシゲティのために曲を献呈しているほどだ。1940年には米国に移住し、晩年はスイスで教育に力を入れ、海野義雄、前橋汀子らもシゲティの薫陶を受けたという。死は、音楽祭で有名なルツェルンで迎えている。

 このCDでロンドン交響楽団を指揮しているアンタール・ドラティ(1906年ー1988年)は、シゲティと同じくハンガリーのブタペスト出身の、私が大好きだった名指揮者である。何しろ、曖昧さを極力排して、聴くものにはっきりと音を聴かせ、しかも曲の持つ深みは少しも損なうことがない。このことは簡単なようで、並みの指揮者にはそう簡単には表現できないことだ。このCDでもドラティは実に堂々と真正面からベートーヴェンを聴かせ、同時にシゲティのヴァイオリンを一層引き立たせることに成功している。ドラティが残した録音は600点を超すそうであるが、今後も長く聴き続けたい指揮者の一人である。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ツィンマーマンのチャイコフスキー&プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲

2009-09-15 10:32:15 | 協奏曲(ヴァイオリン)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ヴァイオリン:フランク・ペーター・ツィンマーマン

指揮:ロリン・マゼール

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:東芝EMI:CE25-5565

 プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲は1917年に作曲された第1番と、1935年に作曲された第2番の二つがあるが、このCDに収められたのは第一番の方である。私とってプロコフィエフというとそう馴染みのある作曲家ではないが、このヴァイオリン協奏曲第1番は、実に聴きやすく美しさに溢れた古今のヴァイオリン協奏曲の中でも傑作の一つといっても過言なかろう。この名曲をツィマーマンは、繊細でしかもこの上なく優雅に演奏しており、ヴァイオリンの音の美しさを存分に味わうことができる。この演奏を聴いている間は、リスニングルーム全体が別世界にでも持っていかれたような、不思議な感覚に襲われる程だ。メンデルスゾーンやチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はしょっちゅう演奏される割に、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲は演奏される機会が多くはない。もっともっと多くの人に聴いてもらいたいなあと、ツィンマーマンの名演のこのCDを聴きながら思った。

 このCDの録音はは、1987年6月に行われているので、ツィンマーマン22歳のときの演奏であり、若々しさに溢れた演奏なのだが、ツィンマーマン自身10歳の時にモーツアルトのヴァイオリン協奏曲の第3番を演奏してデビューしたほどだったので、並みの22歳とは違い既に少々巨匠的な落ち着き払った雰囲気を漂わせているのはさすがと思わずにはいられない。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲もほぼ同じことが言えるが、チャイコフスキーの方は名盤が目白押しなので、私としてはこのCDではプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番の方を推したい。指揮をしているロリン・マゼールは、ツィンマーマンが米国にデビューしたときに共演した仲で、相性がいいのだろう。ただ、プロコフィエフの伴奏は文句のつけようがないが、チャイコフスキーの方は少々メリハリを付けすぎの伴奏で、私としてはも少しツィンマーマンの繊細さに合わせてほしかったなあという感じがしている。

 ヴァイオリニストのツィンマーマンは、1965年2月にドイツのデュースブルグに生まれているので、今年44歳になる。10歳でモーツアルトのヴァイオリン協奏曲第3番を弾き、神童振りを発揮。1967年(11歳)にエッセンのフォルクヴァング音楽院に入学。1979年(14歳)にルツェルン音楽祭に出演しヨーロッパ中の注目を集め、1981年にソビエト、さらに1984年に米国でそれぞれデビューを飾る。そして1986年にはザルツブルグ音楽祭に出演し、その名が世界的に知られるようになる。

 このCDのライナーノートに音楽評論家の故・志鳥栄八郎氏は「正直なところ、現在(注・多分1990年頃)のドイツ・ヴァイオリン界は、火の消えたように寂しい。そうしたところに、突如、彗星のように現れたのが、フランク・ペーター・ツィンマーマンである」と書いているとおり、ツィンマーマンに対する当時の期待がいかに高かったかが分かる。同時に「ツィンマーマンが最も大きな影響を受けたのは、グリュミオーやダヴィット・オイストラフの弾くレコードだった」と、我々クラシック音楽リスナーにとって、わが意を得たりというエピソードも紹介している。そう言えば、ツィンマーマンの弾くヴァイオリンは、どことなく気品があり、美しい音はフランコ・ベルギー楽派の流れを汲むグリュミオーにどことなく似ている。

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◇クラシック音楽CD◇ヘンリック・シェリングのシューマン:バイオリン協奏曲他

2009-09-01 09:10:46 | 協奏曲(ヴァイオリン)

シューマン:バイオリン協奏曲
メンデルスゾーン:バイオリン協奏曲
バイオリン小品集

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング

指揮:アンタール・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

ピアノ:チャールズ・ライナー

CD:米PolyGram Records “MERCURY LIVING PRESENCE” 434 339-2

 このCDのシューマンとメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は1964年7月に英国で、ピアノ小品集は1963年2月に米国で録音されたものであるが、今から40年以上前の録音にもかかわらず、マーキュリーの優れた録音技術のおかけで現在聴いても、いささかの不満もなくその演奏を聴くことができるのはうれしい。特にバイオリンのヘンリック・シェリング、それに指揮のアンタール・ドラティは、私がその昔聴いていた演奏の中でも格別に愛着ある演奏者、指揮者であり、私にとっては貴重な1枚なのである。演奏は特にシューマンのバイオリン協奏曲が名演だ。ヘンリック・シェリング(1918年ー1988年)は、ユダヤ系ポーランド人で、メキシコに帰化したバイオリニストである。安定した演奏スタイルで、万人が納得できる説得力のある演奏が特徴だ。

 シューマンのバイオリン協奏曲は、一般的には地味な存在であるが、聴きこむとその魅力に取り付かれ、一生付き合うことになる。少なくとも私にとってはそうだ。静かでロマン濃厚な、何か鬱蒼とした森の中で青々とした葉や、清冽な川の流れ、小鳥の鳴き声、それに色鮮やかな高山植物などが一面に敷き詰められたように咲いている光景でも見ているようで、何か香しい花の臭いでもしてきそうな感じに浸れる。言わば“田園協奏曲”といった趣なのだ。

 正にシューマンの奥座敷に招かれたようなのがこのバイオリン協奏曲であり、他のバイオリン協奏曲にはない、室内楽的な雰囲気も垣間見られ、心地よい。ヘンリック・シェリングのバイオリンは、非常に安定して、情緒たっぷりにシューマンの世界を描き切る。アンタール・ドラティの指揮ぶりもオーソドックスで、バイオリンとのコンビは抜群だ。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲にもほぼ同じことが言えるが、こちらの方は名盤が目白押しなので、シューマンの協奏曲よりその分差し引かれるのは、止む得ないところだろう。

 何故、シューマンのバイオリン協奏曲がマイナーな存在なのか私には理解できない。例えば、08年7月に発刊された「新版 クラシックCDの名盤」(宇野功芳・中野雄・福島章恭共著、文春新書)のシューマンの項目をみると、ピアノ協奏曲はあってもバイオリン協奏曲は見当たらない。ちなみに同書で紹介されているバイオリ協奏曲は、バッハ、ベートーベン、ブラームス、サン=サーンス、チャイコフスキー、シベリウス、プロコフィエフなのである。シューマンファンの私にとっては、「サン=サーンスは入れて、何故シューマンを外すのですか」とこの本の3人の著者の皆さんに質問してみたいのですが・・・。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇カントロフのモーツアルト:バイオリン協奏曲第6番/第7番

2009-07-23 09:11:22 | 協奏曲(ヴァイオリン)

モーツアルト:バイオリン協奏曲第6番/第7番

バイオリン:ジャン=ジャック・カントロフ

指揮:レオポルド・ハーガー

管弦楽:オランダ室内楽団

CD:日本コロムビア(DENON) 33CO-1331

 モーツアルトのバイオリン協奏曲というと第1番ー第5番の5つの曲が知られており、5曲をまとめて「モーツアルト:バイオリン協奏曲全集」と銘打って発売されているCDが多い。ところが5曲のほかに第6番と第7番の2つのバイオリン協奏曲が存在するのである。一体モーツアルトの第6番、第7番のバイオリン協奏曲とは何なのか?これがどうもはっきりしないのである。モーツアルトの直筆の曲なのかどうかが曖昧となっており、今もってはっきりしない。そんなわけで、世の中には第6番、第7番を“偽作”とする向きがある一方、“真作”とする人もいる。

 モーツアルトの第6番は“真作”だと言って憚らない一人が盤鬼・西条卓夫氏で自著「名曲この一枚」(文藝春秋新社刊)で、次のように書いているので少々長くなるが引用させてもらう。「モーツアルトのバイオリン協奏曲は、『第6番』を除き、モーツアルトの作品としてはあまり高く買えない。モーツアルトがハイ・ティーンのころの所産だからである。『第6番』は霊感豊かな内容といい、絢爛たる巨匠型の外形といい、絶品級の名作で、特に、はじめの二楽章が出色だ。私の大好きなバイオリン協奏曲の一つでもある。しかし、LPには碌なものがないばかりか、レコードも極めて少ない。モーツアルトのバイオリン協奏曲を最も多く録音しているグリュミオーですら、『第6番』は素通りしているのだから、呆れる。聞くところによれば、『モーツアルトの作品として疑わしい』とか『好かぬ』のがその理由だという。もし、本当なら、笑止な話だ」

 いろいろ調べてみると、「第6番の第1楽章はモーツアルトの“真作”か、モーツアルトがなんらかの関わりを持った曲と言えそうだが、その他の楽章および第7番は“偽作”のようだ」とする説が有力なようだ。そんな謎だらけな2曲を、カントロフが「モーツアルト:バイオリン協奏曲全集」の補巻としてCDに収録したのがこのCDだ。じっと2曲を聴いてみると、2曲ともモーツアルト特有の精気に溢れた、勢い込んだような曲づくりが私にはどうも感じられない。第6番は手堅く、まとまりがある曲で、一方第7番は華やかさと緻密さが詰め込まれており、2曲とも聴いていて心地は良い・・・のではあるのだが。

 皆既日食も無事(当たり前か)終わり(次は26年後であるらしい)、暑い日が続く深夜にでも、このカントロフのモーツアルトのバイオリン協奏曲第6番と第7番のCDを聴き直して、“真作”だろうか“偽作”であろうかについて思いを巡らすのもまた、暑気払いにでもなるのではなかろうか。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ボリス・ベルキンのプロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1/2番

2009-07-14 09:13:04 | 協奏曲(ヴァイオリン)

プロコフィエフ:バイオリン協奏曲第1番/第2番

バイオリン:ボリス・ベルキン

指揮:キリル・コンドラシン(第1番)/ルドルフ・バルシャイ(第2番)

管弦楽:ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ポリドール(LONDON F32L-20317)

 プロコフィエフという作曲家の作品はこれまでそんなに聴いてはこなかった。理由はいろいろあるが、当時の置かれた政治的な背景もその一つであり、さらに作風も何かもう一つしっくりとこない、障害物のようなものがどうも心に引っかかって、真正面から聴く気がしなかったのである。今回、昔買ってあったロシアのバイオリニストのボリス・ベルキンが1981年と1982年に録音したバイオリン協奏曲第1番と第2番のCDを改めて取り出して聴いてみて、正直言ってびっくりしてしまった。1番も2番も、なんと美しいバイオリン協奏曲であることか、と。

 幾多のバイオリン協奏曲の中でも、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲は、その美しさにおいても知名度においてもきわっだっているが、このベルキンが弾いたプロコフィエフの2つのバイオリン協奏曲は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲に匹敵するか、あるいは、第1番などはもっと美しいとも感じられるほどの出来にただただ感心してしまう。何故いままでもっと聴いてこなかったのか、不覚であったとすら感じてしまうほどだ。特にこのCDのベルキンの1番の第1楽章は、繊細さと優美さを兼ね備えたバイオリンの音色に思わず酔いしれてしまうほどだ。それに第1番を指揮しているキリル・コンドラシンの名前が懐かしい。さすがコンドラシン、名伴奏ぶりが聴いて取れる。このCDによると「名指揮者コンドラシン最後の録音!!」とある。

 ところで、ロシア生まれのボリス・ベルキン(1948年1月26日ー)とはどんなバイオリストなのか。6歳でバイオリンの学習を初め、7歳でモスクワ音楽院において公開演奏を行った“神童”であったようだ。モスクワ音楽院に学び、1973年にソヴィエト・バイオリン・コンクールで優勝。1974年には西側に亡命したとある。プロコフィエフも1917年にソヴィエト革命が起きたとき米国に亡命している。プロコフィエフはその後1933年に、亡命生活にピリオドを打ち、祖国に戻り、社会主義リアリズム路線に沿って作曲活動を行うことになる。プロコフィエフとベルキンの間に何か因縁みたいものを感じてしまう。

 このCDのライナーノートに宇野功芳氏は、ベルキンの第1番の演奏について「全体としてプロコフィエフの生命力に欠けるが、その代わり音色の、心にしみとおるような、滑らかに光る美音は正に最高であり、ことに両端楽章のコーダは透明の極み、幻想美の極みを示し、他のどのレコードよりも印象的である。ベルキンのこの変化は、一体どこからきたのであろうか。今までの自分のレコードを聴いて何か感じることところがあったのか、それとも芸風が徐々に変わってきているのであろうか」と書いている。これによると、このCDは以前のベルキンとは大分演奏スタイルが変わったことが窺える。 (蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇グリュミオーのモーツアルトバイオリン協奏曲第1-5番

2009-04-09 09:03:51 | 協奏曲(ヴァイオリン)

モーツアルト:バイオリン協奏曲第1/2/3/4/5番

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

指揮:コリン・デイヴィス

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:フィリップスレコード(日本フォノグラム) 416 632-2/412 250-2

 モーツアルトのバイオリン協奏曲は、昔から一体どのくらい聴いてきたことか。ラジオから聴こえてきた演奏、LPレコードからの演奏、そしてCDの時代に入り鮮明で豊かな音量の演奏と、あたかも人生の伴奏曲のように私の側を通り過ぎていく。1~5番のうち、やはり3、4、5番が聴き応えもあるし、中身もぎっしりと詰まった協奏曲達だ。3番を聴くと青春の息吹が眩しい。4番は優美な淑女のようだ。そして5番は皇帝のように堂々として威厳のある協奏曲に仕上がっている。これら3曲を聴くと、クラシック音楽リスナーとしての私としては、何か原点に戻るといおうか、ここからリスナー人生がスタートしたとすら感じられて、他の協奏曲とは次元が違うといった気分に浸れる。

 このCDで演奏しているアルテュール・グリュミオー(1921年ー1986年)は、我々には馴染み深い、フランコ・ベルギー楽派を代表するベルギー出身の名バイオリニストである。フランコ・ベルギー楽派は、①自然で合理的な弓使い②細かなニュアンス、美しい音色③魅惑的なメロディーや華麗な技巧ーなどを特徴としているが、グリュミオーはこれらの特徴を完全に備えたうえ、さらに気品に満ちた演奏、艶やかで瑞々しい叙情性も十分すぎるほど備えている。クララ・ハスキルとの演奏もCDに残されているが、この二人の不世出の名手の演奏を凌駕する演奏は未だにないといえるほどだ。このモーツアルトのバイオリン協奏曲のCDでも、これらの特徴が存分に発揮されており、しかも鮮明な録音で残され、これらの曲のCDの決定盤といっても過言でなかろう。

 このCDの録音は、第1、2、4が1962年4月と1964年5月、第3、5番が1961年11月に、ロンドンで行われた。このほかグリュミオーのモーツアルトのバイオリン協奏曲の録音は、モーツアルト生誕200年を記念して1953年ー1955年にかけてウィーンで録音されたモノラル盤がある。この旧盤は、かつて当ブログでも紹介したが、「グリュミオーの若々しく、モーツアルトへの思いのたけを存分に弾きこんだそのものがストレートに聴くものに伝わってくる」ところに特徴がある。これに対し、ステレオの新盤であるこのCDは、あらゆる面で成熟し頂点に達したグリュミオーの円熟した演奏を存分に味わうことができる録音といえるし、コリン・デイビィス指揮のロンドン交響楽団もモーツアルトの世界を的確に描ききっていて、聴いていて心地良い。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ハイフェッツの5大ヴァイオリン協奏曲ライブ録音盤

2009-02-26 11:39:22 | 協奏曲(ヴァイオリン)

~ライブ録音による5大ヴァイオリン協奏曲集~
  ベートーヴェン/メンデルスゾーン/ブラームス/シベリウス/コルンゴルト

ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ

指揮:アルトゥール・ロジンスキー(ベートーヴェン、ニューヨーク1945年ライブ録音)
   ギド・カンテルリ(メンデルスゾーン、同1954年)
   ジョージ・セル(ブラームス、同1951年)
   ディミトリー・ミトロプーロス(シベリウス、同1951年)
   エフレム・クルツ(コルンゴルト、同1947年)

管弦楽:Philharmonic Symphony Orchestra

CD:米MUSIC AND ARTS PROGRAMS OF AMERICA,INC.  CD・766-2

 クラシック音楽のレコード/CDを長年蒐集していると中には時々“これは何だ!”というものも含まれてくる。このCDもこの中の一つである。あの不世出の天才ヴァイオリニスト ヤッシャ・ハイフェッツが5つの有名なバイオリン協奏曲のライブ録音を2枚のCDに収めたアルバムなのである。そして、オーケストラ伴奏の指揮者がすべて異なる上、それらが我々にも馴染みのある名指揮者というのであるから、聴く前から期待感が高まってしまう。しかも、通常古いライブ録音は音質が悪いのが当たり前としなければいけないのであるが、なんと幸いなことにこのCDは原盤がアセテート盤にもかかわらず、ほとんどノイズが除かれ、音量も豊かに響き、うるさいことを言わなければ十分に鑑賞に堪えるという、まことにもって優れものなのだ。

 ヤッシャ・ハイフェッツ(1901年2月2日ー1987年12月10日)は、ユダヤ人としてロシアに生まれる。6歳で既にメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏したなど、神童ぶりを発揮。10代でヨーロッパ各地において演奏会を開き、1917年カーネギー・ホールで米国デビューを果たしており、1925年には米国の市民権を得ている。Wikipediaには「20世紀を代表する史上最高の天才ヴァイオリニストであり、ヴァイオリンの王と呼ばれた。ハイフェッツの右に出るものは未だ存在しない」と紹介されているが、このCDを聴くとこの言葉は決して嘘ではないということが実感できる。ヴァイオリンの奏法は、大雑把にいうと細かなニュアンスと美しい音色で聴く者を魅了する「フランコ=ベルギー楽派」か、力強いダイナミックなボウイングで聴く者を圧倒する「ロシア楽派」などに大別されるが、ハイフェッツはこの両方の特徴を最大限にまで高め、楽々と表現するという、離れ業をやってのける。このCDはライブ録音盤だけにスタジオ録音盤では到底望めない圧倒的な迫力が魅力だ。特にベートーヴェンとブラームスにおいてハイフェッツの天才振りが遺憾なく発揮されており、聴く者をたちまち虜にしてしまうのである。

 ハイフェッツが当時いかに聴衆から支持されていたかは、このCDを聴けばたちどころに分かる。それは第1楽章が終わるや否や拍手が送られ、それも、“待っていました”とばかりに曲が終わるかどうかというタイミングでの拍手である。コルンゴルトの協奏曲に至っては全楽章拍手というありさまだ。このコルンゴルトは近年になり再評価されている作曲家で、ヴァイオリン協奏曲はハイフェッツにより初演され、ハイフェッツはこの曲を生涯愛奏したそうである。このCDのもう一つの魅力は5人の豪華な指揮者たちだ。誰もが名前負けせず、締めるときは締め、ハイフェッツに歌わせるときは歌わせ、さすがマエストロというオーケストラ伴奏を聴かせてくれる。このCDは年配の方が聴けば昔を懐かしく思い出せ、若い人が聴けば伝説の天才ヴァイオリニスト・ハイフェッツの全容が掴めるという、まことに貴重なCDなのである。(蔵 志津久)

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