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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇五嶋みどりのメンデルスゾーン&ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲

2014-01-21 10:35:56 | 協奏曲(ヴァイオリン)

~五嶋みどりのドイツでのライヴ録音盤を聴く~ 

 

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

ヴァイオリン:五嶋みどり

指揮:マリス・ヤンソンス

管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ソニー・ミュージックエンタテインメント SICC 30086

 五嶋みどり(海外ではMidori)は、大阪市の出身。1982年米ジュリアード音楽院に入学し、同年米国デビューを果たす。1986年には、“タングルウッドの奇跡”を起こし、一躍時の人となる。これはタングルウッド音楽祭で、レナード・バーンスタイン指揮のボストン交響楽団と共演した際に、ヴァイオリンの弦が2度も切れたにもかかわらず、その都度即座に代わりのヴァイオリンを使い、途切れることなく演奏を終えた“奇跡”のこと。これにはバーンスタインも驚き、米国の小学校の教科書にも掲載されたほど。通常、世界的ヴァイオリニストは、国際コンクールの優勝経験を持つケースがほとんどであるが、五嶋みどりだけは例外のようで、実力で世界のトップヴァイオリニストに上り詰めた。そして、彼女を一層有名にしているのが、米国の若者を対象にした音楽教育団体「みどり教育財団」の設立だ。日本でも、2002年に特定非営利活動法人「ミュージック・シェアリング」を発足させ活動をしている。これに加え、現在、南カリフォルニア大学(USC)ソーントン音楽学校の弦楽学部学部長を務めるなど、音楽教育全般に力を入れている。2007年から国連平和大使も務めるなど、五嶋みどりは、芸術家の枠から一歩踏み出した、一味違う活動をこなしている世界的ヴァイオリニストなのである。

 このCDは、世界で年間70回以上の演奏活動をこなす五嶋みどりが、2002年と2003年に行ったドイツでのコンサートのライブ録音盤である。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が2003年1月、ブルッフのヴァイオリン協奏曲が2002年6月のコンサートの模様が収められている。いずれの録音もライブ録音の良さが最大限に発揮されており、コンサート会場での瞬発力を持った緊張感ある演奏の模様が克明に捉えられている。通常のスタジオ録音とは違って、ある意味凄みを持った演奏と言ったらいいのだろうか。熱狂した聴衆の拍手も収録されており、一層臨場感を盛り上げている。伴奏は、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。マリス・ヤンソンス(1943年生まれ)は、ラトビア出身。1971年ヘルベルト・フォン・カラヤン国際コンクールで優勝。2003年からバイエルン放送交響楽団首席指揮者、2004年からロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者を務めるなど、現在世界を代表する指揮者の一人。ここでは、明快でダイナミックな演奏で五嶋みどりのヴァイオリン演奏を引き立てている。

 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、構想から6年を経た1844年に完成した。今では、ヴァイオリン協奏曲の代名詞ともいえる、知らぬもののない名曲中の名曲となっている。3つの楽章は、中断なく続けて演奏され、これにより、作品の持つ流動感を一層引き立たせている。また、それまで演奏者の自由に任されることが多かったカデンツァ部分も全て作曲し、これにより曲の統一性が保たれている。ここでの五嶋みどりは、実にナイーブな演奏に終始する。ヴァイオリンの音色がしなやかなに揺れ動くその演奏の様は、これがメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲の演奏の原点だとも言えるほど。全体が仄かな陰影感で覆われ、全てのリスナーが納得させられる説得力のある演奏内容だ。その説得力も単に力で押さえつけるのではなく、曲との一体感から生まれているので、リスナーは自然に曲の核心に触れることができる。まるでメンデルスゾーンと五嶋みどりとが一体化し、大きな宇宙空間へと旅立とうとしているかのような、流麗で透明感を持った演奏内容である。

 次のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、1864年に着手され1866年に一応完成したが、初演の成功にもブルッフは満足せず、その後大規模な改訂を進め、1868年1月に現在の版を完成させた。これも大成功を収め、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと並びブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、今やドイツ人作曲家による4大ヴァイオリン協奏曲の一つに挙げられるほどになっている。ここでの五嶋みどりの演奏は、メンデルスゾーンの時とはがらりと変わり、力強さに満ちたものとなっているのが印象的。全体に濃厚な色彩感のある雰囲気を醸し出している。そしてスケールの大きい構成感が何とも心地良い演奏に仕上がっている。濃厚なロマンチックの香りが、そこはかとなく漂う演奏だ。この辺の演出力は、五嶋みどりの他を寄せ付けない真骨頂と言ってよかろう。第2楽章の牧歌的な歌を高らかに歌い上げるところは、実に美しい演奏に昇華されている。第3楽章の力強い演奏の背景には、何ともいえない抒情味が感じて取れる。そんな奥深い演奏が彼女演奏の優れたところであろう。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇樫本大進のブラームス:ヴァイオリン協奏曲

2013-09-17 09:47:13 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:樫本大進

指揮:チョン・ミョンフン

管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデン

CD:ソニー・ミュージック・ジャパン・インターナショナル SICC 30094

 ヴァイオリンの樫本大進(1979年生まれ )は、ロンドンで生まれ、日本と米国で育ち、現在、ドイツに在住する、文字通り国際的な日本を代表するヴァイオリニストの一人だ。2010年12月、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団第1コンサートマスターに正式に就任してからは、その知名度は一段と高まった。7歳でジュリアード音楽院プレカレッジに入学し、11歳の時に、ドイツのギムナジウムに通いながら同音楽院の特待生となる。1996年、フリッツ・クライスラー国際コンクールで第1位、同年、ロン=ティボー国際コンクールでは、史上最年少で第1位を獲得するという快挙成し遂げたことで一躍国際的に注目を浴びることになる。1999年、フライブルク音楽大学に移り、2005年からは本格的なプロ活動に入った。2007年からは、幼少時代に一時期を過ごした兵庫県赤穂市において、「赤穂国際音楽祭」の音楽監督を務めていることでも知られる。

 指揮のチョン・ミョンフン(1953年生まれ)は、韓国・ソウル出身。現在はアメリカ国籍。当初ピアニストして活動する。1971年からマネス音楽大学で学ぶ。1974年 にアメリカ人としてチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門に出場し第2位に入賞。1974年にジュリアード音楽院の大学院に進学し本格的に指揮の勉強を開始。1984年、ザールブリュッケン放送交響楽団の首席指揮者に就任。1989年、パリ・オペラ座(バスティーユ歌劇場)初代音楽監督に就任。1992年、フランス政府からレジオンドヌール勲章を授与される。2005年、ソウルフィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任した際、世界各地でオーディションを行い、団員の入れ替えを行ったことで話題を集めた。1997年には、アジア各国の優秀な音楽家が集まったアジア・フィルハーモニー管弦楽団を結成し、現在アジア各地で公演を行っている。

 このCDは、ヴァイオリン:樫本大進、指揮:チョン・ミョンフン、管弦楽:シュターツカペレ・ドレスデンの組み合わせで、2006年11月に、伝統あるオペラハウスであるドレスデン・ゼンパーオーパーで行われたライヴ・コンサートを収録したもの。樫本大進はこのCDのライナーノートに「2,3年前、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を録音する話が持ち上がったとき、指揮者を誰にしたらいいかを訊かれたとき、私は真っ先に彼(チョン・ミョンフン)を選びました」と語っている。樫本大進の狙い通り、このCDの第1楽章の出だしのオーケストラの演奏は、滅多に聴かれないほど、優雅さと同時に格調の高い、実に堂々としたものに仕上がっていることに驚かされる。ブラームスのヴァイオリン協奏曲のオーケストラのパートは、ヴァイオリン独奏の伴奏役というより、交響曲に近い役割を担っているので、これは正解だ。第1楽章の樫本大進のヴァイオリン演奏は、繊細さを極めたもので、非常にゆっくりとしたテンポで、一つ一つの音を確かめるようにして弾き進む。通常、ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、男性的な力強さをことさら強調した演奏がほとんどだ。これに対して樫本大進のヴァイオリン演奏は、これらとは逆に、優美の極致を彷徨うがごとく、しかも、何かブラームスの独白を聞いているのではないだろうかという思いが、自然に湧き起こってくるような演奏内容である。私にとっては、この第1楽章のヴァイオリンの演奏は、初体験といったほどのものとなった。

 第2楽章のオーケストラの出だしは第1楽章と同様に、チョン・ミョンフン指揮シュターツカペレ・ドレスデンの美しい演奏に聴き惚れる。樫本大進のヴァイオリン演奏は、基本的には第1楽章と同じだが、より透明感を増した演奏とでも言えばいいのであろうか。神秘的な面持ちさえ漂わせ、聴き応えのある内容に仕上がっている。樫本大進の求めるものと、この第2楽章の持つ雰囲気が、第1楽章以上に上手く組み合わさったようにも感じられる。第3楽章は、樫本大進の若々しさがようやく表面に出てきたな、と思わせる軽快さが、心地良く耳に響く。しかし、ここでも樫本大進のヴァイオリン演奏は、決して必要以上に力むことはせず、あくまで自然な流れの中に身を置くことを忘れない。全3楽章を聴き終えて、まず感じたのは、樫本大進とチョン・ミョンフン指揮シュターツカペレ・ドレスデンの双方の美学とがしっかりと組み合わさり、類まれな、詩的なブラームスのヴァイオリン協奏曲を創出し得たということである。なお、シュターツカペレ・ドレスデン(「ザクセン国立歌劇場管弦楽団」「ドレスデン国立管弦楽団」「ドレスデン国立歌劇場管弦楽団」などと呼ばれることもある)は、ドイツ・ドレスデンに本拠を置く歌劇場専属オーケストラであり、1548年にザクセン選帝侯の宮廷楽団として設立され、現存するオーケストラとしては、デンマーク王立管弦楽団に次ぐ歴史を持つ、伝統のあるオーケストラ。2012年からは、クリスティアン・ティーレマンが音楽監督に就任している。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ハイフェッツのブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番他

2012-09-04 10:28:23 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
      スコットランド幻想曲
ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番「グレトリー」

ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ

ハープ:オシアン・エリス

指揮:マルコム・サージェント

管弦楽:ロンドン新交響楽団

CD:BMG JAPAN BVCC‐37641

 このCDで演奏しているヤッシャ・ハイフェッツ(1901年―1987年)は、バルト海沿岸のリトアニアの古都ヴィルナに生まれ、米国ロサンジェルスで亡くなっている。7歳でメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を演奏し、デビューを果たしたというから早くからその才能を開花させたようである。サンクトペテルブルグ音楽院で学んだ後、ヨーロッパ各地で演奏活動を行う。1917年にカーネギーホールでアメリカデビューを果たしたが、同年起こったロシア革命を嫌い、そのままアメリカに在住し、1925年にはアメリカの市民権を得る。以後アメリカを拠点に演奏活動を行うことになる。独奏曲、協奏曲のほか室内楽曲でも活躍し、ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタイン、チェリストのエマヌエル・フォイアーマンと組んだ“100万ドルトリオ”は、当時多くのファンを引き付けた。ハイフェッツの演奏の特徴は、何と言ってもその卓越した演奏技術にある。幅広いレパートリーを誇り、それらの曲を完璧に演奏するため、多くの演奏家からも一目置かれたほど。今から見れば少しの違和感を感じられないが、まだロマン的情緒をヴァイオリン演奏に求めることが多かった当時、「ハイフェッツの演奏は冷たい」と評するリスナーもいたのも事実である。しかし、現在ハイフェッツの演奏を聴いてみると、現代の感覚にぴったり合うし、実に分り易く、きりりと引き締まった演奏に共感を覚えるリスナーは少なくないだろう。そして、その艶やかでダイナミックな演奏は、今でもヴァイオリン演奏の手本となっている。

 ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番は、1867年に完成したブルッフの代表作で今でも多くの愛好者を有している。マックス・ブルッフ(1838年―1920年)は、ドイツの作曲家。歌劇、交響曲、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、合唱曲など、幅広いジャンルの曲を作曲している。中でもこのヴァイオリン協奏曲第1番は、今でも根強い人気を誇っており、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキーに加え“5大ヴァイオリン協奏曲”と呼ばれることもあるほど。第1楽章の出だしは、ゆっくりと始まるが、ハイフェッツのこの部分を聴くだけで、ぞくぞくとするようなヴァイオリンの艶やかな音色に思わず引き込まれる。ハイフェッツの演奏は、これ以上できないような丁寧なものであり、それに加え、語り口の上手いことこの上ない。現在に至るまで、これほどブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番を弾きこなせるヴァイオリニストはいないであろうと思うほどだ。第2楽章がこれまた、ただただハイフェッツの至芸に耳が張り付けになる。ロマンの香り立つメロディーを、この上なく繊細で、情感は溢れる技法で弾き切る。これほどの説得力のあるヴァイオリン演奏は滅多にあるものではない。第3楽章は、ヴァイオリン協奏曲の魅力を存分に発揮して余す所がない。メリハリのある、明確なその演奏は、知らず知らずにリスナーを遥かな音楽が昏々と湧き出る楽園に誘ってくれる。マルコム・サージェント指揮のロンドン新交響楽団も、切れの良い、爽やかな伴奏を届けてくれている。これはもう歴史に残る名録音に違いない。

 次のブルッフのヴァイオリン独奏と管弦楽のための「スコットランド幻想曲」は、1879年から1880年にかけて作曲された。ブルッフは、スコットランドの歌を収集した「スコットランド音楽博物館」という曲集を発表するなど、スコットランドの民謡を愛好したようであるが、「スコットランド幻想曲」は、スコットランドの民謡をベースに、ハープが活躍する曲であり、全体に明るい面持ちがする楽しい曲である。スペインのヴァイオリンの巨匠パブロ・デ・サラサーテにより初演されたということからも、その華やかさを思い浮かべることができよう。特にこの作品が世界的に知られるきっかけになったのは、ヤッシャ・ハイフェッツが愛奏してからのことであると言われており、その意味からこの録音は、この曲を聴く時には、忘れることのできない録音だといえる。序奏は、優雅で幻想的な面持ちが特徴で、ハイフェッツのヴァイオリンは、ものの見事にこれを表現している。第1楽章は、快活なテンポで進み、ハイフェッツの優れた演奏技術を堪能できる。第2楽章は、元気で陽気な雰囲気に包まれた曲で、ハイフェッツのヴァイオリンも理屈を抜きに演奏を楽しんでいる様子が手に取るように分る。第3楽章は、スコットランド民謡が、ハイフェッツのヴァイオリンで浪々と弾かれていき、暫し、豊かな田園地帯に足を踏み入れたような、懐かしさに包まれる。第4楽章もスコットランド民謡が、実に堂々と演奏され、ヴァイオリンとハープそれにオーケストラの3者が、互いに語り合っているようでもあり、聴いていて楽しくなってくる。

 ヴュータン:ヴァイオリン協奏曲第5番は、ヴュータンが1858年に作曲した曲。第4番とともに、今でもよく演奏される。アンリ・ヴュータン(1820年―1881年)は、ベルギー出身のヴァイオリニスト兼作曲家。主にフランスで活動した。1829年にパリでヴァイオリニストとしてデビューを果たす。超絶技巧で知られるパガニーニおも圧倒したとも伝えられる名手であったらしい。ブリュッセル音楽院、ウィーン音楽院で学ぶ。アメリカやロシア帝国などにも演奏旅行を行う。1871年に帰国し、ブリュッセル音楽院の教授を務め、イザイなどの逸材を育てる。ヴァイオリン協奏曲第5番は、序奏と3つの部分からなる単一楽章のヴァイオリン協奏曲で、「グレトリー」の愛称で呼ばれることもある。これは、ベルギーの作曲家グレトリーの歌劇「リュシール」の旋律が流用されていることら名付けられたもの。ここでのヤッシャ・ハイフェッツの演奏も、完璧な技術と艶のあるヴァイオリンの音色を最大限に発揮させ、聴くものを引き付けて止まない。起伏のある演奏であり、リズム感も適切であり、現代人のにピタリと合う感覚が何とも好ましい。劇的な演出効果が施され、あたかもオペラの中の音楽を聴いているようでもある。それに加え、特筆すべきは、マルコム・サージェントの指揮であり、ハイフェッツのヴァイオリンの輝きを一層増す結果をもたらしている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇諏訪内晶子、優勝者記念コンサートのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲(ライヴ)

2012-07-24 10:33:09 | 協奏曲(ヴァイオリン)

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:諏訪内晶子

指揮:ドミトリ・キタエンコ

管弦楽:モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

CD:ワーナーミュージック・ジャパン WPCS 21057(ライヴ録音)

 このCDは、1990年7月7日、チャイコフスキー国際コンクール終了後、モスクワ音楽院大ホールで行われた、優勝者による記念コンサートの演奏をライヴ録音したものである。当時18歳であった“天才少女 諏訪内晶子”の青春の記録とも言えるこのCDは1990年10月に発売され、当時、大ベストセラーとなった記念すべき録音である。今聴いても、何という若々しさと優美さに溢れた名演であることかと、思わず聴き惚れる。チャイコフスキーの作品の演奏スタイルは、ロシアの風土に根差した土臭い演奏と、民族的な感覚から一歩引いて普遍的な音楽の美しさに根差した演奏スタイルとに二分されるが、ここでの諏訪内晶子の演奏は、普遍的な音楽の美しさに根差し、それを一層昇華させたような演奏内容になっており、単に美しさという範疇を越え、リスナーは何か遠い世界へと誘われるような不思議な体験をすることができる。現在、世界のヴァイオリンの女王の君臨するムターも同じような演奏内容だが、ムターがより無機質な美意識に貫かれているのに対し、ここでの諏訪内晶子演奏は、若々しさとナイーブさを交差させたような類稀な演奏を披露してる。

 第1楽章で諏訪内晶子は、その持てる力を存分に発揮しているが、無駄な力は全く入っておらず、その流れるような演奏ぶりは、これまで聴いたどのチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲の演奏にも例えることができないような、魅力に輝き満ちている。一言で言うと瑞々しい演奏とでも言ったらいいのであろうか。決して線は細くはないのであるが、あたかも衣擦れの音が聴こえて来るような清潔感が溢れ出る。この音の環境は、何処かで聴いた覚えがあるぞ、と考えていたら、日本の“能”に行き着いた。そうなんだ、これは能舞台で能役者が演じる迫真の演技にも似た空気が流れているのだ、と私には思えた。諏訪内晶子自身は、意識はしていないであろうが、日本文化の持つ清廉さと西欧文化の持つ絢爛さとが、諏訪内晶子というヴァイオリニストの内面を通して見事に融合し、一挙に花開いたような優美な演奏内容となっている。

 第2楽章の演奏も、第1楽章と同じことがいえるが、ほの暗い憂愁の曲想を諏訪内晶子は巧みに捉え、丁度、第1楽章の裏面に当るような、しっとりとした演奏内容となっており、引き込まれるような雰囲気に酔わされる。そして第3楽章。ここでは、自身の持つ技巧を遺憾なく発揮して、一気に弾きまくる。それでも荒っぽさは微塵もなく、最後まで優美さは持ち続けたままだ。このライヴ録音には、終楽章以外に第1楽章の終わりにも聴衆が拍手する様子が収録されており、当時の熱気が伝わってくる。この録音は、画家や作家で言えば、あるいは若書きに当る演奏なのかもしれないが、逆に18歳という若さでなければ到底表現できないような、心からの喜びに溢れた演奏内容は、今聴いても、聴いているだけで何か心が浮き浮きしてくる。

 諏訪内晶子は、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースを修了後、文化庁芸術家在外派遣研修生としてジュリアード音楽院に留学し、同時にコロンビア大学で政治思想史を学ぶ。1987年、15歳の時に日本音楽コンクール第1位を受賞した後、1988年パガニーニ国際コンクール第2位、1989年エリーザベト王妃国際国際コンクール第2位を受賞。そして、1990年、チャイコフスキー国際コンクールで第1位に輝いた。これは、最年少で、日本人初、全審査員の一致による優勝であった。現在は、パリを拠点に活躍している。そして先頃、諏訪内晶子が自ら芸術監督を務め、新たなクラシック音楽祭「国際音楽祭NIPPON」を開催することを明らかにした。ここ10年来「演奏活動以外に、何か世の中に恩返しができないか。次の世代に伝えていけることはないか」ずっと考えてきたという彼女が、長年温めてきた構想を実現させたのが今回の音楽祭の発表であるという。その成果に大いに期待したい。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヤッシャ・ハイフェッツのメンデルスゾーン/チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

2012-02-14 10:32:05 | 協奏曲(ヴァイオリン)

メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲

チャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヤッシャ・ハイフェッツ

指揮:シャルル・ミュンシュ/管弦楽:ボストン交響楽団(メンデルスゾーン)

指揮:フリッツ・ライナー/管弦楽:シカゴ交響楽団(チャイコフスキー)

CD:BMG JAPAN(RCA Red Sesl) BVCC‐37638

 これは、人気の高いメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を1枚に収めたCDの中でも、一際評価が高い1枚である。評価が高いからといって、必ずしも万人向きとは言えないのではないかというのが私の考えだ。というのは、ヤッシャ・ハイフェッツ(1901年―1987年)という技巧的に完璧な天才的なヴァイオリニストが、その持てる所を存分に発揮して演奏しているからである。つまり、極度な集中力と完成度の高い演奏内容となっており、所謂“遊び”の入りこむ余地がないほどの高み達した演奏だからである。ハイフェッツは、その高度な演奏技術を有することから、冷たい印象を持たれることも少なからずあった。しかし、その冷たさは、一般にい言う冷たさではなく、普通より高い次元での演奏を目指すことによって生じることであって、本質的に冷たい演奏では決してない。このCDでの演奏でも、ハイフェッツは、耳慣れた2つのヴァイオリン協奏曲を、原点に戻って演奏してみることによって、これまでのムード優先での演奏では見過ごされがちな美点を、再発見するかのような真摯な演奏態度で臨んでいるのである。その意味で次元が高い意演奏で、必ずしも万人向きではないということが言えるのである。

 メンデルスゾーンは、作曲家との活動とは別に、指揮者としての活動も並行して行っていた。今では作曲家としてしか知られていないが、メンデルスゾーンの業績で忘れることの出来ないのが指揮者として、バロックや古典派の優れた曲をコンサートで積極的に取り上げことである。今では当たり前のことなのだが、当時は画期的なことであり、この意味でメンデルスゾーンは、現代的指揮者の創始者とも考えられる。そんなメンデルスゾーンが常任指揮者を務めていたライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスターで友人でもあったヴァイオリニストのために作曲したのが有名なヴァイオリン協奏曲であり、この辺にオーケストラとヴァイオリンの絶妙なコンビネーションの秘密が隠されていると言えそうだ。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が、初演当初から聴衆の圧倒的な支持を得ていたのに反し、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、初演時には、演奏家および聴衆双方から評価されなかったことは、興味深いことだ。多分、当時はサロン的な音楽が素晴らしいと評価され、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲のような民族的な、ある意味で泥臭い音楽は無視されていたのかもしれない。しかし、何回も演奏されるに従ってその評価は、次第に高まっていくのである。

 メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章を弾くハイフェッツは、猛烈なスピードで演奏する。普通、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の協奏曲を聴くリスナーは、甘く訴えるようなゆっくりとしたヴァイオリンの演奏に期待する。ハイフェッツは、そんなリスナーの思惑なんか無視して、この曲が持つ本来の軽快さを極限まで追求し続けるのだ。シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団もさらりと伴奏し、小気味よい雰囲気を演出する。第2楽章は、第1楽章とは反対に、ハイフェッツは、思う存分ロマンチックでゆっくりとしたテンポで演奏を始める。なるほど、第1楽章との対比が異なれば異なるほど、2つの楽章がリスナーに与える印象はそれだけ強くなるのだ。ここでリスナーは、ハイフェッツの心憎いばかりの演出力に初めて気付くのである。そして、最後の第3楽章では、ハイフェッツのヴァイオリンとオーケストラとが完全に一体化して、見事な演奏を繰り広げる。ここでもハイフェッツは、決して大見得は切らずに、緻密な演奏に徹する。第1~3楽章を通して聴いてみると、従来のメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲のイメージとは違い、緻密でしかも独特の美的感覚に覆われた、新しいメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲のイメージが現れてくる。

 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第1楽章は、ハイフェッツは思いっきりロマンチックに、スケールを大きく弾き切る。しかし、そこにはロシア的な民族音楽の感覚とは異なる新しいイメージの演奏があるのだ。曲の内面に深く入り込んでいくような求心的な演奏に、リスナーは、通常のチャイコフスキー:ヴァイオリン協奏曲では得られない感情に捉われる。そして、フリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の伴奏が、ハイフェッツのヴァイオリン演奏に圧倒的な効果を付け加えていく。第2楽章は、静かなハイフェッツのヴァイオリン演奏が心に染み渡るようだ。これには、ハイフェッツのヴァイオリンの持つ音色が圧抜群の効果をもたらす。ピンと張り詰めたヴァイオリンの音色に少しの濁りもない。しかし、そこには単なる透明感だけではなく、よく聴くと温もりを持ったヴァイオリンの音色があるのだ。ここでも、ハイフェッツは民族的音楽を表面には出さない。そして、第3楽章では、逆に思い切って民族的音楽を前面に据えたような、粘りのある演奏にがらりと変わる。正に神業とでも言ってもよさそうな、見事な変化ではある。ここでもフリッツ・ライナー指揮シカゴ交響楽団の陰影を伴った伴奏が、ハイフェッツを支えて見事である。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇アルテュール・グリュミオーのサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番

2011-11-22 10:35:43 | 協奏曲(ヴァイオリン)

サン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番
          序奏とロンド・カプリチオーソ
          ハバネラ

ヴァイオリン:アルテュール・グリュミオー

指揮:マニュエル・ロザンタール

管弦楽:コンセール・ラムルー管弦楽団

CD:ユニバーサル ミュージック DECCA UCCD9819

 若い頃、私はサン=サーンスの名を聞くと、クラシック音楽としては、何となく軽い音楽のような感じがして、真正面から聴くことは少なかったように思う。このCDにも収録されている「序奏とロンド・カプリチオーソ」「ハバネラ」などの曲を聴くと、「なかなか雰囲気のいい曲だな」くらいの感想しか持たなかった。その頃は、通常の日本のクラシック音楽ファンと同様に、ドイツ・オーストリア系のモーツァルト、シューベルト、ベートーヴェンそれにブラームスなどを毎日聴いていたわけだ。これらのドイツ・オーストリア系の大作曲家の音楽は、深くて、やたらに重厚な感じがする上に、ロマンの香りも感じ、青年の心を離さない魅力に溢れていたからだろう。その後、バッハなどバロック時代の音楽を聴く機会が増えるに従い、純粋な音楽そのものの美しさに魅力を感じるようになっていったと思う。つまり必ずしも、深くて、重いばかりがクラシック音楽の良さではないことに、遅らばせながら気付き、現在に至っているのである。要するに、若い頃に軽いクラシック音楽だと、軽視していた曲の中にも、新たな魅力が、今の私の中に燦然と輝き始めてきたのであり、その作曲家の一人がサン=サーンスなのである。

 そのサン=サーンスの代表的な一曲が、今回のヴァイオリン協奏曲第3番である。カミーユ・サン=サーンス(1835年―1921年)は、フランス出身の作曲家であり、オルガニスト、ピアニストでもあった。1871年にはフランク、フォーレらとともにフランス国民音楽協会を設立し、フランス音楽の普及に努めている。しかし、当時圧倒的な人気を集めていた印象主義音楽とは一線を引き、古典主義やロマン主義に傾倒したためか、現在までそう高い評価を与えられていないように感じられる。しかし、現在改めて、サン=サーンスの書いた作品を聴くと、古典的な立場に立っていたことが、逆に現在にも通じる、音楽の純粋な喜びを伝えているようにも感じられ、もしかするとこれから、サン=サーンスの再評価などといったことが起きるかもしれない。これは、サン=サーンスがオルガニストとしての高い腕を持っていたいたことも大いに影響しているものと思われる。古典的な曲をしっかりと身に付け、それを基として作曲活動に生かし切ったからである。これは、モーツァルトやベートーヴェンがバロック音楽の対位法の勉強に徹底的に打ち込んだ姿とダブルのである。

 サン=サーンスの曲と言えば、組曲「動物の謝肉祭」、交響曲第3番「オルガン付き」、交響詩「死の舞踏」のほか「序奏とロンド・カプリチオーソ」「ハバネラ」などが有名であるが、私が今特に心を惹かれている曲は、何と言ってもヴァイオリン協奏曲第3番なのである。古典的なヴァイオリン協奏曲ではあるが、全体に実に美しいメロディーがちりばめられており、聴いているだけで、自然にうっとりとしてしまう魔力にも似た魅力に溢れたヴァイオリン協奏曲なのである。特に、第2楽章の印象的なメロディーを一度聴いてしまうと、そう簡単に耳から離れないのが、不思議といえば不思議なことなのだ。モーツァルトのヴァイオン協奏曲のような快活さとは違い、また、ベートーヴェンのような雄大さを持ったヴァイオリン協奏曲とも違う。このサン=サーンスのヴァイオリン協奏曲第3は880年に完成されが、初演者のサラサーテに献呈されていることが、この曲の不思議な魅力に大いに関わっていることが想像できる。「序奏とロンド・カプリチオーソ」も1863年にサン=サーンスがサラサーテのために書き、今も名曲としてしばしば演奏される。サラサーテはスペイン出身のヴァイオリンの名手として当時絶大なる人気を誇っていたが、そのサラサーテがある時サン=サーンスのもとを訪れ、このヴァイオリン協奏曲第3番を依頼したという。このことを考えると、ジプシー的な雰囲気を持った曲づくりが、不思議な魅力の源泉なのかもしれない。

 今回は、“生誕90年・没後25年記念”「アルテュール・グリュミオーの芸術」と題されたシリーズの1枚として発売されたCDを聴いてみよう。アルテュール・グリュミオー(1921年―1986年)は、ベルギーのヴァイオリニストで、端正で美しいヴァイオリンの奏法の“フランコ・ベルギー楽派”の旗手として一世を風靡した大ヴァイオリニストである。豊かに良く響くヴァイオリンの音色は、多くのリスナーを引き付けて離さない。演奏全体が輝かしく優雅に鳴り響き、その七色の虹のようなヴァイオリンの音色を聴くと、理屈ぬきでクラシック音楽の楽しさが伝わってくるのだ。そんなアルテュール・グリュミオーがサン=サーンス:ヴァイオリン協奏曲第3番を弾いた録音であるこのCDは、初演の時のサラサーテの演奏に似ていたのかもしれない、そんな思いにも駆られるほどである。第1楽章の情熱的な雰囲気をグリュミオーは巧みな演出力で盛り上げる。ジプシー音楽的なエキゾチックさが交差するする様は、天才的なグリュミオーの演奏で初めて現実のものになった、とすら実感させられる。第2楽章は、出だしのメロディーが何て素敵なことであろうか。ため息が出そうな美しさに彩られている。グリュミオーの演奏は、ここぞとばかりヴァイオリンの魅力ある音色を辺りにちりばめる。第3楽章は、構成が堂々としていて、力強さに満ち溢れている上、中間部の美しさは、第2楽章を思い起こさせるほどだ。ロザンタール指揮コンセール・ラムルー管弦楽団の伴奏は、この曲のツボをよく掴んでおり、グリュミオーのヴァイオリン演奏を十二分に支えるばかりでなく、全体を統一感のある指揮で盛り上げている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇フーベルマンのベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲&クロイツェルソナタ

2010-12-14 13:26:17 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ベートーヴェン:ヴァイオリン協奏曲
         ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」

ヴァイオリン:ブロニスラフ・フーベルマン

指揮:ジョージ・セル

管弦楽:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ピアノ:フリードマン

CD:オーパス蔵(キングインターナショナル) OPK2006

 ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、1806年(36歳)に作曲された、ベートーヴェン中期を代表する名曲だ。よく、メンデルスゾーン、ブラームスのヴァイオリン協奏曲と並び“三大ヴァイオリン協奏曲”と称される。曲想は誠に勇壮であり、ヴァイオリンの機能をフル発揮させた内容は、聴くものを圧倒する。同時に、抒情味にも富んでおり、同時期の書かれた作品の交響曲第4番やピアノ協奏曲第4番などと共に、ベートーヴェンの人生の中でも最も充実した時期の品であることを窺わせる。とは言え、1802年10月6日に甥であるカールと弟のヨハンに宛ての有名な手紙「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いてからまだ4年しか経っていない時期を考えると、ベートーヴェンの精神力の強靭さには脱帽せざるを得ない。ベートーヴェンが真に偉大なのは、単に曲の美しさとかスケールの大きさを追い求めたのではなく、難聴など自分の身に降りかかる逆境を跳ね除け、肯定的に作曲し続けたことだと私は思う。このヴァイオリン協奏曲を聴くとさらにその思いを深くする。

 ところで、このCDで演奏しているジョージ・セル指揮ウィーン・フィルは、多くのリスナーはご存知でのことであろう。一方、ポーランド出身のヴァイオリニストのブロニスラフ・フーベルマン(1882年―1947年)について知っている方はそう多くはないと思われるので、どういったヴァイオリニストであったかをざっと見てみよう。1896年に13歳でウィーンのムジークフェラインザールにおいてブラームスの前で彼のヴァイオリン協奏曲を演奏、ブラームスをいたく感動させたとあるから、若くしてその才能を開花させたヴァイオリニストであったことが分る。ナチスが台頭するとドイツを離れ、1936年に、若いユダヤ人亡命音楽家を集めてパレスチナ管弦楽団を結成(現在のイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団)している。同楽団は最近来日し、同楽団の終身音楽監督のズービン・メータ指揮の下、演奏を披露している。この辺は単に一演奏家という以上の才能を持っていたのであろう。第二次世界大戦前に米国に移り住み、戦後暫くしてヨーロッパ楽壇に復帰した後、1947年64歳で亡くなっている。フーベルマンは、その実力の割には知名度が今一なのは、その演奏スタイルが大時代がかっていたからという説がある。演奏自体は正統的ではあるが、オールドファッションな演奏スタイルにより、次第に時代から取り残されたようだ。

 フーベルマンの残した録音は、その多くがノイズが入っていたりして、一部の愛好家を除き、これまで一般に紹介するのを憚れる録音がほとんどであった。ところが、オーパス蔵の尽力により、普通に聴いてもそう抵抗ないほどに音が改善されたCDが発売されたのである。早速、聴いてみたが、正面切った迫力あるその演奏は、そん所そこらにいるヴァイオリニストなど足元にも及ばない内容となっており、その演奏に息を呑んで聴き入ったというのが正直なところである。まあ、確かに大時代がかっているという面はあって、今同じような演奏をしたら、果たして受けるかと言われれば、確かに問題はあるかもしれない。ただ、フーベルマンの迫力ある演奏が、ベートーヴェンに対する畏敬の念とないまぜになってリスナーに伝わり、このことだけでも、聴く価値は充分ありというのが私の結論である。

 ヴァイオリン協奏曲の第1楽章の出だしから、フーベルマンは、勇壮にしかもロマンチックな雰囲気を漂わせながら、一気に弾き進む。見事な強弱の表現であり、何か一遍の物語の朗読を聞かされているようでもあり、文学的な雰囲気が辺りを包む。第2楽章も演奏スタイルは、第1楽章同様であるが、さらにその密度が増した感じであり、限りなくゆっくりとしたその演奏の中に、フーベルマンのベートーヴェンへの思いの深さが感じとれる演奏だ。第3楽章は、ジョージ・セル指揮ウィーン・フィルともども、気迫のこもった演奏内容がリスナーの心を揺さぶる。あたかもフーベルマン節とでも言ったらいいような個性的演奏に終始する。まあ、この辺は好き嫌いが出てきてもしょうがないかもしれない。ヴァイオリンソナタ第9番「クロイツェル」の演奏も、基本的にはヴァイオリン協奏曲と変わらないが、より普遍的な説得力を持った演奏内容のように思われる。ヴァイオリンの弦が切れそうな、その迫力ある演奏は、そう滅多に聴かれるものではない。そして、曲をドラマチックの再現してみせる、その確かな腕には舌を巻かざるを得ない。「クロイツェル」の録音の中でも、個性的な演奏という面では一際光を放っている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヒラリー・ハーンのブラームス/ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲

2010-10-26 13:13:49 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲

ストラヴィンスキー:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヒラリー・ハーン

指揮:ネヴィル・マリナー

管弦楽:アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

CD:Sony BMG Music Entertainment SICC 1052

 ブラームスのヴァイオリン協奏曲ほど数多くのヴァイオリンにストにより演奏、録音されているヴァイオリン協奏曲はないと言ってもいいだろう。このことは、人気のヴァイオリン協奏曲であることの確かな証拠になる。程よく響き渡る哀愁のあるメロディー、ヴァイオリンの持ち味を最大限に発揮する技巧が求められ、弾く側にもやりがいがあろうし、聴く側にもとっても山あり、谷ありの起伏に富んだ曲調は面白く、共感を持って聴くことができる。それにオーケストラのパートが、まるで交響曲を聴くような厚みのあるものとなっていることが、この協奏曲を一層深みのある、重厚な曲に昇華させている。そんなヴァイオリン協奏曲だけに、耳の肥えたリスナーを満足させるには、ヴァイオリニスト、指揮者、オーケストラともに相当な覚悟が求められる。

 さて、このヒラリー・ハーンとネヴィル・マリナーのコンビによるブラームスのヴァイオリン協奏曲の出来は一体どうなのか。正に興味津々。第1楽章を聴いてみることにしよう。マリナーとアカデミーが演奏するオーケストラだけの出だしの部分だけ聴いても、その羽毛のように柔らかく、包容力のある音色に思わず引き込まれる。決してマリナーは、こけおどしに威嚇的になることはしない。あくまで紳士的なのだ。そしてゆっくりとヒラリー・ハーンのヴァイオリンの登場となる。音は限りなく透明感があり、しかも幻想的と言ってもいいほど柔らか味に満ち満ちていることよ。特に高音になれば成る程、その音色は冴え渡る。成る程、ヒラリー・ハーンが現在注目されている理由の一端を窺い知れる。その繊細さといったら、表現に困るほど。何か精巧なガラス細工の工芸品を見ているようにも感じられる。昔オードリー・ヘップバーンが世界中で日本人が一番愛した女優と言われたように、ヒラリー・ハーンは、その繊細な佇まいから特に日本人に愛されるヴァイオリニストと言えるのではなかろうか?

 ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第1楽章は、優美にゆっくりと透明感を漂わせながら演奏される。普通、ブラームスのヴァイオリン協奏曲の第1楽章は、力強く堂々と時にはカウンターパンチを効かせながら演奏されるのが普通。ハーンとマリナーはこの逆を行って成功した珍しい事例に私には聴こえた。第2楽章は、ハーンとマリナーのコンビにつくられたような楽章である。それだけに伸び伸びと思いっきり優雅に曲が進む。晦渋なブラームスの曲であることを一瞬忘れてしまうようにも感じる。何かシューマンかメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴いているようだ。演奏芸術の凄さを感じる程。第3楽章は、軽やかに、何か軽快な足取りでスキップをしながら小走りをしているようだ。ここでもブラームス特有な晦渋さは姿を消して、ブラームスが明るく微笑んでいるかのようだ。「ヒラリー・ハーンによって新しいブラームスのヴァイオリン協奏曲像が誕生した」というのが私の結論である。

 ストラヴィンスキーのヴァイオリン協奏曲は、私はこれまであまり聴いたことがなかったので、これを機会によく聴いてみることにした。ストラヴィンスキーの作品は、よく原始時代、古典時代、それに12音階時代の3つの分類されるが、これは古典時代の曲。それだけに、聴きやすく、直ぐ覚えられそうなメロディーが次々に登場して飽きさせない。しかし、それはそれストラヴィンスキーのこと、一筋縄では行かない。裏には現代音楽風な感じが時々頭をもたげる。ハーンはそんな現代音楽風古典曲ともいえるこの“不思議な曲”を明快に弾き語ってみせる。その技量は相当なものであることが分る。ヒラリー・ハーンは、1979年生まれのアメリカ出身のヴァイオリニスト。10歳でフィラデルフィアのカーティス音楽学校に入学。1995年にロリン・マゼール指揮のバイエルン放送交響楽団と協演し国際デビューを果たす。2001年、今回紹介したCDの録音により、2003年のグラミー賞を受賞。さらに同年12月の日本でリサイタル・デビューを飾り、聴衆を魅了した。現在、世界で最も注目されているヴァイオリニストの一人である。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇アイザック・スターンのラロ:スペイン交響曲/ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2010-10-13 09:28:14 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ラロ:スペイン交響曲

ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

サラサーテ:チゴイネルワイゼン

ヴァイオリン:アイザック・スターン

指揮:ユージン・オーマンディ

管弦楽:フィラデルフィア管弦楽団

(サラサーテ)
指揮:フランツ・ワックスマン
管弦楽:SYMPHONY ORCHESTRA

 これは「アイザック・スターン コレクション」と題されたシリーズの中の1巻で、3枚組みのCDに収められれた“The Early Concerto Recordings,Vol.2”の中の1枚である。要するに若き日のアイザック・スターンの録音を収めたものだ。これを見ると同シリーズの全体はかなり膨大なものであろうことが推測される。それだけに、アイザック・スターンが如何に愛されたヴァイオリニストであったかが分ろう。アイザック・スターン(1920年―2001年)は、ウクライナに生まれのユダヤ人(私はこれまでアイザック・スターンはアメリカで生まれたとばかり思っていた)。1歳過ぎの頃、家族と共にサンフランシスコに移住。そしてサンフランシスコ音楽院でヴァイオリンを学ぶ。デビューは1936年で、モントゥ指揮のサンフランシスコ交響楽団との共演であったという。あまり音楽コンクールでの受賞歴が紹介されてない。これは、これほど名高いヴァイオリニストでは珍しいことなのではないだろうか。小澤征爾がテレビ番組で「音楽コンクールは技術面を評価しているだけで、その演奏家の全てではない」言っていたことを思い出してしまった(著名な音楽コンクールに優勝しないと一流の演奏家と思われない今の風潮には私は抵抗を感じる。過去の経歴でなく今現在の演奏を聴いてリスナーが評価すればいいだけのことだと思うのだが・・・)。

 ところで、アイザック・スターンはユダヤ人としての活動も活発に行っていたが、日本との繋がりも大分強かった。宮崎国際音楽祭では、その初代音楽監督に就任しており、2002年には宮崎県から県民栄誉賞を遺贈されている。そして、宮崎県立芸術劇場コンサートホールは、宮崎県立芸術劇場アイザックスターンホールと改称された。2000年には80歳で来日。さらに、日本政府より勲三等旭日中綬章も授与されている。アイザック・スターンは特に若手の教育に力を入れていたが、日本人演奏家が直接指導を受けているのを確かテレビで見たしたこともあったと思う。最期は、あのアメリカの同時多発テロで騒然としたニューヨークで81歳で亡くなった。私の年代のリスナーにとっては、アイザック・スターンの録音した数々の名演奏が思い出され、今でも最も身近に感じるヴァイオリニスト一人であることは確かだ。

 そんな、アイザック・スターンが若き日に録音したのが今回のCD。録音は、ラロのスペイン交響曲とブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番が1956年10月1日(アイザック・スターン36歳)、サラサーテのチゴイネルワイゼンが1946年8月14日(同26歳)。正に日の出が上るときのような若々しい、エネルギッシュな演奏がこのCDからは聴き取れる。ラロのスペイン交響曲の第1楽章の自信に満ちた力強い弾きぶりは、オーマンディ/フィラデルフィア管の迫力満点の伴奏と相俟って、充分にこの曲の録音でもトップクラスに入ろう。第2楽章はの明るく、華やかな雰囲気は正に若さの勝利とでも言ったらいいのか。第3楽章は、オーマンディ/フィラデルフィア管の重厚な演奏が“交響曲”の雰囲気を振りまき、アイザック・スターンのヴァイオリンは伸び伸びとしたメロディーを歌う。第4楽章もオーケストレーションが充実した響きを聴かせ、その上に乗ってアイザック・スターンのヴァイオリンが安定した演奏を聴かせる。そして、何とも言えない甘美なメロディーが耳に残る第5楽章は、アイザック・スターンのヴァイオリンが、スピード感を持って、技巧の限りを尽くす。

 ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番のアイザック・スターンの演奏も、ほぼラロのスペイン交響曲と同じことが、その演奏についいえる。第1楽章の浪々としたヴァイオリンの音色は、オーマンディ/フィラデルフィア管の演奏と絡み合うようにして、緩やかにしかも力強く進んでいく。第2楽章の美しく、しかも限りなく静かな出だしの演奏は絶品だ。アイザック・スターンはただ力だけで弾いているわけではないぞ、とでも主張しているかのようだ。メロディーを切なく弾く様は大向こうを唸らせる。曲も良いし、演奏も完璧!第3楽章は、曲の迫力を十全に引き出すかのようにアイザック・スターンは熱演する。このCDの録音の状態はあまり良いものではないが、それでもアイザック・スターンが直ぐ側で弾いているような錯覚に捉われるほど。サラサーテのチゴイネルワイゼンは、26歳という若さの演奏なので興味をもって聴いたが、技術的には全く申し分ないのだが、何かもう少し深みがほしい気もした。逆に言えばその後の10年でアイザック・スターンが精神的に大きく成長を遂げたということが言えると思う。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇ヘンリック・シェリングのブラームス/ハチャトリアン:ヴァイオリン協奏曲

2010-08-31 09:27:16 | 協奏曲(ヴァイオリン)

ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ハチャトリアン:ヴァイオリン協奏曲

ヴァイオリン:ヘンリック・シェリング

指揮:アンタール・ドラティ

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:MERCURY LIVING PRESENCE 434 381-2

 CDを数多く聴いていると自ずと方程式のようなものが浮かび上がってくることに気づく。例えば演奏開始5秒の間でその演奏の大体のアウトラインが判明してしまうなどというのも一つだ。そんな馬鹿なというかもしれないが、どうしてもそんな傾向が出てしまうからしようがない。逆に言うと最初の5秒で失敗すると最後までその影響を引きずってしまうことがままある。これはCDに限らず、生の演奏でもほぼ同じことがいえる。その典型的な例が、今回のヘンリック・シェリングのヴァイオリン、アンタール・ドラティ指揮ロンドン交響楽団伴奏のブラームスとハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲のCDなのだ。ハンガリー出身の名指揮者アンタール・ドラティ(1906年―1988年)は、3つのオーケストラから「桂冠指揮者」の称号を授与された(ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団、デトロイト交響楽団)ほどの実力者であり、メリハリの効いた分りやすい指揮ぶりに好感が持てた。

 ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、長いオーケストラの伴奏から始まるが、この部分で失敗すると、ヴァイオリンの演奏を聴く前に、がっかりして肝心のヴァイオリンの演奏を聴く意欲が削がれる思いがする。その点このCDのブラームスのヴァイオリン協奏曲のオーケストラの出だし部分は、奥行きが素晴らしく深く、ゆっくりとした大きなスケールで描かれ、もうそれだけでヴァイオリンの演奏の成功も大体の予想が付くほどだ。シェリング弾く第1楽章は、きちっと身がしまった筋肉質のヴァイオリン演奏に終始し、決してぼやけないブラームスの一面を引きずり出すことに成功している。

 第2楽章の出だしもオーケストラの牧歌的な演奏が印象的で、第1楽章同様ドラティ/ロンドン交響楽団の明快でありながら深みのある演奏に思わず引き付けられる。ここでのシェリングの演奏も第1楽章同様やたらに大向こうを唸らせるような演奏ではなく、一音一音を噛み締めるように、繊細にゆっくりと弾いていく。これがブラームスの新しい側面を見るようで新鮮だ。ブラームスだからといってやたら重苦しく弾くこともないとでも言っているように。第3楽章は、シェリング、ドラティ/ロンドン交響楽団ともに一挙に明るく、軽快に演奏し、例のブラームスらしい晦渋さはない。これはブラームスのヴァイオリン協奏曲の新しい側面を引き出した名演といってよいだろう。

 ハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲の第1楽章は、息をも付かせない印象的なメロディ、リズム感で始まり、一度聴いたら虜になること請け合いだ。ヴァイオリンの名人芸的な演奏がシェリングの演奏により十二分に楽しめるのだ。こんな楽しいヴァイオリン協奏曲にそう滅多にお目(お耳)にかかれるものではない。そのヴァイオリン演奏をシェリングは完璧な技巧と膨らみのある音色で聴くものの心をがっちり握って離さない。第2楽章は、静かに浪々と弾かれるヴァイオリンの妖艶な音色に吸い込まれるような印象を受ける。シェリングのヴァイオリンとドラティ/ロンドン交響楽団の演奏とが互いに纏わり付きながら、ゆっくりと演奏を進めていく様は、これぞヴァイオリン協奏曲を聴く醍醐味そのものと感じられる。第3楽章は、スピード感たっぷりの楽章で、ここでもシェリングの名人芸を堪能できる。オケは相変わらず絶好調で、少しの乱れもなく、シェリングのヴァイオリンとの相性はこの上なく良く、聴き応えたっぷり。久しぶりにヴァイオリン協奏曲の良さに酔いしれることができた。それにしても往年のMERCURY LIVING PRESENCEシリーズは、演奏、音質共に非の打ちようがない名録音が少なくないのに何時も感心させられる。ブラームスは、1962年7月18日、ハチャトリアンは1964年7月4日の録音。(蔵 志津久)

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