~五嶋みどりのドイツでのライヴ録音盤を聴く~
メンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲
ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲第1番
ヴァイオリン:五嶋みどり
指揮:マリス・ヤンソンス
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD:ソニー・ミュージックエンタテインメント SICC 30086
五嶋みどり(海外ではMidori)は、大阪市の出身。1982年米ジュリアード音楽院に入学し、同年米国デビューを果たす。1986年には、“タングルウッドの奇跡”を起こし、一躍時の人となる。これはタングルウッド音楽祭で、レナード・バーンスタイン指揮のボストン交響楽団と共演した際に、ヴァイオリンの弦が2度も切れたにもかかわらず、その都度即座に代わりのヴァイオリンを使い、途切れることなく演奏を終えた“奇跡”のこと。これにはバーンスタインも驚き、米国の小学校の教科書にも掲載されたほど。通常、世界的ヴァイオリニストは、国際コンクールの優勝経験を持つケースがほとんどであるが、五嶋みどりだけは例外のようで、実力で世界のトップヴァイオリニストに上り詰めた。そして、彼女を一層有名にしているのが、米国の若者を対象にした音楽教育団体「みどり教育財団」の設立だ。日本でも、2002年に特定非営利活動法人「ミュージック・シェアリング」を発足させ活動をしている。これに加え、現在、南カリフォルニア大学(USC)ソーントン音楽学校の弦楽学部学部長を務めるなど、音楽教育全般に力を入れている。2007年から国連平和大使も務めるなど、五嶋みどりは、芸術家の枠から一歩踏み出した、一味違う活動をこなしている世界的ヴァイオリニストなのである。
このCDは、世界で年間70回以上の演奏活動をこなす五嶋みどりが、2002年と2003年に行ったドイツでのコンサートのライブ録音盤である。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が2003年1月、ブルッフのヴァイオリン協奏曲が2002年6月のコンサートの模様が収められている。いずれの録音もライブ録音の良さが最大限に発揮されており、コンサート会場での瞬発力を持った緊張感ある演奏の模様が克明に捉えられている。通常のスタジオ録音とは違って、ある意味凄みを持った演奏と言ったらいいのだろうか。熱狂した聴衆の拍手も収録されており、一層臨場感を盛り上げている。伴奏は、マリス・ヤンソンス指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団。マリス・ヤンソンス(1943年生まれ)は、ラトビア出身。1971年ヘルベルト・フォン・カラヤン国際コンクールで優勝。2003年からバイエルン放送交響楽団首席指揮者、2004年からロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団首席指揮者を務めるなど、現在世界を代表する指揮者の一人。ここでは、明快でダイナミックな演奏で五嶋みどりのヴァイオリン演奏を引き立てている。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、構想から6年を経た1844年に完成した。今では、ヴァイオリン協奏曲の代名詞ともいえる、知らぬもののない名曲中の名曲となっている。3つの楽章は、中断なく続けて演奏され、これにより、作品の持つ流動感を一層引き立たせている。また、それまで演奏者の自由に任されることが多かったカデンツァ部分も全て作曲し、これにより曲の統一性が保たれている。ここでの五嶋みどりは、実にナイーブな演奏に終始する。ヴァイオリンの音色がしなやかなに揺れ動くその演奏の様は、これがメンデルスゾーン:ヴァイオリン協奏曲の演奏の原点だとも言えるほど。全体が仄かな陰影感で覆われ、全てのリスナーが納得させられる説得力のある演奏内容だ。その説得力も単に力で押さえつけるのではなく、曲との一体感から生まれているので、リスナーは自然に曲の核心に触れることができる。まるでメンデルスゾーンと五嶋みどりとが一体化し、大きな宇宙空間へと旅立とうとしているかのような、流麗で透明感を持った演奏内容である。
次のブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、1864年に着手され1866年に一応完成したが、初演の成功にもブルッフは満足せず、その後大規模な改訂を進め、1868年1月に現在の版を完成させた。これも大成功を収め、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと並びブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番は、今やドイツ人作曲家による4大ヴァイオリン協奏曲の一つに挙げられるほどになっている。ここでの五嶋みどりの演奏は、メンデルスゾーンの時とはがらりと変わり、力強さに満ちたものとなっているのが印象的。全体に濃厚な色彩感のある雰囲気を醸し出している。そしてスケールの大きい構成感が何とも心地良い演奏に仕上がっている。濃厚なロマンチックの香りが、そこはかとなく漂う演奏だ。この辺の演出力は、五嶋みどりの他を寄せ付けない真骨頂と言ってよかろう。第2楽章の牧歌的な歌を高らかに歌い上げるところは、実に美しい演奏に昇華されている。第3楽章の力強い演奏の背景には、何ともいえない抒情味が感じて取れる。そんな奥深い演奏が彼女演奏の優れたところであろう。(蔵 志津久)