バッハ:クラヴィーア曲集「フランス組曲」
アンマー・チェンバロ:ヘルムート・ヴァルハ
CD:東芝EMI CC30 3457~58
このCDは、ヘルムート・ヴァルハ(ヴァルヒャとも表記、1907年―1991年)が録音したバッハのクラヴィーア曲集の一つ「フランス組曲」のCDである。クラヴィーアとは、ピアノやチェンバロ、クラヴィコードなどの鍵盤楽器の総称のことで、ここでヴァルハは、アンマー・チェンバロによって演奏している。チェンバロは、弦を爪で弾いて発音させる鍵盤楽器であり、フランス語ではクラブサン、英語ではハープシコードという。それでは、このアンマーとは一体なにか?私もよく知らないが、このCDの解説書で市川信一郎氏がアンマー・チェンバロを詳しく解説しているので、要点を紹介しよう。アンマー・チェンバロのアンマーとは、ドイツのチェンバロ製作所の社名。チェンバロは、大きく分けて「歴史的チェンバロ」と「モダン・チェンバロ」に分けられる。「歴史的チェンバロ」が16-18世紀の楽器と同じ構造・機構・製作法に基づいて生み出されるのに対し、「モダン・チェンバロ」はというと、ピアノの構造・機構・製作法の多くを負っているという。アンマー・チェンバロは、この中のモダン・チェンバロといわれるものに数えられている。そう言われれてこのCDを聴くと、古きチェンバロの響きというよりは、何か近代的なピアノの力強い響きに似た感じがする。
バッハは、クラヴィーア曲集として、「フランス組曲」のほか「イギリス組曲」それに「パルティータ」の3つの曲を作曲している。これらの古典組曲は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグなどの舞曲が交互に現れるのを基本としている。我々は、バッハのクラヴィーア曲集と聞くと、どちらかというと“正座して緊張して聴くもの”という潜入観念があるが、実際には楽しい踊りがベースとなっているので、楽しくリラックスして聴くのが一番いいようだ。現に、このヴァルハの「フランス組曲」を聴けば分るが、音楽そのものが持つ楽しさに溢れたものになっている。そこには難しい理屈など必要ない。我々リスナーは、ただただ次々と繰り出されるヴァルハの正確で、しかも明るい光に満ちたようなチェンバロの響きに身を委ねるだけで至福の一時が得られるのである。私はどうもロマン派の音楽をベースにこれまでクラシック音楽リスナー生活を送って来たからか、この曲は嬉しいとか、悲しいとか、などをまず思い描いてしまう癖が自然に身に付いてしまっている。しかし、音楽の本質は、音楽そのものであり、何かを連想させることだけが音楽ではないのである。この点。バッハの「フランス組曲」をじめとした3つの組曲は、純粋な音楽そのものの喜びに満ち溢れていることを感じ取ればいいのだと思う。
バッハの「フランス組曲」および「イギリス組曲」のフランス、イギリスという国名はあまり曲そのものとは直接関係ないようである。これについてこのCDの解説書で大木正純氏は2曲の相違を次のように解説している。「『イギリス組曲』に含まれる6曲の組曲がすべて規模の大きなプレリュードを冒頭に置き、全体に長大で、力感溢れる曲想を持つのに対して、『フランス組曲』の6曲は、いずれもいきなりアルマンドから始まり、全体に比較的小ぶりで、優雅繊細な雰囲気に満たされているのが特徴である」。この「フランス組曲」のヴァルハの演奏は、実に正確無比に弾かれており、その揺ぎなく、しかも小気味よいスピード感は、聴くものに圧倒的な印象を与える。チェンバロというとボリューム感がいまいちという印象を持っているリスナーも少なくないだろろうが、アンマー・チェンバロの特色なであろうか、ここでのヴァルハの演奏は、存在感を充分に感じさせる、ある意味では現代人に充分通じる演奏となっている。私の好みでは第5番および第6番が一層楽しく、曲の持つ躍動感を感じ取れた。
ヘルムート・ヴァルハは、年配のリスナーなら御馴染みの名前であろう。当時、ヴァルハが弾くチェンバロやオルガンを演奏した放送がしょっちゅう流されたのをつい最近のように思い出す。そして数多くの録音も残している。ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝を果たし一躍日本中に名が知れわったピアニストの辻井伸行は、全盲のピアニストということでも注目されたわけであるが、ヴァルハは16歳から全く目が見えなくなってしまった。辻井が母親と二人三脚でハンディを乗り越えたように、ヴァルハも母親がピアノを弾いて、それをヴァルハが旋律を記憶していったという。ヴァルハが特に力を入れたのがバッハであり、25歳のときバッハのチェンバロ曲、オルガン曲など鍵盤楽器用の全作品を暗譜しようと決意し、40歳にしてこれを見事完成させたというから、超人的努力家であったことが分る。このCDでも全盲の奏者が弾いていることなぞ微塵も感じさせない所は誠に凄いの一言だ。このCDの解説書で小石忠男氏は「まさに現代におけるバッハ演奏の規範である」とヴァルハを高く評価しているが、このCDは、バッハへの一途の思いが込められたという点では、現在に至るまで他の追随を許していない。(蔵 志津久)