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★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ヘルムート・ヴァルハのバッハ:クラヴィーア曲集「フランス組曲」

2010-09-09 09:37:49 | 古楽

バッハ:クラヴィーア曲集「フランス組曲」

アンマー・チェンバロ:ヘルムート・ヴァルハ

CD:東芝EMI CC30 3457~58

 このCDは、ヘルムート・ヴァルハ(ヴァルヒャとも表記、1907年―1991年)が録音したバッハのクラヴィーア曲集の一つ「フランス組曲」のCDである。クラヴィーアとは、ピアノやチェンバロ、クラヴィコードなどの鍵盤楽器の総称のことで、ここでヴァルハは、アンマー・チェンバロによって演奏している。チェンバロは、弦を爪で弾いて発音させる鍵盤楽器であり、フランス語ではクラブサン、英語ではハープシコードという。それでは、このアンマーとは一体なにか?私もよく知らないが、このCDの解説書で市川信一郎氏がアンマー・チェンバロを詳しく解説しているので、要点を紹介しよう。アンマー・チェンバロのアンマーとは、ドイツのチェンバロ製作所の社名。チェンバロは、大きく分けて「歴史的チェンバロ」と「モダン・チェンバロ」に分けられる。「歴史的チェンバロ」が16-18世紀の楽器と同じ構造・機構・製作法に基づいて生み出されるのに対し、「モダン・チェンバロ」はというと、ピアノの構造・機構・製作法の多くを負っているという。アンマー・チェンバロは、この中のモダン・チェンバロといわれるものに数えられている。そう言われれてこのCDを聴くと、古きチェンバロの響きというよりは、何か近代的なピアノの力強い響きに似た感じがする。

 バッハは、クラヴィーア曲集として、「フランス組曲」のほか「イギリス組曲」それに「パルティータ」の3つの曲を作曲している。これらの古典組曲は、アルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグなどの舞曲が交互に現れるのを基本としている。我々は、バッハのクラヴィーア曲集と聞くと、どちらかというと“正座して緊張して聴くもの”という潜入観念があるが、実際には楽しい踊りがベースとなっているので、楽しくリラックスして聴くのが一番いいようだ。現に、このヴァルハの「フランス組曲」を聴けば分るが、音楽そのものが持つ楽しさに溢れたものになっている。そこには難しい理屈など必要ない。我々リスナーは、ただただ次々と繰り出されるヴァルハの正確で、しかも明るい光に満ちたようなチェンバロの響きに身を委ねるだけで至福の一時が得られるのである。私はどうもロマン派の音楽をベースにこれまでクラシック音楽リスナー生活を送って来たからか、この曲は嬉しいとか、悲しいとか、などをまず思い描いてしまう癖が自然に身に付いてしまっている。しかし、音楽の本質は、音楽そのものであり、何かを連想させることだけが音楽ではないのである。この点。バッハの「フランス組曲」をじめとした3つの組曲は、純粋な音楽そのものの喜びに満ち溢れていることを感じ取ればいいのだと思う。

 バッハの「フランス組曲」および「イギリス組曲」のフランス、イギリスという国名はあまり曲そのものとは直接関係ないようである。これについてこのCDの解説書で大木正純氏は2曲の相違を次のように解説している。「『イギリス組曲』に含まれる6曲の組曲がすべて規模の大きなプレリュードを冒頭に置き、全体に長大で、力感溢れる曲想を持つのに対して、『フランス組曲』の6曲は、いずれもいきなりアルマンドから始まり、全体に比較的小ぶりで、優雅繊細な雰囲気に満たされているのが特徴である」。この「フランス組曲」のヴァルハの演奏は、実に正確無比に弾かれており、その揺ぎなく、しかも小気味よいスピード感は、聴くものに圧倒的な印象を与える。チェンバロというとボリューム感がいまいちという印象を持っているリスナーも少なくないだろろうが、アンマー・チェンバロの特色なであろうか、ここでのヴァルハの演奏は、存在感を充分に感じさせる、ある意味では現代人に充分通じる演奏となっている。私の好みでは第5番および第6番が一層楽しく、曲の持つ躍動感を感じ取れた。

 ヘルムート・ヴァルハは、年配のリスナーなら御馴染みの名前であろう。当時、ヴァルハが弾くチェンバロやオルガンを演奏した放送がしょっちゅう流されたのをつい最近のように思い出す。そして数多くの録音も残している。ヴァンクライバーン国際ピアノコンクールで優勝を果たし一躍日本中に名が知れわったピアニストの辻井伸行は、全盲のピアニストということでも注目されたわけであるが、ヴァルハは16歳から全く目が見えなくなってしまった。辻井が母親と二人三脚でハンディを乗り越えたように、ヴァルハも母親がピアノを弾いて、それをヴァルハが旋律を記憶していったという。ヴァルハが特に力を入れたのがバッハであり、25歳のときバッハのチェンバロ曲、オルガン曲など鍵盤楽器用の全作品を暗譜しようと決意し、40歳にしてこれを見事完成させたというから、超人的努力家であったことが分る。このCDでも全盲の奏者が弾いていることなぞ微塵も感じさせない所は誠に凄いの一言だ。このCDの解説書で小石忠男氏は「まさに現代におけるバッハ演奏の規範である」とヴァルハを高く評価しているが、このCDは、バッハへの一途の思いが込められたという点では、現在に至るまで他の追随を許していない。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇オイストラフ親子のバッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲他

2010-04-06 09:37:22 | 古楽

バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番BWV1041/第2番BWV1042

ヴァイオリン/指揮:ダヴィッド・オイストラフ
管弦楽:ウィーン交響楽団

バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043

ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ/イーゴリ・オイストラフ
指揮:ユージン・グーセンス
管弦楽:ロイヤルフィルハーモニー管弦楽団

ヴィヴァルディ:2つのヴァイオリンのための協奏曲Op.3の8

ヴァイオリン:ダヴィッド・オイストラフ/イーゴリ・オイストラフ
指揮:ダヴィッド・オイストラフ
管弦楽:ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

CD:エコー・インダストリー CC‐1056

 バッハのヴァイオリン協奏曲第1番BWV1041と第2番BWV1042および2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043を聴くとなんとも言えないほどの安堵感といおうか、遠い遠い懐かしい故郷に帰ったような温もりを感じてしまう。これが本当に“クラシック音楽の父”とも言われる天才作曲家の作品なのかなとつい思ってしまうほど、平穏で、何かポピュラー音楽でも聴いているような雰囲気に捉われる。特に2つのヴァイオリンのための協奏曲について、このことが一層強く感じられる。

 大体、天才的作曲家は、若死したり、精神に障害を負ったり、奇行が目立ったりと何かと、後世へいろいろ話題を提供するものだが、バッハだけは例外で、ゴクゴク当たり前の人生を送ったようで、性格円満な父親だったと言い伝えられている。そんな雰囲気を存分に味合せてくれるのが、この3曲だと言えるのかもしれない。バッハは今でこそクラシック音楽の右代表みたいな存在に奉られているが、当時はフランスの方が音楽は進んでいたようで、ドイツは音楽後進国だったというから不思議な気持ちがする。バッハは、この“音楽後進国”の片田舎で、なにくそという思いで作曲していたのかもしれない。いずれにせよ、これらの3曲は、クラシック音楽のビギナーからシニアまで、誰でもが楽しく聴ける名曲中の名曲であることだけは確かだ。

 このCDで演奏しているのが、かつて一世を風靡したダヴィッド・オイストラフと息子のイーゴリ・オイストラフで、実にナイーブな響き美しいのヴァイオリン演奏を聴かせてくれているのが、何とも嬉しい。ダヴィッド・オイストラフ(1908年―1947年)は、旧ソ連の名ヴァイオリニストで、日本でも人気が非常に高く、ヴァイオリニストの代名詞のような存在だったことを覚えている。CDを聴くと、若い頃は、力でぐいぐい引っ張っていくような、スケールの大きい演奏を持ち味にしていたが、晩年に近づくに従い、一転して静かで、優しい演奏スタイルに変貌を遂げていったことがCDからも聴き取れる。このCDもそんな晩年の録音の一つでは、と感じさせられるほどの、優しさに溢れ、微妙なニュアンスに彩られた演奏となっている。2つのヴァイオリンのための協奏曲BWV1043は、息子のイーゴリ・オイストラフとの息の合った演奏を聴かせてくれていて、微笑ましい。

 このCDには、付録のように、ヴィヴァルディの2つのヴァイオリンのための協奏曲Op.3の8が付いているので聴いてみたが、なかなかいい曲だ。特に第3楽章などは、バッハの曲にも劣らないような独特な存在感を持った秀曲だ。このようにバロック音楽には、現代の我々が聴いても、少しも違和感がない曲も少なくない。むしろ、現代には、大時代がかったロマン派の音楽よりも、バロック音楽の方が合うのかもしれない。NHK‐FM放送の毎朝6時から「バロックの森」が放送されているので、バロック音楽に少しでも興味のある方は是非聴いてみていただきたい。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽CD◇フェリックス・アーヨのタルティーニ:バイオリン協奏曲ニ短調他

2009-06-25 09:21:17 | 古楽

ジュゼッペ・タルティーニ:バイオリン協奏曲ニ短調/イ長調(D96)/ホ長調/イ長
               調

管弦楽:Orchestra Rossini di Pesaro

バイオリン/指揮:フェリックス・アーヨ

CD:伊DYNAMIC CDS92

 タルティーニと聞くと即座に「悪魔のトリル」を思い出す方がほとんどであろう。私も「悪魔のトリル」以外のタルティーニの曲は?と問われても答えられない。でも良く考えてみると1曲だけあった。バイオリン協奏曲ニ短調だ。この曲はほんとにバロック時代の曲なのかと疑ってしまうほど、現代人の感覚にぴたりとあうところが魅力になっている。出だしの何とも印象的なメロディーが耳について離れない。何か優雅でいて、陰影にも富み、ロマン派のバイオリン協奏曲といっても通りそうな名曲だ。

 盤鬼・西条卓夫はその著書でタルティーニのバイオリン協奏曲ニ短調について「曲は、殊のほか荘重哀切な逸作で、特にはじめのニ楽章が良い。有名なニ長調の『チェロ協奏曲』すらしのごう」(文藝春秋新社刊「名曲この一枚」1964年7月20日初版発行)と紹介している。第2楽章の醸し出すバイオリンの音色は心の奥底に響くようで、静かさと悲しさがない交ぜになった感覚は、他のバロックの曲にはあまり見出すことはできまい。

 このCDには、全部で4曲のタルティーニのバイオリン協奏曲が収められているが、ニ短調の出来が群を抜く。ただ、不思議なことに“緩”の楽章である第2楽章は、他の3曲すべてにおいても優れている。タルティーニは、緩やかな楽章になると変身したかのように高貴な音楽をつくりだすのである。作曲家も得意、不得意があって、タルティーニは“緩”となると俄然能力が泉のごとく湧き出したのであろうかとも思ってしまうほどだ。

 ところで、このCDでバイオリンと指揮を行っているフェリックス・アーヨの名前は懐かしい。昔ラジオから流れるレコードの演奏によく耳を傾けたものだ。1933年生まれのアーヨは、スペインのバイオリニストで、あのイ・ムジチ合奏団の創設メンバーの一人で、16年間にわたってリーダーとして活躍した。このCDの録音が1993年なのでアーヨが60歳の時の演奏に当る。いかにもバロック音楽を十分に知り尽くしたその演奏は、一部の隙もなく、しかも音楽を演奏する喜びが聴くものに伝わってくるような、心温まる演奏内容となっている。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇イ・ムジチ合奏団のヘンデル:合奏協奏曲集

2009-02-24 16:12:28 | 古楽

 ヘンデル:合奏協奏曲集 作品6

弦楽合奏:イ・ムジチ合奏団

バイオリン:フェデリコ・アゴスティーニ

CD:日本フォノグラフ(PHILIPS) PCD-8014~6

 ヘンデルの12曲からなる合奏協奏曲集は、私にとってクラシック音楽の基準となる曲の一つとなっている。つまりこの曲集と対比して、他のいろいろな曲とを聴き比べるわけである。それほど内容があり、しかも魅力を持った弦楽合奏曲なのである。あたかも灯台のように辺りを明るく照らす効能がなんとも素晴らしい。このCDでも12曲全曲が3枚のCDに収録されるほどの長さであるにもかかわらず、聴き始めると一曲一曲がまことに面白く、弦が生き生きと輝くように鳴り始め、曲の長さなどどこかに吹っ飛んでしまうほどだ。ロマン派以降の曲は、この部分は自然を描写した部分だとか、この部分は人間の感情を表した部分であるとか、必ず音楽以外の要素が入り込む。これに対してバロック音楽の素晴らしいところは、音の純粋な面白さや美しさだけをストレートに表現しているところであり、その代表的成功例がこのヘンデルの合奏協奏曲であるといえる。ヘンデルはコレルリの弦楽合奏曲に負けない曲を作ろうと、わずか1カ月の間にこの12曲の弦楽合奏曲を作曲したようで、そのエネルギーというか曲想の汲めども尽きぬ凄さには驚かされる。

 今年はヘンデル(1685年2月23日ー1759年4月14日)没後250年の記念すべき年である。バロック音楽の巨匠というと第一にバッハが挙がり、その次ぐらいにヘンデルが挙げられるというふうに通常捉えられている。しかし、私は最近になり現代人の感覚により近いのはヘンデルではなかろうかという感じ方になり、ますますその感は深まっている。例えば、「セルセ」の“懐かしい木陰よ(オンブラ・マイ・フ)”、「リナルド」の“涙の流れるままに”、「時と悟りの勝利」の“棘はそっとしておき、薔薇をお取り”などを聴けば、バロック音楽などという感覚は忘れ去って、時代を越え、現代人の我々の心の奥深くにも入り込んでくるような普遍性を持った音楽だなあとの感を深くする。そんなヘンデルがあまり人気が出ないのは、あの肖像画にあるのではとつい思ってしまう。いかにも中年のおじさんっぽい、かつらを付けた例の肖像画だ。ベートーベンやシューベルトは全人類の悩みを一人で背負っているといった精悍な顔つきを思い浮かべ、カッコイイと思い込むことができる(実際のベートーベンはあんな精悍な顔つきはしてなかったようだが)。もし、ヘンデルの肖像画がベートーベンのようであったならば、人気がもっと出たはずだ、なんというつまらぬ感じにとらわれてしまう。

 今回のCDを演奏しているのは、有名なイ・ムジチ合奏団である。1951年にローマの聖チェチーリア音楽学校の12人の弦楽器奏者によって結成され、「世界中でもっとも素晴らしい室内オーケストラ」(トスカニーニ)と絶賛を浴びてきた。指揮者を置かないため自由で自発的な音楽空間が醸し出され、聴いていてなんともすがすがしい。私は以前、カラヤン指揮のベルリンフィルのレコードを最善な演奏として愛聴してきた(CD盤はその良さが全く失われダメ)。ヘンデルの弦楽合奏曲を、現代のオーケストラの弦楽合奏として聴くと、その魅力が何倍にも増幅される。一方、イ・ムジチの弦楽合奏は原点に返るというか、緻密で淡々とした中に弦楽器の豊かな響きがなんとも魅力的ではある。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ストコフスキーのクリスマス・バロック・コンサート

2008-12-18 10:28:41 | 古楽

コレルリ:合奏協奏曲ト短調「クリスマス協奏曲」
バッハ:「羊飼いのクリスマス音楽」(クリスマス・オラトリオより)
ヴィヴァルディ:合奏協奏曲ニ短調
バッハ:「主よ、人の望みの喜びよ」(カンタータ第147番より)
バッハ:「羊は安らかに草を喰み」(カンタータ第208番より)

指揮:レオポルド・ストコフスキー

管弦楽:レオポルド・ストコフスキーの管弦楽団

ハープシコード:イーゴル・キプニス

CD:VANGUARD(キング・レコード) K30Y 1025

 ストコフスキーほどいい意味でショーマンシップに長けた指揮者もいなかった。その作り出すオーケストラの響きは、どの指揮者とも似ていないストコフスキー独特の音楽を形成する。少しも威厳ぶるところはなく、かといって聴衆に媚びることもない。とにかく颯爽としていて、音楽の求道者だという側面が浮かび上がってくるのだ。ある意味でカラヤンに似ているともいえようが、カラヤンはどちらかというと、クラシック音楽の本流を歩んでいるという側面を強調するきらいがあった。アメリカでオーケストラを指揮することによって世界的に注目されたストコフスキーは、やはりカラヤンとはまた違う雰囲気を漂わす。

 レオポルド・ストコフスキーは、1882年4月にポーランド人の父親とアイルランド人の母親ののもと、ロンドンで生まれた。オックスフォード大学のクィーンズ・カレッジを卒業後、ロンドン王立音楽学校で作曲とオルガン、指揮法を学ぶ。1903年にロンドンの聖ジェームス協会のオルガニストとなり、さらに1905年にはニューヨークの聖バーソロニュー協会のオルガニストに迎えられている。1909年、シンシナティ交響楽団の再建に際し、指揮者、音楽監督に就任。さらに、1912年-1936年、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督として、その名を世界に轟かせたのである。

 このCDにはクリスマスの音楽が収められた、いかにもストコフスキーらしい颯爽としたバロック音楽が奏でられていて、聴いて楽しい仕上がりとなっている。音楽評論家の志鳥栄八郎氏はこのCDのライナーノートの冒頭で次のようなストコフスキーとの出会いの印象を書いている。「わたしが彼と握手を交わしたときの第一印象は、『これは怪物だ!!』と思ったことだ。つまり、良く言えば、音楽家という領域をはるかに超越した、まったく手の届かないところにある超人的怪物という感じを受けたのである」。大物は言葉には表現できない何かオーラのようなものを発するが、志鳥氏もストコフスキーにオーラを感じたのではなかろうか。(蔵 志津久)

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◇クラシック音楽◇ヴァルヒャのバッハ:オルガン曲集

2007-09-11 22:44:29 | 古楽
バッハ:オルガン作品集

演奏:オルガン=ヘルムート・ヴァルヒャ

CD:ARCHIV(日本ポリドール)POCA-2001

 日本の一般の人々はめったにオルガンの音色を耳にすることはない。それだけにオルガン曲のCDは貴重な存在だ。このCDにはバッハの代表的なオルガン曲が収められているので、まことに好ましい。オルガンの音色は、人を何か厳かというか、宗教的な雰囲気に包み込む魔力みたいなものを持っている。バッハの曲は原曲はオルガン曲だがピアノやチェンバロで弾かれることが多い。それだけにオルガンで弾かれたバッハの曲を聴くと、バッハの意図したものがより明確に心に沁みてくる。オルガンを弾くのは名手ヘルムート・ヴァルヒャで、ゆっくりとしたテンポで1音1音バッハの音をかみ締めて弾いていく。しばし現実の喧騒を忘れ、永遠の時の流れに瞑想してしまう。(蔵 志津久)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%92%E3%83%A3
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◇クラシック音楽◇グルミオーのバッハ無伴奏バイオリンソナタ&パルティータ全集

2007-07-12 20:26:57 | 古楽
バッハ:無伴奏バイオリンソナタ&パルティータ全集

演奏:バイリン=アルチュール・グルミオー

CD:独フィリップス・クラシック・プロダクション 438 736-2

 アルチュール・グルミオーのバイオリンの音色は実に輝かしい。一瞬バイリンから光が放出され、それが無数の銀箔となって聴衆に降り注ぐ・・・そんな感じを受けてしまう。一片の陰りもなく、しかし単調にならないところがグルミオーの特徴だ。ぐいぐいと聴衆を引っ張っていって行くが、聴く方に疲れが出ない。何か暖かい、アットホームな感じさえする。バッハの無伴奏バイオリンソナタは昔からバイオリンの巨匠達が競って録音してきた。確かにこれらの中に凄い演奏はあるが、ほんとの意味で楽しめるかというと、必ずしもそうではない。それに対しグルミオーの演奏は曲の持つ構成美を存分に引き出す一方で、バイリンの楽しみを存分に味わえるところがいい。録音も鮮明で聴きやすいのも嬉しい。(蔵 志津久)
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