シネマ見どころ

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「博士と狂人」(2019年 アイルランド、フランスほか)

2020年10月21日 | 映画の感想・批評
 20世紀のはじめに全12巻が完成したオックスフォード英語大辞典(OED)の第1巻が出来上がるまでの艱難辛苦を描いた実話の映画化である。「舟を編む」の英国版といえばわかりやすいか。いや、「舟を編む」はきわめて地味な辞書づくりのお話であったが、こちらはまさに「事実は小説よりも奇なり」を地で行く力作である。
 19世紀後半、南北戦争の地獄を見た軍医大尉マイナーは気がふれて刺客の幻に怯えるようになり英国へ逃れるが、通りがかりの男を刺客と錯覚して射殺してしまう。裁判では責任能力がないと判断され、精神病犯罪者収容所での拘禁生活を言い渡される。子だくさんの被害者の未亡人に対する自責の念は高まるばかりで、従軍年金の受取人を彼女にしようとするが、恨み骨髄の未亡人はその申し出を拒絶するのだ。
 いっぽう、スコットランド出身の言語学者マレーはオックスフォード大学出版局が一大プロジェクトとして立ち上げた英語大辞典の編纂を任される。しかし、独学で斯界の泰斗にまで昇り詰めたかれには学歴がなく、周囲のやっかみもあって前途多難だ。家族や友人の励ましに支えられながら、膨大な単語と用例の収集に骨身を惜しまず没頭するのである。
 しかし、出だしのAの項で躓いたマレーの辞書編纂チームはボランティアの協力者を募る。そこへ病院から応募してきたのがマイナーであった。いつしか、ふたりの間には信頼と友情が生まれる。マレーがいう台詞「鋼鉄は鋼鉄によって磨かれるが、人は友によって磨かれる」がいい。
 マレーとその家族、かれをOED編集責任者に推挙し擁護する友人ファーニヴァル、狂人マイナーとかれを秘かに尊敬する看守マンシー、被害者の未亡人イライザ、収容所長の陰険な精神科医ブライアンが複雑な人間模様を織りなす。とりわけ、マイナーと未亡人の確執が徐々にほぐれて行く過程が丁寧に描かれ、一編のロマンスとなる。許しとは何か、寛容とは何かが、この映画のもうひとつのテーマとなっているのである。
 メル・ギブソンとショーン・ペンのがっぷり四つの横綱相撲も見ものである。
 また、若き日のチャーチルが終盤に至って重要な役割を担う。
 波瀾万丈の運命に翻弄されながらも、真摯に誠実に懸命に生きようとする人びとの物語は、見る者の心を癒すに違いない。(健)

原題:The Professor and the Madman
監督:P・B・シェムラン
脚本:ジョン・ブーアマン、トッド・コマーニキ、P・B・シェムラン
原作:サイモン・ウィンチェスター
撮影:キャスパー・タクセン
出演:メル・ギブソン、ショーン・ペン、ナタリー・ドーマー、スティーヴ・クーガン、エディ・マーサン、ジェニファ・イーリー、スティーヴン・ディレイン