シネマ見どころ

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「沈黙 サイレンス」(2016年、アメリカ映画)

2017年02月01日 | 映画の感想・批評


 遠藤周作が長編「沈黙」を発表したのは1966年。国内では谷崎潤一郎賞を受賞したが、海外でもキリスト教文学の傑作として高く評価された。71年に篠田正浩が「沈黙 SILENCE」として映画化している。高校生だった私はこの映画を見てただひたすら暗いという印象しか持たなかった記憶があるが、キネマ旬報ベストテンでは大島渚の「儀式」に次いで2位に選出された。
 さて、現代アメリカを代表する巨匠マーティン・スコセッシは構想28年、まさに満を持してこれをリメイクした。その執念が実ったような秀作である。スコセッシ特有のスタイリッシュなケレン味もなければ、思わせぶりな演出もない。いや、私はいつものスコセッシがわりと好きだけれど、こういう自然体のドラマが撮れるのかと驚くほど、この映画のスコセッシはきわめて謙虚で禁欲的だ。それもまたいいと思った。
 キリシタン禁制の時代、先行して長崎に布教に入った神父の音沙汰が絶え、かつてかれの教えを受けた若い神父ふたりがその消息を確かめるためにマカオ経由で長崎に渡る。マカオで出会ったキチジローという男は五島の出身で、神父たちに案内役となるから一緒に国に帰らせてくれと頼み込み同行する。この男はかつてキリシタンであったが、係累を処刑された果てに自らは踏み絵に応じて生きながらえたという後ろめたい過去を背負っている。いってみれば人間とは弱い存在であり、誰もが信念を貫いて殉教できるわけではない。そういうごく一般の信者を象徴するようなキャラクターとして描かれている。聖書の中のユダの役回りだ。
 結局、神父はキチジローの密告によって役人に捕らえられ、棄教を迫られる。イノウエさまという狡猾な奉行は神父に対してことさら柔和に接し、キリシタンの村人たちを眼前で拷問にかけながら「おまえが棄教しないから信者がこんなに苦しまなければならないのだ」と一転恫喝するのだ。あるいはまた、こころの裡は誰にもわからないのだから形だけでも踏み絵に応じろ、と物わかりのよい顔をして説得を試みるのである。
 信者がかくも激烈な言語を絶する試錬に苦しんでいるのに、神は何ら救いの手を差し伸べずただ沈黙している。神を疑う気持ちがふと湧き上がる信教ゆえの苦悶を神父らはどう克服して行くのであろうか。(健)

原題:Silence
監督:マーティン・スコセッシ
原作:遠藤周作
脚本:ジェイ・コックス、マーティン・スコセッシ
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:アンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソン、アダム・ドライヴァー、浅野忠信、窪塚洋介、笈田ヨシ、塚本晋也、イッセー尾形