(カライマンのバイオガス施設(2011.9.7撮影))
2004年から2006年にかけて、私は、年間の半分以上をフィリピン・サマールですごし、スラムの環境改善と人々の生活向上を目的としたバイオガス事業に専念した。公衆トイレと豚小屋の糞尿をバイオガスプラントに結び、ホールの台所で、地域のお母さんたちが共同で燃料として利用する施設だ。 カライマンとソルソゴンの2ケ所に開設したバイオガス施 . . . 本文を読む
(私のサマールの宿舎・シーサイドインの屋上は絶好のビヤガーデンだった)
サマールでバイオガス事業を始めた次の年(2005年)の秋、シーサイド・インにできた新築のアパートに引っ越した。窓からは海が一望、朝陽から夕陽まで楽しめる最高の部屋だった。波の音を聞きながら寝つき、深夜に起きると、春から夏にかけては、南十字星が海の上に輝いていた。
(部屋からは、いつも . . . 本文を読む
(ウィ市長のお墓)
今回のサマール行でまずしたかったことは、殺されたウイ市長のお墓参りと、家族への弔問だった。(私とウィの関係、そして、ウィが殺された時の状況については、このブログの本年5月1日、5月3日版を見てほしい。)
・フィリピン・サマールから衝撃の悲報--ウィ市長が殺されてしまった(2011.5.01 . . . 本文を読む
私が活動を続けているフィリピン・サマールには、2002年3月から毎年、3月と9月、京都を中心とした学生グループ(JAPSAM)がワークキャンプに来てくれている。
多い時には、20名を超える学生が来ていたから、延べ人数でいうと、もう、200名ほどの学生がサマールに来たことになる。
今回も9月4日~15日の日程で6名の学生が来てくれた。うち3名は全く初めてのメンバー、そのうちの2人は1回生で . . . 本文を読む
(完成式典を終えて。Yさんを中心に、いっぱいの笑顔があふれる)
9月7日、カルバヨグのイーパオというバランガイ(村)で、子どもたちのためのラーニングセンター(LC)の完成式典が行われた。ここでは、京都サマール友好協会が、1995年からLCを運営してきたが、建物が老朽化し、どうすればいいのか、途方に暮れていたところだった。
そんなとき、JAPSAMのOB、H . . . 本文を読む
(オルモク、当時の激戦の跡を生々しく残すコンクリートハウス)
サン・イシドロから大急ぎでオルモクに向かった。コプラ(ココヤシからの油)の会社の構内に、銃撃を受けてぼろぼろになった3階建てのコンクリート造りの建物が、当時の姿のまま残っている。この建物を訪ねることが、今回のレイテ巡りの最大の目的だった。
ここに立てこもったのは、名古屋・岐阜からの部隊を中心とする . . . 本文を読む
リモン峠からビリヤバ経由でレイテの西北部・サンイシドロに向かった。今回の目的の一つがサンイシドロの港に、今も日本軍の艦船のマストが見えるかどうか確かめることだった。
ビリヤバに入ると正面にブガブガ山が見えた。レイテ戦の最終段階、米軍に追われた日本軍は、ただひたすらこの山を目指して死の彷徨を続けた。レイテにおける日本軍が壊滅したところだ。
当時、日本兵たちはこの山をカン . . . 本文を読む
9月4日、関空を出てマニラ経由でレイテのタクロバンに入った。翌日、車をチャーターして北レイテの戦跡を巡る。大岡昇平『レイテ戦記』の地図が参考になった。
(急峻なレイテ背梁山脈。米軍に追われた日本軍は、こうした山の中の行軍を強いられた。)
(リモン峠から北、カリガラ湾を望む。)
タクロバンから西に1時間半ほど走るとリモン峠に着く。この辺りでは、1944 . . . 本文を読む
深夜、トイレに起きて海を眺めると、やはり南十字星が出ていた。
この辺りは、北緯12度。春先には夜半ぐらいから南十字星がよく見える。ここ数日、天気が悪くて星が出なかったが、やっと、暗い海の上に、少し左に傾いた十字が見えた。今夜は、天の川もくっきりと出ている。
少し眠ってまた目が覚めた。ゴソゴソを置きだして外を見にいく。明け方になると、今度は右に傾いてくるのだ。
(早朝から漁の準備。 . . . 本文を読む
もうサマール滞在の最終日。
イーパオのラーニングセンターの改築に関して、市の社会福祉局長のサインも必要なのだが、彼はほとんど外出していてなかなか会えない。今回の滞在中は、無理かもしれない。
午後、クリスがやってきて、彼が市の正職員になったお祝いのパーティをするからと招待を受ける。
彼とは、もう16年の付き合い。環境問題等にも造詣が深い優秀な男だが、なかなかふさわしい仕事に就くことがで . . . 本文を読む
私の部屋からは、一面の海が見渡せる。内海なので、波ひとつない静かさだ。朝、起きると、いつもまず海を眺める。今日も天気はよくないが、もう数隻の漁舟が漁に出ていた。
今日も、イーパオのデイケアーセンターの改築に向けた協議を続ける。夕刻には、現地に行き、ほぼ話をまとめることできた。
午後、レイテからOさんがやってきた。
. . . 本文を読む
朝、レイテからバンに乗り込み、サマールのカルバヨグに向かう。
昔と比べて、道路がすっかり良くなり、3時間少しでカルバヨグに着いた。
さっそく、ソルソゴンの村に行き、図書館へ、。この図書館は、JAPSAMの学生らが建て、運営しているものだ。
(ソルソゴンの図書館へ。窓の外の鮮やかな緑が心地よい。)
私は、イーパオのラーニングセンターの建て替えについての打ち合わせ。今 . . . 本文を読む
3月1日(火)、関空を発ち、マニラに向かう。同行は、JAPSAMの学生ら2人。
2002年から、毎年、3月、9月に続けられていたJAPSAMの現地ワークが、今回は途切れてしまうかと思ったが、2人が来てくれてよかった。(途中からKさんも合流予定)
マニラで国内線に乗り換え、レイテ島のタクロバンへ。
久しぶりに、ホテル・アレハンドロにチェックイン。このホテルは、第2次大戦当時、日本軍が宿 . . . 本文を読む
昨夜(29日)の夜、帰国しました。 今回は、現地で写真を入れることができなかったので、いくつかここでアップしてみましょう。(現地からのブログにも写真を追加しましたのでごらんください。)(1)バイオガス施設での子どもたちのデイケアー(SNP活動)
(カライマンのバイオガス施設。SNPを終えた子どもたちと一緒に)
(カライマンのバイオガス施設でのSNP活動。いつも大勢の子どもたちが集ま . . . 本文を読む
今日はもう28日(金)。明日にはもう日本に帰らなければなりません。
今回はインターネットの調子が悪く、ほとんど使えませんでした。今、部屋に帰ってきて、ためしに繋いでみると、久しぶりに繋がってくれました。急いで、更新を始めたところです。
(27日、サマールで世話になってきた友人たちが一同に集まってくれた。)
昨夜は、春山君とYさんのサマール滞在の最終日。ナナイさんとベ . . . 本文を読む