青島留学老人日本生活記

留学後日本の生活記

検診

2016年10月11日 | 情報

9月30日;退院して初めての検診です。

バスで小倉駅まで出て約2ケ月ぶりの小倉記念病院です。

 

予約は午後であり、小倉駅を通り抜けていくので、久しぶりに食堂街で昼食を

摂って病院に向かう。

手術依頼 食事は減塩食なので普通の食事は何を食べたらいいのか迷ったが

日替わりランチを頼む。

味噌汁;鶏唐揚げ;白身魚フライ;キノコサラダ;病人食とは言えない普通の食事

を摂る。しっかり味が付いており美味しく感じる。

 

 


最新の画像もっと見る

6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ららおとめ)
2016-10-11 20:21:29
ホテルのような立派な病院ですね。

減塩食は、健康のためにはいいのでしょうが、やはり濃いめの味付けは美味しく感じてしまいます。

健康のためには、減塩食は大事ですよね。我が家でも、気を付けないと。
返信する
矢張り毎日の血圧測定 (ららおとめ様)
2016-10-12 18:02:12
矢張り 毎日の血圧管理でしょうか?
健康で長生きですね!
返信する
ストレス、これが最大の敵です。もう、ふざけて暮らすことです。 (脳梗塞だって、やったんですから、アトハ、エイズと水虫くらいかなぁ。ぜ、です。)
2016-10-13 00:45:31
血圧の管理ですか。
よく、そういわれますね。

わたしは前立腺で五年くらいハルナールを飲んでいるので、奇妙なことに此の五年、血圧が上がりません。

また、その前五十代に心臓疾患で、ニトロを合計で六十錠くらい飲んだ頃、喘息の持病が消えました。医者は、喘息から心臓にきた、と説明したのですが、、、。

また、二十代に、十二指腸潰瘍で、どこの病院にいっても胃を半分、正確にはサンブンノニ、切除する手術を進められました。此のときは、東京でいましたから、東大病院にも行き、同じ結論でした。

もうどうでも良い、とヤケクソになって田舎にかえって、善通寺の小さな胃腸病院の苦い飲み薬を飲んで、いつの間にか忘れるように治りました。

そして、その後、天皇誕生日に大量の血を吐いて、今度は、本格的に胃腸でした。

へ、っへ、カイヨウヤると必ず、傷跡が残ります、そんなこと言っても、へへ、へ、ダメですよ。

二週間の入院中、ずっと、医者に、あんな苦しい吐血の最中、よくもまぁ、へ、へへ、とからかわれ続けました。

、、、医者も、病気もコンナモンデス。

神経質にならず、のびのび、ゆっくりと静養することです。

私は、もう完全に開き直っていマスカラ、外面上は、まるで元気、まるで病気知らずのくそ爺に見えているでしょう。
窪田君とは、おじいさんと、胃腸の時、モォ、アブナイのばかり集まる病棟で一緒で友達になりました。
返信する
お医者さんも、病気になって死にます。医者が死なない、薬は絶対だというのなら薬剤師も病気にならない、宗教かも死なないはずでしょう。自分の体は自分で治す。コレデスヨ、これしかありません。 ()
2016-10-13 01:33:56
あ、心臓の特効薬と言うか、緊急時のニトロベンゼン、は劇薬ですし一発で瞬時血管を拡張しますから、コレハ私みたいに、やってはいけないカモシレマセン。

60錠は、実は、こっそりある知り合いから、てにいれて頻繁につかいました。
ちょっと、キタナ、と思うと賞味期限が来るほど、臆病に飲まない人から、貰って飲んだりもしました。
と言うのは、議員仲間に実に心臓病が多くて、ミンナ、コレハ怖いぞ、ニトロは、もう、いざという、ギリギリの時しか使わないのだ、、、といっていましたが、全員、ひとりの例がいなく全員、死んでしまいました。

一旦、アッタクを受けたわけですから、いくら調子が良い、普通だと言ってもソレハむじかくなだけですし、元来、心臓も弱くなっていた体質でもあるのでしょう。

私は、二十代の十二指腸潰瘍の奇妙な経験もあり、右半身完全に落ちて、自分でも脳梗塞だって分かったときも、慌てませんでした、首吊りして、日本中の病院に見捨てられたフランク永井をちりょうした医者と、相談して治ると確信しました。

詰まりは、ワカッタ、心臓がやられた、ヨシ、ソレナラ自分自身が、最もストレスにならない、方法をとろう。
ビクビクおっかなびっくり朝から晩まで、数字ばかり気にしていたら、それだけで病気になる、イチバン、不安にならない、怯えない方法と、自分で決めました。

私は、自分の事、じぶんのからだですから、突拍子もない話をしました。

因みに、歴代首相の主治医でもあった東大出の天下の名医の言う事には、薬の使いすぎ出しすぎ、、、ということで、現在は心臓は、放りっぱなしです。

来るナラ、キテミロ、また、医者が知ったら、ビックリするほど激しく飲んでやる、、と思っています。

あ、先に言った医者は、小松秀樹と言う虎ノ門の名医と言われた人物で中学高校の同級生なので、へ、へへ、十二指腸やったなんて、絶対に傷痕が残るんだから、、という田舎の医者よりは信用しています。

ですから、、とりあえず目先の前立腺と戦う。それに全力投球です

あ、小児用バッファリン、これも常備薬、必殺です。
返信する
ぜ様 (青島老人)
2016-10-14 21:01:37
凄い病歴ですね。
結構は自分の免疫力を強めるのが自然で最強の方法ですか!
返信する
誰かの機嫌をとる前に、じぶんとじぶんの家族の接待、恩返しを出来るだけ、面白おかしく、ヘラヘラしながら遣りきる。 ()
2016-10-14 23:03:21
ストレスにして、悩まない。

だって、生まれてきてるんですから必ず、終わりは来るし、道中、病むのは若いままでの突然死でないだけです。

四十代の半ばで、何度か心臓の発作で運ばれたときも、此のままだと必ずガンです、と誇らしげに医者が言った時も、青ざめ気を失うほど驚き、嘆き悲しみました。

病気の痛みも治療方法も忘れる、強いストレスでした。

つまり、瞬時であれ、苦しみひがんで苦しむ自分自身を、もてあましストレスに負けそうになっていたのです。

ヒトを妬んだり憎んだりしている暇はないぞ、と思うと同時に、自分で悩む自分を悩んでいる暇、もない、と思いました。

病気は仕方がない、しかし、自分自身を的に回す必要はないぞ、最大の敵は自分自身だ、と思いました。

周りから見ると、のんびりして寧ろ自堕落な怠け者で変奇な、はぐれものに見えてるのも、コウイウ事なのかもしれません。

天才も財閥も、ナニヒトツ持っては行けません。

楽しく優しい時間を御家族と、山ほど重ねて行ってください。

私は、痴ほう症の母にジャガーにのって会いに行き、好きな音楽を聴き読み残した本を読み、京都や横浜で出来るだけ若い人の集まるところへ、どんどん出掛けていきます。

私は、イマダッテレベルアップ中国語を、聞いていますよ。
返信する

コメントを投稿