つれづれ日記

チェリスト秋津のつれづれな日記です。

道(連載もの)その2

2010年03月23日 00時43分35秒 | Weblog
そういえば、僕がチェロを始めるきっかけは、親父の存在無しに語れないわけで、そこから語る必要があるのかもしれない。

親父がかつて何を考え、今どう思っているか、なぞ、あまり本人から聞かされていない。(これは、ごく一般的なことかもしれないが)

僕の知っている範囲でのことだが、どうやら若い時に家にオルガン、ヴァイオリンなどはあったようで、独学でいろいろやっていたようだ。
しかし、いざ本格的に勉強しようと思うとお金もかかるし、親の理解無しに出来る代物じゃない。

ところが、親父は三人兄弟の長男ではあるし、(ということはお寺の跡取り息子なわけで)それが訳の分からん「クラシック音楽」的なものに理解が得られなかったらしく、(時代的に無理もないとは思う)志し半ばで一旦は音楽家への道は断念せざるを得なかったのだと思う。

そのことは、僕が生まれ、僕の成長と共に新しい芽として温かく? 育まれていくことになる。 最大の観点は、親の理解!  これに尽きるのではないだろうか。

幸い、その頃、広島に斎藤先生を始め、井口愛子先生ら桐朋学園の創始者を広島に招き、東京と同じレベルでのレッスンを、広島で受けることが出来るようになったのだ。(このことの裏にある方の献身的貢献があった。これは、また改めて話そうと思う) 

僕はその頃8歳。既に親父から音感教育を受けていて、それなりに可能性を秘めていたようで、親父に聞いたところ、まず自分が勉強したかった。そこに、ある意味いい実験台がいたと言うこと。(これが僕のこと)

そうして、斎藤先生のお見立てによれば、「手がチェロ弾きにに向いている」ということで、その日から僕はチェロ弾きに進むこととなったのだ。

ただ、ちょっと不幸だったのは、その日から僕に「日曜日」が無くなり、親父は「おとうちゃん」でなく厳しい先生の分身のようになってしまったことだ。

そう、「スパルタ」だった。

つづく