これは菊川英山(天明7〜慶応3・1787〜1867年)の浮世絵だ。
制作年は文化3〜5(1806〜08)年、タイトルは「七賢人 越前屋もろこし」とある。
吉原に芸者なるものが出現したのは1760年頃で、その20年後に検番が作られました。
それ以後は三味線は芸者の専門職になるのですが、
この絵を見るとまだまだ花魁も三味線を弾いていたようだ。
制作年は文化3〜5(1806〜08)年、タイトルは「七賢人 越前屋もろこし」とある。
吉原に芸者なるものが出現したのは1760年頃で、その20年後に検番が作られました。
それ以後は三味線は芸者の専門職になるのですが、
この絵を見るとまだまだ花魁も三味線を弾いていたようだ。