チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

アンサンブルを録音して分かったこと

2010年12月28日 20時26分43秒 | 市原フィル

室内楽大会で「大編成」のアンサンブルを経験させてもらったあと、
東京で学友との仲良しアンサンブルに参加した。

この3年取り組んできたバッハ「音楽の捧げもの」と「アイネクライネ」は完成させたいと
頑張ったが、アイネクライネだけは、楽しく演奏し終えることができた。
「曲がいいんだよね」というのが仲間の感想。

ところが、バッハ先生の「捧げもの」は難しいことが、やればやるほど感じられてくる。
正直なところ、3楽章など曲にならないくらいのレベルで本年も終了した。

そんな中で一つ進歩を感じたことがある

今までみんな、自分の演奏を聴くのを嫌がって、なかなか録音してこなかったけど
(確かに会議用ICレコーダーでは本当に荒ばかり目立つのだ)
今回は、SONY リニアPCMレコーダー M10というのを、思い切って購入して、
練習をほとんど録音することができ、いろいろ気づくことがあった。
ICレコーダーに比べるとはるかにナチュラルな音で録音できる機械なのだ。

 

室内楽大会では、何人かの団員が三脚を立てて録音していたのを目撃したのがきっかけで、
自分の発する音は、客観的に確認しないと分からないと思い購入した。

さて「耳が腐る」と思いながらも、東京から千葉への帰路ヘッドフォンで聴いてみると、
車の中で何度も大笑いするほど赤裸々な状態が収められていた。

何がひどいかといえば、楽譜がずれても気づかないで強行していたり、
傍から聴けば明らかな不協和音でも平気で演奏していること・・・笑うしかなかった。

いい点もいろいろあるにはあった。
この3年で、チェロらしい音が出てきていることや、
テンポに関しては安定してグループを下支えできていることなどだ。

だけども、一番感じられた問題は、自分のチェロで出している音は
「楔(くさび)型」でしかないということだった。

できれば「矩形(ようかん型)」の音を出したいと思っていたのに、
要するに弓で弦をこすったり、突っついたりしているだけで
「演奏」をしているのではないということなのだろうと感じたのだ。

なんでこうなるのか・・

きっとこの3年、オーケストラの演奏にあわせて音出しをする中で、
何とか夢中で譜面を追いかけ皆に着いてゆくのが精一杯で、
魅力的な音づくりに努力をしてこなかったのだと思う。
いわば「その他大勢」の一員としての役割を果たそうとしてきたことが、
かえってあまり使えない演奏法にしてしまったのではないかと思うのだ。

PCMレコーダー を購入したとき、短い演奏をした段階でこのことはすぐに気づいた。
「弾いたつもり」が「弦楽器らしい演奏」になっていないということは、
弦楽器としての演奏以前に、歌を歌うことをしてこなかったことにも現れているのではないか。
器楽、とりわけブラスバンド時代の演奏を、歌と感じたことはなかったのだ。
それでも楔形の、アタックの利いた吹き方でも通用していたのかもしれない。

このことから連想を逞しくすると・・

友人のバイオリン弾きとの練習で、やはり同じような演奏法が気になったことがある。
初見だから、まずは音を取るためにやっていたのかもしれないけど、彼の演奏は、
極端に言えばバイオリンの弦を弓でチョッチョッチョッと突くような弾き方が目立っていた。
彼もはやはりブラバンの金管からの転向組みだった。

自分なりの解析はこれくらいにして、改善策として考えたこと。
それは、先日の室内楽大会で、セミプロの人が指摘してたように、
楽器を鳴らすことなのだと思う。

今思うのは「弦楽器はくどいくらいがちょうどいい」のではないかと思う。
「軽く弾くこと」はハーフスタッカートみたいになり勝ち。
  ・譜面どおりに、
  ・八分音符を大切に、
  ・音の後半で気を緩めずに弾き切る

弦楽器は、金管楽器でも、打楽器でもないのだから、
弦を鳴らし、楽器を響かせなんぼの世界なのだとしみじみ思った。


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