チェロ五十代からの手習い

57才でチェロに初めて触れ、発見やら驚きを書いてきました。今では前期高齢者ですが気楽に書いてゆこうと思います。

弓を使わない不思議なレッスンは、奥義の伝授だった。

2011年05月02日 00時46分24秒 | レッスン

本日のプロレッスンは「調教」という感じに近かったけど、
本当に響く良い音で、速いパッセージを演奏する秘訣を伝授してくれたのだった。

いつもどおり、ボーイングの基本を開始すると、どうしても五十肩気味の右腕に痛みが走る。
「うっ」という感じを見て、還暦を越えられた師匠は、ボーイング練習を通して肩の痛みを克服する
やり方を20分ほど実演してくれた。脱力し切って、アップダウンを様々行うことで痛みは消えていった。

このあと先生は「今日は左手をやりましょ」と、ちょっと違う方向を示された

調教 1「まずチェロの構え方から」
ん?チェロの構え方?もう4年やっているけど、もう一回構え方?

「左手を構えてみてください。腕に力が入っていると、自由に動かなくなりますから、リラックスできている所で止めてください」
五十肩気味の自分としては、腕が固まらない位置というと、いつもの構えからかなり、外側、つまりネックから左にずれている。

「では、今からそこに楽器を合わせてゆきますから」
試行錯誤の結果出来上がった構えは、チェロがかなり左に傾き、ボディーの表面が右を向いた状態になった。
「今までとかなり違いますが、こんなんでいいんですか?」
「YOーYOMAはこんな風に下に構えているので左手は楽ですよね、その代わり駒からかなり上で弾いてますよね。ロストロポービッチはこんなに窮屈な姿勢です。だから自分にあった形でいいんです」

調教 2 「左手の押さえ方」
「まずボディーを3本の指で軽く叩いてください」
先生の実演を真似てボディー上部に手を乗せて太鼓のように指を落とす。バサ、バサ、バサ・・

「そう、ではそのまま腕を上げて弦の上に3本の指を落としてください」
これは以前から何回か教えてもらっていることで、野球のボールを放るように、少しスナップを利かせた感じで、開いた手の平からD線上に3本の指が、同時に落ちるようにする。

ところがこれがなかなかうまく行かない。
その原因は、どうしても肩や腕、手の平、あるいは、親指に力が入ってしまうことにある。
「今、親指に力がはいってますね、力を入れないで、腕を楽にして。力が入っていると音で分かります」
たまに脱力してヒットすると「そうですそうです、それでいいんです」と褒められるものの、なかなか安定的には運べない。外れたり、落とした指先が滑って定まらなかったり。

「どうして、簡単なことができないんですかね」と先生があきれ始め、いつの間にか腕は脱力しても、
首が硬直し始めている。トン、トン、トン、バサ・・レッスン室にはこんな音だけが1時間響いていた。

調教 3 「二本指の運動」
「これっばっかりやってても、仕方ないんで、今日はその先へ行きます。今まで3本で叩いてきましたが、
2本で同じことをやっください」
バサ、ガサ、トン、バサ、グニョ・・ネックとの格闘は続くのだが、2本になっただけで思うようにゆかない。

調教 4 「人差し指を置いての運動」
「次に、人差し指を弦の上に置いた状態で、2,3,4の指で弦に当ててください」
こうなると、なかなか人差し指に影響されて、今までのようには手の平が開かず、力みが入ってうまく行かない。
「僕は脱力してるんですが、ほらこの薬指が抵抗していて、こら!この指!」なんて言っていると
「どうも最近のお弟子さんは文句が多くて」と先生苦笑。
「いや、文句ではなくって、体が言うことを利かなくって・・」
「ほら、また文句。文句でなければ自分にブツブツ言っているのかもしれないけど・・」と呆れ顔。


都合2時間、こんな感じで「調教」いただいたものの、体についてしまった癖を直すのは大変なことだと実感。
結局、この演習は、今後の宿題として持ち帰らせていただいた。


ただ、本日はっきり感じ取ったことがある。

それは、右手でのボーイングの脱力と同じように、左手での弦の押さえ方を体得しないと深い響きは得られないということだ。
先生自ら実演してくれたが、力んで弦を押さえつけたとき、音が沈んでしまうだけでなく、明確な音程も失われるのだ。

昨年ご指導いただいたチェロアンサンブルの録音を聞きなおしてみると、我々アマチュアの音と、先生の音では、同じ楽器同じ弓を使っているのに、全然音の輝きが違うだけでなく、音と音のつながりがスムースで美しいことに気がつく。
先生の別の表現を使えば「音が切れている」。「軽く指を弦に置くだけ音が切れますから」。
振動している弦を 軽いタッチで叩くように押さえること(音を切る)で、弦の振動はそのまま維持されるということだと

力むことは、同時に速いパッセージに追いつけなくなることでもある。
先生いわく「アマチュアの人は一人残らず同じように、親指を固定して、腕に力を入れて、小指を無理に伸ばして弾いています。これでは腕から肩まで力が入ってしまって、全然動かなくなる」

そこで思わず「先生は一体、いつそんなことを身に着けたんですか?」と聞いてしまった!
これって、日本一の芸術大学を卒業して、トップオケに所属している人に聞くことか?
我ながら大胆だたけど聞いちゃったのだった。

そしたら「いや、最近分かったことなんですよ。いろいお弟子さんを見ていて、何でこんな簡単なことが出来ないんだろうって考えていたら、みんな同じ間違いをやっていることが分かったんです」との答え。
先生のように、子供のころから楽器に親しんできた人は、力を抜かないと上手に演奏できないということは、知らず知らず身についているそうで、大人になってから楽器に触れた人は、どうしても力任せに演奏していることが分かったという。

プロの先生がアマチュアと触れる中で、様々に疑問を感じ、その原因を探した結果、たどり着いた答えが本日のレッスンだったのだということだ。

しかし、プロが無意識に行っていることを、自分で振り返り、そのコツを言葉や、演習の形にして行くことは大変大きな壁を乗り越えなければできない。その困難さはスポーツ界や天才的な職人が技術・技能を後進に伝えることが出来ず、一代で終わってしまうことからも分かる。

弟子の行動をよく観察し、そこから違いを掴み取り、根本原因を探ってゆくという先生の探究心と努力に大変感銘を受けた。
「こんな基本的なことをしつこくやっている人は、めったにいないはずですよ」と先生も分かっていらっしゃるようだった。
高いレッスン料を払っても、適当に合奏して終わり・・みたいなこともあるわけだから。

本日は、不出来ながら、ありがたい、貴重な教えをもとに「調教」いただいたのだと感謝しながら家路についた。
この感謝への返礼は、教えていただいた演習を繰りかえして、身に着けてゆくことなのだと思う。


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