昨日 昔 マンドリンアンサンブルに参加されていた
一回り年上の方から お電話がありました。
最近体調が悪くて
私達のコンサートにも 来られないのですが
お電話では お元気そうでした。
何故 突然 久しぶりにお電話があったかと言うと。。。
昨日は阪神淡路大震災から30年目で
テレビや新聞でも 大きく取り上げられていたので
ふと 被災した私のことを思い出したのだそうです。
アンサンブルの練習場は 大阪府吹田市にあります。
だから 神戸近辺が あんなに被害があったというのに
大阪では 学校など一日休みになった程度で
いつも通りの暮らしが継続されていたのです。
3月に 依頼演奏があったので
一月にも毎週練習がありましたが
私は 17日の翌週は 休んだけれど その次からは
練習に参加したと思います。
でも 駅までの道には
瓦礫が残されていて とてもその中を
お気楽に楽器(当時はギター)を抱えて歩けませんでした。
それで 吹田市在住のメンバーの楽器をお借りして
練習場に持ってきて貰いました。
大阪へ向かう電車の中は
洗濯物を詰めた大きな袋を抱えた人などが
多かったので 楽器を持ち込まなくて よかったぁ~と
思いました。
近場の美容院も閉まっているか 洗髪は水で~
ということなので 大阪まで 出向きました。
(閉鎖している美容院のスタッフが 大阪のお店で
働くようになっていたので)
それから 舞台衣装は黒のロングスカートでしたが
私は持ってなかったので これも大阪のデパートまで
買いに行きました。
私のたった一度切りの ギターでの出演は
そんな感じで 決行されたのです。
ヨガ教室は ビルが閉鎖されていたので
半年間お休みで 大阪の教室に振り替えて出席された方も
いらっしゃいましたが 私は お休みしていました。
日本画も 同じカルチャー教室だったのですが
熱心な生徒さんが 神戸市内の部屋を確保してくださって
なんとか 半年続けました。
あの時描いていたのは 何の絵だったのでしょう?
あれこれ昔の絵を発掘しましたが
震災の翌年3月に完成した絵が こちら。
京都東本願寺別邸の古木です。
これかなあ~ もう一つ前の作品かなあ~

当時の記憶が、私でさえ思い出しましたので、
神戸に近い方々は、もっと思い出されたのではないかと思いながら
テレビを見ていました。
絵、力強さを、とても感じます。
復興に向けて?の気持ちに満ちていらっしゃったのでしょうか(^^)
三ノ宮付近の 悲惨なビルの状態は
実際に見た物か テレビの映像や記事だったのか
もはや わからなくなりました。
生まれ育った神戸の町が
崩壊状態になって とても哀しかったことを
覚えています。
絵も見て下さって ありがとうございます。
まだ40代だったので
筆力もあったのかなあ。。。