SENTIMENTAL JAZZ DIARY

感傷的ジャズ日記 ~私のアルバムコレクションから~

GRANT GREEN 「WITH SONNY CLARK」

2007年07月18日 | Guiter

グラント・グリーンは雰囲気で聴く人だ。
イージー・リスニングとは意味合いがちょっと違う。もっとのめり込む感じで彼が生み出すアーシーな世界を楽しめればベターである。
そう考えるとグラント・グリーンはラリー・ヤングのようなオルガン奏者との相性がいいはずである。なぜなら彼の単音奏法を補うためには、できるだけ連続性のある音がバックにあった方がいいと思えるからである。事実このアルバムよりも「I Want to Hold Your Hand」などの方が売れた作品ではないかと思う。それはわかる、私も嫌いじゃない。
しかし、このアルバムのソニー・クラークはそれ以上にすばらしいのだ。ひょっとすると彼のリーダーアルバムよりいいような気さえしてくる。
グラント・グリーンはこんな風にピアニスト(もしくはキーボーダー)の出来に大きく左右される人なのだ。
彼の代表作「Idle Moment」もデューク・ピアソンに触発されて一念発起した傑作だ。
但しこうした前期の彼が好きな人と、ジャズファンクに身を染めた後期の彼が好きな人とがいるだろう。
確かに後期の名盤「Live at the lighthouse」のテンションはすごい。誰だったか「まるでポンコツのアメ車が、部品をポロポロ落としながら時速200キロで爆走するような疾走感」とこのアルバムを評していたのが印象的で、実に言い得て妙だと思う。このポンコツアメ車が後期のグラント・グリーンが弾くギターの魅力そのものなのだ。

さてこのアルバムだが、私のお気に入りは「It ain't necessarily so」や「I concentrate you」である。この2曲はかなり雰囲気が違うが、どちらも彼の歌心溢れる表現が見事な出来映えだ。また続く「The things we did last summer」でのソニー・クラークのソロは筆舌に尽くしがたい。
まだポンコツアメ車になっていない新車状態のグラント・グリーンがここにいる。助手席にいるソニー・クラークと共にエンジン全開だ。

ALEX RIEL,LUTZ BUCHNER QUARTET 「live at jive」

2007年07月17日 | Drums/Percussion

ドラマーというのは損な役回りだ。
この作品でもアレックス・リールが主役だというのに、メロディを奏でることができない楽器の宿命で、ただひたむきにリズムを刻むしかないからだ。
しかし彼はそれでもなお絶対的な存在感を示す。
ドラマーは個性的でありすぎてもいけないと思っている。自己主張する以前に全体をいかにコントロールするかが自分に科せられた仕事なのだ。つまり各プレイヤーの名演を引き出せるかどうか、これがいいドラマーかどうかの試金石になる。

彼はヨーロッパを代表する現在最高のドラマーの一人である。その証拠に彼が参加した作品はどれもこれも高い評価を得ているし、人気盤になっているものが多い。彼と組みたいジャズプレイヤーは数え切れないのではないだろうか。
このアルバムは、ヨーロッパの人気者を集めたとびきり元気溢れる内容になっている。
ここでのもう一人の主役はドイツ人のルーツ・ブッフナー(ts)だ。
以前ジョン・ハモンドのアルバムで彼を聴いた覚えがある。
彼のテナーはコルトレーンばりの勢いを持っていて、ノリのいい骨太の音が全編に渡って鳴り響いていく。
それに釣られるように全員が一丸となって熱いソロを演じているが、ピアノのカーステン・ダール、ベースのイェスパー・ルンゴーはいつ聴いてもシャープである。特に4曲目の「SECRET LOVE」における両人のモーダルなソロは一聴に値する。
こうした演奏を引き出しているのもアレックス・リールという男が演奏の要にいるからなのだ。

この作品はタイトル通りライヴであり、スタジオ録音よりも遙かに熱気を帯びている。従って個々の演奏時間も長くなっているし、時折会場から入るかけ声や拍手を聞くだけで、いかに彼らの演奏が観客を魅了しているかがわかる。
要するにライヴにはライヴなりの音があるということだ。ここはボリュームを目一杯上げて聴くのが正解。

MILT JACKSON 「Plenty,Plenty Soul」

2007年07月16日 | Violin/Vibes/Harp

ミルト・ジャクソンが実にいい表情をしている。
これはアトランティックが残した名作であるが、そのスケールの大きさ、メンバーの豪華さ、アレンジの見事さにおいて明らかに抜きん出た作品である。
豪華メンバーとは、ミルト・ジャクソンの他に、ジョー・ニューマン(tp)、ジミー・クリーブランド(tb)、キャノンボール・アダレイ(as)、フランク・フォスター(ts)、サヒブ・シハブ(bs)、ホレス・シルバー(p)、パーシー・ヒース(b)、アート・ブレイキー(ds)といった面々だ。
収録曲もMJQとは違ってタイトル通りソウルフルなナンバーが目白押しだが、分厚いアンサンブルはアレンジャーのクインシー・ジョーンズによってうまくコントロールされているので、聴いていても疲れない。
メンバーの中で特にすごいのは1~3曲目まで参加しているドラムスのアート・ブレイキーである。
彼のドラミングは個人的には好きなタイプではないが、こうした大所帯編成には威力を発揮する。あの「超」が付くほどの個性的な叩き方によって、各セクションにおける様々な楽器を見事に浮かび上がらせているのだ。
具体的にいうとブレイキーが叩き出す雷のようなローリングと同時に出てくるミルト・ジャクソンのヴァイヴは、普段以上に透き通って聞こえるから、いかにブレイキーのドラミングが効果的かということがわかるのである。

4曲目からはくつろいだ雰囲気に変わる。
メンバーもラッキー・トンプソン(ts)やオスカー・ペティフォード(b)、コニー・ケイ(ds)などと部分的に入れ替わっている。
普通ならこれだけメンバーも曲想も変わるとアルバムの統一感が失われそうだが、そこはさすがにクインシー・ジョーンズだ。彼の人並み外れた才能が全体の調和を生み出している。この時彼(クインシー)はまだ23才だったというから、それだけでも驚きだ。

基本的にアンサンブルを味わう大作ではあるが、ミルト・ジャクソン本来の演奏をじっくり聴きたい方には3曲目の「Heartstrings」をお薦めする。この一曲に彼の魂(ソウル)がたくさん詰まっている。

MICHEL SARDABY 「NIGHT CAP」

2007年07月15日 | Piano/keyboard

いわずとしれたサーダビィの最高傑作だ。
何度聴いても彼の品のあるピアノタッチに参ってしまう。一頃はジャズ喫茶の花形だったというがそれも頷ける。
ブルージーな雰囲気の中、彼の指は鍵盤の上を縦横無尽に飛び跳ねる。しかもその一音一音にそこはかとない愁いを含んでいるからたまらないのだ。彼のシングルトーンはまるで透き通ったクリスタルのようにキラキラと輝いている。

今日はいつもより思い切ってボリュームを上げて聴いている。
彼の透明感はいつも通りだが、MJQのメンバーでもあるベースのパーシー・ヒースとドラムスのコニー・ケイがすばらしくいい。
二人ともスピーカーのすぐ前で演奏しているような臨場感がある。「I'm Free Again」や「Maya」におけるコニー・ケイのブラシとハイハットの音色は何の不純物も混じっていない音に聞こえるし、「Nile Voyage」や「Satin Doll」におけるパーシー・ヒースのランニングベースと力強いベースソロを聴くたびに、もうこれ以上はないともいえるほどの快感を覚える。
これはリスナーにとって最高の喜びだ。

最近は何でもいい、いい、とかいっているので信用できない方もおられるかもしれないが、このアルバムは数あるピアノトリオの中でも最高峰の一つであると断言できる。
そう思う根拠は、何年も聴き続けてなお、新たな驚きと発見がここにあるからである。
とにもかくにも文句のつけようがない作品で、その点だけがしゃくに障るアルバムだ。

KENNY DORHAM 「AT THE CAFE BOHEMIA」

2007年07月12日 | Trumpet/Cornett

カフェボヘミア、一度でいいから行ってみたかったクラブだ。
ニューヨークのグリニッジビレッジにあったこの店は、1950年代中期から後期にかけて僅か数年間しか開業しなかったジャズクラブだったと聞く。その短い間に様々なプレイヤーがここでアルバムの録音を行った。
有名なのはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャースやジョージ・ウォーリントン・クインテットあたりだが、このケニー・ドーハム率いるジャズ・プロフェッツのステージも忘れられない出来事としてジャズ史に残っている。
彼らメンバーに派手さはない。
ケニー・ドーハム(tp)の他、J.R.モンテローズ(ts)、ケニー・バレル(g)、ボビー・ティモンズ(p)、サム・ジョーンズ(b)、アーサー・エッジヒル(ds)といかにも渋い面子が揃った。

針を落としてまず最初に聞こえるのが「モナコ」というドーハムのオリジナルだが、このイントロ、どこかで聴いたことがある。そう、キャノンボール・アダレイ(実質はマイルス)の「サムシンエルス」に収録された「枯葉」のイントロとよく似ている。
このアルバムが録音されたのが1956年5月だから、「サムシンエルス」が発表される前ということだ(「サムシンエルス」は1958年3月の録音)。つまり、マイルスはちゃっかりこのイントロをパクったのではないだろうか。
そういえばこのカフェボヘミアにはマイルスのグループもよく出演していたようだから、この場にマイルス本人がいたとも考えられる。単なる偶然かもしれないが、それにしてはそっくりだ。たぶんそうだろう、そうに違いない。
「モナコ」に続く演奏が「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」。マイルスの十八番といってもいい曲だ。彼らの演奏はマイルス・クインテットに負けていない。こちらは逆にドーハムがマイルスの演奏を意識しているように聞こえる。
同じトランペッター同士のこうした駆け引きが実に面白い。

別に自慢するわけではないが、ジャズを心底楽しむためにはそれなりにリスナーとしての経験が必要だ。
古いジャズのアルバムは一枚一枚、何かしらの曰くがあると思っていい。
そのプレイヤーやプロデューサーの人間性が見えてきて初めてその音楽が理解できるものなのだ。


【また明日から出張です...】

CHICK COREA 「Return to Forever」

2007年07月11日 | Group

実に美しいジャケットだ。いつまで見ていても見飽きることがない。
このジャケットでECMは決定的なメジャーレーベルになった。
このアルバムがもたらした効果はそれだけではない。
まずジャズ界に大きな変革をもたらすきっかけを作った。具体的にはアコースティックとエレクトリックの融合である。ここからクロスオーバー・ミュージックという言葉が生まれた。フュージョンの先駆けである。
その心地いいサウンドは、それまでの難解なフリージャズに参っていた多くのジャズファンのみならず、ポピュラー音楽界からも幅広く受け入れられたのだ。その結果このアルバムは大ヒットし、チック・コリアの名前も世界中に知れ渡ることになった。
この大ヒットのお陰で、タイトル曲である「リターン・トゥ・フォーエバー」はそのままグループ名になり、その後も積極的な活動を続けた。
このグループからは人気プレイヤーも何人か排出することになる。例えばこのアルバムから参加しているスタンリー・クラークやアイアート・モレイラ、第2期のアル・ディメオラ、レニー・ホワイトといった面々だ。彼らは全員恐るべきテクニシャンばかりで、もう一つの人気グループ「ウェザーリポート」と人気を二分していた。
ヴォーカルをいち早く取り入れ成功したのもこのアルバムの先進性を物語っている。フローラ・プリムのスキャットはこの作品のイメージを決定づける要因だ。この浮遊感がジャケットのカモメと相まって、私たちを海の上へ滑るように連れて行ってくれるのだ。

いまでこそクロスオーバー・ミュージックなどという言葉は死語になってしまったが、時代を変えた作品にはとてつもない品格と存在感があるものだ。
久々にこのアルバムを取り出し聴いてみて、改めてそのスケールの大きさに驚いた。
古くなっているのは私たちの頭の中にあるイメージであって、レコードはいつまで経っても新鮮なままである。

ERIC REED 「MANHATTAN MELODIES」

2007年07月10日 | Piano/keyboard

セントラルパークは近年見違えるほどきれいになった。
先日テレビでパーク内の管理を行うNPOの姿を描いたドキュメンタリーが流されていたが、彼らの地道な努力によって一時は犯罪の巣と化していた公園が再び市民の憩いの場として蘇った。本当に頭の下がる思いだ。
こうしたボランティアが数多く集まるのも、セントラルパークに地域としての強い思い入れがあるからだと思う。
もちろん私は地域の人ではないので直接的な思い入れはない。しかしこの公園は単にニューヨーク市民だけのものではない特別な場所なのだと思っている。

私にとってのセントラルパークは、ホレス・シルバーの「6・ピーシズ・オブ・シルバー」のジャケットにもなったあのベンチのある風景だ。先日ご紹介したファッツ・ナヴァロの「ノスタルジア」も同様。あれはたぶんセントラルパークだろうと勝手に想像しているだけだが、この何でもない風景が私の感じるニューヨークである。
このベンチに座り足を組んで新聞を読み、ゆっくりした時間を過ごす、ただそれだけでジャズが聞こえてきそうなシチュエーションに早変わりする。
頭の中で鳴り響くのは往年の名曲ばかりだが、それらが通り過ぎるとどこからともなくエリック・リードの弾く「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」や「ニューヨーク、ニューヨークのテーマ」が聞こえてくる。
私はいつもこうした味わい深い曲を噛みしめるように聴きたいと思っている。
この作品はエリック・リードらしからぬ、メロディアスでセンチメンタルな一面を見せた傑作だ。

JOHNNY GRIFFIN 「THE KERRY DANCERS」

2007年07月09日 | Tenor Saxophone

これもジャケットで損をしているアルバムだ。
なぜ藪の中に椅子を持ち込んで、そこでポーズをとる必要があるのかわからない。リバーサイドは時々こういう致命的なミスをする。中身を聴いてみればわかることだが、この作品はジャケットさえ良ければもっともっと売れたはずだし、大名盤としてジャズ史上に燦然と輝いたはずである。返す返すも残念だ。
しかしジョニー・グリフィンという人は、もともとそうした星回りにある人なのかもしれない。彼のファンには申し訳ないが、何となくツキがない、或いは幸薄いといった印象がつきまとう人なのだ。
その分、応援したくなるテナーマンの筆頭に彼がいることには間違いない。
それはなぜか。
とにかくまじめで一生懸命なのである。身体全体からパワーを絞り出して精一杯ブローするタイプだ。
生き方だってヨーロッパに逃避行したデクスター・ゴードンと同じ。要に思い切りがいいのだ。

さてこのアルバムだが、最初から最後までリラックスした好演が続いている。
有名な「Hush-a-bye」もいいが、「Black is the color of my true love's hair」や「The londonderry air」などのバラードは絶品だ。
このアルバムがいいのはリズム・セクションの出来がいいからともいえる。
当時リバーサイドのお抱えだったバリー・ハリスの軽快なピアノと、これがほんとにロン・カーターかと思えるような強靱なベースは実に見事である。周りがこれだけいいサポートをしてくれたら、ジョニー・グリフィンだって本気になって当然だ。
ジャケットの裏を見ると、ジャケットデザインはKEN DEARDOFF、写真はSTEVE SCHAPIROとある。
彼らがなぜ本気にならなかったか、それだけが不思議なのだ。

TERRY MOREL 「Songs of a Woman in Love」

2007年07月08日 | Vocal

いかにもベツレヘムのヴォーカル盤といえる内容だ。
何がベツレヘムらしいかというとこのレーベルの看板娘であったクリス・コナーによく似ているからだ。
伴奏も私の大好きなラルフ・シャロントリオが務めている。
このアルバムは、クラブ・モントクレアでのライヴ録音であるが、よく聴いていると会場内に熱狂的なファンがいることに気がつく。それほど大きなステージではないので拍手の数も数えられる程度だが、その中に一生懸命拍手する人間がいる。ひょっとするとクラブの人なのかもしれないが、ここは熱狂的なファンだと思いたい。
懸命に拍手する彼の気持ちはよくわかる。
テリー・モレルの歌声はさりげなく思わせぶりで、どことなく投げやりだ。この一見距離を置いたようなスタンスがたまらない魅力になって観客を虜にしているのだ。
またラルフ・シャロンのピアノが相変わらずいい。歌伴をやらせたらおそらく彼の右に出る者はいないだろうと思う。決して自己主張をせず、小気味のいいフレーズを転がる指で弾き流す。これは明らかに職人芸である。
バックにはもう一人、フルートのハービー・マンがいる。
彼もまたベツレヘムの代名詞のような人だが、シャロンのピアノややや重いモレルの歌声にジャストフィットしている。彼のバッキングのうまさも特筆したい。

テリー・モレルは知る人ぞ知るという存在だ。ヴォーカリストとしては短命に終わった人だからそれも頷ける。
但し売れなかかったために身を引いたのではなく、おそらく一身上の都合で舞台裏から消えた人なのだと思う。
その後の消息は知らない。
タイトル通りに、「恋する女の歌」をさらりと歌って消えたあたりが、いかにも彼女らしいともいえる。そんな歌声なのだ。

MICHEL CAMILO & TOMATITO 「SPAIN」

2007年07月07日 | Guiter

この季節になると取り出す一枚。
ミシェル・カミーロとトマティートことホセ・フェルナンド・トーレスのデュオアルバム「スペイン」だ。
私は以前からフラメンコ・ギターが大好きだった。
乾いた大地に吹き抜ける風のようなメロディを奏でる超速アルペジオと、リズムマシーンのような情熱的なストロークは、ギター少年だった自分の憧れだった。
サンタナなどラテン系のギタリストの物まねを見よう見まねでやってはみるものの、あちこちつかえてばかりで始終イライラしていたことを思い出す。70年代の初~中頃のことだ。
その内にチック・コリアを知った。当時はクロスオーバーという名前のジャンルが生まれたばかりの時だったが、その音の厚さに驚いた。このアルバムのタイトル曲である「スペイン」もこの頃に大ヒットしていた。
この「スペイン」の複雑なテーマ部分の旋律を聴くにつれ、チック・コリアは本当に才能のある人だといつも感心していた。
やがてチック・コリアを通じてアル・ディメオラも知った。そのバカテクぶりにぶっ飛んだ。とても人間技ではないと感じた。アル・ディメオラはパコ・デ・ルシアとの共演により、さらにフラメンコ・ギターの性格を強めていった。
以後、フラメンコは私の家のテーマソングのようになった時期があった。これをかけていると梅雨時も除湿器がいらないくらい空気が乾いたものだ。

このアルバム「スペイン」が発売されたのは1999年である。一聴して当時の思いが蘇ってきた。
まるでチック・コリアとアル・ディメオラのデュオを彷彿させる演奏だ。
スペインの真っ白な壁に囲まれた街で、手拍子を入れながら踊るフラメンコが目に浮かぶ。
私にとっての最良の夏は、紛れもなくこのイメージなのだ。