田宮二郎。映画界追放
田宮は撮影所長にポスターの名前の順番について抗議したが「『不信のとき』は女性映画として売りたいからこうなった。私の首にかけてもこの序列を変えることはない」と断られる→副社長の永田秀雅(永田雅一の息子)に電話するが「役者ごときが注文をつけることではない」と叱責・却下→社長・永田雅一と直談判→そのときのいざこざで撮影所長か自分のいずれかが辞意すべきと表明→人事に口出すなと社長が憤慨
結果的に刷り直したポスターの序列は希望通り田宮がトップとなったが、社長は田宮との契約を残したまま彼を解雇した
平野紫耀さんのジャニーズ事務所退所もまあ似たようなものだと思う。世界進出という前社長との約束、それを守らない社長という違いはあれど、社長という王様に対して異心をもったがゆえの契約更改無し。
あと、田宮二郎は、暴力事件後の沢田研二との共演で「自分も死の危険があった。殺し屋に狙われていた。」という趣旨の発言をしていた。
滝沢秀明TOBE社長とともに、田宮二郎のようにジャニーズ事務所首脳陣を見返せれば良いな。