ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

GOOD DESIGN AWARED 2006。

2006年10月25日 | blog


いやぁ、わたしの「目利き」もたいしたことないですね。
大賞は、三菱自動車の「i」でした。

わたしが三菱アイを外したのは、

1)基本構成とデザインコンセプトに、
ダイムラー・クライスラーの「スマート」との類似性が強い

2)特にフロントウインドウなどのグラフィックに、
機能的ではない演出が強い
(四角いウインドウ上端を、黒フチで無理に丸に見せている)

というあたりです。

プレゼンでは、
「エンジンが前輪の間に無いことによる舵角の深さで小回り性が高い」
ということもアピールされたらしいですが、
ロングホイールベースで舵角が深い場合は、
相対的に内輪差が大きいので注意が必要…って、
そんなこたどうでもいいか。

エルムデザインのロボットスーツが僅差だったようです。
会場で、重量物を持ち上げる「パワードスーツ・実演」デモをやったとか。
うーん、そりゃプレゼンのインパクトは強かっただろうな。

去年も言ったんですが、プレゼンにやられちゃうんですよね。
そんで、それを見て判断するのは、デザイナーではあるけれど、
評価のプロではない。

まぁでも、巨匠の遺作の巨大公園とか、テレビ番組とか、注射針とかが取るよりも、
ずっとずっと、「グッドデザイン賞・大賞」らしい。
いいことだとおもいます。

とりあえず来年は、フツーの賞でいいから、取らねば。
うーん、今やってるネタだとムリかな~…。


チョコレート・ボタン。

2006年10月24日 | blog

銀行ATMとか、GUIデザインの黎明期には、
板チョコみたいなデザインの「ボタン」が描かれていました。
通称チョコレート・ボタン。

いまでも、あちこちで見かけることがあります。

「古くさい」ので最近使いませんが、
ちょっと工夫したら、なんとかならないかな?

ところで、ガイジンに「それチョコレート・ボタンみたい」
と言ったら通じませんでした。

チョコレート=板チョコ、という連想が強いのは、日本人だけなのかしら?
進駐軍?

ジャスパー・モリソンのデザイン。

2006年10月23日 | blog


銀座松屋でぱらぱらっとめくって。

最後の一冊で、ずいぶん汚れていて、5000円もしたけれど、
「これはたぶん、どうしても今のじぶんに必要。」
と感じて購入。あいたた。

「スーパーノーマル」にも触れられていて、
ジャスパー・モリソンが、静かにそのキャリアを重ね、
深澤直人と出会って、「SUPER NORMAL展」に至ったのは、
じつに自然なことだったんだな。と確認。

モリゾーは、人の営み、日々の暮らし。
生身の身体が、見えている。


「ひとのうごきをさまたげない」モノ。


ハレとケの、ケのもの。

祭りの神輿(みこし)とは、ちがう。



そして、みずからの仕事を想う。

製品GUIというのは、どうしてもどうしても、
ひとのうごきを「とめてしまう」。

表示器のなかで、決して固定されず、
不安定に変化し続ける情報。
操作の瞬間、人の身体は、どうしても「一拍」止まる。

止めちゃだめ  ってこともないんだけど、
それが継続的に断続的に続くのは、やはりよろしくない。


モリゾーの線のように、つるっとさせたいなぁ。

GOOD DESIGN AWARED 2006。

2006年10月22日 | blog

さて、他人事になってしまった今年のグッドデザインですが、
ベスト15のなかから選定される、大賞予想なんぞをしてみようとおもいます。
こういうのはイベントとして、楽しまなきゃね。

オーディオビジュアル系がけっこうありますけど、
いまさらオーディオモノが取るとも思えないんですね。

サムスンのデジタルビデオ、ソニーのリニアPCMレコーダ、
パイオニアのPLC。

んで、そもそもニッチな商品とか、地味な生活用品というのもキツい。

ニコンの顕微鏡、エルムデザインのロボットスーツ、OXOの大根おろし。

乗り物系は、以前は王道でしたけど、「今は」どうかな…

ホンダの電動カート、三菱アイ、川崎重工の電車、GKの電車。

そうなると、残りは、

サンヨーのエネループ、
東京ハウス、
横浜市、
大手町カフェ、
ウイルコム・シム。

そのなかで、大手町カフェは規模がちいさい。
ウイルコム・シムは、それで実現された「ジャケット(対応端末)」が少ない。
東京ハウスは「9坪ハウス」とカブる。
というところを加味して、

エネループ、
横浜市、

あたりが強いかな、とおもいます。

横浜市、規模がでかいうえに内容がよくわからないので、
当日のプレゼン次第。という気がします。

個人的には、エネループですかねぇ。
安価で日常に触れていて、社会的な有益性もあり、
志の高さも感じる。

明日でしたっけ?最終の選考会。
どうなりますかね。

ザ・グレート・カブキ。

2006年10月21日 | blog

歌舞伎三度目。
今回は本当に良かった。

歌舞伎の型、様式化、記号化というのは、
演者個々人の、なまなましいキャラクターを排してデフォルメすることで、
観るひとに、想像力の喚起と感情移入の余地を広めているんだと気付く。

拍子木、太鼓、鼓、そして踏み鳴らす床音の効果は、
ハリウッド映画のサウンド・エフェクトとまったく変わらない。

100年前からあって、今も新鮮で、きっと100年後も続けられているだろう。

人の営み。演じるということ。舞台。

もろもろを集約して、研ぎすませて絞り上げた、その極み。

「粋」(すい)という文字がうかびました。


あ、仮面ライダーの変身ポーズも、元は歌舞伎だよねぇ。きっと。

ハンバーガー。

2006年10月21日 | blog

この画像拡大のアイコン、「ハンバーガー」だとおもってました。
いや、縮小画像を100%拡大するものだっていうのはわかってたんですが。

しかしなんでハンバーガーなんだろ?とギモンにおもってよくみたら、
そもそもハンバーガーじゃないみたいだ、ということに気付きました。

どうでもいい誤解って、どうでもいいので、放置されがちですねー。

カーライフ。

2006年10月20日 | blog
軽自動車を買うにあたって、最大の懸念事項が、
長距離での快適性だったんですが。

飛騨高山まで、往復750kmほど。
ぜんぜんオッケーでした。
腰が痛くなったり、肩がこったりもない。

もちろん、走ったなりの疲労感はありますが、
そもそもの気楽さが、余計な疲労を溜めない。

やっぱり、よくできたスクーター感覚ですね。
「ちょっとそこまで」を、つなげてつなげて、遠くに行くカンジ。

いいヤツです。

鳩時計。

2006年10月19日 | blog


妻は四角好きである。

どれくらい四角好きかというと、
ヤフオクで「四角」で検索するほどの強者である。
そんなプリミティブな検索ワードがあったか、と目からウロコ。

まぁとにかく、そんな話を週末の友人宅でしていたら、
奥さんが「それならぜひもらってほしいものが」と、
出してくれたのがこのハト時計。

グラフィックデザイナーの彼女が、オランダ留学時に購入して、
部屋に飾っていたものだとか。
ものすごくかわいい。

一見なんちゃってハト時計のように見えるけれど、
じつは数百年前から変わらぬ機構。100%アナログ。
動力は、重力に引かれた、とうもろこしのような重りが下がるチカラ。

がらがらがらっとチェーンを引いて重りを持ち上げて、
振り子をそっと揺すると、カチカチ動き出します。

スキマから見ていると、木と紙(!)でできた「ふいご」が
徐々にふくらんでゆき、15分に一回、「ぽぅ」と鳴きます。

まるで、縦笛をくわえたままの小学生が、ふとため息をつくように、

「ぽぅ」

なごむことこのうえない。

時計はものすごく不正確で、一時間に5分ずつくらい狂ってゆきます。
たぶんオランダと日本では、重力とか空気の密度が違うのでしょう(ウソ)。
この脱力サウンドをまえに、時間なんて、もうあまり気にならない。


「ぽぅ」

グリコのおまけのような質感と、
けれどかっちりしたカチカチ音と、
脱力系の鳴き声に、参りっぱなしです。

「ぽぅ」


デザインを信じている。

2006年10月18日 | blog


昨日帰宅したら、ポストに入っていたチラシに、そう書いてあった。

「デザインを信じている。」

タネを明かすと、新築のデザインマンション?のチラシだったのだが。
なんだかすごく、びっくりした。

仕事でデザインをしていて、好きでもあるけれど、
信じているかって言われたら、どうだろう?

信じる信じないのことでもないような気がするし。


ことばを理解するために、反転してみる。

「デザインを疑う。」

おお、なんか欺瞞に挑むようなオモムキが。

「デザインを信じない。」

なんかせつないな。裏切られたみたいで。


しかし、すごいコピーだとおもうわけです。
およそ「デザイン」を「売り」にした商品でも、
ここまで言い切ったコピーは知らない。

「デザインを信じている」。

「誰が」信じてるんだろう。
デザインの「何」を、信じているんだろう。
英訳できない。

そういう解釈の幅の広さというか、想像力をかきたてられるのが、
日本語の素敵なところだとおもいます。


んで、そのDMの写真を取りたかったんですけど、
シャワーからあがったら、妻が丸めて捨ててました。
はははは。