ポエトリー・デザイン

インハウスデザイナーが思う、日々の機微。

CATEYE、TL-LD170-R。

2007年11月29日 | blog

直接自転車につけたりはせず、リュックのボトルポケット(メッシュのやつ)なんかに放りこんだり、
ファスナーのストラップにぶらさげたりして、使っています。

これがかばんについてると、「なに、これ?」と怪訝に聞かれるることが多いですけど。
いいんです。

こういうの、ないよりあったほうがいいですね。安全で。
このちょっとえぐいカタチが、もうすこしすっきりしてもいいような気がしますけど。

この世界って、まだデザインの「余地」があるなぁ。
自転車好きのデザイナーも多いんだから、こういうのびしっとデザインしませんかね、誰か?

無印良品、ベルト。

2007年11月26日 | blog

ベルトってむつかしいですよね。
ベルトってむつかしくないですか?
ベルトってむつかしいんですよ。

べつになんでもいいんだけれど、なんでもよくない。
そんなに気合い入れたくもないんだけど、でもすごく目立つし。

ちょっときれいめで、でもさりげないベルトを探していて、ドンピシャでした。
この細身の、なんてことないバックルが、でもなんてことなくないです。

こういうの、高くてもありそうでないんですよ。
ありそうでないものに出会ったときのうれしさは格別です。

しかも安い。


デザインコンセプト。

2007年11月25日 | blog

デザインコンセプトってものがあるのです。
カイシャなりで「どのような意図でこのデザインなのか」を共有するためとか、
複数人でデザインする場合は、その意思統一と共通認識のため、だったりします。
デザインするにあたってのテーマというか、指標みたいなもんですね。

たいがいは、イメージボード(イメージ写真のコラージュみたいなもんかな)とセットで作成されます。

あ、そこのひと!
「シンプル・スマート・スタイリッシュの3Sで行きましょう!」みたいなハナシは、あらゆるところで使い古されていますから、念のため。

それはともかく。

商品概要が決まり、商品コンセプトみたいなものがあって、ターゲットユーザーが設定され、
それらをふまえて、デザイナーによって、デザインコンセプトが作成されます。
前段のところは通常、商品企画者によって決められます。

まぁそれなりに大事なもので、まして私は詩人ですから(まじ)言葉遊びはお手のもの。
「向かうべき方向にしっくり」来つつも「皆がうまく共有」することができて、
なおかつ「絵的に成立させ得る」コトバをうまく選んだりするのは得意です。

でも、モノは「そのモノとしてのあるべき姿」があって、その範疇を超えてはいけません。
よろしくないのは、デザインコンセプトというのは往々にして、そのモノの領分を超えようとするんですね。

「ルーチンワーク」で毎年モデルチェンジを繰り返していると、どうしても「去年となにが違うのか」ばかりに焦点があたりがちで、そういうことを繰り返していると、「本来あるべき立ち位置」すら見失ってしまう。

ありがちなのはですね、ビミョーな新機能があって、そこしか今年の商品の売りはないんですよ。というばあいに、その「ビミョーな新機能」を最大限表現するような、デザインコンセプトとかスタイリングとかにしちゃうんですね。

でもよくよくかんがえると、そういう細かい機能の違いは、接客上のフックにはなるけど全てじゃないというか、それよりもフツーの、ふだんよく使う機能のほうが大事なわけです。
そんな、「差別化のための差別化」みたいなところに寄りかかってデザインコンセプトを作るとロクなことがない。そういうのって、お客さんにはバレるし、フツーに使いにくい。

そんなところでしか価値を表現できないような新製品は、そもそもいらないんでないの?

デザインコンセプトは、必要ですよ。なくてはならない。
でも、それをふまえたうえで、けれどデザインコンセプトなんてものは、もしかして、なくてもいいんじゃないですか?モノのあるべき姿が表現されていたら、それで大丈夫なんじゃないの?

…という気持ちもまた、必要なんだとおもいます。

エコバック。

2007年11月24日 | blog

エコバック。
エゴバック。
いや、エコバック。

なにせコストが安いうえに、社会的に「正しい」という免罪符までついているので、ブーム炸裂していますね。エコバッグ。
かくいうわたしもスーザン・ベル愛用中です。
あ、スーザン・ベルは、サイズ(大)のほうがいいとおもいます。買い物袋としては。

でも思い出してみると、子供のころ、乾物屋や八百屋におつかい行くのに、ナイロンの買い物袋持たされてたような気がするなぁ。ビニール袋って、なかったよね。ね?

以前もちらっと書いたような気がしますが、エコに関してはもう「多様性」しかありません。
皆が「コッチが正しい」と突き進むと、もしそれが間違ってたら、「全滅」です。
じぶんが「こうだろう」と信じるエコを、実践するしかないんです。
たとえそれが、ほかのひとと違っていても。

こぼれたコーヒーを、ティッシュで拭くかふきんで拭くか、という有名なギロンがあります。
ふきんで拭いたほうがエコっぽいけど、洗うのに大量の水を使うので、ティッシュで拭いて燃えるごみで捨てて焼却炉で焼いちゃったほうがエコ。という見解もある。どっちが正解かなんてわかんない。

そうかんがえると、たとえば「コンビニ弁当」と「自炊」のどっちがエコか? とか、わかんなくなってくるわけです。

だから、じぶんで信じるほうのエコを実践するしかないんです。

だめなのは、「どうせなにやってもだめなんだからさ」と、さじをなげてしまうこと。
暮してゆくこと自体に、無駄な罪悪感をつのらせること。

なんでもいいんです。じぶんがエコだとおもうエコを実践してください。


たのしくね。


やかんと、ストーブ。

2007年11月23日 | blog

「12月までは、ねぇ」
「ねぇ」

…とガマンしてきたストーブですが、出しちゃいました。
だってエアコンは、いくら焚いてもあったまらないもの。
だって最低気温が?? 5度とかって!?


ガチッチッチチチチチチチチボチボチボボボボボボボボボボボボ…


はあああああ。
ほおおおおお。


ホノオはあったまるなぁ。
ホノオはあったまるねぇ。


alain mikli、Starck Eyes。

2007年11月22日 | blog

もともと「リーディング・グラス」のフレームに無理矢理「鼻盛り※」してつくったんですけど、
なぜか、かけていると「キモチ悪くなってくる」ので、ほとんど使っていません。

スタルク・アイズの、独特のヒンジ機構と、
さりげなくて意味深なデザインは気に入ってるんですけどね。
やっぱりどうしても、元が老眼鏡だと、かけてて「鼻眼鏡」になっちゃう。
むりにずりあげても、視点が合わないみたいで。

眼鏡、欲しいんですけどね。
なかなかいい出会いがありません。


今使っているのは、アパレルメイカーの安ーいサングラスで、
そこに無理矢理レンズを入れたものなんですが、
これが不思議と顔に馴染んでるんですよね。

調整もしていないし歪んでいるんで、収まりは悪いんですが。
でも、一見フツーにみえて、絶妙に顔のパーツに馴染んでいるので(?)、替えられません。

もともと「眼鏡顔」で、どんな眼鏡もそこそこいけるんですが、
「これは」という出会いはあまりない。
眼鏡は顔の一部ですからねー。
顔の数だけ眼鏡がある。

だからこういうのって、オススメとかしてもされて、もあんまし意味ないですね。
だって、そのひとの「顔」の問題だから。

いつかぴったりの眼鏡に出会えるかなぁ。

※鼻盛り…眼鏡フレームの「鼻あて」の部分を盛り上げる加工。鼻あてが幅広でずり落ちてしまうので追加工したのだけれどのだけれど、けっきょくだめ。

no quiet、receipt calendar、 purple。

2007年11月20日 | blog

かれこれ2年前のいまごろ、青山スパイラルでこのカレンダーに出会いました。
購入した夜に、渋谷であるひとと初めて会い、お土産に「赤福」をいただきました。
お礼に、たまたまその日に買ったカレンダーを差し上げたのです。

それ以来の赤福のファンで、西のほうに行く時は、必ずお土産に買っていました。
ああ、赤福。もう買えないかもしれないかとおもうと悲しい…

いや、カレンダーの話です。

次の年のいまごろ、このカレンダーを見かけて、
去年のいろいろを思い出してもう一度買い、勝手に差し上げました。
去年は我が家用にも買い、12月。のこりあと、1ページです。

そして今年、また街でこのカレンダーに出会い、
去年のいろいろを思い出し、
一昨年のいろいろを思い出し、
もう一度買い、勝手に差し上げました。

まぁ、深い意味はありません。なんとなくです。なんとなく。

我が家ではカレンダーの必要性がほとんどないので、
これくらい存在感の薄い(細い?)カレンダーというのは、ちょうどいいです。

去年は休日が赤い版を買いましたが、今年は単色です。
単色のほうがレシートっぽい。