現実と夢!!

今日は曇り

無意識の喜び

2007-04-14 11:33:44 | Weblog
人は大脳新皮質があり考えることが出来る。
だからなのだろうか?

人は何か生きる意味を探したりするもんだ。
象やトラはなんのために生きているのか?
なんとか答えをだしてみたとする。

それでは、バッタや蝶はなんのために生きているのか?
菌類や粘菌は?
バクテリアは?

人はご存知の通り、視力が悪い。
また、見える範囲もわずかだ。
それは聴力にも言える。殆どの音を聞くことはできない。
さらに意識できることと意識できないことがある。

私たちより下等な生命体は、この無意識下の世界を
私たちより意識できているのかもしれない。

私たちは意識できていないものに触れると、
斜に構える傾向がある。
例えば、酒の飲みすぎで記憶が飛んでしまったあなた。
飲み会での失態を聞くと、とても信じられないだろう。

つまり人は自分が意識できることの中でしか生きていない。
そのため、意識できないレベルのバクテリアはなんのために
生きているのか?という質問の答えを導き出すことができない。
人の意識下にはそれはないからだ。


少なくとも、この世の中は、もっと様々な色にあふれ
様々な音にあふれている。そして様々な息吹が満ち溢れている。
私たちはそれを感じることができないだけだ。

その私たちの知らない世界を、虫達や菌類は知っているのかもしれない。
その世界と私たちが知る世界との境界に偶然に身を置いた時、
不思議な経験をするのかもしれない。

例えば現に雷に打たれて生き残る人がいる。
こんなことは科学的にはありえない。なのに、何かしらの偶然の理由をつけて
生き延びたことの説明を科学者は行う。
しかし、其の人たちが雷にうたれた後に、不思議な力を身につけることや
不思議な出来事が起こることを、科学は説明できない。

こんな一例は、私たちの知らない世界と私たちが知る世界の境界に
身をおいた結果なのかもしれない。

例えば雨。
上空に吹く風の変化や、雲の動きをみたらある程度雨の予測は可能だ。
これは気象衛星からの情報分析でもできる。
しかし、田舎に住んでいるばーちゃんは、家の中にいるだけで
雨を当てたりしている。
これも都会人レベルでは知ることができない世界を知っているのかもしれない。
ただ、ばーちゃん にとってそれは意識できている世界というだけ。

不思議なことは斜に構えるのではなく、一度受け入れてみてはどうだろう。