現実と夢!!

今日は曇り

パン祭り

2015-03-21 09:18:11 | Weblog
2011年に、家計支出に占める米とパンの金額が逆転し、パンが米を抜いて以来その傾向は変わっていない。

米農家を守るために、お米を食べましょうと政府がPRしてきても、その流れを変えることはできなかったのである。



ただ30年程前ではパンと米の支出の合計は1家庭あたり9万円ほどになっているのだが、それが4万円ほどになっている。そもそも9万円という数字は本当かというほど高いが、なんにせよ半分になっている。

おそらくこれは、自炊率が下がっているからではないかと推察される。



ただパンは便利であるが街にでると、有名なパン屋さんだらけになってきた。特に東京や神戸や京都など都心でその状況は明白だろう。

そしてそれらの有名なパン屋では、1個300円や400円のパンが平気で売っている。そのパンを2つ購入すれば800円になる。

そしてそのパンが売れている。高級パンではないというから恐ろしい。



おにぎりを2個買って800円というと信じられないが、パンならそれが信じられるということのようだ。

パンは気軽に朝食などで食べられるから選択されている家も多いし、一枚30円もあれば食パンは家で食べられる。

そういった気軽さと、高いパンはオシャレというブランドが確立されいるのだろう。

パンにはこういった2つの側面がある。



東京ではパン祭りがよく開かれている。年間で20回はどこかでパン祭りが開催されている。そして、そこには若い女子を中心にすごい集客だ。パンは人を集められる。



コンビニに売っている150円のパンを2つ買うか、高いが美味しい300円のパンを1つ買うか。年を重ねるにつれ後者のほうを選択することが増えてきた。



しかし、個人的には300円のパンを買うなら、これまた最近増えてきたおにぎり屋さんでおいしいおにぎりを2つ買うほうがいい。

私は、米派である。


ハブ空港

2015-03-14 16:45:26 | Weblog
今までハブ空港と言えは、イギリスのヒースロー国際空港だった。
しかしその座をドバイ国際空港に明け渡した。
ドバイ国際空港は、利用者が昨年に前年比6%増の7040万人になったそうである。
ドバイでは周りには何もないし、労働者の9割が外国人だとも聞く。


しかし、立地としてはよく、アジアやヨーロッパ、アフリカの乗継空港として
存在感を発揮してきた。
これはある日突然そうなったわけではなく、もう何年も前から計画されて
スピーディな実行が行われた結果による。アブダビ国際空港なども
その座を狙っているようであるが、ドバイ国際空港に一日の長があるといえる。


ドバイ国際空港では3つあるターミナルの免税店やレストランが充実しており
お金が落ちやすい仕組みがしっかりできている。
最大のハブ空港とは、深夜の2時でも3時でも人で一杯である。
こんな深夜に人だらけじゃないか、というのが世界一の実力たるところだ。


かたや、羽田空港はどうだろう。ハブ空港を目指すと言っても
その現状は、とてもドバイに肉薄してるとはいえない。
4つある滑走路は強みなのかもしれないが、成田とのすみわけが正直よくわからない。
また、免税店やレストランも不十分だろう。


羽田にはそこそこ有名な店がごちゃっと入っている感じで
一体どういったお客さんにどういった風に利用してもらいたいのかが
分からない。とりあえず店があるという感じがする。
これはともてもったいないことだと思う。
現に羽田でショッピングしようという気はしない。


また、羽田が仮に24時間運営になったとしても
そこから新宿や品川までのバスは24時間対応するかもしれないが
そこから先には行けない。
インフラ整備状況がこれでは、とても世界に冠たる空港にはなれない。


本当に思うが、いい加減必要がない道路工事に多額の予算をつけることを
やめるべきじゃないだろうか。
本当に使うべきところはある。慣習のたまに使っているほど
日本の財布は潤沢な予算であふれてはいない。

事故

2015-03-08 11:21:31 | Weblog
自動車の事故の件数は大分と減り、死亡者の数も少し昔のことを考えると

大分と減っている。

これを年齢層別にみてみると、特に中年層である25~64歳の死亡者が激減している。

また25歳以下の死亡者も減っている。これはそもそも25歳以下の人は

車に乗る機会が少ないということが大きな原因の一つである可能性が高い。

さて、65歳以上はどうか、という点で見ると、実はこの層の死亡者数は殆ど変化がない。





自動車での死亡者数は確かに激減しているが、高齢者の死亡者数は

合いも変わらず減っていない。

これから車の技術の進歩で事故自体は減るのかもしれないが、

確実に高齢者が増えていく日本において、この事実は不気味である。





さて、交通事故で最近注目を浴びているのが自転車での事故だ。





事故の件数自体は増えているが、死亡者という観点で見ると

実は減っている。

自動車と違って自転車の場合、ぶつかられるということが原因として

高い可能性もあるが、やはり自転車においても死亡者のなかで

高齢者の割合が圧倒的に多い。

しかし、ここも自転車を運転する人の多くが高齢者になることを

考えていくと、死亡者の数は増えていくセグメントもある可能性がある。



マクロで見ると、自動車も自転車も死亡者の総数は減ってきている。

しかし、今後V字を描く可能性は否めない。

自動車は技術の進歩が老化による判断力の低下を補ってくれる可能性はあるが

自転車はそうもいかないだろう。





今は高級な自転車や電動自転車が底堅く売れている時代で

自転車に着目されているが、10年先の交通を考えた場合

それは自転車専用道路の整備を行うという公共事業で本当に十分なのか

考える必要がある。



私は、ある一定の年齢以上の人は、自転車を禁止され

自転車に変わる何か、例えばニンジャのもっと安全性を高めたような乗り物が

世に出される未来を思い描いている

日本語

2015-02-28 13:23:57 | Weblog
国際化が今後ますます進んでいく中、
日本の文化や日本人の考え方、そして歴史を語れることは重要である。
これはこれで学んでいけばよいのであるが、日本語では実はよく意味を知らないのに
なんとなくの雰囲気で使っている言葉が、実は多くある。

例えば、天気と天候と気候と何が違うが知っているだろうか。
天気とは、短い時間での気象をいい、天候とは春とか冬とか1月とかといった長い期間での主な気象をいう。
そして気候とは毎年繰り返される平均的な気象をいう。
そのため、明日の天候とか明日の気候というと間違った使い方になる。

町と村と街とは何が違うのだろうか。
人数が違いではない。村とは農業とか漁業などの1次産業を営むための集合体であり
町とは商業等2次産業を行うための集合体である。そして街とは町のなかにある人が多く集まる区域を指す。
住宅街とか食堂街とか、という利用になる。、

ただ、実は意味の違いがあるのではないかと思いながら、明確な違いがないものもある。
森と林だ。イメージとして森のほうが大きく深く、林はどちらかといえば森より小さいというイメージだろう。
ととろの森とはいっても、ととろの林とは言わない。また人工林や杉林とはいうが、人口森とか杉森とは言わない。
この森と林には明確に定義の違いはなく、イメージが結局の森と林の違いということになっている。
湖と池と沼には明確な違いがある。
湖は湖畔には植物があるが湖底には植物がないものである。
沼は底に植物があるものであり、池はくぼみに水がたまったものである。
とはいえ、やはりこれも大きさのイメージでだいたい使い分けているだろう。
名前の由来もよくわからず使っている単語も多いだろう。
関西と関東の違いなどいい例かもしれない。
昔あった関所から西か東かの違いである。

意外に知らずに使っている言葉は多い。
上記は単なる例にすぎない。油断という言葉にも由縁がある。定石というも同じだ。
日本語の語彙数は20万以上とも言われている。
言葉を知るということは、歴史を知るということだとっていもいい。

身近な言葉も意外に知らないことは多いものである。
雑学と言われるかもしれないが、言葉の背景や本当の意味を知ることで味わいが出てくるだろう。
こういったことを学ぶのも悪くないだろう。

グルーポン

2015-02-21 08:21:03 | Weblog
グルーポンが登場したのは2008年である。その後2010年に似たような事業をしていたクーポッドという会社を買収して
日本へ進出した。
2011年にNASDAQへと上場し、株価は高騰した。彗星のごとく現れたモンスター企業と揶揄された。

グルーポンはクーポンを発行するのであるが、それには条件があって
5人集まれば、半額になります。皆5人集めてください。というようなものである。
基本的には当日にならないと割引適用がどうなるか分からないこともあり
事前にセッティングが必要な飲み会の場としては活用しにくい側面もある。

このグルーポンはおせち問題でさらに脚光を浴びることになる。
おせちが届かない。届いても信じられないくらいスカスカという。
勿論行政から指導があって、昨年に4年ぶりにおせちを再開することになった。
特に問題があったとは聞こえてこない。


グルーポンが日本で起こした不祥事は、おせち問題だけでもない。
iTUnesのカード配送遅延や顧客情報噴出など問題が多い。
そして、リクルートが運営するボンパレにその首位の座を奪われてしまった。

と、ネガティブな状況ではあるが、クーポン共同購入の市場
いわゆるフラッシュマーケティング市場は、実はいまだに拡大している。
グルーポンは2位だが、150億円ほどの売り上げになっている。

参入障壁が低く、参入が相次いで参入されたが、今は何社かに集約されている。


売り上げは18億円程度ではあるが、ルクサというサービスも面白い。
だいたいのサービスは割引クーポンのサイトとしての位置づけである。
これだけ安いなら必要じゃないけど使ってみよう、ということを狙っている。
ここは、少し贅沢な体験や買い物を提案するということをコンセプトにしている。
そのため、ラインナップは他より圧倒的に少ないが、ルクサからの面白い提案を待つ
スタイルのモノだ。
私は、このサイトに登録している。
ある意味、他のサイトが大量消費というなら、ここはキュレーション型である。


一旦盛り上がり、会社が乱立し、そしてふるいにかけられ、市場が落ち着きじわじわ成長していく。
そして成熟していくという、一般的な市場パターンとなっている。


そして今それが、SNSが辿っている道であるのだろう。
これから盛り上がるイノベーションとは何か。常にそういった視点を忘れずに世の中を見ていきたい。



もうこのフラッシュマーケティング市場というのは、縮小しているのだろうと思っていたのであるが
まさかの成長市場で少し驚いた。
いかに消費を促すか。そういった点に、このクーポン共同購入というのはそれなりの役割があったということだ。
将来はそうなってみないと分からないというのはそうであるだろう。

しかし、これは熱狂するな、というのはまだ分かりやすいのかもしれない。
ロボットかミトコンドリアか、さてなんだろうか。

伝統工芸品

2015-02-08 08:33:21 | Weblog
青山に行くと、伝統工芸青山スクエアというのがあって、
日本の伝統工芸品のショールームのような場所がある。
外国人に人気だという。

ただ、あそこに日本人が行っても凄いなとは思うが
その凄みは結局よく分からないし、ご縁がないものだと感じるだろう。
実際、日本の普通の生活を行っている中で、伝統工芸品に囲まれて
生活することはないから、仕方がない。
あって、安い和紙くらいかもしれない。安ければまだ身近にあるかもしれないが
高いと、時計や鞄のほうにお金を使ってしまうだろう。
また、実際に伝統工芸品は高いものが多い。


そういった背景もあって、伝統工芸品の生産額は顕著な右肩下がりで200億円を切り
従事者もドンドン減っている。
伝統工芸品がなくなるという悲観論が聞こえて久しいが
さて、どうしたものだろうか。
重要なことは、残すものと残さないものをしっかりと区別することだろう。
昔を全部そのまま残すというのも、正解という感じはしない。
また、残すものについては、そのまま残すのか時代に合わせて新しい風を取り込むのかも
しっかりと考える必要がある。

南部鉄器の例は有名かもしれない。南部鉄器の保温性はずば抜けたものであるが
色をポッポにするという工夫をしたことで、海外で評判を呼んでいる。
日本食もそうかもしれない。日本の料亭で食べられるものをそのまま海外で食べれるというより
ローカライズされているのではないのではないだろうか。


また、よく後継者問題も取り立たされている。確かに職人にそもそもなろうという人自体は
減っているだろうが、若手をリクルートして育成するという現代風のシステムが
未熟であることも、後継者減少に拍車をかけていると思われる。
ゴールドマンサックスで上り詰めた人材が、小西美術工芸という伝統工芸品を扱う会社の
社長に就任し、そこらへんを改革していることは参考になるだろう。


とはいえ、コストの問題で普段の生活になかなか取り入れることは難しいだろう。
お洒落な漆塗りの食器で食事をしろ、と言ってもなかなか難しい。
であるから、家ではなく外ではそういったものに触れられる機会を増やせばいいのだろう。
まず知ってもらうこと。体験してもらうこと。

外食の店、カフェ、公共施設や旅館等で、伝統工芸品に触れられる機会をもっと作ればよく
そういった商品を導入した場合は国費で支援を行えばよいと思う。
例えばイギリスのウェストウェッジは、ウェストウェッジは自社商品を使ったカフェを展開して
自社商品を実際に使ってもらう機会を提供している。


なにより伝統工芸品の発展は単なるデザインをお洒落にすればいいという単純な問題ではない。
現代風の組織の取り込み、プロモーション、デザイン、支援など総合的な取り組みが必要であろう。

新生児

2015-01-30 20:40:33 | Weblog
新生児の出生数が103万人と過去最低になり、昨年も人口減少となった。
人口が減少するということは、死亡者の数が出生数より多いということだ。
合計特殊出生率も1.4と依然、人口減少に拍車がかかる感じではない。


とはいえ、毎年100万世帯に新しい子供が来ることになるわけである。
最近は、倉科カナ主演で、残念な夫というドラマが始まっており、
育児に取り組む男性というのが、当たり前という風潮になってきている。
30年前のことを考えたら驚きの変化だといえる。


しかし、そのドラマしかり育メンという言葉を広めたメディアしかり
たまりたまった女性の不満を現代の若い母親世代が、過去のうっぷんを含めて発散させているのではと
感じざるを得ない。

というのも、女性が掲げる理想的な育メン像ははっきりいって無理がある。
結婚相手に白馬の王子様を求めるかのようだ。
要は要求しかないのだ。


基本的に父親は、仕事で家を空けている。
1日12時間程度家を空けていることも多いだろう。
家に帰って育児に協力しても、そのなってなさに愚痴を言われ、妻のストレスを増大させ
結果、自分のストレス増加につながっている。
妻はいう。私はずっと育児やっているの。24時間365日。なんでそんな私のことを理解した
行動をしないのか、と。


しかし、男性は圧倒的に育児に携わっている時間が短い。
そのため、経験値も女性に比べたら遥かに劣るのは当たり前だ。
子供の泣き声や表情が何を訴えかけているのか分からない。
何をしたら子供が泣くのか喜ぶのかも知らない。
であるのに、家に帰ってきたとたん、妻の同じことを同じレベルですることを求められ
それに応じられない。


これは至極当然のことだ。
女性誌には育児関連の記事も多いし、専門の雑誌すらある。
かたや男性用の雑誌に育児の記事は圧倒的に少ない。
育児の男性参加を当たり前だというには、まだまだ時代がおいついていないといっていい。


そもそも男性の育児参加とは、要は女性の負担を減らす補助的な役割が圧倒的に多いだろう。
そういったことも女性の認識は低いのではないだろうか。
男性を自分の分身かのようにとらえても、それは認識の間違いだ。
その間違った認識が、せっかく育児参加した男性のストレスを増加させ
双方が不幸な結果につながってしまうのだ。


男性の育児参加における女性側の主張は、現状認識が甘く感情的な部分での訴えになっている
というのが今の現状だろう。と男性側の目線からは思う。

さて、とはいえ、感情面が豊かな女性側に視点を移すと、
猛烈な反論があることが容易に想定される。

男性と女性が分かりあうことは、こと育児においても当分解けない難問なのかもしれない。

2015年

2015-01-24 14:44:41 | Weblog
今まで常識だと思われていたこと、まあ変わらないだろうと思っていたこと、
変わったとしてもそうそう変化しないだろう、と思っていたこと。
そういったことが2015年も覆る年になってくる。


たとえば、原油産出量。アメリカに比べて圧倒的に多かったサウジアラビアであったが
シェールガスによって、産出国No1の座をアメリカに明け渡すことになる。
なんだんかんだいってもエネルギーの源が原油であることには当分変わらないわけであるから、
外交を含めてパワーバランスがグラつくだろう。
来年度に予定されている利上げについてもドルの強さをさらに増すものと思われる。


中国においても今まで圧倒的に国外投資が多かったが、ついに国内投資がそれを上回ることになる。
中国人のモラルの問題など様々な内政の問題はあるが、経済の成熟が見て取れる。
また、購買力平価がなんとあのアメリカを上回るというのだ。
金融不安や外交の懸念は消えないが、インドが格差問題で中国を参考にしているように、
それなりの権威を見せつけてくるのだろう。


10年前はまったく思っていなかっただろう。世界の人口より、携帯電話契約件数が上回ることを。
今後もっとも成長するのはアフリカであろうが、その20億人ともいう人口が固定回線をもたず
携帯回線で通信や通話を行っていく限り、その差は開く一方だろう。


また、アジアにおいてはEUより国防費が上回ることが予想されているばかりか
富裕層の資産の合計が、アメリカを上回るというのだ。お金の周りを考えた時に
アジアはますます重要になってくるのだろう。


さて、昨今はスコットランドの独立選挙もさることながら、ナショナリズムの台頭が目立ってきている。
今後、持続的な開発目標や気候問題の解決など、超国際的な活動が、各国に求められるなか、
されどもいかに自国に優先的な解をもたらすのか、というジレンマに挟まれながら、
国は運営されていくのだろう。
とはいえ、経済とくにファイナンスにおいては、すでに国境なきグローバル化はもはや不可逆的だと考えられ
ナショナリズムに反して、ますますグローバル化は推進されるのだろうが、
そういた超国際的な活動にむけた、重要な国際会議が開かれる年でもある。


そういった、全体感をもって日本や今の自分を見つめなおすとどうなるのか。
世界は着々と動いているなかで、自分の経済活動もさることながら、社会活動や娯楽などの位置づけを
改めて見直してもいい。

国は変わり続けろ、企業も変わり続けろ、と言われる。
それは個人においても同じだ。全体感をもってどうチャレンジするか。それは今年も変わらない。

選挙

2015-01-17 18:03:11 | Weblog


よくわからない衆議院選挙が行われた。
衆議院選挙には約650億円のコストがかかる。勿論税金である。
消費税を上げないと日本の財政面や世界的な立場は厳しくなる。
現に増税の先延ばしで国債のランクが落ちた。

政治家ははっきり言うべきである。
これからはより格差は広がるし、生活は厳しくなると。
今とこれからの日本をみれば当たり前のことのはずである。
そういったことを言わずに、650億円もかけて何を判断したいのか。

さて、こんな白けた状態であれば若者がますます選挙にいかないだろう。
過去の衆議院選挙を見てみると、1位の政党と2位の政党の差の票数は700万票くらいである。
かたや、高齢者の投票率は8割を超えているが、
20代は2割、30代ともなれば1割程度の投票率である。
これは、未投票の20代、30代の若者は合計1400万人ほどいる計算になる。

700万票あれば、1位と2位の政党を逆転できるのであるから
この1400万票がゴトっと動けば容易に逆転も可能である。

なんなら選挙にいかないってことがクールだという風潮すらある。
確かにあなたの1票では、何も変わらないという合理的な理由も分からないでもない。
しかし、国政に参加しないのなら、あなたが今手にしている選挙権という権利を放棄するなら
政治や行政に文句をいうべきではない。

選挙にいっても投票する政党がない。この理由もよくわかる。
しかし、いきなり完璧は訪れない。少しづつ始めていくしかないだろう。
この若者たちの票数があれば、国政は大きく動くことは数字上明らかである。


前提として政治や行政におんぶにだっこの時代でもないし期待もできないので
今まで以上に自律することが、強く求められているのは事実である。
だからといって、政治がどうでもいいということにはならない。
大した存在感はないかもしれないが、それでも自分たちに都合のよい政をしてもらったほうが
いいに決まっている。


今回ほど、アホらしい選挙はないかもしれないが、
だからこそ、今回投票に行くことに意味があともいえる。
今回投票に行けたなら、おそらく次回以降は今回よりまともな選挙をするだろうから
次回も投票にいけるはずだからだ。

ブログ納め

2014-12-28 10:27:00 | Weblog

今年の一文字は増税により「税」となり、
日銀が兆円単位で国債を買い取り、その金で
日本円を購入させたことに端を発する日本株爆裂上昇。

経済政策を第一にかかげるアベノミクスは
実態としてそう効果がでていない。
まさに、実態と株価・通貨価格に大きな乖離が見られる。
非正規雇用者は初めて2000万人を超えたが正規雇用は増えない。

特に私はシェールガスの動向に注目していたのだが、
サウジの陰謀のより、シェール関連銘柄や原油価格は大暴落をした。

さて、来年を思うに、個人レベルではますますの分散投資と
自律する力が求められるといえるのではないだろうか。

あとは、マインドを改めもっと色々欲することだろう。