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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

なぜ人を殺してはいけないのか②

2024-09-30 20:23:09 | 朝ドラ

 朝ドラ「虎に翼」の最終週、私は韓国出張で観ることができませんでした。

 帰国した木曜日の夜、録画しておいてもらった4回分をまとめて見ました。

 虎子の新潟勤務時代に出会った謎の女子高生、美佐江のそっくりさん(美雪)は、やはり美佐江の娘でした。

 そして、母親とまったく同じ質問をする。

美雪「先生はどうしてだと思います? どうして人を殺しちゃいけないのか」

寅子「奪われた命は元に戻せない。死んだ相手とは、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない。だから人は、生きることに尊さを感じて、人を殺してはいけないと本能で理解している。それが、長い間考えてきた、私なりの答え。理由が分からないからやっていいじゃなくて、分からないからこそやらない。奪う側にならない努力をすべきと思う」

美雪(笑いながら)「そんな乱暴な答えで、母は納得しますかね」


 母(美佐江)が納得するかどうかはわからない。美佐江は死んでいるからです(たぶん自殺)。

 美雪は納得していないようですね。虎子の答えを「乱暴だ」と評しているところからみると。

 虎子が、30年間、考えた末に出した答えは、

「人は、人を殺してはいけないと、本能で理解している」

というもの。

「奪われた命は元に戻せない。死んだ相手とは、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない」


という部分は、殺された人も、自然死した人も同じ。「殺してはいけない」理由にはなりません。

「人を殺してはいけないと、本能で理解している」というのはどうか。

 ヒトは、先史時代も歴史時代も、無数の殺人を行ってきました。人の近縁であるチンパンジーにも、同族殺しの習性があるところからみると、ヒトは、ホモサピエンスが分岐したときから、殺人の習性をもっていたと推測されます。同族殺しをしないことが、本能に組み込まれていたとは思えません。

 美雪がいうように、「乱暴な答え」です。

 早逝した女性哲学者、池田晶子に『14歳からの哲学』(トランスビュー、2003年)という著書があります。

 その第Ⅲ章23「善悪[1]」は、「なぜ人を殺してはいけないのだろうか」という一文で始まっています。

「まず、ごく素直な気持ちとして、殺された人がかわいそうだから、という理由が挙げられるだろうか。
 なるほど確かに、殺されて死んでしまった人はもういないから、皆と一緒に生きて、楽しいことをすることはもうできなくなる。そう思って、人はそれをかわいそうだと感じる。でも、「死」の章で考えたように、死んでしまった人自身がどうなっているのかということは、生きている側の人には絶対にわからないのだったね。もしかしたら、死んだ人は、生きている時よりも楽しいのかもしれない。あるいは、いないのだったら、何かを感じているはずがない。それは絶対にわからない。だから、殺された人はかわいそうだというのは、じつは殺された人がかわいそうなのではなくて、生きている人がかわいそうだと思っているだけだということになる。だとすると、この理由によって、人を殺してはいけないとは必ずしも言えないということになるね」

「死んだ相手と、言葉を交わすことも、触れ合うことも、何かを共有することも永久にできない」ので残念に思うのは、「生きている側の人」の気持ちです。

 今回、韓国出張の帰路、飛行機の中で『違国日記』という映画を観ました。

 主人公の女子高生アサ(朝)は、両親を交通事故で亡くします。叔母(母の妹)に引き取られ、両親のことを思いつつ、次のようにつぶやく場面があります。

「死んだあとはどうなっちゃうんだろう? 死んでみないとわからないよね」(記憶で書いているので不正確かも)

 池田の、「死んでしまった人自身がどうなっているのかということは、生きている側の人には絶対にわからない」というのは、哲学者の間で大昔から語られてきたテーマです。

 紀元前4世紀、ソクラテスは、涜神の罪で裁判にかけられ、死刑を宣告されました。判決後、裁判員に向かって、大略、次のように述べました。

「皆さんは死を悪いことだと考えているが、生が善いことなのか悪いことなのか、人間には知りようがない。もしかしたら善いことかもしれない。死には二つの説がある。何ひとつ感覚を持たない、無のような世界、眠っていてなにも夢を見ないときの睡眠のようだ、という説。もう一つは、言い伝えにあるように、魂がこの場所から別の場所へ向かう移動や移住であるという説。前者であれば、長い人生の中で経験してきた(苦痛の多い)昼夜に比べても、得なものといえるのではないか。後者であった場合、これまでに死んださまざまな偉人や知者に出会い、話を交わすことができるのであれば、すばらしいことではないか」(プラトン著『ソクラテスの弁明』)

 池田の話は、これを踏まえたものでしょう。

 虎子の答えが「乱暴」であるもう一つの理由は、世の中で「許容されている殺人」があるのに、それを考慮していないこと。

 たとえば、同時進行していた「尊属殺人」裁判で、よねは被告の父親殺しを「正当防衛もしくは過剰防衛」と主張、一審で勝訴し、控訴審で敗訴、上告審で「刑法200条(尊属殺人の重罰規定)は違憲無効」という判決を勝ち取り、被告に「執行猶予」がつきました。

「正当防衛」というのは、単純化すれば、自分が殺されそうになったときに、反撃して相手を殺してしまうこと。これが認められると、殺人罪を問われることはありません。

 正当防衛による殺人は、「許容されている殺人」の一つです。

 もう一つは「死刑」。

 死刑の定めがある国では、重罪を犯した人を、国家が殺します。

 さらに戦争時、敵の兵士を殺すことは、殺人罪にはならず、むしろ賞賛されたりします。

 このような「許容されている殺人」を考慮に入れていないことが、虎子の答えを「乱暴なもの」にしている理由だと思いました。

(つづく)

なぜ人を殺してはいけないのか①

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