犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

『帝国の慰安婦』書評 2

2014-07-16 23:44:03 | 慰安婦問題

 書評の二回目です。(リンク

「純粋培養」された慰安婦の話


 帝国の慰安婦の冒頭の文は「慰安婦とはいったい何者か」です。この冒頭の文は本書の前半部を規定します。文は問いの形になっています。朴裕河は、いくつかの解決策も語っていますが、本書の本質は解決策提示ではなく問題提起です。問題提起がすなわち解決策になっているという構造です。著者が行っているさまざまな引用と論争は、ただ冒頭の問いに答えるためのものです。「慰安婦とはいったい何者か」。慰安婦問題に対する心情的偏向のほかに特別な知識のない普通の韓国人にとって、この問いは難しいものではありません。「日本軍に強制連行され、性の慰み物へ転落した、植民地時代のかわいそうな朝鮮人少女」です。こう答えるとき、残酷な日本軍がいやおうなく頭に浮かびます。挺身隊の少女であれ、慰安婦の少女であれ、どちらにせよ強制的に連行され、かよわい体が踏みにじられたという清純無垢なイメージの朝鮮人少女を思い浮かべます。しかし、朴裕河は、この答えに異義を唱えます。

 帝国の慰安婦は、慰安婦について私たちが持っている常識と感情――日本に対する悪感情と強固に結びついた感情――に異義を唱えます。そのような異義の効果が本書の存在理由です。朴裕河は、まるで日本政府のスポークスマンのように平然と、公権力による強制連行はほとんどなかったように述べます。主犯は破廉恥な朝鮮人民間業者であり、集団ではなく単独で慰安婦になり(P47)、しいて言えば、植民地の経済的貧困と人身売買組織の活性化など、当時の社会構造の結果(P112)に責任があるということです。そして、挺身隊と慰安婦はまったく異なると宣言します。事実関係についての朴裕河の主張には、多少の誤りがあったとしても、全体的には間違っているようには見えません。インターネットで調べてみても、朴裕河の話は嘘とは思えません。知る人ぞ知る事実でした。朴裕河は、その事実を知り尽くしていながら沈黙している活動家たちの責任を問います。

 一つの事実に対する解釈は、人それぞれです。朴裕河が見た事実は、慰安婦は多様な方法で募集され、実際、多様な人たちだという点です。一方、「日帝が幼い少女まで連れて行き慰安婦にした」という韓国人の「公的記憶」は、純粋培養された慰安婦の話にすぎず、日本に対する敵対感情と被害者意識を生むだけで、和解にはふさわしくないというのが、朴裕河の提示する解釈です。

 だからといって、帝国の慰安婦が提示している事実認識と解釈の視点が、日本の右翼のものかというと、そういうわけではありません。多くの人々が、朴裕河をまるで日本の右翼の立場を代弁する、「とても悪い」人と規定し、あらゆる非難を浴びせていますが、それは脈絡を理解せずに行っていることだと思います。著者は本書の随所で、慰安所の運営と管理を日本軍が行い、日本軍が需要を作り出し、その需要が結局、民間業者の蛮行(甘言、人身売買、誘拐、賃金のピンハネなど)を引き起こしたのだから、日本の責任は否定できないと、何度も述べています。しかしながら、日本の責任がどうして「強制連行」だけに局限されなければならないのか、なぜ韓国側でも日本側でも強制連行をめぐる議論から抜け出せないでいるのか、というのが著者の基本的な考え方なのです。

 「もちろん、軍人や憲兵に連れて行かれたケースもなくはないとみられ、個別に強姦されるケースも少なくなかった。しかし、「慰安婦」を「誘拐」し、「強制連行」したのは、少なくとも朝鮮の地では、公的には日本軍ではなかった。つまり、需要を作ったことは、必ずしも強制連行の証拠となるものではない」(P39)

 「軍が物理的に行使した「強制連行」を、文字通り「強制連行」と考えるなら、そうした意味での「強制連行」が朝鮮人を対象に行われたケースは多くないようにみえる。しかし、詐欺であれ拉致であれ、業者や女衒が「強制的」に連れて行くことが頻繁に起こっていた慰安所を維持するということは、継続的需要を創出しているという点で、共犯者であることを免れない。いわば殺人教唆に似た構造と言うほかなく、そのようなシステムを必要としたのが軍だということは明らかだ」(P152)

 さらに、文章から感じられる彼女の思想的基盤が、(いずれにせよ)進歩主義と女性主義からそれほど隔たっているようにも見えず、一方、問題の解決において、「国家主義」に期待しないという点で、日本の右翼になぞらえて著者を非難することはできません。もし朴裕河に、日本の右翼の代弁者という汚名を着せるなら、それはおそらくそのように言う人の偏った見方に起因する「心理現象」なのだろうと思います。

朴裕河は何を指摘しているのか

 世の中には二種類の嘘があります。事実に対する意図的操作には、なかったことをあるかのように「騙すやり方」と、事実の量や質を「誇張するやり方」があります。虚像を生むという点で、どちらも同じような嘘の効果をもたらします。わたしたちが嘘だと非難するとき、ふつう虚偽と捏造を伴う前者のような嘘を指します。このような嘘は、ばれれば道徳的な非難を受けます。精神病理的兆候があったり、過度の欲望に支配されているわけでないなら、人々はその種の嘘を好んでするようなことはありません。そのような嘘は、人間に良心の呵責を引き起こすからです。しかし、後者の嘘は簡単ではありません。いくぶんかの事実に基づいているため、良心が咎めるということがありません。むしろ、自分の良心から来る信念が介入し、事実と誇張がスムーズに、自然に結びつきます。この場合、発言者は、自分が嘘の証言をしていると思っていないかもしれません。後者の嘘がもたらす危険性は認識されにくいです。

 下の絵は、小学校一年生の娘がパソコンで描いた絵です。この絵を見た感想を述べて「三角形が多かった」と言えば、たんなる嘘です。三角形はありません。ところが「四角形が多かった」と言えば、聞いた人は首をかしげます。さらに、「四角形のお祭りが描かれている」と、この絵を見ていない人に説明するならば、これ誇張による嘘です。四角形があることはあります。しかし、四角形が多いとはいいにくいです。「四角形のお祭りが描かれている」と言えば、さまざまな四角形でいっぱいのイメージが頭に浮かびます。そうしたイメージは、いろいろな形や色の円の存在を思い浮かばせることはできません。このように、誇張による嘘は、「他の可能性」と「他の存在」を忘れさせます。

(イラストはリンク先をごらんください→リンク

 人間の言語は、もともと誇張の性格を帯びています。比喩は誇張であり、誇張しなければイメージが持てず、またはっきり説明できないような気がするのです。文学が誕生し、芸術が盛んになった背景には、言語の誇張性――思考の誇張性と言うべきかもしれません―― があるのかもしれません。それは誇張のよい面です。誇張の悪い面もあります。誇張は、社会関係で憎悪の感情を刺激し、敵対感情を引き起こします。誇張が加工したイメージは、不安と恐怖が純粋な嫌悪を生み、そのイメージの激しい吸引力により、人々は、他の可能性と、他の存在を忘れてしまいます。敵対感情は過激化され、集団的感情に発展し、局地的衝突は戦争につながることもあります。誇張による嘘は、自発的に行われます。お互いがお互いを触媒にしながら、だんだん強くなり、最終的に存在は「去勢された存在」へと歪曲されます。望ましい存在だけが残り、望ましくない他の存在は去勢されます。

 嘘に関する私のこのような考えを、「帝国の慰安婦」の著者が呼び起こします。朴裕河は、慰安婦に対する韓国社会の公的記憶は、誇張による嘘によって加工されたイメージであることを暴露します。慰安婦の姿は多様なため、ある一つのイメージに固定されがたく、日帝に立ち向かう純粋で幼い朝鮮少女という慰安婦のイメージは、代表的なものではないと述べています。朴裕河の主張は、そのような公的記憶が、ありもしない事実の捏造だと言っているわけではありません。朴裕河は、騙すやり方の嘘を暴露するのではなく、誇張による嘘を指摘します。慰安婦の大多数は二十代以上であり、十代の少女を象徴化することに問題があり、公権力によって強制連行されたという慰安婦の証言はなく、そうではなくて人身売買組織による個人的な誘いだったのであり、設置された慰安所の状況によって彼女たちの生活は異なっており、彼らの精神世界が日帝に抵抗する闘士のものというより、あたかも国家によって徴用され、いつ死ぬかもわからない日本軍の兵士と、同じ境遇を分かち合っていた部分もあるという点を、彼女は述べます。それゆえ、90年代初頭から広がり、今は確固たるものになった慰安婦に対する韓国人の公的記憶は、ひどく誇張されたものだというのが、結局のところ、「帝国の慰安婦」の著者の考えなのです。

(つづく)


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4 コメント

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Unknown (トムヤム)
2014-07-21 13:09:51
朝鮮日報にも書評が載りました。
本の内容は史実としては大筋認めながらも、慰安婦問題は外交カードとしては捨てられないというところでしょうか。

http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/07/19/2014071900902.html

北朝鮮の拉致問題が進展しようとし、挺対協の下部組織が米軍慰安婦の訴訟を起こしたことを考えると、李栄薫教授が土下座をさせられた頃とは状況が変わりつつあるようにも思えます。
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書評 (犬鍋)
2014-07-21 21:30:15
書評の紹介、ありがとうございました。

私は明日からひさしぶりのタイ出張です。
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「歴史」の事実とは何か。 (mopetto2012)
2014-07-28 00:39:40
朴裕河氏は、『和解のために』にて大佛次郎論壇賞を受賞しています.

その著書『和解のために』は、歴史家によって歴史の記述の誤謬が多々指摘されていたのですが、『帝国の慰安婦』では、歴史問題とされている箇所への言及が具体的になりました。

その勇気ある?言動のために、図らずも、朴氏が歴史に関しては網羅的な知識をもっていないことが明明白白になってしまいました。

今年の夏、朝日新聞社より刊行されるのだそうですが、具体的に指摘している分、論争は喧しく沸き起こり…かつ、誤謬は、ことごとく指摘されることになると思います。
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歴史の記述の誤謬 (犬鍋)
2014-07-29 01:23:27
実は、私は、「和解のために」もまだ読んでいないので、その中に「歴史の記述の誤謬」がたくさんあるかどうかもわかりません。

書評者のiamwooさんは、

「事実関係についての朴裕河の主張には、多少の誤りがあったとしても、全体的には間違っているようには見えません。インターネットで調べてみても、朴裕河の話は嘘とは思えません。知る人ぞ知る事実でした。」

と書いていますが、iamwooさんが歴史に無知だからでしょうか。

書評に引用されている部分に関して言えば、誤謬はほとんどないと思いますが。
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