以前、高田馬場のマンミャンマーというミャンマーレストランのことを書いたことがあります。(→リンク)
その後、この店は1年のうちに二回代替わりしています。一か月ほど前に、久しぶりに来てみると、ハッピーアワーというのができていて、午後7時までは生ビールが250円。その後、会社を早く出られたときはときどき行くようになりました。
何人か、顔見知りのミャンマー人もでき、ミャンマーについていろんなことを教えてもらいます。この日、来ていたのは、この店を初めて訪れたときに会った、奥さんが韓国人の年配の男性です。
「やあ、ひさしぶり」
「あ、ごぶさたしています」
お決まりの生ビールにコーピヤンジョー(春巻き)を注文。
「この店、最近メニューが変わりましたね」
「うん、ぼくのふるさとの味だ」
今の厨房のおばさんも、この男性もカチン族だそうです。
「家では、奥さんはどんな料理作るんですか」
「韓国料理が多いね」
「韓国料理は好きですか」
「もちろん。作るのも妻よりぼくのほうがうまいよ。ずっと焼き肉屋やってたからね」
男性は、ビルマ北部のカチン州で高校の化学の先生だったそうです。1988年の民主化運動に加わり、大弾圧のあったあと、身の危険を感じて日本に亡命。
「英語ができたから、本当はアメリカ行きたかったけどね、ビザが高くて」
東南アジアではよくあることですが、高校の理科系の授業は教科書も授業で使う言葉も英語。だから英語ができたのですね。
ビザといっても正式のものではありません。業者が売る不法ビザ。日本のビザは手の届く金額だったので、日本行きを選んだ。
「でも、僕が行く少し前にいった人が、不法ビザがばれて追い返されたから、成田の入管ではヒヤヒヤだったよ。全財産をはたいてビザを買ったからね」
日本に先に来ていた、たった一人の友人を頼って、単身、まったく言葉の通じない日本に来たのが1992年。以来、ずっと不法滞在状態で、正式な「難民ビザ」を取得できたのが4年前。皿洗いから始めて、ある焼き肉屋さんで20年以上働き、最後は料理長になるまでになったそうです。そのときに出会ったのが、韓国からの留学生で、今の奥さん。
「奥さんとは日本語ですか」
「そう。妻はミャンマー語が話せないし、僕は韓国語ができないから」
「お子さんも日本語ですか」
「うん。妻はいずれ韓国語を教えたいと言ってるけどね」
上のお子さんは中学2年生。サッカーが好きで、すでにクラブチームから目をつけられているほどの実力だそうです。
少しして、お店に日本人の男性客が一人で入って来ました。この男性が店の人とミャンマー語を話し始めたとき、カチンの男性はびっくり。
「すごいなあ。こんなミャンマー語のうまい日本人は初めてだ」
聞けば、ミャンマー語学習歴15年。ミャンマーには3回行ったことがあるけれども、住んでいたわけではないとのこと。それが今は通訳をこなすほどの実力で、あの複雑なミャンマー文字の読み書きもできるんだそうです。
「今度、ゆっくりお話を聞かせてください」と私。
「じゃ、また3人で飲もうよ」とカチンの男性。
「そうしましょう」
こうした出会いが、ミャンマーレストラン巡りの楽しみの一つです。
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私のミャンマーに関する情報はタイ史を通してのものでしかありません。
インドシナ半島は名前の通り、インド文明と中国文明が混在しており、ミャンマーも両者の影響を受けて、言語・宗教・食べ物などなど複雑な構成になっているであろうことは推測できます。
ミャンマーに関する情報はあまり目に触れることもなく、犬鍋さんならではの切り口での記事に期待しています。