台湾から叔母と従姉妹が来ました。 叔母は80歳に近い高齢にもかかわらず今も達者です。台湾で長らくやっていた太極拳のおかげでしょうか。2年に一度くらいは来日します。 従姉妹とは20数年ぶり。私の結婚直後,まだ長女が生まれる前に,夫婦で台湾に遊びに行ったときに会って以来です。私が韓国駐在中も日本に何回か来たそうですが会う機会がなかったし,今年2回台湾に出張したときも,日程がつまっていて会えなかった。 . . . 本文を読む
奥さんの病状が悪化してきた中国人の友人。(→リンク)「今日は病院行くの?」「いえ,明日行きます」「じゃ,一杯やろうか」というわけで,件のタイ料理屋へ行ったのでした。「で,ご両親には話したの? 結婚のこと」「いえ,まだです。父はとにかく大反対だから」「そう。一人っ子だからね」「僕は一族の中で唯一の息子なんですよ。子どもが産めないのは困るって。それに僕が苦労するだろうからって」 韓国と同じ儒教的な考 . . . 本文を読む
一週間ほど前に見つけたタイ料理屋さんに,中国人の友人と行きました。 池袋にあるタイ家庭料理の店,タワンドーン。タワンは太陽,ドーンは日が昇ること。タイ人のアジュンマが一人でやっているこぢんまりとした店です。「先週の土曜日も来たんだけど,閉まってたね」「昼はやらないのよ。夜だけ」 連れとメニューをめくりつつ,シンハービールに,蟹のカレー炒め,タイ風オムレツを頼みます。「空いてるね」「日本は不景気で . . . 本文を読む
先頃結婚した中国人の友人のため,先日,そのお祝いに二人で飲みました。 前に行った四川料理の隣にある「延辺料理」。メニューは新大久保とほとんど同じだけれど,羊の串焼きを厨房で焼いて持ってくるのが,やや興醒め。ただし,肉質はこちらのほうがいいようです。「今日はキョロンチュッカ(結婚祝賀)だから,なんかサービスして」 朝鮮族アジュンマに言うと,「それはおめでとう」と言って,この店で一番人気だというチョ . . . 本文を読む
帰国の直前にあいさつを兼ねて飲みにいって以来,ロケーションが悪いので行けなかったバー。夜到着の金浦空港から,地下鉄5号線で通り道だったので,ちょっと寄ってみました。 場所はオモッキョ(梧木橋)駅から徒歩2分。スーツケースを引きずって訪ねると,店は健在でした。「あーら,犬鍋さん。お久しぶり。どうして連絡くれなかったの?」「えっ,電話したけど,出なかったじゃない?」「うそ。私,必ず電話とるわよ」「前 . . . 本文を読む
北倉洞のとあるバーに,片言の日本語を話すアガシがいました。年のわりに若くみえますが,世間擦れしていないし,水商売には似つかわしくない,ふつうの感じの女性です。「会社勤めすればいいのに」「だめなのよ,私,学歴がないから。普通の会社じゃ雇ってもらえないわ」 最初は言葉を濁していましたが,聞くとどうも中学しか出ていないらしい。いまでこそ,韓国の大学進学率は80%と,世界に冠たる高学歴国家ですが,198 . . . 本文を読む
私はわりと義理堅いほうで,飲み屋も特定の店に長く通うことが多い。そのため,何軒かのいきつけのバーのママさんとは,長いつきあいということが少なくありません。といっても,同じ店が何年も続くというのは稀で,店そのものは転々とします。 今回登場のママさんは,2002年ワールドカップのころに会ったから,かれこれ5年ぐらいのつきあいです。 そのころ,私は武橋洞のカフェに通っていました。そこにいた20歳のアガ . . . 本文を読む
私が韓国に赴任して一年ほど経ったとき,わが事務所のある建物の地下に日本式トンカツの店がオープンしました。 早速行ってみると,巷にある韓国式ワラジトンカツではなく,完璧な日本風。しかも,新宿サボテンのような衣が肉の二倍あるようなタイプではなく,衣が薄手の私好みのトンカツでした。値段もロースカツ定食6000ウォンと,特別高いわけではない。 何回か通ううち,店の主人と親しくなりました。 ご主人,日本に . . . 本文を読む
チョウンセンガクのこの記事(→リンク)を読んで,私が韓国に赴任してから知り合った,ある韓国人のことを思い出しました。彼,韓国のとある会社で広報用のビデオ製作などの仕事をしていました。ここでは仮に朴君としておきましょう。 朴君は,韓国の大学で日本語を専攻し,軍隊に行ったあと,「ぼくのやりたいのは映像だ!」と思い立って,日本に留学。専門学校で映像技術を身につけて,帰国後,希望通りの職を得ました。「で . . . 本文を読む
さて,私が陰ながら協力した「日本マンスリーレポート」も多少の役には立ったのか,李君,持ち前の行動力を発揮して秘書としての実績を積んでいきました。 時は金泳三(YS)時代。 YSは釜山の南,巨済島の出身。李君が仕えていた議員はYSの盟友というべき長老で,政界に隠然たる力をもっていた。 ある日,先生の紹介で李君は「大統領秘書官」として取り立てられることに。まあ,大統領の秘書官というのは100人以上い . . . 本文を読む
私がソウルに赴任したとき,李君から電話があり,飲み会に呼ばれて行くと,すでに数人の日本人駐在員が集まっていた。「李○○君後援会」の結成式だという。「おい,そんな話聞いていないぞ!」 でもまあ,みんな冗談半分で「頑張れ,李君。大統領を目指せ!」などと囃していました。「ぼくが大統領選に出馬した暁には,1000万ウォンぐらいは出してくれますよね」 みな酔った勢いで「いいとも~!」 その日の夜の惨状につ . . . 本文を読む
最近のアンケートで,韓国の子どもたちがなりたい職業の一位は芸能人,二位先生・学者,三位医者・看護婦だそうです(→リンク)。 でも,軍事独裁政権時代,韓国の男の子たちは,大統領,軍人と答える子が多かったらしい。 私が日本で知り合った韓国人留学生の中にも「ぼくはいずれ大統領になる」と公言してはばからない青年がいました。 ここでは仮に,李君としておきましょう。 幼稚園児ではなく大学生の言うことですから . . . 本文を読む
(人生いろいろ~海苔屋の社長一代記①より続く)「しかし,お前,出世したなあ。こんな立派なアパート(=マンション)に住んじゃって。昔,奥さんから電話もらったときはどうなることかと思ったぞ」「あら,覚えてますか。恥ずかしいわ。あんな電話しちゃってごめんなさいね」と奥さん。 以下,奥さんが話してくれたのは…。 帰国後,旅行会社がつぶれたあとにやっていた印刷屋は,時あたかもIMF管理体制に入って,一気に厳 . . . 本文を読む
私が韓国に赴任する前,かなり多くの韓国人留学生にアルバイトとして働いてもらったことがある。 以来15年,真面目に勉学に励み韓国に帰って大学教授になった人,目指したけどなれなかった人,普通のサラリーマンになった人,あるいは政治家を目指した人,一流企業に就職したものの道を踏み誤って破滅型の人生を転げ落ちていった人……。 人生いろいろです。 その中に,今,南大門市場で日本人観光客相手に海苔を売っている . . . 本文を読む