私はわりと義理堅いほうで,飲み屋も特定の店に長く通うことが多い。そのため,何軒かのいきつけのバーのママさんとは,長いつきあいということが少なくありません。といっても,同じ店が何年も続くというのは稀で,店そのものは転々とします。
今回登場のママさんは,2002年ワールドカップのころに会ったから,かれこれ5年ぐらいのつきあいです。
そのころ,私は武橋洞のカフェに通っていました。そこにいた20歳のアガシが,店を変わるといっては電話をよこす。それで,武橋洞から汝夷島(ヨイド),明洞(ミョンドン)と渡り歩きました。
そして,4軒目の北倉洞(プクチャンドン)のカフェで出会ったのが今回のママ(仮に鄭ママとしておきましょう)。なんでも,そのときが初めての水商売だったようです。
その後,最初のアガシとその友達,そして鄭ママ(そのときは一介のアガシでした)は店を辞め,3人が共同出資して,明洞にバーを開くという。テーブルが4つのこぢんまりとしたバーでした。
鄭ママは若く見えたものの,実際の年齢は30代後半でした。最初は3人仲良く,賑やかにやっていたものの,だんだんすきま風が吹くようになる。若い二人のアガシがいないときには,鄭ママの口からいろいろな愚痴がこぼれます。
「あの子たち,わがままなのよね。嫌なお客さんのテーブルには行かないし,めんどくさいアンジュ(果物)は作らないし。まあ,私はこういう仕事に慣れていないけれど,あの子たちは経験もあるし,自分のお客さんも持ってるからあんまり言えないんだけど…」
長幼有序の価値観が重視される韓国。15歳も年下のアガシたちの行動に,いちいち腹が立つのは無理もありません。
鄭ママとほかの二人の仲が決定的に悪化したのは,やはり金銭問題がきっかけでした。
お客さんが多くて収入が安定していれば,ちょっとした不満も表面化しませんが,明洞という立地でバーを経営するのは難しい。通りを闊歩するたくさんの若者はお金がないので,ビールとウイスキーが主のバーには来ない。会社の経費が使える近隣の会社の管理職が主たるお客さんです。しかし,2003年ごろの韓国は長期不況が深刻化していた時代。交際費も切り詰められ,客足がとだえがちです。そして,アガシたちは辞めると言い出す。ついては,自分たちが出資したぶんを返せと。
鄭ママにはそんな金,あろうはずもなく,結局は店をたたみました。
しばらくして,鄭ママから電話があった。北倉洞にまたお店を出したから,遊びにきて,と。行ってみると,最初にママに出会ったカフェではありませんか。なんでも,もとのママが経営難で夜逃げし,店を相当に安く売りに出した。それを買った(権利金を払ったという意味)とのことです。
やや怪しい雰囲気のカフェで,女の子の中にはイチャ(二次=店外デート)に行く子もいるという。アガシを5~6人置いていました。
「明洞とは大違いよ。ここはとても儲かるの」
(じゃあ,なんで昔のママは行き詰まったんだろう)
ちょっと高めだったので,私はあまり行かなかったのですが,あるとき行ってみるともうすぐ店を閉めるという。
「税金を収める時期になって,初めてわかったんだけど,私,知らなかったのよ,あんなに税金を払わなくちゃいけないなんて。本当は税金分をアガシの給料から差し引いておかなくちゃならなかったんだけど,いまさら返せとは言えないし。とても,お店は続けられないわ」
アガシを置くようなカラオケは,普通のバーとは段違いに高額の税金が課せられる。税金のことを何もわかっていない,素人経営者の悲劇です。
そしていつしか鄭ママとは連絡がとだえ,約一年後,今度は,麻浦のビジネスクラブに,一介のアガシとして勤めていました。
(ここまで堕ちたか…)
ある土曜日,お店に出勤する前に食事に誘ったのですが,そこで初めて身の上話を聞きました。最初に北倉洞で働き始めたのは,離婚した直後だったこと(原因は旦那の浮気)。娘を二人(中学校と小学校)を養うためには,ああいうところで働くのもやむをえなかったこと。
「今は,けっこう収入あるのよ」
「ひょっとして二次も行くの?」
「いや,だめよ,私はアジュンマだから」
(バーのときより濃い化粧,あでやかないでたちは,20代でも通用しそうだけど…)
「でもサービングだけでも300万以上は稼げる。バーのママよりずっといいわ。でもこんな仕事,あと何年もできるわけじゃないから,今,お餅作りを習いにいってるの。いずれお餅の店を出そうと思って」
そして,今から一年ほど前,メールを送ってみると,店を出したという。お餅の店かなと思いきや,またもバー。今度に新興住宅街の木洞です。そしてよせばいいのにまたも共同経営。
(懲りないなあ…)
そして,案の定,事件が勃発。店のアガシが
「サイパンに旅行したいんだけど金がないから給料を前借りしたい」
と。聞けば,共同経営者のもう一人のママもいっしょに行くという。不審に思ったものの,金を出したら,二人で雲隠れ。共同経営者が出すはずだった資金も,全額もらっていないという…。
しかし,よくもこう立て続けに騙されるなあ。そういう星のもとに生まれたのでしょうか。
その後,何回,メールを送っても返信なしが続いていましたが,今回,日本帰任の連絡をするとやっと返信が来た。フグの送別会のあと,足を伸ばして挨拶に行きました。
「クドンアン,チョンマルヒムドゥルゲサラッソヨ」
(その間,ほんとに苦労したわ)
「いまはやっと落ち着いたけど。まだ娘が高二と中一だから,この子たちを大学出すまで頑張らなくちゃ」
本当に頑張ってほしいと,心から思います。
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水商売に順風満帆の人生ってなさそうですよね。
華やかな衣装と化粧の裏にどんな世界があるのか?
知ってみたいよな、怖いよな...
今度、私の一時帰国の際は山元君も交えて
埼玉でぜひ飲みましょう。
お元気で。
>延世大留学生さん
こちらこそお世話になりました。
一時帰国の際は連絡ください。