日々ふさおまき

走って跳んで歩いてます。

6月19日は東京マスターズ陸上 リレー練習も

2011-06-19 22:27:41 | マスターズ陸上(オス)

15時からの仕事が少し早めに終わりました。

17時からは東京マスターズリレーチームの練習が織田フィールドで行われる旨の

メールが回っていました。半ばあきらめていたのですが、

仕事を早く終えてくれたスタッフのおかげで(もちろん私のリレー練習のために巻いてくれたわけではありませんが)

夕方の富ヶ谷を織田フィールドへ向かうことができました。

40代、50代、60代。来ています来ています。

リーダーのNK西さんの人望でしょう、一目で韋駄天振りがわかるメンバーたちです。

それぞれにアップをし、初参加の私はリーダーにJOGの段階からいろいろ指導をうけます。

どうやら私は跳ねすぎるようです。プッシュというよりジャンプ。

JOGの間はまだいいようですが、流しになると、行き過ぎた足首の返しが、反対脚の戻りを遅くしているとの

お見立てでした。

地面から離れる瞬間をもう少し手前にすれば返しが早くなるはず。

そして、地面の反力は、そこまでで十分にもらっているはず、というのが指導の根本です。

そうですね、私はやはり土グラウンドの幅跳び選手なのですね。

地面が滑る土グラウンドでは、しっかり踏ん張るためにも接地時間が長くなります。

しかしタータントラックは違うのです。グリップした針が固定してくれる一瞬で反力を地面からもらい、

跳ねるよりも前方にエネルギーベクトルを向けることを良しとします。

このあたりの脳の指令感覚を修正していくには少々時間がかかりそうですが、

なんとか取り組んで行きましょう。

 

バトンパスも実施。私は4走という設定で、コーナーで受けます。

最初は20足長でつまりすぎ、22足長にするとジャスト。

3走で渡してくれたNK西さんにも背中を叩いて褒めていただきました。

 

皆さんが練習を続ける中、18時30分~は後輩のH君一家と、

イタリアンで送別会。

早めに抜けさせていただき、

愛すべきお嬢さんを2人育てているご夫婦と、楽しい夕べの語らいを

過ごすのでした。

 

(おまけ)

織田フィールド開放状況 最新版

 

 


東京散歩の新宿

2011-06-19 14:22:51 | ふさおまき(オス)日記

一人休日二日目。朝から床屋でさっぱりした後、馬場ビッグボックスのジムにに移動してタッブリ筋肉のケアをしました。

ボールで背中を伸ばしたり、鉄棒にぶら下がって骨盤を縦にしたり。そして全てのマシーンに取り組んで、上半身下半身体幹の筋肉を引き締めます。

2時間やると、本当にリフレッシュします。いかに走るという行為が偏った体使いなのかを実感です。

ハムストリングや腰が痛いのは、ストレッチが足りないだけではなく、一部だけ筋肉を鍛えるものだから、

反対側に関節が引っ張られて痛みになるのでしょう。

アキレスも、足首周囲を使うようにすれば、より回復が早くなるかもしれません。

お風呂もゆっくり入って、いい湯だな。

体重も59キロ、変わりありません。

お腹がすいたので、さあ何食べるかな?でも夜は友人家族と会食だし食べ過ぎるわけにもいかず、

麺系にしよう!とまでは決まっても、ラーメン大国高田馬場では迷うばかり。

大阪系だという「四天王」は脂ギトギトのトンコツのようなので今日はパス。

戸山口ガードを越えて裏手に回った「俺の空」は列が出来ているし、量が多そうな気配。だって、入り口横に

プロレスの試合のポスターが飾ってあるんですから。

そうなると、山手線沿いをパナソニックシアターだとか団地だとかの飲食店不毛地帯を通り抜け、

新大久保に向かうことになります。新大久保ならかつて2軒ほど通った蕎麦屋があります。

そのうちの一軒「百人町 近江屋」に入りました。ここは、町場のそばや感と江戸の粋をうまくミックスした感じで、

居心地も味も"良好”といったお店です。

奮発して天ザルを注文、大きな海老がどーんとついてきます。

そばはふわっとした香りを残し、角が立つほどではない緩めののど越し。やさしくて痛くありません。

長っ尻は不調法と、さっさと席を立ち、駅のほうへ。仕事が始まるまでは2時間ありますので、

せっかくはじめた

「東京散歩」を続けることにしました。

新大久保は12年ほど前に、新宿7丁目に済んでた関係で、しばしば利用する駅でした。当時からワールドワイド感が

ありましたが、今はもうほぼ韓国一色。

ある意味、原宿です。韓流スターのお店は上京した女の子がたくさん並び、

韓国巻き寿司のお店は家族が行列、健康ドリンクの広告にはKOREA製品とそれをもつ韓国美女。

食材店も、キリスト教会もあります。

そうしたお店が、明治通りまでの数百メートルの両側にびっしりと並び、女の人があふれかえるのです。

これはまあ、かなりの驚きでした。

歩くのにも大変なその通りを抜け、明治通りを越えると左手に戸山団地・・

老人居住者率が高くなったことで

知られた団地を見ながら、記憶の端にあった洋菓子店BONBONの角を曲がって、マンションやアパートの多い

一帯へ入ります。かつてすんでいた頃でも、朝や日中には人が少なかったのですが、今回はあまりに新大久保駅前が

混雑していたものですから、その静けさは悲しさを覚えるほどでした。

もちろんかつてすんでいたアパートは取り壊され、いまやどこにあったかさえもわからない状態になっています。

ふぐの名店といわれた三浦屋さんだけを再訪の証にして、この町を後にしました。