小田原城の北条氏攻めの際に、武田信玄はこの相模エリアを通ったらしいが、その際立ち寄ったこの“ほしのや”の地をすっかり気に入り、幕府を開くには最高のロケーションと踏んだらしい。何とも歴史ロマンのある話だ。この話を知って、武田信玄ファン、そして城ファンとしてはどうしても訪れてみたくなったが、その場所は座間市駅近くの“座間市谷戸山公園”として整備されているというので、まずはきなこを相棒に、訪れてみることにした。谷戸山公園は自宅から246を車で南下して40分ほど。距離的にはそう遠くないのだが、246がどうしても混雑するので意外と時間はかかってしまう。
谷戸山公園の北口駐車場に車を停めて、散歩に出発。駐車場のトイレまで気分を盛り上げてくれるデザイン。
ここからすぐの高台が、今回最大のお目当てである“伝説の丘”と呼ばれる場所。谷戸山公園で一番高い場所で、まさにここから武田信玄が相模川方面を眺めて、幕府の場所として相応しいと感じた場所だというのだ。丘の上には伝説の丘と書かれた杭が建っている。
確かに伝説の丘から見た眺めは、ちょうど背後に丹沢と箱根の山々がそびえ立ち、その前に相模川が見える。今は手前に建物などが多くて若干見え辛いが、恐らく当時このエリアは何も無い天然の広い丘であった筈で、目の前を遮るものは殆ど無かったに違いない。しかも、相模川は今でも大きな川だが、当時はもっと水流が多く、今よりも幅広くスケールも大きかったのでは無いかとも考えられる。武田信玄の気持ちになったつもりで考えてみたのだが、この抜けた壮大な景色と背後の山々は、ちょっと昨年城旅行で訪れた甲府盆地の景色にも似ているような気がした。武田信玄は、この土地が地元甲斐の国にも似たものを感じて、気に入ったのかもしれないと思った。
ここ座間エリアは当時の相模の国の内陸だが、相模川によって相模湾まで一直線の場所にて、水路を使った物流にも意外に適している。また大山街道など、江戸から名古屋・大阪方面に抜ける街道の通過ャCントという交通の要でもあるので、幕府を置くには最適な場所なのかもしれない。
谷戸山公園はとても良く整備された自然公園で、湿地園などもあってちょうど生田緑地にも似た広い大自然エリア。途中石垣などもあって、お城を築くにはとても良い場所というイメージだ。なかなか魅力的な公園であった。
この谷戸山公園の麓には星谷寺(しょうこくじ)という坂東三十三ヶ所第8番札所。入口には2体の迫力ある仁王像が。
重要文化財の鐘もあり、とても良い雰囲気のお寺であった。
境内には”星の井戸”というのも残っていた。
今回、『ほしのや』の伝説の丘を訪問出来て、とても良かった。今回正式に城址というわけでは無いが、武田信玄が病死せず、天下をもし統一していたなら、この場所に巨大な幕府と城が建てられていたかもしれない場所にて、何だか歴史ロマンに触れることが出来て感無量であった。
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