プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

ネオテニー説について(1)

2006-02-26 22:38:14 | life
「進化」とはなんだろうか。

大辞林(三省堂)によれば、

「生物は不変のものではなく、長大な年月の間に次第に変化して現生の複雑で多様な生物が生じた、という考えに基づく歴史的変化の過程。種類の多様化と、環境への適応による形態・機能・行動などの変化がみられる。この変化は、必ずしも進歩とは限らない。」

とある。進化論と呼ばれるものはいくつもあるが、必ずしも一つの進化論で、すべてが説明できるとは限らない。

昆虫の擬態などは実に巧妙で、長い年月の末に獲得したものとはいえ、「自然選択説」や「突然変異説」などで語られるほど生やさしいものではないだろう。

では、「進化」の反対は何であろうか。

地球の生物が、長い年月の末に現在の多様な生態系に至ったとすれば、現在の我々もまた地球の歴史の一部である。

そしてまた、現在も我々は進化の過程にあるといえる。

「進化」の語義からすれば、「進化」は一方向にのみ進み、「退化」もまた「進化」の一部である。

進化の過程に退化が存在しうるからである。

その意味では、「進化」の反対は「退行」である。

例えば、サルからヒトへ進化したときに、尻尾は退化したとされる。

この「サルからヒトへ進化した」ということについて、サルの幼形がそのまま成熟してヒトになったというのがネオテニー説である。

ネオテニー説は、ヒトの脳の容積や、ヒトの体毛が無いことなど、ヒトの特徴について、発生生物学的に説明してくれる。

その意味では、少々ショッキングな言い方であるが、我々は、「未熟なサル」なのである。




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