プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

未来を眺める(10)

2011-11-16 21:39:12 | Weblog
1999年といえば、ドコモでiモードが開始された年であり、携帯電話のキャリアもドコモの他はツーカーやIDO、Jフォンだった時代である。第三世代通信(3G)や、折りたたみケータイもまだの頃であったが、その頃の雑誌の記事を見直してみると面白い。



なんといっても見出しが「もはや“電話”とは呼べない驚異の機能と小型ボディを獲得した最新携帯電話!!」とある。

当時の人達に、今のスマートフォンを見せたらどう思うだろうか。
はたしてスマートフォンを「電話」だと認識できるだろうか。
それ程までに、この10年での情報端末関連の進歩は著しいわけだ。

携帯電話は今や現代人にとっての外部記憶装置であり、持ち運ぶインフラであり、社会のあり方を変えるほどの破壊力を持ったコミュニケーションツールにまでなっている。

ただ一方で、携帯電話を「仕方なく持っている」という部分も少なからずある。
携帯電話は「持っている」のではなく、ややもすると「持たされている」のだ。

ビジネス上で、あるいは家族・友人との関係上、携帯電話は今やマストアイテムであり、「携帯電話を持っていない人」を探す方が難しい。解約しようと思えばいつでも解約できるのにもかかわらずである。

そもそも何で電話を持ち歩かなくてはいけないのか。なんで電話を常に携帯しておく必要があるのか。
そんなことを考えるのは、昔の人は携帯電話なんてなくてもちゃんと生活できていたことを思うからだ。
あるいは人間は、携帯電話を持つことで知らずのうちに「進化」を遂げたのかもしれない。

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1 コメント

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Unknown (BlackBerry App World)
2011-11-16 23:35:18
本当に懐かしいですね。
そんなことが今のスマートフォンに発展してきますね。
速く進行ですね。
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