リスク・マネジメントというものが言われて、それが色々な分野に適用できるということがわかってきた。
食品とリスクという話題については、いつかは書かなくてはと思っていたが、この事は現在進行形の部分もあり、情報が日々更新してゆくので、なかなか書けずにいた。
この未曾有の事態に、自分には一体何ができるのか、一体何が正しい振る舞いなのか、日本中にそういった思索が渦巻いている段階にある。
今まであった普通の生活と、突然目の前につきつけられた現実。
「思索」は、人間に与えられた賜物であり宿命である。「思考」をすることは無限に可能だが、同時に無限の責任がつきまとう。
我々が暗闇におびえるのは何故か。
我々がおびえているのは、暗闇そのものだ。されば、そのことを知ってしまえば、もはや暗闇を怖がる必要はないだろうか。
否、暗闇がそこにある限り、恐怖は取り除かれることはない。
むしろ、恐怖こそが、暗闇を暗闇たらしめているのだ。
話はそれたが、リスク・マネジメントとは、ある意味、「失敗学」である。
(つづく)
食品とリスクという話題については、いつかは書かなくてはと思っていたが、この事は現在進行形の部分もあり、情報が日々更新してゆくので、なかなか書けずにいた。
この未曾有の事態に、自分には一体何ができるのか、一体何が正しい振る舞いなのか、日本中にそういった思索が渦巻いている段階にある。
今まであった普通の生活と、突然目の前につきつけられた現実。
「思索」は、人間に与えられた賜物であり宿命である。「思考」をすることは無限に可能だが、同時に無限の責任がつきまとう。
我々が暗闇におびえるのは何故か。
我々がおびえているのは、暗闇そのものだ。されば、そのことを知ってしまえば、もはや暗闇を怖がる必要はないだろうか。
否、暗闇がそこにある限り、恐怖は取り除かれることはない。
むしろ、恐怖こそが、暗闇を暗闇たらしめているのだ。
話はそれたが、リスク・マネジメントとは、ある意味、「失敗学」である。
(つづく)
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