プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

年の瀬

2011-12-13 22:27:24 | Weblog
一年が終わる。「年の終わり」の意味するものは、「次の年の始まり」であり、それ以上でもそれ以下でも無い。12月31日を経験しなければ、1月1日はやってこない。ただそれだけのことである。

日常は年の暮れに向けて加速度を増し、混濁し、そしてただ1点に収束する。人はそれを年の瀬という。

師走とはよく言ったものである。「しわす」の語源には諸説あるようで、しかも正確な由来はわからないという。それでいて、人々が「師走」という言葉に感じる想いには共通するものがあるだろうから、言葉とは不思議なものである。

今年を表す漢字は「絆」だという。まぁこれしかないであろう。今年が始まった時には考えもしなかったことが、現実に起きている。各地の放射線量がニュースで淡々と伝えられる。人工放射能が、人々の生活を脅かしている。

原発事故に関連して発生している多くの理不尽さについては別の項で書くとして、ここで書くのは今年書きそびれてきたこと。

今年よくネットで聞いた言葉に、「オワコン」という言葉がある。
いうまでもなく「終わったコンテンツ」のことであり、一時的なブームが収束したものについて、短絡的に否定する時に使われる言葉である。アニメやゲームなどについて言われ出したのが始まりのようで、「テレビはオワコン」などと言ったりする。
一度「オワコン」という言葉を知ってしまうと、何かにつけて「オワコン」を言ってみたくなる傾向があるようで、実際のところ「言った者勝ち」「言いっぱなし」の様相も多くの場合、ある。
例えば「日本はオワコン」といった具合である。実際には終わっていないのだけれども、人々の興味が薄らいでおり、ほぼ終了である状態を指しているわけだ。

そもそも「コンテンツ」とは何か。直訳すれば、内容、中身という意味だが、メディアを通して人々が娯楽や教養として観賞するひとまとまりの情報のことをいう。一般的には音楽、映画、アニメ、ビデオゲームなどについて、コンテンツという言葉が使用される。
この十年余りでパソコンが一気に普及し、世の中の物の多くがデジタル化された。インターネットが普及し、スマートフォン、タブレットの普及が加速している現在、もはや新聞やCDなどという物理メディア(媒体)自体が必要のない時代にきている。

「オワコン」が暗示しているのは、新たなコンテンツに価値が見出されているという事実である。
モーニング娘がオワコン化してAKBが出てきている。mixiがオワコン化してFacebookやツイッターにとってかわられている。
結局のところメディア(媒体)によって流されているのは我々自身であり、コンテンツの内側にいるのも我々自身なわけである。
「オワコン」と言ってみたところで何かが始まるわけではないが、「オワコン」が意味するのは古いものとの決別であり、新しいものへと移行する我々の決意みたいなものがその裏側にはあるのだろう。



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2 コメント

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なろほど (ミイバーです)
2011-12-18 04:41:51
流星さんのは投稿は今の、このときをしっかり把握して話題になっているので、わかりやすく流れにうとい人間なる我々には参考になりますわー。

ちなみに「師走」は「あれこれの教師なる人が年内までに師なる仕事を終わらす為に走りまくる」からときいた事がありますがいかが?
でもいつのころよりそういうようになったのかしら・・・江戸時代あたり?違う?
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Unknown (遊星)
2011-12-18 08:33:07
師走というのはいわゆる「当て字」であるとか、「師」はお坊さんを表すとか、色々と語源があるようですよ。
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