プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

ソフトフォーカス・レンズ

2007-07-16 09:56:10 | 美術・カメラ
これが昨年の暮れに入手した、ソフトフォーカス・レンズ、キヨハラ工学のVK70R、通称キヨハラソフトである。

いまではもう販売されていないレンズで、名前に片鱗があるように、「ベス単風レンズ」ということで開発され、ソフト味のある画像を結ぶことができる。

ただ、扱いが非常に難しい。
まず焦点距離が70mmということで、普段標準レンズを使っていると、なかなかその画角に慣れることが出来ない。

そして、操作が完全にマニュアルであるということ。
レンズの回りについている絞りリングを指でつまむようにして回し、そしてピントリングを回して、「ボケ味」を調節するのだが、なかなか感覚がつかめない。

ボケを多めにしてもただのピンボケ写真になってしまうし、ボケが少なくても、結局中途半端な写真になってしまう。

したがって、最良の、味のある写真を撮るには色々と試しながら何枚も撮っていくしかないのだが、そうするとフィルム代がかかってしまうでしょ。

じゃあデジタル一眼で使えばいいのか、というと、デジタル一眼だと焦点距離がさらに長くなって、ちょっとした望遠レンズのようになってしまい、ちょっと使いづらくなってしまう。
そもそもデジタル一眼持ってないし。

さてどうしたものか。

ピクトリアリスム

2007-02-17 16:53:35 | 美術・カメラ
美術界で印象派の流れがあったころ、写真の世界では、「ピクトリアリスム」という流れが起こっていた。

今まで書いてきたように、印象主義の画家たちは、ルネサンス以降の写実主義(リアリスム)から離れ、独特のタッチで光と色彩を表現し、見る人の印象に訴える作品づくりをしてきたわけであるが、一方で、そのころ発展段階にあった写真の世界では、「芸術写真」というものの追求のなかで、「ピクトリアリスム」という、いわば絵画への歩み寄りがあったわけである。

尚、ピクトリアリスムについては、過去の記事で触れているので、とりあえずそちらを参照のこと。

ソフトフォーカスとルノワール

2007-02-10 19:33:35 | 美術・カメラ
ルノワールの人物画から受ける、温かい色調の印象。これはどこか、写真のソフトフォーカスの表現に通じるものがある。

写真技術における「ソフトフォーカス」とは、直訳すれば「軟焦点」ということになるのだろうが、像がすこしボヤけ、色がややにじみ、全体的に明るい印象になる表現効果のことを指している。結婚式の写真などでよくある演出で、画面から幸せそうな雰囲気が伝わってくるアレである。
現在でも女性のポートレート写真を撮るときに使われたりする技術だが、カメラ単体でどうやったらソフトフォーカス的な写真を撮れるのか、ということについてはあまり言及されていないと思われる。フィルターであるとか、レンズといったカメラの付属的な要素が必ず登場するのである。

そう、一眼レフカメラにはフィルターというものを装着することができ、その中にソフト効果を出すフィルターも存在する。また、ソフトフォーカス機構が備わったレンズ(Cannon EF135mmなど)もある。
最近のデジカメにも、PENTAXのK100Dなんかは、ソフト効果のデジタルフィルタが備わっているものがあるし、Photoshopなどの画像処理ソフトでも、ぼかし効果でソフトフォーカス処理が可能だ。

ただ、特筆すべきは、このソフトフォーカス効果が、19世紀後半から20世紀初頭において、「芸術写真」という運動のなかで取り上げられていたことだ。
(つづく)

ルノワールと印象派

2007-02-07 22:40:09 | 美術・カメラ
ルノワールは印象派の巨匠と言われている。
モネら、ほかの印象派の画家との親交のなか、印象派展には第1回展から参加している。
モネが風景を主に描いたのに対して、ルノワールは主に人物を好んで描いた。
後期には裸婦像などを好んで描き、印象派というよりも、自分の作風を追求していった。
ルノワールの人物画は、独特の色調で描かれ、観る者に暖かい印象を与える。
ここで再び写真の世界の言葉を借りれば、ルノワールの人物画は、「ソフトフォーカス」の表現に近い印象を受ける。

では、そもそも写真の「ソフトフォーカス」とはどういう撮影方法なのか。
(つづく)

モネと浮世絵

2007-02-04 20:58:39 | 美術・カメラ
モネは浮世絵などの日本美術の熱心なコレクターだった。
1890年、モネはジヴェルニーに土地を購入し、以後、その地で制作を続けた。
庭の池には日本風の太鼓橋が架けられ、睡蓮や柳、牡丹など日本的な植物が育てられた。この庭でモネは、晩年まで至る有名な「睡蓮」の連作にとりかかることになる。

さて、実際のモネの作品は、浮世絵のはっきりとした色調とは異なり、対象をぼやかして描く、印象派独特の表現の方法をとっている。

モネと浮世絵。この2つを「写真」の言葉で論じてみれば、「浮世絵」はほぼ画面全体にピントが合っているのに対して、「モネ」の作品は、どこにもピントが合っていない、ある種「ピンぼけ」の状態といえる。
そしてこの「ボケ」が、印象派の特徴と言ってもいいだろう。

ゴッホと浮世絵

2007-02-01 23:04:43 | 美術・カメラ
ゴッホは印象派や日本の浮世絵に影響を受けたが、その作品は独創的な画風と独特の世界観をもっており、現在では極めて高い評価を得ている。

浮世絵は版画の技法によるため、その表現は当然平面的なものとなる。そしてさらに、浮世絵を平面的たらしめているものに、影の表現がみられない、ということの指摘がされている。

ゴッホの作品の中にも、「影」の存在が抜け落ちているものがある。
今まで、ゴッホの作品を観たときに、何か違和感のようなものを感じていたが、そういうことだったんだ。
ゴッホの作品は、絵の具を厚く塗って、立体的に見える部分もあるのだが、一方で、影を描かないことによって、絵が平面的に表現されている部分もある。こういったことが、ゴッホの絵の独特な雰囲気につながっているのだろう。
そしてそこには、ゴッホと浮世絵の関係が、背景としてあるのだろう。

印象派とジャポニズム(2)

2007-01-29 22:27:56 | 美術・カメラ
のちに印象派と呼ばれる若い画家たちが、伝統的な絵画から脱却し、新しい光の表現を追及しようとしていたのが1860年代のパリである。

一方、長かった鎖国政策が解かれ、日本の美術は1867年にパリで開かれた万国博覧会で紹介される。
また来日したヨーロッパ人が日本の美術品を持ち帰ったりして、フランスでは一つの「日本ブーム」が起こる。
なかでも浮世絵が高い評価を得、とりわけ北斎と広重は絶賛された。

浮世絵は、はっきりとした図柄と、大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴であると言われる。広重の「東海道五十三次」のように、遠近法も取り入れられた。
時代が進むと、写真技術や印刷技術の発達により、次第に浮世絵産業は衰えてしまう。
しかし、写真や印刷のおかげで浮世絵がヨーロッパに知れ渡った側面もあり、歴史とは皮肉なものである。

印象派とジャポニズム

2007-01-26 20:36:05 | 美術・カメラ
モネ<<ラ・ジャポネーズ>>(1876)

印象派を語る上で、ジャポニズム(ジャポニスム・日本趣味)を抜きには語れないだろう。
ジャポニズムとは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本の影響を受けた西欧芸術におけるひとつの現象のことである。
ジャポニズム、特に日本の浮世絵は印象派の画家たちに多大な影響を与えた。
モネは熱心な浮世絵のコレクターであり、当時流行していた日本趣味をモチーフにした絵画も描いている。妻カミーユの着物姿を描いたこの<<ラ・ジャポネーズ>>は、第2回印象派展で大きな話題を呼んだ。
ゴッホはポスト印象派として位置づけられているが、やはり浮世絵に強い影響を受け、忠実な模写も行っている。

印象派は、ルネサンス以来の写実主義から開放され、光と色彩を強調して「見た感じ」の面白さを追求する独自の絵画表現を追及した。そこには、浮世絵的な画面構成や色彩感覚なども色濃く影響している。

浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成は、やはり19世紀末にヨーロッパで花開いた新しい装飾美術であるアール・ヌーヴォーにも影響を与えたといわれている。

このようにして、印象派に端を発した西洋美術界の一大ムーブメントは、近代美術から現代美術へと至る大きな潮流を生み出す。

開国とともに、日本の文化がジャポニズムとして西洋諸国に紹介されたわけで、その意味では日本は美術の輸出国であったわけだ。
ただ、西洋でジャポニズムが起きていたころ、明治維新後の日本は文明開化によって急速な西欧化が起こっていたことは言うまでもない。

第1回印象派展

2007-01-23 21:03:39 | 美術・カメラ
第1回印象派展は、1874年に開催された。
印象派展は、作品発表の場を求め、みずからの作品の販売を望む、若手画家たちによる試みとして始まった。
中心メンバーには、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、シスレー、セザンヌなどのそうそうたる顔ぶれが連なっている。しかし、この当時、この画家たちの知名度はほとんどゼロに等しかった。

「第1回印象派展」の正式な名称は、「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」である。
このとき、展覧会にはモネの「印象、日の出」が出展されていた。
展覧会を観た批評家のルイ・ルロワは、モネの「印象、日の出」という題名をもとに、「印象派」と揶揄して彼らを呼んだ。このことが「印象派」という名前の由来となる。

印象派展に参加した画家たちは、当時のサロンに代表される体制に反発する意味もあったが、あくまでの目的は、自分達の作品の売却であった。にもかかわらず、「印象派」の作品は当時の批評家に酷評され、実際には絵の買い手はほとんどつかなかったという。

印象派の幕開け

2007-01-20 20:36:58 | 美術・カメラ
写真の技術が進歩する一方で、西洋の美術界では、大きな変革が起きようとしていた。
印象派の誕生である。

権威のようなものからの脱却をはかり、みずからの表現を追い求めた印象派の画家たちの試みは、ポスト印象派、新印象派などの広がりをみせ、またキュビスム抽象絵画などと続く、一つの潮流を生み出した。

印象派は、ルネサンス以来の「写実主義」からの脱却を図り、みずからの表現方法を探求していった。
写実をするだけならば、写真(カメラ)を用いればよい。
ただ、カラー写真が普及するよりもだいぶ以前に、印象派の画家たちは、「色」「光」というものについて、様々な実験をキャンバス上で行っていたのである。