京都編が終っていないのを思い出した。
これは醍醐寺の伽藍を進んだところの弁天堂。
伽藍の先の登り口から約40分、山道を登ると上醍醐という所に行きつくらしい。
一介の観光客が行くような場所ではないと直感的に判断し、行くのはやめたが、醍醐寺っていう所はそこまで奥が深いのか、と思った。
これは醍醐寺の伽藍を進んだところの弁天堂。
伽藍の先の登り口から約40分、山道を登ると上醍醐という所に行きつくらしい。
一介の観光客が行くような場所ではないと直感的に判断し、行くのはやめたが、醍醐寺っていう所はそこまで奥が深いのか、と思った。
色々と忙しくなるので、一旦ブログの更新を休止します。
(気まぐれな更新はあるかも・・・)
再開は7月ごろか?
ちなみにタイトルの「プラネタリズム」は、僕の気まぐれな造語です。
日本語にすれば、「天体主義」でしょうか。
星だって、太陽の向こう側に行ってしまえば、地球からは見えないわけで・・・
ちなみに天文用語では「合」っていいます。
(気まぐれな更新はあるかも・・・)
再開は7月ごろか?
ちなみにタイトルの「プラネタリズム」は、僕の気まぐれな造語です。
日本語にすれば、「天体主義」でしょうか。
星だって、太陽の向こう側に行ってしまえば、地球からは見えないわけで・・・
ちなみに天文用語では「合」っていいます。
醍醐寺の仁王門をくぐると伽藍があって、僧たちが修行をしている。
寺院という場所はそもそも宗教的儀式を行う場所である。観光客である我々と、僧達は同じ場所にいながら、住んでいる世界が違うというか、吸っている空気が違うというか。
京都という土地にはこういった場所がいたるところにあり、これが人を惹きつけてもいるのだろう。
寺院という場所はそもそも宗教的儀式を行う場所である。観光客である我々と、僧達は同じ場所にいながら、住んでいる世界が違うというか、吸っている空気が違うというか。
京都という土地にはこういった場所がいたるところにあり、これが人を惹きつけてもいるのだろう。