プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

トリビアな話

2007-02-24 22:45:18 | Weblog
「トリビアの泉」で過剰演出が発覚…一昨年9月放送(サンケイスポーツ) - goo ニュース

そういえばフジテレビ「トリビアの泉」が終わってしまい、水曜日の楽しみが無くなって久しい。
そもそもバラエティ番組なので、多少の脚色はあったのだろうが、テレビという性格上、その「演出」と「やらせ」との境目は、非常に微妙なところである。

まあテレビ論は置いといて、ここでトリビア的なものをひとつ。

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※「日通」のホームページをご覧ください。

ピクトリアリスム

2007-02-17 16:53:35 | 美術・カメラ
美術界で印象派の流れがあったころ、写真の世界では、「ピクトリアリスム」という流れが起こっていた。

今まで書いてきたように、印象主義の画家たちは、ルネサンス以降の写実主義(リアリスム)から離れ、独特のタッチで光と色彩を表現し、見る人の印象に訴える作品づくりをしてきたわけであるが、一方で、そのころ発展段階にあった写真の世界では、「芸術写真」というものの追求のなかで、「ピクトリアリスム」という、いわば絵画への歩み寄りがあったわけである。

尚、ピクトリアリスムについては、過去の記事で触れているので、とりあえずそちらを参照のこと。

ソフトフォーカスとルノワール

2007-02-10 19:33:35 | 美術・カメラ
ルノワールの人物画から受ける、温かい色調の印象。これはどこか、写真のソフトフォーカスの表現に通じるものがある。

写真技術における「ソフトフォーカス」とは、直訳すれば「軟焦点」ということになるのだろうが、像がすこしボヤけ、色がややにじみ、全体的に明るい印象になる表現効果のことを指している。結婚式の写真などでよくある演出で、画面から幸せそうな雰囲気が伝わってくるアレである。
現在でも女性のポートレート写真を撮るときに使われたりする技術だが、カメラ単体でどうやったらソフトフォーカス的な写真を撮れるのか、ということについてはあまり言及されていないと思われる。フィルターであるとか、レンズといったカメラの付属的な要素が必ず登場するのである。

そう、一眼レフカメラにはフィルターというものを装着することができ、その中にソフト効果を出すフィルターも存在する。また、ソフトフォーカス機構が備わったレンズ(Cannon EF135mmなど)もある。
最近のデジカメにも、PENTAXのK100Dなんかは、ソフト効果のデジタルフィルタが備わっているものがあるし、Photoshopなどの画像処理ソフトでも、ぼかし効果でソフトフォーカス処理が可能だ。

ただ、特筆すべきは、このソフトフォーカス効果が、19世紀後半から20世紀初頭において、「芸術写真」という運動のなかで取り上げられていたことだ。
(つづく)

ルノワールと印象派

2007-02-07 22:40:09 | 美術・カメラ
ルノワールは印象派の巨匠と言われている。
モネら、ほかの印象派の画家との親交のなか、印象派展には第1回展から参加している。
モネが風景を主に描いたのに対して、ルノワールは主に人物を好んで描いた。
後期には裸婦像などを好んで描き、印象派というよりも、自分の作風を追求していった。
ルノワールの人物画は、独特の色調で描かれ、観る者に暖かい印象を与える。
ここで再び写真の世界の言葉を借りれば、ルノワールの人物画は、「ソフトフォーカス」の表現に近い印象を受ける。

では、そもそも写真の「ソフトフォーカス」とはどういう撮影方法なのか。
(つづく)

モネと浮世絵

2007-02-04 20:58:39 | 美術・カメラ
モネは浮世絵などの日本美術の熱心なコレクターだった。
1890年、モネはジヴェルニーに土地を購入し、以後、その地で制作を続けた。
庭の池には日本風の太鼓橋が架けられ、睡蓮や柳、牡丹など日本的な植物が育てられた。この庭でモネは、晩年まで至る有名な「睡蓮」の連作にとりかかることになる。

さて、実際のモネの作品は、浮世絵のはっきりとした色調とは異なり、対象をぼやかして描く、印象派独特の表現の方法をとっている。

モネと浮世絵。この2つを「写真」の言葉で論じてみれば、「浮世絵」はほぼ画面全体にピントが合っているのに対して、「モネ」の作品は、どこにもピントが合っていない、ある種「ピンぼけ」の状態といえる。
そしてこの「ボケ」が、印象派の特徴と言ってもいいだろう。

ゴッホと浮世絵

2007-02-01 23:04:43 | 美術・カメラ
ゴッホは印象派や日本の浮世絵に影響を受けたが、その作品は独創的な画風と独特の世界観をもっており、現在では極めて高い評価を得ている。

浮世絵は版画の技法によるため、その表現は当然平面的なものとなる。そしてさらに、浮世絵を平面的たらしめているものに、影の表現がみられない、ということの指摘がされている。

ゴッホの作品の中にも、「影」の存在が抜け落ちているものがある。
今まで、ゴッホの作品を観たときに、何か違和感のようなものを感じていたが、そういうことだったんだ。
ゴッホの作品は、絵の具を厚く塗って、立体的に見える部分もあるのだが、一方で、影を描かないことによって、絵が平面的に表現されている部分もある。こういったことが、ゴッホの絵の独特な雰囲気につながっているのだろう。
そしてそこには、ゴッホと浮世絵の関係が、背景としてあるのだろう。