売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『地球最後の男――永遠の命』第5回

2015-07-11 17:25:34 | 小説
 今日は久々の晴れ間で、久しぶりに布団を干せました。時々干さないと、カビが生えてしまいそうです
 最近、かんす(名古屋弁で蚊のこと)がよく部屋に入ります。最近入り込むかんすは、ヤブ蚊ではなく、ほとんどアカイエカです。電子蚊取りをつけていても、平気で飛んでいるので、頭にきます。少し煙いけど、昔ながらの蚊取り線香を焚いています。蚊取り線香のほうが効果がありそうです

 今回は『地球最後の男――永遠の命』第5回です。


 田上は殺す意思は全くなかったが、結果的には妻を死に追いやってしまった。犯行現場を直接見ていた証人はなく、刑事たちは近所の聞き込みなどで、夫婦の仲はあまりよくなかったという噂を聞いた。亜由美の両親は、娘から聞かされていた、田上への愚痴を鵜呑みにし、彼への感情はあまりいいものではなかった。しかし田上は亜由美の両親へ深い謝罪の気持ちを示し、両親も寛大な処置を望むようになった。裁判では殺人罪ではなく、傷害致死か過失致死かを問われた。

 検察は田上に対し、傷害致死で懲役五年を求刑した。夫婦仲が悪化する中でも、なんとか以前の幸福だったころの生活を取り戻したいと望んでいたという元職場の同僚の証言などが取り入れられ、裁判官は情状酌量の余地を認めて、懲役三年六ヶ月の実刑を言い渡した。田上はその判決を受け入れ、控訴しなかった。検察も控訴せず、判決は確定した。

 田上にとって、懲役は辛いものだった。両親はすでに亡くなっており、兄妹(きょうだい)も田上を見放した。面会に来てくれる人はいなかった。
しかし、本当に辛いのは、出所後のことだった。田上の財産は、その多くを亜由美の両親に賠償、贖罪として与えてしまった。だから出所後の田上は、ほとんど金がない状態だった。生きていくために、職を探さなければならない。けれども、前科を持った田上に世間の風当たりは厳しかった。なかなかいい仕事に就けない。長期にわたる不況という状態も輪をかけて、就職がむずかしかった。
田上は生きていくために、慣れない肉体労働をした。各地で土木工事に従事した。中にはたちのわるい依頼主もいて、賃金の多くをピンハネされたりした。しかし、生きていくためには劣悪な条件でも働かなければならなかった。

 田上は南アルプスの奥深くで、バラックのような宿舎に住み込んで、砂防ダムの工事や維持管理に従事した。
 その仕事は辛かった。夏は暑く、冬は寒かった。冬の積雪はそれほどでもないが、標高が高いので、寒さが厳しい。仕事は重労働だ。しかし、宿舎のおばさんは気さくな人で、田上に親切にしてくれた。飯場の仲間たちにとっては、母親のような存在だった。作ってくれる食事もうまかった。近くに温泉も湧いており、仕事後、露天風呂に入るのが楽しみだった。同僚は荒くれで乱暴者が多かったが、人里離れた山奥で働く仲間として連帯感が強く、田上もほどなく溶け込むことができた。
 土木工事の現場で働き始めたころの田上は、華奢な感じだったが、今では日に焼け、筋肉もついて、たくましくなっていた。重労働ですぐに倒れてしまうのではないかと案じられたが、病気もせずに過ごしてきた。擦り傷、打ち身程度の怪我はしょっちゅうだ。それでも大きな事故に遭わずにすんだ。

 田上が南アルプスの砂防ダム工事現場で働き始めて、四年の歳月が流れた。田上はもう五〇代になったが、二〇代で通じる若々しさを保っていた。日焼けして、精悍さが増していた。飯場の仲間には、二〇代の若者もいたが、彼らと並んでもどちらが年上かわからないような状態だった。体力も若い人たちに負けてはいなかった。
 「おじさん、若いね。それで五〇過ぎているなんて、とても思えないよ。仕事だって、俺たちよりできるし」
 重労働の力仕事でも、田上は若い人たちに交じって、難なくこなしていた。
 飯場の仲間たちは、休日は麻雀や花札に興じたり、テレビを見たりして過ごしている。将棋や碁をたしなむ者はいなかった。スマートフォンのゲームをやっている者もいる。この辺りは電波が圏外になっているところが多いが、宿舎はかろうじて電波が届くので、携帯電話やスマホで家族や友人と話すことはできる。携帯電話は唯一、外の世界とつながる手立てだ。
 飯場の軽トラックを借りて、たまに遠く離れた街に買い物に行く者もいる。そのときは、仲間からもついでに買い物を頼まれたりして、けっこう大変だ。雑誌や漫画本などもそのとき大量に仕入れ、休みや仕事が終わってからの時間つぶしに読んだりする。
 田上は休日に、南アルプス前衛の藪山への登山を始めた。田上は若いころ、けっこう登山をした。南アルプス深南部には二〇〇〇メートル級の高い山がいくらでもあるが、休日に日帰りで登るのは無理だった。それで、飯場の近くの山を歩いた。登山の装備があまり揃っていなかったので、近場を歩くだけにしていた。深い森に覆われた南アルプス深南部の山は、それほど展望はきかないが、歩くこと自体がいい気分転換になる。
 最初は同僚たちは、せっかくの休日にわざわざ疲れに行くことはないよ、と田上の山歩きを笑っていた。しかしやがて二人、三人と登山仲間が増えていった。

 ある日のことだった。しばらく雨が続いた後、晴天となった。雨で三日間仕事を休んでいたため、飯場の人たちは、朝食を食べ終えると、すぐに工事現場に向かった。
 昼休みが終わり、さて、午後の作業にかかろうか、というときだった。登山者が二人、血相を変えて工事現場に駆け込んできた。
 「大変です、この先の崖で、仲間が足を滑らせて、崖の下に落ちてしまいました。助けてください」
その男の言葉に驚いた工事現場の人たちは、さらに詳しい状況を訊いた。少し先の切り立ったところで、三人のパーティーの先頭を歩いていた人が、雨でぬかるんでいた道で足を滑らせ、崖から転落してしまったという。幸い一〇メートルほど下が棚状に出っ張っており、そこに引っかかっているが、雨で地盤が緩んでいて、人の重みで崩壊する危険もある。
 その辺りをときどき歩いている田上は、だいたいのことは了承した。一刻も早く助けないと、せっかく棚に引っかかっているのに、その岩棚(テラス)自体が崩壊し、谷底に転落してしまいかねなかった。
 「親方、俺が行きます」
 田上は工事現場の監督に申し出た。飯場の人たちは「監督」ではなく、「親方」と呼んでいた。
 「田上、大丈夫か?」
 「山歩きは俺が一番慣れています。ちょっとロープを借りていきます」
 田上は工事現場にあったロープを持って、登山者と現場に急いだ。田上とときどき一緒に山を歩いている同僚が二人、田上の手伝いでついていった。
 事故の現場に着き、田上は登山者たちの示す方向を見た。滑落した登山者は気を失っているようだ。棚はまだ大丈夫だ。
 「よし。俺があのテラスに降りて、あの人をロープで結わえる。君たちは、そのあとあの人を引っ張り上げてくれ」
 田上は登山者と二人の同僚に指示をした。
 「おっさん、大丈夫ですか?」
田上のことをおっさんと呼んでいる若い同僚が言った。
 「大丈夫だ。俺はクライミングの経験もある。早くしないと、テラスが崩壊する恐れがある」
 「すみません。僕たちはただ山歩きを楽しんでいるだけで、岩登りなどしたこともなくて」
 「いくら岩登りはしないといっても、山歩きをするのなら、三点確保などの基本はマスターしておいたほうがいいよ」
 田上は二人の登山者をやんわりたしなめてから、身体をロープで縛り、注意深く垂直に近い岩壁を下降していった。部分的にはオーバーハングになっているところもある。テラスに降り着いた田上は、気を失っている登山者の身体を、ロープで結わえた。身体になるべく刺激を与えないよう、田上は着ていた上着を脱ぎ、ロープで縛る部分に当てた。
 「よし、いいぞ。ゆっくり引き上げてくれ」
 田上は上で待機している四人に声をかけた。
 「おっさんはいいのかよ」
 「ああ。俺はあとでいい。まず、この人を引き上げてくれ」
 登山者の身体は少しずつ引き上げられていった。ロッククライミング用のザイルではないが、人一人の体重なら、十分支えることができるだろう。
上にいる四人は、力を合わせて、滑落した登山者をゆっくり慎重に引き上げた。
 「おっさん、無事引き上げましたよ。次はおっさんの番だ」
 そう言って、田上の若い同僚が、ロープを田上に投げつけた。田上がそのロープを受け取ろうとしたとき、突然、足元のテラスが崩れた。田上はロープをつかもうと、手を伸ばしたが、わずかのところで空を切った。田上は真っ逆さまに数十メートルの高度差がある谷川に転落していった。
 「おっさん!!」「田上さん」
 四人は驚いて田上の名を呼んだ。しかし田上の身体ははるか下方の谷川に転落し、姿を確認することもできなかった。
 田上の二次遭難で、工事現場は仕事を中止して、田上救出に向かった。しかし飯場の同僚たちは、本格的な登山をしたことがなかった。それで麓の警察や消防署、山岳会にも救援を要請した。
田上は谷底まで墜落していた。とても助かるとは思えない高度差だった。しかししばらく気を失っていた田上は、目を覚ました。右脚が折れているようだ。全身に激痛が走った。立ち上がることができない。しかし、あれだけの距離を落ちて、よく助かったものだと思った。頭を強打しているようなので、油断はできないと心配ではあった。よほどひどい怪我をしているのだろう。いずれ救援が来るだろうから、それまでは動かず、じっとしていたほうがいいと判断した。田上にはまだ冷静さが残っていた。
 もう三〇年ほど前になるが、バスの事故で死にかけたことがあった。あのときは絶望視されたのだが、奇跡的に快復した。心配された後遺症なども全くなかった。俺は悪運が強いのか、それとも死に神に嫌われているのかな、と自嘲した。ふと頭に浮かんだ〝死に神〟という言葉から、悪魔を連想した。そういえば、バスの事故に遭う前に、悪魔から不老不死を与えられたという夢を見たことがある。まさかあれは現実だったのではないだろうな。あのときは亜由美と結婚したいという願いも悪魔に伝えたが、まさにその通りになった。結果的には、あまり幸せな結婚ではなかったが。
〝人間万事が馬〟という。バスの事故に遭ったことが亜由美と結ばれるきっかけとなった。しかし、亜由美と結婚したばかりに、自分は殺人者になってしまった。人生は何が幸福で、どんなことが不幸につながるかわからない。しかし悪魔との契約は、W・W・ジェイコブズの短編小説『猿の手』のような大きな代償は求められなかったものの、願いがかなったとしても、最終的には幸福にはなれないのだろうか。
 田上はそんなことを考えているうちに、また意識がもうろうとしてきた。

 「田上、気がついたか」
 飯場の親方が田上に声をかけた。田上は病院のベッドで寝ていた。地元の山岳会の会員が事故現場の地形に詳しく、田上が墜落した地点に安全に行ける道を知っていたので、救出が円滑に進んだ。三日間降り続いた雨で谷川は増水しており、もし流れに呑み込まれていれば、命はなかったという。あれだけ高いところから落ちたのに、軽傷ですんだのは奇跡だと医者も言っていたそうだ。
 軽傷だって? そんなはずはない。脚の骨が折れていたし、頭も強打していた。全身打撲で激痛が走っていた。
 しかし今は痛みはほとんどない。折れていたはずの右脚も何ともないようだ。あのときの激痛は夢だったのか?
 田上は様子を見るため一日入院していたが、何ともないので、翌日には退院した。強打したと思っていた頭部も異常がなく、脳内出血などで悪化する心配はないと言われた。田上が助けた登山者も、左脚を骨折しているとはいえ、命に別状はないそうだ。病院には親方と宿舎のおばさんが車で迎えに来てくれた。
「今日はゆっくり休養して、明日からはまた仕事をよろしく頼むぞ。しかし、あそこから落ちたのにぴんぴんしてるとは、おまえもつくづく悪運が強いやつだな」
 親方はあきれ顔で田上に言った。それでも田上が何ともなく、すぐに復帰できることを喜んだ。
 「今日はお祝いでごちそうを作ってあげますからね。助けられた登山者の家族の方が、とても田上さんに感謝していましたよ」
 宿舎のおばさんも喜んでくれた。

 (やはりあの夢は本当だったのだろうか)
 田上は悪魔との契約の夢のことを考えた。三〇年前のバスの事故といい、今回の転落事故といい、死んでいても不思議ではない事故に遭いながらも、こうして無事生きている。でも、そんなばかなことが。俺が無事だったのは単に偶然、もしくは幸運だったからだ。
 しかし、俺の外見は、三〇年前とほとんど変わらないほど若い。いや、力仕事で鍛えられ、五〇歳を超えた今のほうが体力的には、ずっと強靱だろう。あのときの望みは不老不死だった。確かにあれから全く年を取っていない。少なくとも、外見は。もし本当に不老不死なら、どんなことでも恐れることはない。田上はやはり自分は不老不死になったのだと確信を持ちつつあった。
俺もそろそろ街に戻るべきだろうか。田上はあと半年ここで働いて、来年の春には街へ戻ろうと決意した。

 翌年の三月末で田上は飯場の仕事を辞めて、東京に出ることにした。長らく住んでいたM市や生まれ故郷のG県に戻っても、亜由美も両親ももういないのだし、どうせなら日本の首都の東京に行こうと考えた。砂防ダムの工事現場での賃金は安かったが、人里離れた山奥で、お金を使うこともあまりなかったため、五年間の稼ぎで、けっこうまとまった金が貯まっていた。
親切にしてくれた宿舎のおばさんも、もう年を取り、山奥の生活が辛くなったといって、田上より少し前に辞めて、麓の実家に戻っていった。代わりに別の女性が来てくれたが、山奥の生活に慣れるまで、まだしばらくかかりそうだった。


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