明日から天気が崩れるというので、今日、自分に課している運動として、弥勒山に登りました。
帰りに寄った麓の植物園では、バラが咲いていました。
最近巣箱に閉じこもったままで、なかなか外に出ていなかったイグアナも、陽気に誘われたのか、巣箱から出て、ひなたぼっこをしていました。
植物園の隣の大久手池には、久しぶりにウが来ていました。前回はアオサギがいましたが。水たまりにはカエルがいました。
今回は『幻影』第24章を掲載します。いよいよ事件が動き出してきます。昨日、なじみのガソリンスタンドに行ったら、店員さんが、「『幻影』の続編が気になったので、新刊の『幻影2 荒原の墓標』買いましたよ。半分ほど読みましたが、おもしろいですね」と声をかけてくれ、嬉しく思いました。
24
肌を重ねた後、布団の上で安藤はたばこを吸った。たばこが嫌いな美奈は、安藤から少し離れていた。美奈の前で平気でたばこを吸うことは、美奈にとって安藤の大きな減点ポイントだった。特に狭い車の中で吸われるのがいやだった。いくら窓を開けていても、たばこの臭いが車の中に充満する。
美奈の仲間の四人の中では、ミドリとルミが喫煙するが、二人は吸わないケイや美奈の前では、決してたばこを吸わない。
たばこを二本吸い終わり、安藤は改まった口調で、「美奈さん、お願いがあるんです」と切り出した。
「何ですか?」
美奈はひょっとして、すぐに結婚してほしい、と切り出すのではないかしら、と思った。
「申し訳ないですが、お金を貸してほしい」
安藤は言いにくそうに言った。
「いくらぐらいですか?」
思ってもみなかった申し出に、美奈はおそるおそる訊いた。
「一千万円」
「え? 一千万円?」
美奈は聞き違いかと思った。
「申し訳ない。美奈さんなら、それぐらいの貯金はあると思うのですが」
「いくら何でも、一千万円なんて。とても無理です。いったい何に使うんですか?」
突然一千万円貸してくれだなんて、とても信じられないことだった。
風俗で働いている今は、OL時代の数倍の年収があるし、倹約もしているので、一千万円どころか、その倍近い貯金がある。美奈は仲間との付き合い以外は、質素な暮らしをしていた。収入の多くを貯蓄に回していた。投機や株などの冒険も一切せず、地道に定期預金にしていた。
しかし、そう長く風俗の仕事を続けることはできないし、大きないれずみがある以上、普通の会社勤めは難しい。それに絶対病気や怪我で働けなくなることがない、という保証もないので、お金は大事にしておきたかった。
いったい安藤はそんな大金を何に使うのだろうか。
「実は、我ながら情けないことですが、ギャンブルで借金を作ってしまって。サラ金などから借りて返していたんだけど、サラ金のほうも金利が雪だるま式に膨らんで、どうにもならなくなってしまったんです」
美奈は、何という馬鹿なことを、と叫びたい気持ちだった。私が心を動かした人が、そんなことをする人だったなんて。
「頼みます。最近はやくざみたいな取り立て屋が役所まで押しかけてきて、上司にもにらまれているんです。このままでは、退職して、退職金で返済しなければならなくなる。でも、退職金だけでは、とても足りないし」
美奈は大きなため息をついた。安藤に幻滅を感じてしまった。
「一千万あれば、僕は立ち直れる。もうギャンブルも一切やらない。お願いします。貸してもらえませんか?」
「でも、一千万なんて、私にはとても無理です。百万や二百万ならともかく」
「お願いします。借金を全部清算できれば、美奈さんと結婚して、真面目にやり直します。二人で力を合わせて明るい家庭を築きましょう。だから、そのためにも。お願いです」
安藤は裸のまま土下座せんばかりだった。お願いしますを連発して、美奈に頼み込んだ。
「わかりました。一千万はとても無理ですが、できるだけ考えてみます」
「ありがとう。どうかよろしくお願いします。すっかり片がついたら、結婚しましょう。公務員は真面目にやってさえいれば、安定していますからね。きっと美奈さんを幸せにしてあげますよ」
美奈はすっかり興醒めした。安藤に対する気持ちも萎えてしまった。安藤はまた求めてきたが、とても応じる気持ちにはならなかった。安藤の求めを拒否し、美奈は布団にもぐり込んだ。
せっかく楽しい旅行にしようと思っていたのが、台無しになってしまった。結局安藤が私に近づいたのは、いれずみに対する興味と、お金が目当てだったのかしら。そう考えると、情けなくて涙がこぼれ落ちた。
美奈は裸のまましばらく布団にもぐって、涙を流していた。しかし、大の男が土下座をしてまで頼み込む姿を思い出すと、安藤がいじらしく思えてきた。
本当に借金を返したら、心を入れ替えて、真面目にやってくれるのかしら。私と結婚して、幸せな家庭を築いてくれるかしら。もしそれが本当なら、お金はあげてもいい。どうせ夫婦になれば、お金は夫婦の共有の財産になるのだから。
美奈は安藤が愛おしく思え、彼の胸に飛び込んでいった。
翌朝、一〇時前に二人は潮屋をチェックアウトした。
少し寝坊をして、食堂に行くのが遅れたため、巡礼の三人には会えなかった。
今日は徒歩で島の名所見物をしてから帰る予定だった。夕方には美奈はオアシスに出勤しなければならない。高蔵寺の家には戻らず、直接オアシスに行くつもりだった。
民宿で、観光コースを解説したパンフレットをもらい、それに従って歩くことにした。寒かったが、天気はよかった。歩いていれば、暖かくもなるだろう。
宿からしばらく歩くと、上りの坂道になった。傾斜はかなりきつい。美奈は山歩きで慣れているので平気だが、安藤には辛そうだった。
「安藤さん、運動不足ですよ」と美奈は安藤に声をかけた。
「いや、ふだんはこんな坂上りませんからね。僕が住んでいるところは海抜〇メートル地帯ですから」
安藤は喘ぎながら答えた。
知多四国霊場番外札所の西方寺(さいほうじ )で、昨日浴場で会った巡礼の三人の女性に再会した。
「あら、あなた。またお会いできましたね」とそのうちの一人が声をかけてきた。
「昨日はどうも。いろいろお話できて、楽しかったです」と美奈も挨拶を返した。
「こちらこそ、いいものを見せていただきまして」
「そちらの殿方は? そういえば船でもご一緒でしたね」と他の一人が尋ねたので、美奈はすかさず「フィアンセです」と答えた。
「あらあら、それはそれは」
「今日はこれからどうするのです?」
別の女性が尋ねた。
「今日は篠島を見学して、午後には名古屋に戻る予定です。夕方には仕事がありますので」と美奈が答えた。
「私たちも巡礼の後、大急ぎで篠島を見て回って、それから日間賀島に行き、最後に豊浜で二つ回り、それで満願です。けっこうせわしいのですよ。よかったら、タクシーで一緒に篠島を回りませんか? いいよね、この人たちも一緒に」
一人がそう提案し、他の二人に訊いた。
「ええ、いいですよ。同行二人(どうぎょうににん)じゃなくて、大師様も入れて同行六人ですね。観音様も一緒だし」
一人が気の利いた受け答えをした。もう一人も異論はなかった。
「そんな、割り込んじゃって迷惑じゃないですか? タクシーも窮屈になりますし」
「私たち三人は後ろに乗っていて前の席が空いてるから、あんたたちは前に座ればいいですよ。大きなタクシーだから。人数増えても料金は一緒だし、割り勘してもらえれば私たちの分も減りますからね」
結局美奈たちも篠島では三人のお遍路さんと同行することになった。
正法禅寺(しょうほうぜんじ)はすでに参拝したとのことで、帝井(みかどい )と三九番札所のいとくいん医徳院を訪ねてから、待たせてあるタクシーのところに戻った。札所となっている三つの寺は高台にあり、階段での上り下りも多かった。
タクシーは島の南部に向かった。車が通れる道路が観光地から離れており、歩かなければいけないところもあったが、タクシーに乗ったおかげで、効率よく島を回ることができた。特に島の南部は景観がすばらしかった。歌碑公園のあたりで夕日が見られれば最高だったのに、とそれだけは残念だったが、昨日の夕日はそれでもとても美しいと思った。
歌碑公園がある万葉の丘から、島の最南端の牛取公園までは、けっこう険しい道だ。山慣れた美奈や、お遍路でよく歩く三人のおばさんは平気だったが、運動不足の安藤にとっては、辛い道だった。
フェリー乗り場の近くでタクシーを降りた。美奈はタクシー代を払うと申し出たが、三人はいらないから、と取り合わなかった。
写真をたくさん写したので、プリントして送ります、と言ったら、一人の住所を代表で教えてくれた。その人に三人分まとめて送ることを約束した。
高速船に乗る前、五人で一緒に昼食を食べた。ジャコ丼がおいしかった。
船は日間賀島経由、師崎港行きだったので、途中まで一緒に行った。日間賀島の港で巡礼の三人は下船し、次の大光院(だいこういん)に向かった。
「ありがとうございます。ほんと、きれいな観音様拝ませてもらいました」
「こちらこそありがとうございました。無事満願できるよう、祈ってます。写真、印刷したら、お送りしますので」
「袖振り合うも他生の縁、といいますから、私たち、前世でもどこかで縁があったのだと思います。またお会いできるかもしれませんね」
三人のうちの一人が名残惜しそうに言った。
美奈にとっては、この巡礼の三人の女性に出会えたことが、この旅行の一番の思い出となった。
帰りに寄った麓の植物園では、バラが咲いていました。
最近巣箱に閉じこもったままで、なかなか外に出ていなかったイグアナも、陽気に誘われたのか、巣箱から出て、ひなたぼっこをしていました。
植物園の隣の大久手池には、久しぶりにウが来ていました。前回はアオサギがいましたが。水たまりにはカエルがいました。
今回は『幻影』第24章を掲載します。いよいよ事件が動き出してきます。昨日、なじみのガソリンスタンドに行ったら、店員さんが、「『幻影』の続編が気になったので、新刊の『幻影2 荒原の墓標』買いましたよ。半分ほど読みましたが、おもしろいですね」と声をかけてくれ、嬉しく思いました。
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肌を重ねた後、布団の上で安藤はたばこを吸った。たばこが嫌いな美奈は、安藤から少し離れていた。美奈の前で平気でたばこを吸うことは、美奈にとって安藤の大きな減点ポイントだった。特に狭い車の中で吸われるのがいやだった。いくら窓を開けていても、たばこの臭いが車の中に充満する。
美奈の仲間の四人の中では、ミドリとルミが喫煙するが、二人は吸わないケイや美奈の前では、決してたばこを吸わない。
たばこを二本吸い終わり、安藤は改まった口調で、「美奈さん、お願いがあるんです」と切り出した。
「何ですか?」
美奈はひょっとして、すぐに結婚してほしい、と切り出すのではないかしら、と思った。
「申し訳ないですが、お金を貸してほしい」
安藤は言いにくそうに言った。
「いくらぐらいですか?」
思ってもみなかった申し出に、美奈はおそるおそる訊いた。
「一千万円」
「え? 一千万円?」
美奈は聞き違いかと思った。
「申し訳ない。美奈さんなら、それぐらいの貯金はあると思うのですが」
「いくら何でも、一千万円なんて。とても無理です。いったい何に使うんですか?」
突然一千万円貸してくれだなんて、とても信じられないことだった。
風俗で働いている今は、OL時代の数倍の年収があるし、倹約もしているので、一千万円どころか、その倍近い貯金がある。美奈は仲間との付き合い以外は、質素な暮らしをしていた。収入の多くを貯蓄に回していた。投機や株などの冒険も一切せず、地道に定期預金にしていた。
しかし、そう長く風俗の仕事を続けることはできないし、大きないれずみがある以上、普通の会社勤めは難しい。それに絶対病気や怪我で働けなくなることがない、という保証もないので、お金は大事にしておきたかった。
いったい安藤はそんな大金を何に使うのだろうか。
「実は、我ながら情けないことですが、ギャンブルで借金を作ってしまって。サラ金などから借りて返していたんだけど、サラ金のほうも金利が雪だるま式に膨らんで、どうにもならなくなってしまったんです」
美奈は、何という馬鹿なことを、と叫びたい気持ちだった。私が心を動かした人が、そんなことをする人だったなんて。
「頼みます。最近はやくざみたいな取り立て屋が役所まで押しかけてきて、上司にもにらまれているんです。このままでは、退職して、退職金で返済しなければならなくなる。でも、退職金だけでは、とても足りないし」
美奈は大きなため息をついた。安藤に幻滅を感じてしまった。
「一千万あれば、僕は立ち直れる。もうギャンブルも一切やらない。お願いします。貸してもらえませんか?」
「でも、一千万なんて、私にはとても無理です。百万や二百万ならともかく」
「お願いします。借金を全部清算できれば、美奈さんと結婚して、真面目にやり直します。二人で力を合わせて明るい家庭を築きましょう。だから、そのためにも。お願いです」
安藤は裸のまま土下座せんばかりだった。お願いしますを連発して、美奈に頼み込んだ。
「わかりました。一千万はとても無理ですが、できるだけ考えてみます」
「ありがとう。どうかよろしくお願いします。すっかり片がついたら、結婚しましょう。公務員は真面目にやってさえいれば、安定していますからね。きっと美奈さんを幸せにしてあげますよ」
美奈はすっかり興醒めした。安藤に対する気持ちも萎えてしまった。安藤はまた求めてきたが、とても応じる気持ちにはならなかった。安藤の求めを拒否し、美奈は布団にもぐり込んだ。
せっかく楽しい旅行にしようと思っていたのが、台無しになってしまった。結局安藤が私に近づいたのは、いれずみに対する興味と、お金が目当てだったのかしら。そう考えると、情けなくて涙がこぼれ落ちた。
美奈は裸のまましばらく布団にもぐって、涙を流していた。しかし、大の男が土下座をしてまで頼み込む姿を思い出すと、安藤がいじらしく思えてきた。
本当に借金を返したら、心を入れ替えて、真面目にやってくれるのかしら。私と結婚して、幸せな家庭を築いてくれるかしら。もしそれが本当なら、お金はあげてもいい。どうせ夫婦になれば、お金は夫婦の共有の財産になるのだから。
美奈は安藤が愛おしく思え、彼の胸に飛び込んでいった。
翌朝、一〇時前に二人は潮屋をチェックアウトした。
少し寝坊をして、食堂に行くのが遅れたため、巡礼の三人には会えなかった。
今日は徒歩で島の名所見物をしてから帰る予定だった。夕方には美奈はオアシスに出勤しなければならない。高蔵寺の家には戻らず、直接オアシスに行くつもりだった。
民宿で、観光コースを解説したパンフレットをもらい、それに従って歩くことにした。寒かったが、天気はよかった。歩いていれば、暖かくもなるだろう。
宿からしばらく歩くと、上りの坂道になった。傾斜はかなりきつい。美奈は山歩きで慣れているので平気だが、安藤には辛そうだった。
「安藤さん、運動不足ですよ」と美奈は安藤に声をかけた。
「いや、ふだんはこんな坂上りませんからね。僕が住んでいるところは海抜〇メートル地帯ですから」
安藤は喘ぎながら答えた。
知多四国霊場番外札所の西方寺(さいほうじ )で、昨日浴場で会った巡礼の三人の女性に再会した。
「あら、あなた。またお会いできましたね」とそのうちの一人が声をかけてきた。
「昨日はどうも。いろいろお話できて、楽しかったです」と美奈も挨拶を返した。
「こちらこそ、いいものを見せていただきまして」
「そちらの殿方は? そういえば船でもご一緒でしたね」と他の一人が尋ねたので、美奈はすかさず「フィアンセです」と答えた。
「あらあら、それはそれは」
「今日はこれからどうするのです?」
別の女性が尋ねた。
「今日は篠島を見学して、午後には名古屋に戻る予定です。夕方には仕事がありますので」と美奈が答えた。
「私たちも巡礼の後、大急ぎで篠島を見て回って、それから日間賀島に行き、最後に豊浜で二つ回り、それで満願です。けっこうせわしいのですよ。よかったら、タクシーで一緒に篠島を回りませんか? いいよね、この人たちも一緒に」
一人がそう提案し、他の二人に訊いた。
「ええ、いいですよ。同行二人(どうぎょうににん)じゃなくて、大師様も入れて同行六人ですね。観音様も一緒だし」
一人が気の利いた受け答えをした。もう一人も異論はなかった。
「そんな、割り込んじゃって迷惑じゃないですか? タクシーも窮屈になりますし」
「私たち三人は後ろに乗っていて前の席が空いてるから、あんたたちは前に座ればいいですよ。大きなタクシーだから。人数増えても料金は一緒だし、割り勘してもらえれば私たちの分も減りますからね」
結局美奈たちも篠島では三人のお遍路さんと同行することになった。
正法禅寺(しょうほうぜんじ)はすでに参拝したとのことで、帝井(みかどい )と三九番札所のいとくいん医徳院を訪ねてから、待たせてあるタクシーのところに戻った。札所となっている三つの寺は高台にあり、階段での上り下りも多かった。
タクシーは島の南部に向かった。車が通れる道路が観光地から離れており、歩かなければいけないところもあったが、タクシーに乗ったおかげで、効率よく島を回ることができた。特に島の南部は景観がすばらしかった。歌碑公園のあたりで夕日が見られれば最高だったのに、とそれだけは残念だったが、昨日の夕日はそれでもとても美しいと思った。
歌碑公園がある万葉の丘から、島の最南端の牛取公園までは、けっこう険しい道だ。山慣れた美奈や、お遍路でよく歩く三人のおばさんは平気だったが、運動不足の安藤にとっては、辛い道だった。
フェリー乗り場の近くでタクシーを降りた。美奈はタクシー代を払うと申し出たが、三人はいらないから、と取り合わなかった。
写真をたくさん写したので、プリントして送ります、と言ったら、一人の住所を代表で教えてくれた。その人に三人分まとめて送ることを約束した。
高速船に乗る前、五人で一緒に昼食を食べた。ジャコ丼がおいしかった。
船は日間賀島経由、師崎港行きだったので、途中まで一緒に行った。日間賀島の港で巡礼の三人は下船し、次の大光院(だいこういん)に向かった。
「ありがとうございます。ほんと、きれいな観音様拝ませてもらいました」
「こちらこそありがとうございました。無事満願できるよう、祈ってます。写真、印刷したら、お送りしますので」
「袖振り合うも他生の縁、といいますから、私たち、前世でもどこかで縁があったのだと思います。またお会いできるかもしれませんね」
三人のうちの一人が名残惜しそうに言った。
美奈にとっては、この巡礼の三人の女性に出会えたことが、この旅行の一番の思い出となった。