売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第7回

2013-05-16 00:40:19 | 小説
 今日は『ミッキ』第7回を掲載します。
 今回から第2章です。
 いよいよ鮎川家にかわいいラブラドール・レトリーバーの子犬が来ます。
 美咲の名字の“鮎川”は、どんな名前にしようか考えていたとき、たまたまあゆ(浜崎あゆみ)のことが頭に浮かんだので、“鮎川”にしました。恋人のマッタク君はキムタクから取りました。


     第二章 ジョン


            1

 翌日、学校から帰ると、濃い茶色のラブラドール・レトリーバーの子犬がうちに来ていた。その日は松本さんと春日井市図書館に寄り、日本の戦争史の資料を探していたので、帰宅が夕方六時過ぎになった。慎二はいつもなら、学校から帰ると、すぐに自転車で出かけ、遅くまで友達と走り回っているのに、今日はずっと子犬のそばについていた。
 私はこんなに早く子犬が家にやってくるとは思わなかった。父は名古屋の支社から帰ってから、山川さんのところに行って、子犬をもらってきた。山川さんの家はすぐ近くで、歩いて一〇分とかからない。
 山川さんは自分の家で飼う二匹以外の三匹から、好きなものを選ぶように言った。父が決めあぐねていると、山川さんはいちばん元気なチョコレート色の子犬を選んで、「この子はどうですか? 元気がよく、活発な子だから、いいと思いますよ。やっぱり、丈夫な子が育てやすくていいと思います」と勧めてくれた。母はオスを希望しており、この子犬もオスだったので、この子にしたそうだ。
 父は、いつもお世話になっているのでお金などいりませんよ、と固辞する山川さんに、いくらかのお礼を置いてきた。ラブラドール・レトリーバーの子犬は、ペットショップなどでは、一〇万円以上の値がついているという。
 私もさっそく慎二と一緒に子犬の相手をした。三月四日、雛祭りの翌日が誕生日だそうで、まだ生まれてから二ヶ月にも満たない。今は小さくて可愛いころだ。まだよちよち歩き、という感じだった。今日は来たばかりで、新しい環境に慣れていないから、あまりかまわないようにしなさい、ということなので、私は子犬の仕草を見るだけで我慢した。本音は抱いてやりたいのだが。でも、子犬とはいえ、大型犬のラブラドールはけっこう重そうだ。
「名前、まだ決まってないね?」と私は慎二に問いかけた。
「うん、まだ。どんな名前がいいかな。お姉ちゃん、何か考えてる?」
「ううん、まだ何も。こんなに早く来るとは思ってもいなかったし。友達の宏美が、飼ってる柴犬に、修作という名前をつけてるそうだけど」
「しゅうさく? 変なの。人間みたい」
「犬も家族の一員だから、人間の名前をつけたんだって。またあとでお父さん、お母さんとも相談しよう。それまでラブちゃんとでも呼んでようかしら」
「だめだよ。ラブちゃんというのが、自分の名前だと思っちゃうといけないから」
「そうね。名前が決まるまでは名無しの権兵衛ね。あ、権兵衛が自分の名前だと思っちゃってもいけないか。でも宏美の犬が修作だから、権兵衛でもいいかも」
「いやだよ、ゴンベエだなんて。ちょっとださいよ」と慎二は反対した。

 寮生の夕食の時間は、六時から八時までだ。寮に帰るのが遅くなり、食事の時間に間に合わなかった場合、事前に連絡がなければ、八時が過ぎれば、残った料理は処分してしまう。今日はいつもより多く、六人から食事の時間に間に合わないので、残しておいてくださいという連絡があった。明日からゴールデンウィークなので、出歩いているのかもしれない。
 八時になり、連絡があった寮生の分以外に、三人分のおかずが残った。本来なら、連絡もなく遅れた場合は、おかずを処分してしまうのだが、父は帰ってきて食事がないと気の毒だから、といつも遅れた人の分も残しておく。
 そんなことをすれば、連絡を忘れても食事は残しておいてくれるのが当たり前、と横着になる寮生も出てくるので、処分してしまった方がいい、とパートの人たちは言うのだが、うっかり連絡を忘れ、少し遅れて帰ってきたら、もう食事がなくなってしまっていた、ではかわいそうだから、と父はつい残しておく。連絡があった子の分は、汁物以外は、保冷庫に入れて残しておくので、ついでだから、というのだ。冷めた料理は各自で電子レンジで温める。
 それで、連絡を忘れてしまった子たちが喜んでいたことが何度もあり、喜ぶ様を見ていると、お人好しの父はついつい残しておいてしまうのだ。
 母やパートさんは、父に対して、女の子たちに甘いとか、いい顔をしすぎると批判している。
 八時から食器などを洗浄し、後片付けをしなければならず、パートさんたちも労働強化だといいながら、人がいい父に対しては、あまり強く言えないようだ。実質、遅くなった寮生たちの食器の片付けなどは、ほとんど両親がやっているから、パートさんたちの残務は大して増えるわけではない。
 私たち一家は、寮生が食事をしている時間、三〇分ほど両親が抜けさせてもらい、一緒に食事をとる。寮生の食事は六時前にはできており、パートさんたちは事前に試食をする。六時から八時までの間は、調理場の休憩室などで待機している。その時間帯は比較的自由がきく。本来は拘束時間だが、パートさんも一言断って、近くのスーパーマーケットなどに買い物に行ったりもできる。家が近い人は、ちょっと家に帰らせてほしいと申し出ることもある。父も支障がない範囲で、認めていた。
 私たちの家族の食事が終わると、山川さんが私たちのところに来てくれた。
 山川さんの姿を認めた子犬は、小躍りして今日の昼までの飼い主に飛びついた。突然見ず知らずのところに連れられてきた子犬は、環境の変化に戸惑い、寂しそうだったのだが、山川さんの声を聞いて、喜んだ。
「おうおう、ジョンや。寂しかったか。でも、今日からおまえは鮎川さんとこの家族になったんだから、いつまでも私にかかずらっていちゃ、いかんぞ」
 盛んにじゃれついてくる子犬の頭をなでながら、山川さんは言い聞かせた。
「このラブちゃん、ジョンという名前なんですか?」
 山川さんが呼んだ名前を耳にした私が尋ねた。
「はい、うちにいる間は便宜上、ジョンと呼んでたんですが、鮎川さんのところで、新しい名前をつけてあげてください」
 山川さんは譲る予定の三匹の子犬にも、ジョン、ジャック、メアリーと仮の名をつけていたのだそうだ。
「でも、ジョンならジョンでいいですよね。それで慣れてるんなら。慎二は怪獣の名前をつけようとしてたんだから」と母はジョンに賛成した。
「怪獣の名前?」と私は慎二に訊いた。「まさかこの子をゴジラちゃんにしようってんじゃないでしょうね?」
「ううん。ゴモラかレッドキング。かっこいいでしょう。ゼットンもいいな」
「だめだめ。犬に怪獣の名前なんて。いつかのイグアナにならまだしも。男の子って、いったいどういう発想をしているのかしら。それなら、ジョンのほうがずっといいよ」
 私はガンダムのようなメカニックなロボットものは苦手だけれど、ウルトラマンシリーズはときどき慎二と一緒に見る。最近テレビで新しいウルトラマンシリーズを放映している。テレビに出ていた、全身蛇腹みたいな怪獣を思い浮かべて、私は慎二に文句を言った。
 そんなやりとりを聞いて、山川さんが笑っていた。
 私は思いつきで、「この子、チョコレート色だから、チョコはどう?」と提案した。しかし母が「子供のころならちょこまかした感じでかわいいけど、この犬、大きくなるんでしょう? おとなになったのにチョコはちょっと変だよ」と反対した。
「やっぱりこの子には、馴染んでいるジョンがいいんじゃない? ジョンにしましょう。ジョン、こっちにおいで」
 母が名前を呼んで手を差し伸べたら、子犬は母のところにやってきて、指をペロペロなめた。
「おお、よしよし」
 母は子犬を抱きかかえた。
「なに、おまえ、まだ赤ちゃんなのに、けっこう重いじゃないの。名前、ジョンがいいよね」
 母に抱き上げられた子犬は、キャンと返事をした。それが子犬の意思表示のように思われた。子犬の名前はジョンに決まった。
 ジョンを体重計に乗せたら、五キロ以上あった。抱くと、ずっしり来る。
「トイレはまだなかなか覚えてくれません。粗相(そそう)をしても、叱りつけないで、気長に教えてあげてください。もともと賢い犬ですから、じき覚えると思いますよ」
 山川さんは子犬の飼育について、いろいろな注意やアドバイスをしてから、また仕事場に戻った。
 父はデジカメで写真を写し、ジョンの成長記録を作る、と盛んにシャッターを押していた。フラッシュを焚くと、子犬がびっくりするし、写りが不自然になるので、少し感度を高めにしていた。父はデジタルカメラは、感度を簡単に変更できるのはいいけど、あまり感度を高めるとノイズが入り、画質がわるくなってしまう、と言っていた。カメラのことに詳しくない私には、何のことか、よくわからないが。

 食事時間に遅れた寮生のおかずは、あらかじめ遅くなると連絡があった分以外は廃棄して、食器の洗浄や後片付けをすることになる。廃棄された食材は、以前は家畜の飼料にするため、業者が引き取りに来たそうだが、今はそれはやっていない。残った分は、そのまま一般廃棄物として処分される。
 しかし、父は連絡がなかった分も含め、残った九人分を保冷庫に入れた。
 すると、しばらくしてから、「すみません、遅くなっちゃったんですが、まだご飯、残っていますか?」と三人の寮生が食堂に駆け込んできた。
「ああ、まだ残っているよ。早く食べなさい」と父が応えた。
「ありがとうございます」
 三人の女の子たちは、保冷庫からおかずを盛った皿を取り出し、銘々で電子レンジで温め、食べ始めた。パートのおばさんがご飯をよそい、味噌汁をお椀に注(つ)いだ。
 寮生たちはのんびりおしゃべりをしながら、ご飯を食べていた。
 パートのおばさんたちは、あまりにのんびりしている寮生たちに業を煮やし、「ちょっと、あんたたち、連絡もなく遅れてきたんだから、少しぐらいは急いで食べてよ。こっちはまだ後片付けしないといけないんだから」と注意した。
 寮生は「すみません」と謝ったが、一人が小声で、「うるせー、くそばばあ。めしぐらい、ゆっくり食わせろよ」と、女の子らしからぬ言葉で、悪態をついた。
 その言葉を聞き咎めたパートさんの一人が、「なにい、そういうあんたたちだって、いつかはくそばばあになるんだよ」と返した。この「なにい」という言い方は、名古屋独特のイントネーションで、それほど挑発的なニュアンスではない。それでも悪態をついた寮生が、そのパートさんをにらみ返し、ちょっと険悪な雰囲気になった。
 他の二人がその寮生をなだめ、「ごめんなさい、連絡もせず、遅れちゃったのに。急いで食べますから」とパートさんに謝ったので、事なきを得た。
 遅くなると連絡があった寮生も、ぼちぼち戻ってきた。
 パートさんたちは九時過ぎに帰っていった。帰るとき、山川さんは「それじゃあ、ジョン君、よろしくお願いします。何かあったら、いつでも言ってくださいね」と両親に声をかけた。
 遅くなった寮生たちの食事の後片付けは、母がやった。
 ジョンはもう少し成長するまでは、部屋の中で飼うことになった。慎二は寝るまでずっとジョンに付きっきりだった。父に少しは勉強しろ、と叱られていた。
「明日は休みの日だから、今日ぐらいいいがね。大目に見てよ」と慎二は父に少し反抗した。
 慎二には甘い父は「ま、しょうがないか」と笑った。
 明日から、いよいよゴールデンウィークに入る。

 翌日はみどりの日で、朝食は作らず、メニューは一人二個の菓子パンと紙パックの牛乳だった。学生寮は日曜日、祝日、それから第五土曜日は朝はパンと牛乳だ。夜は食事が出ない。お盆の期間と年末年始は、パンと牛乳も出ない。その頃は学生は帰省したり、旅行に出かけたりして、寮に残る子は少ない。
 今日は大学や専門学校は休みで、朝から寮にいる寮生が多い。
 私と慎二が玄関の前で、ジョンと戯れていたら、何人かの寮生たちがやってきて、「かわいい」とジョンの頭をなでたり、抱き上げたりした。
 その中に、昨夜パートのおばさんに、くそばばあと悪態をついた寮生もいた。ふだんはそんなひどいことを言うような人ではないと思うのだが。
「うわ、チビのくせして、けっこう重い。この犬、どうしたの?」
 ジョンを抱きかかえた寮生が問いかけた。
「うちで飼うことにしたんです。ジョンっていう名前です」と私が答えた。
「僕、レッドキングかゴモラにしたかったんだけどな」
「怪獣はだめだと言ったでしょう」
 私はまだ怪獣にこだわっている慎二の頭を軽くはたいた。慎二は「いてて、この暴力女」と文句を言った。その様子を見て、寮生たちが笑った。
「この犬、ラブラドール・レトリバーでしょう。かわいい」
「へえ、この子犬、ラブラドールなの? 警察犬や盲導犬なんかにする、利口な犬でしょう。でも、大きくなるんじゃない?」
「ふうん。うちの寮で飼うんだ。寮のペットね。私にも、ときどき散歩させてね」
「ジョン、おいでおいで。私と遊ぼう」
 寮生たちは、ジョンの周りを囲んで、口々に声をかけた。ジョンは大勢の寮生たちに気圧(けお)されたのか、私に助けを求めているかのように、足元にすり寄ってきた。
「ジョンはまだ昨日来たばかりで、新しい家に慣れてないんです。まだ生まれて二ヶ月の子供ですし」
 私は怯えるジョンを抱きかかえ、寮生たちに言った。ジョンはようやく私たちの家族に慣れたところで、大勢の寮生にはまだ対応できなかった。
「そうね。怖がっているもんね。それじゃあ、もう少し慣れたら、見せてね」
 寮生の一人がこう言って、他の寮生たちに、「行こう」と促した。
 寮生たちが立ち去ったので、私と慎二は、ジョンを連れて、部屋に戻った。

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