「Pの視点」のブログが休止中だけれど、ファンは毎日訪れているという。
知的で繊細、かつ大胆なP@RAGZZO(略してP様)さまのちょうど昨年の印象的なエッセイを転載したいと思う。
最初に若き俳優の「向井理」氏のブログから文を抜き書きなさっていて、そのあとにあの感動的なP様の独白である。
向井理という一縷の岩清水。
2010-08-15 23:59:08
「幸せ」・・・向井 理
今日は日本がポツダム宣言を受諾して65年の日です。
何年か前のブログにも書きましたが決して終戦『記念日』ではありません。戦争に関わった人全てに於いて、まだ戦争は終わっていないからです。
しかも北の地では65年前の今日以降もソ連と戦っていましたから。
昨日放送したドラマ『帰国』の撮影前に靖国神社に参拝に行きました。
劇中の自分のセリフにもありましたが、『国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃないのか』
今日本はいろいろな問題を抱えていて、その一つに靖国神社に関することも含まれています。
でも、じゃあ何故それが問題なのか?それを理解しなければ何も進まないと思います。
八月十五日が来ると改めて今の自分は幸せだと思います。
ちゃんと生きて、生活できているから。
それこそ戦争中はいつ死ぬか、家族の安否もわからぬ生活を送る人が多かった訳だから、それに比べたら幸せ過ぎて申し訳ないくらいです。
当時の生活と比べても意味はないかもしれませんが、当時を考えると今の自分は不平不満を言えるほど頑張っているのか疑問です。
そして、必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気持ちで一杯です。
さらにあの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います。
日々戦争のことを考えるのは難しいですが、一年に一回でも深く考えてみても良いんじゃないでしょうかね。
世界のどこかで、いまでも戦い、争いが起こっています。
戦争についていろんなことを考えると、ただただ自分は幸せです
☆ここからP様のエッセイです。
12日から昨日まで
テレビは戦争の、しかも著しく偏った特番ばかりで
これでもかこれでもかと
『日本は悪い!』と連呼していた。
NHKの討論番組では
崔洋一が自分らと違う意見を述べた一市民に
『歴史を語る資格は無い!』とまで言い放った。
しかもNHKはこの場面の動画を、姑息にも
次々と削除し抹殺してしまった。
崔が間違っていないのなら
何故削除する必要があるのか
ところで、上記の文章は
向井理という若い俳優が
ブログで記したものだ。
俳優という人気商売であるにもかかわらず、
自身も靖国参拝し、かつ、
『国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃないのか』と、
当たり前のことを、しかしリスキーな発言を
勇気をもってした。
おかしなマスコミや政権の
やりたい放題をさんざん見せられた後だっただけに、
灼熱の中、
一縷の岩清水に出会ったような
爽やかな気分になった。
向井理さん、ありがとう。
わたしは、、、救われた。
ベッラあとがき
P様のこの最後の「わたしは、、、救われた。」というひとことは、この言葉を味わいたいがために日々このページを眺めていたほど、私は感動している。
このひとことに何を付け加えることがあるだろうか・・・今も感動でいっぱいである。
ここから下は書かない。コメントがたくさんあるけれど・・・これだけで十分なのだ。
私は繊細かつ大胆なP様を尊敬した。
とても及ばない素晴らしい文才と鋭敏な感受性・・・。
そして「円卓」の皆様もそれぞれ素晴らしい方々が集まられた。
この中で私はまるで幼児の如く、情けないコメントしか書けなかった。
でも「円卓」の皆様は暖かく、私はどれほど学んだかわからない。
感謝で毎日、このブログを思うと涙をこらえるのに必死であった。
P様の「再登場」をいつでも願っている。
物事に対して敏感で鋭く、的確な判断をなされ、また私のような未熟者に対しても優しく、そして円卓を囲む皆様の魅力的なこと、どんな有名でアクセスの多いブログも「足元にも及ばない」ものだった。
そしてご学友のEXZYさまも、さすがPさまのご学友と尊敬したものだった・・・そのEXZYさまのコメントもいつもため息である。すばらしい・・・作家も顔負けである。
鶏様、アプリ様、フローラはな様、さらりん様、やまびこ様、ボチボチ様・・・そして対話のチャンスはまだないけれど翡翠様や怒羅衛門様、ナイトライダー様、・・・・・新しく来られたヴィットリア様、私はこれらの方々の文を拝見するたびに敬虔な気持ちになる。
そして感謝でいっぱいになる・・・。この出会いは大きい、またP様の「わたしは、、、救われた」に、なぜかとらわれてしまうのだ。透明で美しいP様の心情に涙してしまう・・・。

☆ EXZY様のコメント再び転載します。
AOYAGI (exzy)
2007-01-11 14:00:09
5日、高良大社に参拝する道すがら、古い旅館が目に入った。突然遠い昔にタイムスリップした。ここを会合場所に選んだ男がいて、「なんてえとこを知ってるんだこいつは?!」と思ったのを思い出した。その頃は、ろくに会話も交わさなかった。
今から思えば、そいつのナイフみたいに人の心を抉り出そうとする目つきと、ふとこぼす屈託のない少年の笑みとの、ミスマッチに戸惑っていたのかも知れない。・・・時は移り、毎月のように飲み交わすようになっても、一種の怖さ(畏れといってもいい)がいまだにある。それは、遠ざけるものではなく飛び込んで行くことで解消するのだとは解っているのだが、急に近くなったかと思えば、また遠ざかっていくような陽炎の感覚なのだ。こんな不思議な男に出逢い、続けていく付き合いは確かに意味があるのだが、多分いつまでも彼の奥底に触れることは出来ないのかも知れない。それでも、また会合にそわそわと出て行く自分に苦笑いする。今日は、どんな視点で話すのだろうかと期待しながら・・・。
寒い日でした (P@RAGAZZO)
2007-01-11 17:00:44
やぁ、よく憶えていますねexzyさん。
そうでした。あの日からでしたね、、
お互い酔ってエセ中国語を叫んだのでした。
熱い夜でした。...