「合意文書なし」だなんて。もうこれはダメです!! あきれてモノが言えません。日本を投げ売りするつもりか!!
日米関税協議“合意文書なし”「そんな交渉があるのか」野党一斉批判 食い違いに懸念【知ってもっと】【グッド!モーニング】(2025年7月26日)
与野党に関税合意報告 石破首相「日米共同文書の予定なし」:時事ドットコム
石破茂首相(自民党総裁)は25日午前、日米関税合意を巡り立憲民主党の野田佳彦代表をはじめとする与野党党首らと国会内で会談した。首相は冒頭、「守るべきものは守り、日米両国の国益に資する合意を実現できた」と説明。交渉の結果、米国が日本からの輸入品への「相互関税」を15%に引き下げることなどで合意したことを報告した。
会談で首相は「日米関税合意の共同文書発出予定はない」と説明したという。
これに対し野田氏は、参院選を受け8月1日に召集される臨時国会で、日米関税合意に関する十分な審議を要求。会談後、記者団に「危うい印象を持った」と述べ、合意内容への懸念を示した。
首相は記者団の取材に応じ、党首会談で自身の進退に関する発言はなかったと説明した。ただ出席者によると、首相は会談終了直前に「辞めるとは言っていない」と述べたという。
与野党党首会談は6月以来で、公明党、日本維新の会、国民民主党、参政党、れいわ新選組、共産党が参加。参政の出席は初めて。
★ もはや自民党政権には「常識」すらない。与野党一丸となって日本の為に頑張るしかない。
経団連会長、日米交渉で「全ての関税措置見直しを」 - 日本経済新聞
経団連の十倉雅和会長は7日に東京都内で開いた定例記者会見で、トランプ米政権の関税引き上げを巡る日米交渉で「全ての関税措置が見直されるよう粘り強く協議を進めていくことが重要だ」と日本政府に注文を付けた。
日米交渉では、米国がほぼ全ての国・地域からの輸入品に課す一律10%の相互関税に加え、日本に対する上乗せ分の14%の撤廃も拒否している。
十倉氏は「高関税措置の影響が(企業に)既に出てきている」と指摘。日本政府には「可能な限り早期の関税撤廃を目指す努力が必要で『じっくり急ぐ』といった表現が適当だ」と呼びかけた。
日本企業の間では、トランプ関税に端を発した世界経済の減速を危ぶむ声が大きくなっている。十倉氏は自動車や鉄鋼、アルミは関税の影響が大きいとした上で「産業全般では、直接的な影響よりも、先行きが不透明で消費も投資も落ちていることを懸念している人が多い」と説明した。〔共同〕
産経新聞によると「第一面」で。
防衛装備品 日本 すでに決定している防衛力整備計画などに基づくものだ。
アメリカ 日本は米国製の防衛整備品を年数十億ドル追加購入する。
コメ 日本 国内農業を犠牲にすることは一切含まれていない。
アメリカ 日本は米国からのコメ輸入を75%増やす。
対米投資 日本 政府系金融機関が日本企業に最大5500億ドル規模の出資・融資保証を提供し、半導体分野での投資促進
アメリカ トランプ大統領の指示で日本が半導体などの分野などに5500億ドルを投資
そして「ロシア」だ。
ロシアが日本の保守に“介入”? 参政党さや議員とスプートニク 工作活動 グレンコ・アンドリー&石井英俊 (参政党は保守ではないけど)
参政党憲法構想案に批判が続々! この党には任せる気がしません。自民党もひどいし、どうしたらいいのでしょう。
ブログのティールーム・・・イタリアでの私の師、ベーキがこの当時ウクライナの悲劇を歌っていたなんて!!
GINO BECHI SINGS " VERDE UCRAINA"(ジーノ・ベーキ、「緑のウクライナ」を歌う。
戦中戦後の偉大なイタリアのバリトン歌手、ジーノ・ベーキが歌うヴェルディのオペラを聴こうとして、偶然これを見つけた。
私はかつてベーキ先生からはヴェルディとチレア、カタラーニなどを教わっただけで、この歌を歌ったとは伺っていない。
しかも悲愴な表現だ。ベーキ先生がこの歌を取り上げた理由はなんだったのだろうか。
イタリア語で歌っているが、日本語訳では・・・
>ああ、牧草地で赤い実がなったガマズミが下を向いている。
このごろ、私たちのウクライナも、下を見ている。
私達は、ガマズミの枝を、高く掲げる。(★ 枝は強いので戦旗の持ち手として利用されたそうだ)
そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦う。
黄金の小麦が揺れる秋の畑で
照りつける日差しの中、銃撃戦が始まった。
私達は、戦闘の合間に、小麦を収穫する。
そして、私たちはウクライナの旗を高く掲げ、力を併せて戦う。
ガマズミの実・・・ウクライナでは熟成させて、ワインとしても好まれている。
★ 1914年、当地はアレクサンドル・コルチャーク海軍大将の管轄下に入った。この時点で、後の緑ウクライナとなる地域にウクライナ人のコミュニティが結成されており、ロシアから分離して独自の政治システムを生み出し始めていた。この独自性が緑ウクライナとして独立するに至らせたと一般に認識されている[3]。
そうした中、ロシア内戦が勃発する。1920年には、極東共和国が日本とロシアの緩衝国として設置された。1922年にこの共和国はロシア社会主義共和国に編入された。1934年、ユダヤ人自治州がこの地域の首都であったビロビジャンに設立された。ソビエトの支配を嫌ったウク今起きている出来事とともに、この美しい歌は、独特の声によって永遠に残り、誰も忘れることはできないが、私たちの心を動かし、ウクライナ人の心の苦しみをより深く理解させてくれる。ライナ人の中には、極東から中国領の満州や日本領の南樺太に逃れる者もおり、当地の「白系ロシア人」の大きな部分をなしていた。(WIKI) コメント欄にはウクライナの方々からの感謝の言葉。
>今起きている出来事とともに、この美しい歌は、独特の声によって永遠に残り、誰も忘れることはできないが、私たちの心を動かし、ウクライナ人の心の苦しみをより深く理解させてくれる。
>わあ、偉大なジーノ・ベキによるウクライナについての歌です!信じられない!
>Bravo! Maestro
ジーノ・ベーキ(Gino Bechi, 1913年10月16日 - 1993年2月2日)
1946年には、第二次世界大戦の影響で休場状態にあったスカラ座の再開に際して、ジュゼッペ・ヴェルディの《ナブッコ》のタイトル・ロールを歌って好評を博した。1950年にはスカラ座の引っ越し公演でコヴェントガーデン王立歌劇場に初出演した。その後は欧米各地の歌劇場に招かれるようになった。1961年に引退後はフィレンツェで後進の指導に当たっていた。(WIKI)
1949年のジーノ・ベーキ