ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

『ドゥテルテ・フィリピン大統領の親日度』

2016年10月31日 | 政治

『第111回ドゥテルテ・フィリピン大統領の親日度①』藤岡信勝 AJER2016.10.31(7)



「アメリカは大嫌いだ」「オバマは地獄に墜ちろ!」などの発言の一方でチャイナに接近、
習近平と対談し経済的支援を引き出す。南シナ海に軍事基地を建てるチャイナへなぜ接近するのか。フィリピンの漁民はスカボロー礁で漁業再開、またバナナを輸出再開などの効果があったが、フィリピン領であるという判決を気にしないという態度。
かつて米軍とのトラブルがあり米軍がフィリピンから撤退することがあり、その直後からチャイナが進出することがあった。

日本にとっても重大な地域であり憂慮することである。一方彼は親日家でもある。
ダバオの市長時代、戦前から一万人以上の日本人が住み着いてマニラ麻の栽培をしダバオ市に貢献したので、市長時代にポケットマネーでその碑を立て直した。
「我が国はかつてスペインの植民地であった・・・我が国の繁栄は日本人のおかげである。
命を落とした日本人を慰霊するのは当たり前である」という歴史的な根っこがある。

日本は外国のお客様に隔たりなくおもてなしをするが、彼はアメリカに行ったときにひどい扱いを受けたことがある。「米国に犬のような扱いを受けた」と安倍首相に言った。(朝日新聞)

しかし政治家として個人的なことをもろに持ち込むのはいかがなものかと思うが、ダバオ市長のころとつなげてみるとその背景がうかがわれる。(以上走り書き)


ベッラの独り言
★ youtubeやテレビのニュースでもドゥテルテ大統領は「親日」とほとんどすべてが報道、
よくわからないこともあるけれど、今は言いにくい状況。チャイナに経済を頼むようだが・・・。

★ ドゥテルテ大統領はフィリピンに帰国するといきなり「神のお告げで『暴言』をやめる、と発言。その真意は何か?

「暴言やめる」と宣言=神のお告げ―比大統領
時事通信 10/28(金) 17:27配信
 【マニラ時事】フィリピンのドゥテルテ大統領は27日、国際的に物議を醸している自身の暴言について「今後はやめると約束する」と述べた。

 神のお告げがあったのが理由という。日本から帰国した際、南部ダバオの空港で記者団に語った。

 ドゥテルテ氏は日本からの帰途、機内で空を眺めていたら突然声が聞こえ、「ののしるのをやめないとこの飛行機を落とす」と警告されたと説明。「誰なんだと聞いたら『神だ』と言われた。だからもうしない」と話した。

 ただ、記者から欧米への暴言もやめるのかと聞かれると、「タイミングによる」とはぐらかした。 

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161028-00000116-jij-asia

★ 日本は日本の考えで道を進むべきなのですが、決断が鈍いというよりも「できない」政府(としか思えない)、
しかも今の野党の多くはデタラメでどうしょうもない。

日本の国の立て直しをするにはあまりにも困難な状況です。

★ 「日本を思う人々」でつながっていかないといけないと感じています。
ごく当たり前の常識ある人々と・・・。

★ 今の私のレジャーは電車の中で塩野七生さんの『ローマ人の物語』から「ハンニバル戦記」第3巻を読み、面白くて下車を忘れそうになります。夜は録画していた語学の番組を寝転がって見ています。

紅葉の秋、今年こそは一泊の国内旅行をしてみようかなと思っています。
これもまだ計画はしていません。考えているだけです。(情けないけれど毎年そうです。)



ブログのティールーム



★ ドミンゴやパヴァロッティ、カレーラスの世代の前はコレッリでした。
その前はマリオ・デル・モナコ、コレッリもデル・モナコもマスコミやCMなどに出ない、
聴衆の前で全身全霊をかけて歌うことに日常生活のすべてをかけていた時代です。

曲の終わりごろの声はまさに「一世一代の声」、声が素晴らしいだけでなく歌役者でもありました。
後年ドミンゴがこの役を歌いましたが、声の威力・表現ともデル・モナコには遠く及ばなかったようです。
ドミンゴはドラマティックな声ではなかった、かつてあのコレッリですら「オテッロ」を歌わなかったのです。


ヴェルディ「オテッロ」から~モノローグ≪神は私に不幸を投げつけられた≫英雄オセローの嘆きです。

Mario Del Monaco in Munich Concert "Dio, mi potevi" (イタリア語歌唱)



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『韓国の「大乱」の構図』室谷克実氏 、【討論】ここが問題安倍政権~シリーズ「日本の敵」

2016年10月30日 | 政治

 『韓国の「大乱」の構図①』室谷克実 AJER2016.10.28



★ 混乱の韓国の問題を室谷氏が解説しています。
動画は短いですが、内容はなかなか聴きごたえがあるように思えます。

続いて(長時間ですが)「討論」です。


2016/10/29 に公開
◆シリーズ「日本の敵」:ここが問題!安倍政権
パネリスト:
 河添恵子(ノンフィクション作家)
 古森義久(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)
 篠原常一郎(元日本共産党国会議員秘書・軍事評論家)
 中丸啓(前衆議院議員)
 西岡力(「救う会」全国協議会会長・東京基督教大学教授)
 脇雅史(前参議院議員)
 渡邉哲也(経済評論家)
司会:水島総


【討論】シリーズ「日本の敵」:ここが問題!安倍政権[桜H28/10/29]


★ 読書は毎日続けています。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」から『ハンニバル戦記上・中・下』いよいよ下巻、
カルタゴの天才的名将ハンニバルに敗戦の続くローマを救うのは若き名将スキピオ。

~カヴァーの帯に【稀代の将に男の作法を学ぶ】とありました。(新潮文庫400円)

今、夢中で読んでいます。


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★ マエストロ、マリオ・デル・モナコの歌う「グラナダ」をどうぞ。
ドラマティックな歌唱表現をお聴きください。

Mario del Monaco - Lara -Granada  (スペイン語歌唱)




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松井知事vsABC木原記者【機動隊員『土人』発言】、南モンゴル「クリルタイ」、そして本日岸和田で三宅博先生の講演会です。

2016年10月28日 | 政治

★ 松井知事のお話は納得できる。
相変わらずくどくておかしな記者さんのエンドレスな質問にも淡々と答える我慢強さ。


松井知事vsABC木原記者【機動隊員『土人』発言】


★ お知らせ  南モンゴル「クリルタイ」結成大会

11月10日午後1時開会 参議院議員会館 会議室102

(当日、結成大会後同場所にて午後2時より記者会見を行います。報道関係の皆さま、よろしくお願いいたします)

詳しくは
http://smldf.org/?p=682

★ 私は老親介護のかたわら、モンゴル帝国のビデオを買ったり本を読んだりして「クリルタイ」という会合の言葉を知っていた。(康熙帝の頃もモンゴルのハン一族と婚姻を勧めていたし、当時はモンゴル文字と漢字で「紫禁城」内の表示があった。今も一部残っているが)・・・しかし今は中国共産党の政策で満州の女真族や南モンゴルの人たちは少数中の少数になっている。
この5月に私は東京に行ってお話を伺った(といっても後ろのほうで静かに聴くだけだったが)ダイチン氏、三浦小太郎氏、三宅博先生の素晴らしいお話は忘れられない。「クリルタイ」という言葉を聴いて私は心躍った。
あのモンゴル帝国の世界最強の時代をふと思ったりした。
国は侵略されてもあの誇らしい祖先を思い、チャイナの暴政に敗けずに頑張る姿に誇り高い民族の血が滔々と流れているのを思った。
この時のことは私のブログにも少し書いた。(以下再掲)


★ 新幹線に乗り東京の山手線に乗り換えてはじめて「新橋」という駅で降りた。
方向オンチなので、通行人にききながら会場に着いたが、遅れてしまった。
もうすでに三宅先生の講演ははじまっており、途中からになったがだんだんお話は聴き手の心に迫っていった。

下記はメモをもとにしてすべてではないが箇条書きにしたもの。



<三宅先生のお話走り書き>
英国から新天地を求めて異民族を殺し、アメリカではインデアンに世話になりながら殺しまくった。
インデアンの精神は日本人と似通っている。
インデアンの母親は子供に「友を捨てて逃げてはならない。友とともに討ち死にしなさい」と教えた。
これは「武士道」と共通するものがある。たとえば相手が話し終えるまで聴く、その後、話す・・・インデアンのスピリットがあった。

戦争でアメリカは大変な罪を犯し、日本中を焼夷弾で焼き殺した。
原爆を違う型を2発、広島・長崎に落とし一瞬にして大量に殺してしまった。
イギリスもアジアの民を殺しまくった。
アフリカから多くの人が奴隷として連行され、酷使されて亡くなっていった。
暴力による「覇権」は、もうもたなくなっている。

世界では今、すべてを知った上で先人の恨みを果たす時という必然的な動きであろう。
世界全体が因果応報、アメリカのこれからは悲惨なものになるかも知れない。

アメリカも数パーセントの人に富の大半を握られている。白人もプア―ホワイトとして貧困層が多い。
経済的な奴隷であり犠牲になっている。
混沌とした状態の世界、新たな価値観。

日本はやがて混沌とした状態の中で世界の使命を果たすべき。
しかしその前に日本の国家の真の意味の自立が必要。10、20、30年が勝負。

私が荒木和博さんと共に拉致問題で走り回っているのは、ただ被害者が気の毒ということだけではない。
この問題を解決しない国家が、他の問題を解決できるはずはない。

「相手も独立国家で了承なしに取り返すことはできないんですよ」と言った官房長官がいるが、根本的なところで間違っている。
また「アメリカが拉致被害者を救出してくれたらその護衛艦を護ることができるんです」という首相。
内閣が吹っ飛んでも仕方がないほどである。

外交・国防・経済・教育、など拉致問題を解決せずしてできるはずがない。
硬直化した戦後構造、政治家も政府全体も硬直している。
アメリカの意向を忖度して国政に反映させようとする。

日本の硬直した過去の実例について
満州に無傷の百万の関東軍がいた。「即時に武装解除」という命令に従って、武装解除した結果、130万人の日本人入植者がシベリアに連行された。

モンゴルでは根本博中将が「即時武装解除」という命令に応じず、「4万人の日本人入植者を無事に帰国させるのが私の使命である。
すべての責任は私ひとりにある。」と言って無事に全員を日本に帰国させた。
根本中将は、ソ連が話に通じるような相手ではないということを骨身にしみて知っていた。(このあたりを詳しくお話された)

満州の百万関東軍との違いは本質を知っている根本中将との違いであり、関東軍は共産軍に甘い期待を持っていた。

現在の日本の政府は当時の関東軍の対応と似ている。
韓国はアメリカに慰安婦像を建て、在米の日本人子弟は殴られたりいじめにあっており、親たちが在米の大使館・領事館に相談に行っても全く意に介しない状態。

これは「エリート集団」の大きな間違いである。
これらは自分たちの仕事ではないと思っている。
国民を欺く欺瞞的なもので、限界を迎えている。日本存続も危うくなる。

しかし、今はアジアのみならず世界全体が日本が立ち上がるのを今か今かと待っている。

★ これは付け加えて書きます・・・「政治家は『おカネに汚い・いい生活をしている』などと批判されているが、私は政治家だからこそ生活を律し、国民の皆さんと同じような生活をするべきと考えている。また真の政治家は、自分の身が危うい時も前に立たなくてはならない。・・・などと仰った。
「先生、私がその前に立ちますよ」などと言いたくなる、全身全霊で国を思う政治家なのだ。

質疑応答の中で、三宅先生にいろんな質問があったが、三宅先生の答弁はあまりにも美しい展望、ヴェルディのオペラで言うと「天上的ピアニッシモ」であろうか・・・。三宅先生が文化・芸術に詳しくその政治姿勢のもとにも感じられること。
しかしこういうことを講演会で仰るのははじめてではないだろうか。


「近代の価値観が限界にきている。深い憂慮に堪えない。
これから必要なのは『徳』の世界であり西洋の言葉では『愛』である。これは『犠牲の精神』にて成立する。

★★ 先生、西洋の言葉では「Pietà(ピエタ)」慈愛・慈悲なのでしょうね。
あ、これはヴェルディのオペラによく出てくる歌詞なので勝手に私がPietàと書いただけ。

最後に評論家の三浦小太郎氏が三宅先生に続いてこう発言された。


「近代は『儲かればよい』という考えで、民族や文化、歴史や伝統は人間を縛るものとされてきた。
これからは『民族のルネッサンス』が必要である。
日本民族の伝統ある良き考え、漢民族の中にある良き時代の考え、モンゴル人の持つ良きもの、これらのルネッサンス、文芸復興である。」

三浦氏は「ロマンティスト」と思った。

★ 本日、夜6時から三宅博先生の講演会が岸和田であります。




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混声合唱曲「里の秋」―海沼実(編曲・平吉毅州)

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宮崎正弘氏の「世界は暴言で満ち溢れている」、その他国内で心配なこと。

2016年10月25日 | 政治

★ 宮崎正弘氏のメルマガから~読み応えあります。

 世界は暴言、放言時代。こんどはイラン大統領が次期米大統領を
  「だれがなっても『悪い』か、『もっと悪い』かだ」とロウハニ

****************************************

 世界は暴言で満ちあふれている。

 「ヒラリーは嘘つき」なんてトランプの暴言も、今や何のパンチもない。
 「オバマは売春婦の息子」(ドゥテルテ比大統領)。

 イランのロウハニ大統領はインタビューに答えて曰く。
 「誰が次期米国大統領になろうとも、それは『悪い』か『もっと悪い』かだ」(エルサレムポスト、10月24日)。
 「米国は200年間民主主義政治を貫いたなどと言うが、この間に50回の大統領選挙をおこない、そのモラルを見ても、政治倫理的に立派なものと言えるのか。米軍の軍備では、いまやイランのパワーをまかすことはできない」とロウハニは付け加えた。

 オバマの腰抜けがシリア問題を悪化させ、その結果がEU諸国を蝗の大群が襲って、経済難民問題はEUの分裂を招来させようとしているとする分析が欧米の政治アナリストの間には主流の意見だが、EU諸国としては、オバマ批判にうつつを抜かしている時期は過ぎた。

 そのオバマ政権が展開した外交は連続的な失敗であり、アジア太平洋では『アジアピボット』のリップサービス。
発言から五年、米艦艇は、スカボロー岩礁近辺をうろうろと「航海の自由」作戦を示威するだけ、その結果、南シナ海は『中国の海』と化した。
最大の被害国フィリピンは、領海問題を棚上げして、北京にすり寄った。米国はアテにならずというわけだろう。

 ベトナムはひとり意気軒昂。米艦も寄港しているが、最大の軍事的庇護はロシア、北京とは一戦交えても構わない覚悟である。

 しかし東欧はガタガタになってロシアの外交攻勢が高まり、中東はイランとの宥和でサウジとイスラエルをモスクワへ近づけてしまった。これぞまさしく米国に負とでた、「中東ピボット」の失敗ではないのか。

 オバマはミャンマーとキューバとの外交関係再開で、たしかに外交得点を稼いだかも知れないが、イラン外交は拙速すぎたとの批判が米国に渦巻いた。
 
 それでもイランを重視するという背景には、やはりドル基軸体制の維持という目的以外には考えにくい。
イスラエルのロビィが、連邦議会工作に初めて失敗したのも、このイランとの核合意だった。

しかし民主党としても、イスラエルとの絆を犠牲にしてまでも、こうした外交を進めたオバマの裏にひそむドル防衛というもくろみを了解したからではないのだろうか。
  イラン大統領の暴言に対して米国からの正式の反応はまだない。(以上)


★ フィリピンのドゥテルテ大統領が来日、「やっぱり・・・」想像の通り?

「日本は前向きな言動を」=比大統領訪日で警戒―中国
時事通信 10月25日(火)19時37分配信

 【北京時事】中国外務省の陸慷報道局長は25日の定例会見で、フィリピンのドゥテルテ大統領の訪日について、「南シナ海情勢は既に緩和に向かっており、中比は関係を修復し、協力に向け努力している」と強調、「他国にはその前向きな情勢にプラスになる言動を望む。その逆であってはならない」と日本の動きに警戒感を示した。

 
 局長は「われわれは、隣国同士が健全で前向きで協力的な関係を維持すべきだと主張してきた」と強調。一方で「そうした関係は地域の平和・安定・発展に役立つものでなければならない」とくぎを刺した。(以上)

★ 老舗「ホシュ」政治家が皇后陛下のお誕生日のお言葉を絶賛しているが、下記のことは読まないのか?

「日本人戦犯」とはどなたのことでしょうか?「日本人捕虜」の間違いではないのでしょうか?
 ああモンテンルパの夜は更けて


★ この文の中にある「日本人戦犯」とはどなたのことでしょうか?
宮内庁は皇后陛下が「日本人捕虜」とお書きなのを「日本人戦犯」と助言?されたのでしょうか?


<宮内庁発表の皇后陛下お誕生日のお言葉から抜粋>

今年1月にはフィリピンの公式訪問がありました。アキノ大統領の手厚いおもてなしを受け,この機会に先の大戦におけるフィリピン,日本両国の戦没者の慰霊が出来たことを,心から感謝しています。戦時小学生であった私にも,モンテンルパという言葉は強く印象に残るものでしたが,この度の訪問を機に,戦後キリノ大統領が,筆舌に尽くし難い戦時中の自身の経験にもかかわらず,憎しみの連鎖を断ち切るためにと,当時モンテンルパに収容されていた日本人戦犯105名を釈放し,家族のもとに帰した行為に,改めて思いを致しました。

http://www.kunaicho.go.jp/page/kaiken/show/3

★ 世界で活躍されている日本の若きバリトン歌手の御祖父さまの著書には、兵士が苦しい時は勇ましい歌よりもこの歌を口ずさんだと書かれていました。当時流行していた淡谷のり子さんの古い録音から。

雨のブルース   淡谷のり子



★「夜になっても気温が下がらない、若い自分よりもご年配の方がもうずっと屋根の下に眠ったことがない、という現状に心が痛んだ。」これはフィリピンのレイテで戦った私の父がよく語った言葉です。
怖くて全部はとてもきけなかった。
父は終戦を知らせるビラも疑い、武装を解かず12月になって投降、米軍の収容所でしばし暮らしました。
やっと日本に還ったら息子の帰還を待ち続けた優しい母親は亡くなっていたということです。

私は老父を10年間介護しました。でも今も至らなかったと、もっともっと尽くしたかったと辛い気持ちです。
捕虜になっても「戦犯」ではありません。「レイテ激戦の勇士」である誇らしい父の娘として今もなお変わらぬ敬意をいだいています。




★ そして「沖縄」の現状について・・・「土人発言」は確かによいとは言えませんが、沖縄にいる反日勢力が「したい放題」暴れている、もちろん暴言・暴力です。
このことは政府は「放置」なのでしょうか?

この動画、ご覧になった方も多いと思いますが、マスコミでは取り上げられていない。
機動隊員が凄い暴言・暴力を振るわれているのに「現行犯逮捕」もできないのでしょうか。
「松井知事」を責めたりする前に「本来抗議しなくてはならないところ」はスルーでしょうか。


極左暴力集団リーダーによる警察官への暴行


またこんな番組もありました。少しホッとします。

【土人発言】沖縄出身・嵩原弁護士の見解 あさパラ!2016.10.22「あれは沖縄人ではない」


政府はこれをどうお考えでしょうか。
ほとんどのマスコミ報道では「差別発言」と一方的に繰り返し報道していますが、沖縄はどうなっていくのでしょうか。


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★ カップッチッリの前の時代、エットレ・バスティアニー二という名バリトン歌手がいた。
今、バスティアニー二のこの歌を聴いて「オペラの黄金時代」の圧倒的な歌唱を思う。


曲はレオンカヴァルロ作曲「道化師」~ごめんください、皆様方。

・・・彼(道化師)には信条があるのです
役者もひとりの人間であることを


Ettore Bastianini Pagliacci "Il prologo" (イタリア語歌唱)


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【クライン孝子氏】フランクフルト・ブックフェアとスパイ防止法の必要性

2016年10月21日 | 政治

【言いたい放談】フランクフルト・ブックフェアとスパイ防止法の必要性[桜H28/10/20]



フランクフルト・ブックフェアの日本の書籍コーナーは見事なものだったそうです。
よいニュースを伺うことは嬉しいことです。

蓮舫氏は国会議員を辞めるべき、またマスコミがきちっと報道をしない。
日本の社会って甘いね、とクライン氏。

私とは違った考えも(私は安倍さん好きではない)ありますが、クライン氏は女性としての潔癖さが見事です。
怪しげなことが堂々と通っている現状を一切容赦なさいません。
またクライン氏は怪しげな人を見抜いて用心されていることを語っていらっしゃいます。
下記の文はクライン氏が産経新聞の「正論」にお書きになったものです。


◆「国際情報収集のインフラ整備急げ 」  
-国防-情報戦略は最重要の「国の柱」- 
(産経新聞  2007年1月21日「正論」より転載)
  
 ≪翻弄される日本の外交≫
 13歳の少女だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されたのは
1977年だから、既に30年になる。拉致の疑いが否定
特定失踪(しっそう)者は250人にのぼるといわれている。

(うち約7000人は日本人妻や子供などの日本国籍保持者)が、
朝鮮による「地上の楽園」プロパガンダに踊らされ、「片道切符」
で北に渡ったまま放置されている。ともに救出作業は遅々として進まず
今日に至っている。

 この間、北朝鮮は着々と核開発ならびに弾道ミサイル実用化を進め
6カ国協議では、5カ国の対北姿勢の足並みの乱れに乗じて時間稼ぎをしつつ、
「倭国」なる蔑称(べっしょう)を使って対日攻勢に余念がない。

 その「ならず者国家」北朝鮮に、かつて日本政府は人道支援を名目に
コメ支援を行い、政治家にあっては閣僚も含め、過去の罪を償い、
新たに友好関係の絆(きずな)を深めると称して“土下座訪朝”する愚を犯してきた。

 日本政府の外交上における致命的ともいうべき失態だが、
理由は、日本には北朝鮮はむろん大半の国が備えている「情報機関」がないため、
有効な外交カードが切れず、徒(いたず)らに風評に振り回され
翻弄(ほんろう)される状況にあるからだ。

 ≪ドイツ情報戦略の周到≫
 「ベルリンの壁」が崩壊する前だったから、かれこれ二十数年前のこと、
「壁」の向こう側、東ベルリンへ旧東独の実態を探るために、
何度も足を運んだことがあった。

 旧東独で発生した西ドイツ人拉致事件をはじめ
東西に引き裂かれ生き別れになって東側に取り残されていた家族の悲劇を
追跡するためだった。東ベルリンに入るときの東独の検問所における緊張感や、
電車に乗って東へ入る時から尾行がついているのが気配で分かる気味の悪さは
験した者でないと分からない。無事帰れたときはほっとしたものだった。

 ある時は東から逃げてきた知人から、
「気をつけなさい。あなたにはかわいい一人息子がいますね」
と念を押すように忠告され一瞬背筋が寒くなったのを覚えている。

 にもかかわらず最後まで真相に迫ることが可能だったのは、
二次世界大戦後早々と、西ドイツに自国の国民を守る態勢の整備が確立して
いたからである。

 きっかけは1950年の朝鮮戦争だった。
西ドイツのアデナウアー首相(当時)は朝鮮戦争を米ソによる冷戦
の激化と分析し、直ちに国防の構築に着手したのだ。

 具体的にはこの年、首相直属の「再軍備のための準備」機関を設け、
5年後の1955年には連邦軍を創設、この年NATO(北大西洋条約機構)
に加盟するにあたって「連邦情報局」を新設し、対外情報活動、
特に旧ソ連を標的に東方情報活動を展開する態勢を整えたのである。

 かつて本欄において触れたが、
イラク戦争で反対表明したはずのドイツが、その実、米独両国共同作戦の
一環としてCIA(米中央情報局)に協力し、工作員をバグダッドに派遣して
諜報(ちょうほう)活動に当たらせたのも、これらの活動をもとに
際情報を分析した結果、とった政策だった。

 国内においても早くから“見えない敵”による国家破壊工作
防止するため「連邦憲法擁護法」(別名・スパイ防止法)や取締機関に
あたる憲法擁護庁を設置し防諜(ぼうちょう)に心血を注いでいる。

 ≪防衛省と日本版NSC≫
 日本でもこの1月9日、防衛庁発足以来52年にして
防衛庁が「省」へ昇格した。これを受けて防衛省は
長期防衛戦略を構築するため「戦略企画室」を設置するという。
首相官邸でも安倍内閣発足と同時に日本版NSC(国家安全保障会議)
がスタートし、国家の柱である国防=情報活動を最重要政策として位置づける
動きが本格化している。

 スパイ天国という汚名を返上するために大いに歓迎するところである
とりわけ国際テロが激化し、今や戦争は国家間で起こるものでなくなってきている。
核兵器がいったんテロリストの手に渡れば、核の抑止力など全く機能しなくなる。
そんな緊迫した状況にあって日本は国際社会の平和と安定に備え、
NATOとのいっそうの連携強化を模索し始めている。

◆ このような風雲急を告げる今日、日本がなすべき課題は
何はともあれ半世紀に及ぶ情報活動の立ち遅れを取り戻すため
国際情報を収集・分析・集積する機関など、“情報インフラ”整備へ向けて、
具体的な作業にとりかかることではなかろうか。(以上)


★ 私は別のことでお伺いしたいことがあったのですが、今は控えています。
欺瞞に満ちた日本の現状に対する怒りが、ベートーヴェンの唯一のオペラ「フィデリオ」の<悪者よ、どこへ急ぐのだ>というアリアを思います。


★ 今は三宅先生の講演を聴いてから興味を持って『ハンニバル』のことを読んでいます。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」から『ハンニバル戦記』です。
この中に出てくるローマの英雄、スキピオの名前はイタリアの国歌の歌詞で知っていました。
マエストロ、マリオ・デル・モナコが歌っていたのですもの。


スキピオとは・・・
★ イタリアの国歌で「スキピオ」という英雄の名が出てくる。
  ハンニバルと戦ったローマの英雄だ。しかし、スキピオは勝利の後、ローマに迫害される。
それはスキピオの実力を妬む者が仕掛けたことだった。


イタリアの国歌の歌詞から抜粋

★ 今や、スキピオの名誉は回復され、イタリア国歌にもその名前がある。

イタリアの同胞よ。
スキピオの兜         (スキピオは古代ローマの英雄で、大国コルシカのハンニバルを撃退した。)
頭に戴きて
イタリアは覚醒せり。
勝利の女神よ何処に坐すや。  
イタリアにその髪を捧げよ。
創造主はローマの僕として
そなたを創り給へるぞ。
(繰り返し)
Fratelli d'Italia
L'Italia s'è desta,
Dell'elmo di Scipio.
S'è cinta la testa.
Dov'è la Vittoria?
Le porga la chioma,
Ché schiava di Roma
Iddio la creò.


ブログのティールーム



★ マエストロ全盛期の録音からジョルダーノ「フェドラ」から(短いアリアですがこの上なく美しい曲です。)
Mario del Monaco "Amor ti vieta" Fedora (イタリア語歌唱)


イタリアのトリノ歌劇場の指揮者は、私の声を聴いて「リリコ・スピント」(抒情と劇的な強さを兼ねた声質)と判別され、このオペラをすすめられ勉強しはじめたのですが家の事情でオペラの勉強だけに専念は難しくなりました。

今はもうそんな思い出は昔のこととなりました。
それに異国で暮らすのは私は無理です。それは自分が一番感じていました。

優しかった母や「レイテ激戦の勇士」である父への敬意と思慕への思い出は尽きません。
これって損得を超えたもので、もし私が歌だけに生きていたら大きな悔いが残ったことでしょう。
こうして今でも音楽を心から愛していることは変わらないのですから。


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