ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

菅・小沢、国民不在の泥沼、どちらもダメだ、解散総選挙を!

2010年08月31日 | 政治
最后的?? - 孔明


唐国強の演じる素晴らしい諸葛亮、平沼さん、あなたの存在だけで、強い気持ちになれます。
菅が勝てば、日本経済は破綻、小沢が勝てば国会紛糾、どちらもノー!
国民のしらないところで日本の総理が決定するなんて!

民主党の党員やサポーターは外国人も含む、共産党でも「日本国民」とあるのに、いったい誰が、どこの国が日本の総理を決めるんだ!

解散総選挙しかない!
でなければ、平沼さん、保守勢力結集で日本を守ってほしい。
超党派で、民主党を打倒してほしい。
あなたの存在は大きいのだ。
羽扇は揃えますので。
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終生「三国志」迷の私・・・3義兄弟、古城での再会と「P氏の円卓」

2010年08月31日 | 中国文化・歴史
《三国演?》插曲 - ?一拜 (古城会) - 高清晰 音??? 在??看


私の名はベッラ・カンタービレ、これは音楽家として考えた名前。
もうひとつの名前、これはメールなどで使用してきた。
「三国志迷」・・・ビデオを購入した株式会社「三国志」の社長、石丸さんに教えて頂いた言葉で、私は「三国志迷」というセカンドネームがある。
迷とは狂うという意味で「三国志に狂った」という意味。

ブログには使用していない。
漢詩や平山郁夫画伯の作品を紹介、教えていただいた才女、フーレン様のメールに書く名前である。

政治に疲れたらオペラにもどり、オペラに疲れたら三国志に行く、と、私の「情緒の安定」におおいに役立っている。
マルチな考え、と自画自賛・・・けっこう笑われてはいるが。

三国志、といっても「レッドクリフ」は嫌だ。
1994年に制作された「三国演義」ビデオ全40巻のものでないと。
さすがに今はDVDで出ているが、あの頃は30万円以上した。
それでも買ったのである。
そして酔った。
酔いしれて「保守」の考えになっていった。

中国の文学、漢詩、美術、銘茶、景徳鎮などの食器や花瓶は大好きである。しかし、
間違った歴史認識を持ち、礼を欠いた横暴を奮う今の中国は問題が多すぎる。

この時、諸葛孔明を演じた名優、唐国強は石丸さんと親交があり、「今の中国は拝金主義に陥っている」と嘆いていたときく。
満州族の血をひく彼は時々石丸さんにあっと驚く発言をしていた。

「Pの視点」で、ある人がP氏を「漢」とたたえた。(あとでフローラはな様だということがわかった)
私もP氏を「漢」と思う。これは「男」の最上級の讃辞である。
今日、そのコメントを書いた。
絶対にブレない、信頼できる、義理がたい・・・そういう人で「三国志」でいうと関羽、なのだ。
「P氏の円卓」と名付けた。

☆この動画は様々な苦難を乗り越え、劉備・関羽・張飛の3兄弟(義兄弟)が喜びの再開を果たす名場面。感動的だ!
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コレッリ、イギリスとイタリアの聴衆の反応

2010年08月30日 | オペラ
Franco Corelli - Tosca - Vittoria in London & Parma


オペラ「トスカ」の政治犯、カヴァラドッシが<勝利だ、勝利だ!>と歌っているのですが、イギリスでは冷静、ところがイタリアでは、あの厳しいオペラファンが狂ったようにオペラを中断しかねないほどの熱狂、

戦後復興のイタリアでは、聴衆はオペラに酔った。
それに歌手も大型が揃い、すばらしい声を競った。

特に「トスカ」の政治犯で画家のカヴァラドッシが、伝え聞く勝利を、拷問のあとで歌う!これはイタリアのリッソルジメント(祖国統一戦線)からうけついだ「名場面」であった。戦後復興に励み、庶民はこの「勝どき」に共感と歌手への称賛をこめていた。

今ではそういうことももはや夢か・・・。


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マリオ・デル・モナコ来日コンサート、第一声は「ロメオ」・・・

2010年08月30日 | オペラ
Mario del Monaco "Giulietta son io" from Giulietta e Romeo


交通事故で重傷を負ったデル・モナコが見事、カムバックした。
あの「アンドレア・シェニエ」のころの圧倒的な声はもう無理だろう、と誰もが思っていた。
「かつての黄金のトランペット」の片鱗でも聴きたい、と思った。

第一曲がこれだった。ザンドナイの「ロメオとジュリエッタ」(イタリア読み)から<いとしいジュリエッタ、私です、ロメオです>

ロ、ロメオ???あの英雄テノールが???
ロメオといえば少年じゃないの!
いったいどうなってるの?

しかし彼が歌いだして、そんなこと忘れてしまった。
ロメオだろうがオテッロだろうが、ラダメス、シェニエであろうがどうでもいい、デル・モナコ健在、あの「世紀の声」に酔ってしまった。

ジュリエッタ、ミーア(我がジュリエットよ!)と歌うところはロメオなのか?
ソニーオ、ロメーオ、アイメー(私です、ロメオです、ああ)!!!

会場は興奮のるつぼと化した。声の勝利、であった。1968年。
それからデル・モナコは事実上、病のため、自宅療養となったのである。
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マリオ・デル・モナコ来日リサイタルよりヴェルディ「マクベス」~ああ、父の手は!

2010年08月29日 | オペラ
Mario del Monaco "O figli...A la paterna mano" from Macbeth


デル・モナコは健在だった。
交通事故で引退とまでいわれ、第一線を引いていただけに心配されたが、全盛期の声はまだ十分に保持しており、一声一声は入神の域だった。

デル・モナコはほとんどしゃべらず、息子のクラウディオ君に秘書をさせていたようだった。
ただ舞台にすべてをかける気迫というものが、せつせつと伝わってきた。
新幹線に乗れる、と楽しみにしていたそうだ。
デル・モナコは飛行機嫌いで有名、日本にも船で来る。

私は新幹線の駅まで迎えに行った。
でもすれ違い、方向音痴の私はいつのまにか彼を見失っていたのだ。

その話をきいた彼は「アリガトウ」と言った。
厳しい表情の彼が一瞬ほほえんだ。そして私ははじめて外国にファンレターを出したのだ。
独学でめちゃくちゃなイタリア語で書いた手紙だった。もちろん返事は来なかった。
あとできけば体調を崩していたという。
イタリア語を勉強したのは音大に入学してからだった。
でも私はオペラの台本を覚えていて、ヘンなイタリア語をまくしたてていた。
「サングェ(血潮)」とか「アッサッシーノ(人殺し)」「バールバリ(野蛮人め)」
・・・今から思えば大笑いである。
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