少し唐突ですが、このblogでも時々テーマにする「無形価値」を深く考えてみました。
きっかけとなった話は、後半に書きます。
何人かには過去に見せたかもしれませんが、僕は図のように、
人から人に贈る価値には「有形価値」と「無形価値」があり、それぞれ(贈る側が)「意識的なもの」と「無意識のもの」があると考えています。
図の(1)は、いわゆるプレゼントです。
「贈りもの」といえば、一般的にはこのイメージだと思います。
(2)にあたるものは存在しないと最近まで思っていましたが、
ある友達いわく、「これ、イケメンとか美人の特権じゃん?」。
…換言すればルックスか。
少し強引な気がしなくもないですが、なるほどね。笑
(4)は雰囲気やオーラ、或いは自然と出る「ごめん」や「ありがとう」のような言葉だと思います。
個人的には、これが一番尊いものだと思っています。
僕が最近感じたのは、「どういたしまして」を自然に言えることです。
実は、この言葉を言える人は意外と少ないかもしれません。
先日久しぶりに言われて何だか心温まり、「これぞ無形価値だな…」なんて思いました。
…そんな(4)は、良い習慣から生まれるものだと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、今回取り上げたいのは(3)です。
今までこの(3)は、「色々な経験をして自分の引き出しが増えれば、贈れるものが増える」と思っていました。
でも、それを「価値」と言うための大事なものを忘れていたようです。
それは、「その贈れるものが、相手の求めているものか」という点です。
当たり前かもしれないし、頭では分かっていたつもりだけど、僕にはできていなかったようです。
気付くきっかけは、先日終わった診断士デビュー戦のプレゼンでした。
過去にここでも書いた、ピアノカフェの案件です。
報告を終えて、先方のオーナーから頂いたコメントに
「良くできた報告だと思います。ありがとう。でも、これは私が求めてるものではないです。」
「普段からこのことばかり考えてる人間を唸らせるのは、特に無形のアイディアでは大変だと思います。
でも、もう少し具体策が欲しかった」
頭を殴られた感覚でした。
事前にオーナーへのヒアリングはしていたし、過去の記録も読み込んだつもりでした。
しかし、相手の本心や本音・深層心理まで汲み取れていなくて、どうやら根本的なところで何かを掛け違えていたようです。
この波紋から、日常生活も振り返ってみました。
相手の考えをちゃんと汲み取れていたんだろうか…
表層的な話を聞いただけで相手の考えを分かった気になり、
同様に表層的で、方向性を間違えた言葉を言っていなかったか...
誰かから何かを相談されたシチュエーションを振り返るほど、
日常生活でもそんな行動ばかりだったように思えます。
相手に対するそれまでのイメージや相手の話の表層から、時に自分の類似体験と結び付けたりして、早合点して。
「役立つ助言をしたい」という気持ちが空回りして、
僕が相手に贈っていたものは、「無形価値」ではなく「無形物」だったのかもしれません。
そうすると、「無形価値」を贈るために大切なことは何だろうか。
今時点の結論は、相手に有効なアドバイスで返すことを目的にするのではなく、相手の話を聴くことを第一に考えること・
一緒に原因や深層を深堀りしていくことなのかな…って思います。
そして煮詰まって原因や深層に辿り着いたら、解決策はまた相手と一緒に考えていく…という形が理想に思えます。
…これらは小手先のテクニックとして一朝一夕でできるものではなく、心掛けから始まる習慣なのかもしれません。
そう考えると、今まで(3)だと思っていたものは、実は(4)だったのかもしれません。
そんなことを考えていた、今日この頃でした。
いちコンサルタントとしても、1人の人間としても、もっと深く、もっと謙虚になりたい...
きっかけとなった話は、後半に書きます。
何人かには過去に見せたかもしれませんが、僕は図のように、
人から人に贈る価値には「有形価値」と「無形価値」があり、それぞれ(贈る側が)「意識的なもの」と「無意識のもの」があると考えています。
図の(1)は、いわゆるプレゼントです。
「贈りもの」といえば、一般的にはこのイメージだと思います。
(2)にあたるものは存在しないと最近まで思っていましたが、
ある友達いわく、「これ、イケメンとか美人の特権じゃん?」。
…換言すればルックスか。
少し強引な気がしなくもないですが、なるほどね。笑
(4)は雰囲気やオーラ、或いは自然と出る「ごめん」や「ありがとう」のような言葉だと思います。
個人的には、これが一番尊いものだと思っています。
僕が最近感じたのは、「どういたしまして」を自然に言えることです。
実は、この言葉を言える人は意外と少ないかもしれません。
先日久しぶりに言われて何だか心温まり、「これぞ無形価値だな…」なんて思いました。
…そんな(4)は、良い習慣から生まれるものだと思います。
さて、前置きが長くなりましたが、今回取り上げたいのは(3)です。
今までこの(3)は、「色々な経験をして自分の引き出しが増えれば、贈れるものが増える」と思っていました。
でも、それを「価値」と言うための大事なものを忘れていたようです。
それは、「その贈れるものが、相手の求めているものか」という点です。
当たり前かもしれないし、頭では分かっていたつもりだけど、僕にはできていなかったようです。
気付くきっかけは、先日終わった診断士デビュー戦のプレゼンでした。
過去にここでも書いた、ピアノカフェの案件です。
報告を終えて、先方のオーナーから頂いたコメントに
「良くできた報告だと思います。ありがとう。でも、これは私が求めてるものではないです。」
「普段からこのことばかり考えてる人間を唸らせるのは、特に無形のアイディアでは大変だと思います。
でも、もう少し具体策が欲しかった」
頭を殴られた感覚でした。
事前にオーナーへのヒアリングはしていたし、過去の記録も読み込んだつもりでした。
しかし、相手の本心や本音・深層心理まで汲み取れていなくて、どうやら根本的なところで何かを掛け違えていたようです。
この波紋から、日常生活も振り返ってみました。
相手の考えをちゃんと汲み取れていたんだろうか…
表層的な話を聞いただけで相手の考えを分かった気になり、
同様に表層的で、方向性を間違えた言葉を言っていなかったか...
誰かから何かを相談されたシチュエーションを振り返るほど、
日常生活でもそんな行動ばかりだったように思えます。
相手に対するそれまでのイメージや相手の話の表層から、時に自分の類似体験と結び付けたりして、早合点して。
「役立つ助言をしたい」という気持ちが空回りして、
僕が相手に贈っていたものは、「無形価値」ではなく「無形物」だったのかもしれません。
そうすると、「無形価値」を贈るために大切なことは何だろうか。
今時点の結論は、相手に有効なアドバイスで返すことを目的にするのではなく、相手の話を聴くことを第一に考えること・
一緒に原因や深層を深堀りしていくことなのかな…って思います。
そして煮詰まって原因や深層に辿り着いたら、解決策はまた相手と一緒に考えていく…という形が理想に思えます。
…これらは小手先のテクニックとして一朝一夕でできるものではなく、心掛けから始まる習慣なのかもしれません。
そう考えると、今まで(3)だと思っていたものは、実は(4)だったのかもしれません。
そんなことを考えていた、今日この頃でした。
いちコンサルタントとしても、1人の人間としても、もっと深く、もっと謙虚になりたい...