ヤベツの祈り(歴代誌上四章九、十節)を引用して、神に祝福と繁栄を求めると叶えられるというような理解をしているものが見受けられますが、背景の研究をいたしますと、そういう文脈で理解できる箇所ではないと判ります。
ポイントとなるのは、「私の領土を広げてください。」という言葉です。「領土」と訳される語はゲブールというような音になる語で「地境、領土」などの意味を表します。この言葉から、聖書学者たちは、ヤベツがカナン入植期の人物であると考えます。どうしてでしょうか。それは、律法の規定から出てくる理解です。律法においては、一度割り当てられた地境や領土は移してはなりません。申命記十九章十四節等にそういう規定が述べられています。ですから、箴言二十二章二十八節でもそのような戒めが語られています。また、列王記下二十一章三節において、ナボテという人物がアハブ王に畑を売ってくれるように依頼された時に、「主によってありえないことです。先祖の割り当ての地を与えるなど。」という内容の答弁をしているのもこの理由によります。
そういたしますと、ヤベツの「領土を広げてください」という祈りは、入植期においてのみ可能な祈りですし、単純に自分の不動産を増やしてくださいという意味にはなり得ません。ユダ族に割り当てられた地をきちんと取ることができますようにという意味に理解されるべきです。
この部分ヤベツが求めているのは、利己心から領土を増やしたいということではなく、神様が割り当てられた土地、神様に与えられた使命を、神の祝福によって果たすことができるように助けてくださいということなのです。ですから、それは同時に同族、ユダ族のための祈り、執り成しの祈りでもあったわけです。
歴代誌は捕囚から帰還したユダヤ人が、先祖の信仰に倣って生きるように奨励する意味を込めて書かれました。ヤベツの生きた入植期のユダヤ人は士師記にも記されている通り、自分たちの目に正しいと思うことをして生きていました。その結果、偶像礼拝をしたり、不道徳なことがはびこっていたりしました。にも関わらず、ヤベツは唯一の真の神を求めて、その使命を果たそうとしたのです。捕囚から帰還した民の間にも、偶像礼拝や不道徳がはびこっていました。歴代誌の記者は、今こそヤベツのように真の神への信頼によって生きるべきなのだと人々の信仰を鼓舞したことになります。
なお、これは私達も祈るべき内容です。私達の時代も偶像礼拝や不道徳、不義がはびこっています。そして、私達もそういう時代において神を真に求めるべき忍者なのです。私達の「神の子としてこの世を生きる」という使命、割り当てられた霊的な領土を目一杯生きることができるように祈り続ける必要が有り、その領土がどのようなものなのかを奥義書(聖書)の言葉を通して絶えず確認する必要が有ります。
このように、ヤベツの祈りは繁栄の神学の根拠に用いるような内容ではないと思います。
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ポイントとなるのは、「私の領土を広げてください。」という言葉です。「領土」と訳される語はゲブールというような音になる語で「地境、領土」などの意味を表します。この言葉から、聖書学者たちは、ヤベツがカナン入植期の人物であると考えます。どうしてでしょうか。それは、律法の規定から出てくる理解です。律法においては、一度割り当てられた地境や領土は移してはなりません。申命記十九章十四節等にそういう規定が述べられています。ですから、箴言二十二章二十八節でもそのような戒めが語られています。また、列王記下二十一章三節において、ナボテという人物がアハブ王に畑を売ってくれるように依頼された時に、「主によってありえないことです。先祖の割り当ての地を与えるなど。」という内容の答弁をしているのもこの理由によります。
そういたしますと、ヤベツの「領土を広げてください」という祈りは、入植期においてのみ可能な祈りですし、単純に自分の不動産を増やしてくださいという意味にはなり得ません。ユダ族に割り当てられた地をきちんと取ることができますようにという意味に理解されるべきです。
この部分ヤベツが求めているのは、利己心から領土を増やしたいということではなく、神様が割り当てられた土地、神様に与えられた使命を、神の祝福によって果たすことができるように助けてくださいということなのです。ですから、それは同時に同族、ユダ族のための祈り、執り成しの祈りでもあったわけです。
歴代誌は捕囚から帰還したユダヤ人が、先祖の信仰に倣って生きるように奨励する意味を込めて書かれました。ヤベツの生きた入植期のユダヤ人は士師記にも記されている通り、自分たちの目に正しいと思うことをして生きていました。その結果、偶像礼拝をしたり、不道徳なことがはびこっていたりしました。にも関わらず、ヤベツは唯一の真の神を求めて、その使命を果たそうとしたのです。捕囚から帰還した民の間にも、偶像礼拝や不道徳がはびこっていました。歴代誌の記者は、今こそヤベツのように真の神への信頼によって生きるべきなのだと人々の信仰を鼓舞したことになります。
なお、これは私達も祈るべき内容です。私達の時代も偶像礼拝や不道徳、不義がはびこっています。そして、私達もそういう時代において神を真に求めるべき忍者なのです。私達の「神の子としてこの世を生きる」という使命、割り当てられた霊的な領土を目一杯生きることができるように祈り続ける必要が有り、その領土がどのようなものなのかを奥義書(聖書)の言葉を通して絶えず確認する必要が有ります。
このように、ヤベツの祈りは繁栄の神学の根拠に用いるような内容ではないと思います。


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