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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

奏楽者も共同の礼拝者として歌う

2012-05-21 22:52:53 | 奉樂(賛美)の覚書
奏楽の奉仕者である場合、歌うことが演奏を妨げない限り、一緒に声を合わせて賛美に参加するべきです。自分は楽器を奏でる者だという意識ではなく、礼拝者であるという意識をより強く持つ必要が有ります。共同の礼拝を奉げる者同士ですから、一致して同じ歌を歌うことによってそれを現し、賛美をすることです。

その態度を表すのに一工夫が必要な場合が有ります。ドラムやその他の楽器の音が、マイクで拾うようにセッティングされている場合が有ります。すると、マイクが意外と自分に近くて、声を出して賛美すると、その声がマイクに入ってしまう場合が有ります。その時は、小さい声で歌うか、口だけ動かして賛美に参加する態度を示す方が良い場合も有ります。使徒信条、主の祈りの告白の時も同様な工夫が必要な場合が有るかもしれません。






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ハンドサイン関係のあれこれ

2012-05-14 22:32:47 | 奉樂(賛美)の覚書
ハンドサインや指揮に関して思い出したことが有りますので書いておこうと思います。

ハンドサインは見えるように
 何番を歌う、繰り返しを歌うなどの指示は、声やハンドサインでします。ハンドサインの場合は、せっかく出しても奏楽者やソングアシスタントに見えなければ意味が有りません。特に全体をリードする楽器の演奏者にははっきり示されなければなりません。そのためには、賛美リーダーは振り返ったり、手の位置をあちこちに振ってみたりすることが必要な場合が有ります。バンドの配置によっては、他のメンバーの影になって見えない場合がありますから、立ち位置も含めてきちんと気を配り、きちんと見えるように心がけなければいけません。
 違う話ですが、ハンドサインが後ろの人には見えないかもしれないと思ったら、ハンドサインを中継してあげるということもできるはずです。仲間内で助け合って、一致して賛美を奉げることを心がける気持ちが大事だと思います。

ハンドサインの行き違い
 同じケースを二つ知っています。リーダーが、五番を賛美するということで、五本の指を見せ、手のひらを広げてサインを送りました。それを見たバンドは、五番に行かないで、緩やかに演奏を止めてしまいました。手のひらを広げたサインは、「止め」のサインにも見えてしまうのです。
 解決方法は二つ考えられると思います。止めの合図は、握りこぶしだけを用いるという取り決めを教会全体ですることです。主任牧師もそれを共通理解とするのです。そうすれば広げた手は五番以外の意味にはなりません。それでも心配であれば、二つ目に、五番を表す手は、甲の方を見せるなどの取り決めをすることもできると思います。

二人の指揮の優先権
 礼拝の全体の流れに気を配っているのは、賛美リーダーだけではありません。大忍もいろいろ気を配って考えています。そして、大忍がサインを出す時も有ってしかるべきです。それは曲のどの部分を歌うかという指示かもしれませんし、テンポの指示かもしれません。その時は、賛美リーダーより大忍のサインに従うのが筋です。
 ここで気をつけなければならないのは、賛美チームのメンバーも、大忍がサインを出すかもしれないということを念頭に入れておくようにすることです。特に全体を引っ張るピアノであるとかギターを担当している人が敏感に察知して合わせられるように、いつも周囲を見るように心がけなければなりません。






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旧奉樂団時代の心得帳

2012-05-12 00:21:02 | 奉樂(賛美)の覚書
 結婚する前に所属していた単里で、数年間奉樂団の団長をしておりました。多い時は九人ぐらいで奉仕することもありました。荷物を整理していましたら、その楽団のために書いた心得帳が出てきました。奥義書講義所に入る前のものですが、少し整理しながら掲載してみたいと思います。


零)準備から本番までの気持ち
 旧約時代の人々が、牧場の子羊の群れから主の聖なる日にお奉げするのに相応しいものはどれかを慎重に選び、しみも傷も無い状態で奉げられるように心を配りならが育て、ついに必要な時に祭壇の上に奉げたように、心を込めてお奉げする賛美の勤めを委ねられているということを意識を強く持ってください。
 ある有名な大忍が賛美の講義の中で、特別賛美の時の会衆の心構えとして次のようなことを述べていました。-特別賛美に立てられている人は、会衆全体の代表祭司として賛美を奉げているのだから、会衆は賛美の内容に耳を傾け、心を合わせて、「アーメン、主よそのとおりです。」という気持ちで共に主を賛美しなければならないのです。-
 私達は、代表祭司としての自覚と畏れをもって奉仕させていただきましょう。

一)奉仕日
 賛美担当中忍が決めています。ほぼ毎月予定に入れられていますので、都合が悪い日がわかっていれば、早めに糸田まで知らせてください。 
 練習に出られない日なども、工夫と調整が必要なので、早く知らせてください。

二)選曲
 この賛美の歌が好きだから、これを歌いたいとか演奏したいと言う気持ちは一旦横に置いて考えます。何が礼拝に相応しいか、今示されているテーマは何かを熟考吟味して、一定期間祈りながら候補となる賛美をさがします。礼拝、祈祷会、ディボーションなどを通して確信を与えられた曲に決定します。リクエストを受ける時も有りますが、上記のプロセスを基本として糸田が決定します。
(このようにして選んだ曲が、その日のメッセージのテーマによく合っていて感謝することも度々有りました。)
 
三)練習に備えて
 練習の日程が決まったら、仕事やアルバイトの日程を出来る限り調整してください。シフトや仕事内容の割り振りの工夫をして奉仕している仲間の努力が無駄にならないようにしましょう。

四)練習について
 通常の練習時間は土曜日の三時半から五時までです。十五分ぐらいで楽器やマイクのセッティングを済ませます。続く十五分で御言葉の時間を持ちます。それから一時間が実際の練習となります。短期集中型で成果を上げたいと思います。
 時間は有効に使いましょう。一般の練習スタジオでは一時間二千円近く使用料を払います。趣味のバンドでもお金を払っていれば、それなりに気合を入れて集まります。私達は主への奉げ物を整えるのですから、目的意識をしっかり持って練習しましょう。

五)練習の課題達成のプロセス
 第一段階 新曲の場合、全員がメロディーを覚え、基本的な演奏ができる。前奏が決められるとなお良い。

 第二段階 全体の構成、基本的ボーカル・ハーモニーの決定。ピアノ、キーボードのアレンジのアイディアを出す。

 第三段階 ボーカル・ハーモニーの展開、割り振りの決定。ピアノ、キーボードのアレンジの決定。ベース、ドラムスの細部のニュアンスを決定する。

 第四段階 第三段階で決定した表現を自分のものとし、更に深化させる。新しく出てきたアイディアを試して見る。

 第五段階 自然に自信を持って表現できるようにする。祈り心をもって、気持ちを込めて表現できるようにする。
 
 第六段階 本番と同じセッティングで練習し、ヘッドホンや録音確認で細かくバランスや音質を調整する。その設定での演奏に慣れる。モニター類の調整もここで絞り込む。

六)本番に備えて
 仲間の名前を上げて祈りの備えをしてください。日頃からそのように祈ることが大事だと思います。
 服装は、フォーマルな感じになるように気を配ります。ユニフォームのようなものを考える時があっても良いと思います。
 よりよい表現のために、いろいろ工夫しましょう。朝ごはんをしっかり食べるとか、寒い季節にはホカロン等で手を温めるなどということも含まれます。
 ある声楽家は、声を出す2時間前には起床し、パスタを食べて本番に臨むとうまくいくと言っていました。他には、朝風呂に入るとか、アップルジュースでうがいをするなど、独自の工夫をしてみてください。
(実際に糸田は4時起きして、メンバーが食べられるように素麺を茹でて本番前のリハーサル後に一緒に食べたりしました。)
 どのパートでも、表情は重要な要素です。ビデオを見たり人に見てもらったりして研究してください。良い表情で賛美する時に表される恵も有ります。会衆の印象も変わってきます。気持ちに余裕が無いときでも、心がけてそうしましょう。主がそのような努力と態度を祝してくださると思います。

七)その他
 賛美担当の中忍のためにいつも祈りましょう。賛美の奉仕者に関する苦言などを一手に受け止め、私達の防波堤のようになっていてくださっている方です。主の祝福が豊かに有り、聖霊の豊かなお取り扱いを受けることがきるように祈ります。
 列王記、歴代誌、エズラ・ネヘミヤ記、詩篇、イザヤ書、黙示録などの、賛美の記述に慣れ親しんでください。とにかく聖書をよく読みましょう。

(ずっと一緒にやってきた仲間には、すごく当たり前なことだと言われましたが、若いメンバーの中にはこれが受け入れがたいと思った人もいたように感じています。リクエストが受け入れられなかったメンバーが特にそんな感じの反応を示していたような印象がありました。)


 







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賛美チームの音響設定の一つのモデル

2012-04-30 09:41:02 | 奉樂(賛美)の覚書

 教会堂が大きいとか、賛美チームがロック調の賛美をするために音量が大きいとかいう理由で、ワット数やスピーカーの径が大きいアンプを購入するケースを時々見かけますが、様々な場面に合わせることを考えると、それはあまり良い選択ではないように十八は思うのです。と言いますのは、実際にはそのアンプの音で会堂全体に出す音を供給したり、バランスを取ったりすることは殆ど無く、PAを通して全体的なバランスを取ったり外部出力を用いてアナログ・デジタル録音用の音声出力を取ったりするからです。また、教会によってはそれらのアンプを定位置に固定しておくのではなく、集会に合わせてあちこちに運ばなければならない場合が出てきますし、その時小さい会場で鳴らすことになれば、本来のアンプの音が損なわれるぐらい小さい音に設定せざるを得ない場合が有ると思われるからです。
 ここで、私が今までのところ、一番応用が利くのではないかと思っている設定のモデルを提案しておきたいと思います。
 ギター、ベース、キーボード用のアンプは、30ワットのものを選びます。ブランドに拘りがなければ、あまり教会財政に負担が大きくなく、それなりに取り回しのし易いサイズで、音量も小さすぎず大きすぎないアンプを見つけることができます。
 次に、このアンプ類の用い方ですが、アンプスタンドに載せて演奏者の前方から演奏者に向け、音作りと個人のモニターを兼ねるようにします。そして、全体のバランスは外部出力からPAに送った信号を、ミキサーの方で調整してもらいます。音作りをするアンプが、直に自分の方に向いているため、不必要に音量が上がることも避けられますし、アンプとPAの音が会衆に同時に向かって干渉することも避けられます。(アンプスタンドによってアンプ角度の設定が違いますので、一番良いと思われる角度のものを探します。)
 全体的なモニターには、予算や実情に合わせて、床置きタイプやマイクスタンドに据え付けるタイプのモニタースピーカーを配置します。この時、ギターアンプなどが演奏者のモニターを兼ねていることの利点が出てきます。演奏者が全体のモニターに自分の音を返して欲しいと依頼すると、モニターのバランスが難しくなることが有りますが、それを避けることができるのです。それで、全体に必ず必要な賛美リードの声と、中心になる楽器、例えば賛美リードが弾くアコースティック・ギターの音やピアノの音などの音量音質調整により神経を遣うことができます。
 この設定で、演奏者もお互いにストレスが軽減され、会衆もより濁りの無い音で賛美に臨むことができ、且つ、いろいろな教会内の行事に合わせてアンプを持ち出したりすることが楽にできるとしたら、試して見ない手は無いのではないでしょうか。







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ミキサーのフェーダー等の操作

2012-04-30 01:20:52 | 奉樂(賛美)の覚書
 音楽による賛美や説教の時に、ミキサーのフェーダー等がもう少し気遣いの有るもので有ると良いのにと感じる場合が有ります。
 人間は、急激な変化を好まないことが多いと思います。音質や音量を調整、変化させようとする時、狙ったポイントまで一気にフェーダーを上げたりポットを回したりする人がいますが、それは急激な変化を感じさせ、会衆の気をそらさせ、礼拝の意識が妨げられる場合が有ると思います。調整が必要であると感じる時も、会衆があまり気がつかないぐらいの速度でゆっくり、徐々に変化させていくのが良いと思います。ハウリングなどの問題では、一気に変化させていく必要が有りますが、それ以外の場合は、何時の間にか変化していたというような感じになる、変化を明らかに意識されてしまわない操作の仕方が好ましいと思います。




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礼拝司会者の言葉選び

2012-04-24 23:25:50 | 奉樂(賛美)の覚書
礼拝全体も賛美という性格を持ちますから、このカテゴリーにさせていただきます。


さて、私、糸田十八が日頃から気になっていることに、礼拝における司会者の言葉選びが有ります。敬語や丁寧表現を用いようとしてのことなのですが、あまり相応しくない言葉が選ばれていると感じる時が有るのです。以前このことをお話しましたら、日本語はそういう表現をするものだから、あまり気にすることではないという反論をいただいたことが有るのですが、私はやはり注意深くあるべきだと考えています。二点取り上げてみます。

1)説教者の前に「○○牧師が、御言葉のご奉仕をしてくださいます。」というような表現をすること。
 御言葉を取り次ぐのはこのブログでいう大忍(牧師)の勤めであって、「してあげる」ような性質の事柄ではありません。会衆も「してくださっている」などという意識であってはならないと思います。大忍も天の恵によって御言葉の奉仕を「させていただいている」身なのでありますから、そういう表現にならないように役員や司会者、同労の少忍、中忍、大忍に注意を促すべきであると思います。
 実際にはどうしたら良いのかと考えます。「○○牧師により、御言葉のご奉仕・説教のご奉仕がございます。」「○○牧師が御言葉を取り次がれます。」などの工夫はできるのではないでしょうか。

2)賛美の奉仕の後「素晴らしい賛美を感謝します。」と言うこと。
 賛美されるべき主が素晴らしいのであって、賛美の奉仕者は共同の礼拝において会衆を代表して天の主を賛美し、ほめ称えたのですから、いかにその技量が素晴らしかろうと、主への礼拝の中で奉仕者を讃える表現は使わない方が宜しいと思います。奉仕者を労うのであれば、礼拝後に個人的にされたら宜しいと思います。礼拝の中では何も言わなくて良いと思います。代表賛美に会衆が合流するという意味においては、「アーメン。共に主を讃えて拍手をいたしましょう。」などということは可能であると思います。

とにかく、礼拝は我等の創造主、唯一の神をほめ讃えて礼拝する時間でありますから、その主の栄光だけが讃えられる時間となるように心を遣うべきであると思います。勘違いや自己陶酔を奉仕者が持つ要因になるようなことは予め避けておくべきであると思います。




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「聖霊よ来てください」対「聖霊来たれり」

2011-03-17 21:41:02 | 奉樂(賛美)の覚書
私、糸田十八がこのことを頻繁に考えさせられるのが、賛美の歌を歌う時であるので、このカテゴリーとさせていただきます。

賛美や祈りの中で、「聖霊よ来てください」という表現を使う人たちがいます。その意味するところは推し量ることができるのですが、聖書的にはそういう表現は良くないのではないかと思います。むしろ、古い賛美歌・聖歌に有るように、「聖霊来たれり」という宣言の方が大事であると思います。

聖霊は、その全存在をもって私たちに内住しておられます。行ったり来たりする存在ではありません。既にそこに居るのに「来てください」と言われたら、あなたならどのような気分になるでしょうか。変だと思いませんか。聖霊は人格的存在です。そのような取り扱いを喜んではいらっしゃらないことでしょう。

聖霊は内住されておられますが、その関係が深まらなければ、臨在感は強まりません。聖霊の臨在感を求めるのであれば、「来てください」と請うのではなく、あなたが意識的に関係を深めることを求めなければなりません。その具体的な内容は、聖書を味わい読むこと、祈りを重ねること、聖霊に語りかけること、内住を喜び感謝の告白をすること等です。賛美の中でも、その様な意識や態度を持ち続けることが必要です。何より、聖霊は既に内住しておられることに心を向け、感謝の心を持つことがその関係を深めて行くことになります。

「聖霊よ来てください」という表現のもう一つの側面は、具体的な力強い働きを為してください、という気持ちの吐露であると思います。しかし、表現としては、「来てください」ではなくて、具体的に「働いてください」、「勇気を与えてください」、「信仰を強めてください」、「思いを清めてください」、「癒しを与えてください」などと言うことが事実に即しているはずです。


私たちは聖霊を身近に感じたいという気持ちを持つことも有りますし、超自然的、霊的な働きを私たちの中に、また私たちの生活の中に現していただきたいという願いを持つことも有ります。しかし、それを告白し表現する時の言葉が「聖霊よ来てください」であってはならないと思います。その理由は、そういう告白が、聖霊の内住という信仰的事実の認識を歪めたり、遠のけたりすることにつながるからです。また、それが、安易なお願いのようなものになり、実際に聖霊との関係を深めることへの関心や努力が失われることにつながりかねないからです。









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タンバリン

2010-11-06 23:25:27 | 奉樂(賛美)の覚書
賛美のリードにおいて、リズムやテンポをリードするために、タンバリンを持つメンバーが居ます。特にドラム担当者が居ない時に、もう少ししっかりとリードをしたいとか、早いテンポの賛美にもう少し力を加えたいという考えからそうすることが多いと思います。しかし、それがあまりうまく行かない時があります。微妙な所で他の楽器と合わなくなってしまったりします。または、きっちりビートが頭で合わず、シャッフルのような跳ねたビートになってしまうことも有ります。このようなことを避けるためにはどうしたら良いのでしょうか。

タンバリンは、カラオケに行けば気軽に手に取られたりし、割合身近で容易な楽器のように思えます。しかし、実際に会衆全体をリードする程の効果を出す程のきちんとしたコントロールは意外と難しいのです。ですから、良かれと考えてタンバリンを持ち、逆効果になるよりは、むしろ、ピアノかギターに任せて、タンバリンはあきらめる方が良いのです。

しかし、どうにかしたいと思うのにタンバリンを単にあきらめようというのでは、何の助けにもなりません。そこで、タンバリンのエキスパートでなくても、ある程度効果を上げることができる方法を考えてみました。タンバリンは、フレームとシズルだけのものを念頭に考えて見ます。

タンバリンの音は、シズルという金属の板がフレームに当たったり、互いにぶつかり合ったりするときに出るものです。しかし、それは、音のする部分を直接スティックで叩く様な奏法ではないために、きちんとコントロールできないと、出したいと狙った瞬間に音を出すことができません。シズルは他の打楽器のようにきちんと固定されたものではありませんから、ちょっと角度が変わったりするだけで、不要な時に音が出てしまったりします。
 タンバリンのエキスパートでなくても、これらの難しさをカバーして、少しでも狙った効果を得るためには、タンバリンを寝かせて用いるのが良いでしょう。寝かせてあれば、シズルは重力でフレームにくっついて、ミュートの効果が出、意図しなかった瞬間に音が出てしまうことは避けられます。
 音の出し方のイメージはこのようになります。利き手でタンバリンを水平に持ちます。もう片方の手をフレームの下で平手で構え、音を出したい時点でフレームを構えた手に打ち付ける、もしくは落とす感覚で当てます。早いビートの時は、直ぐ水平に戻して、次のビートに備えます。
 このやり方は、初心者でも比較的正確にビートを刻むことができる利点が有りますが、あまり大きな音を出すことができないのが弱点です。

実際により大きな音でタンバリンを鳴らすためには、ライブででパーカッショニストがやっているように、上下ではなく、左右にタンバリンを振る奏法が必要になります。この時は、勢いや切れの良い動きが必要になります。タンバリンを振るとき、慣性の法則が働いて、シズルも同じ方向に動こうとし続けます。打撃音が欲しい時点でさっとフレームを止めるか反対に振ることによって、慣性の法則で動き続けているシズルと、運動が止まるかその方向が逆になったフレームをぶつけ合わせて音を出します。ですから、どのようなタイミングでの止め、もしくは振り戻しが狙った瞬間の音につながるかのを感覚的につかむまでの練習が必要になります。







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筋肉のメンテナンス

2010-08-04 22:30:20 | 奉樂(賛美)の覚書
 有名なクリスチャン歌手で、ギターも上手な方のお話をすぐ傍で聞いたことがあります。テクニシャンに調整してもらって、弦高も低くしてもらい、テンションも大変緩く設定してもらっているそうです。握力は無いのだというようなことを言っておられました。そのように、楽器の調整をこまめにすることは大事な要素だと思いますが、自分の体の方にも目を向けなければならない場合が有ると思います。
 一般的なピアノ、ギター、ベース、ドラムなどの楽器から、自分の声を用いるボーカルまで、筋力は大事な要素です。プロのミュージシャンの中にも、必要を感じて筋トレをしっかりしている人もいますし、バンドに専属のトレーナーをつけているような事務所も有るようです。
 個人的な体験では、そのような恵まれた環境にはいませんでしたし、トレーニングも苦手でうまくできませんでした。しかし、賛美チームの奉仕をする中で、最低線の維持はしなければという必要にかられて、プロテインを飲み始めました。すると、演奏のばらつきがおさまってきました。奉仕の上で筋力の衰えを感じる時は、そのような工夫も試してみてはいかがでしょうか。







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声の管理

2010-06-30 22:25:34 | 奉樂(賛美)の覚書
歌の奉仕だけでなく、説教にも場合によっては関係すると思いますが、声の管理について思い出したことを書いておこうと思います。

午前の礼拝では、特に賛美の歌での奉仕が有る場合は、声の調子を整えるのが難しい場合が有ります。声を出す2~4時間前には起床するということをプロの声楽家も何かのコラムで書いていました。もし第一礼拝が7時に始まるとなると、リハーサルはもっと早い場合もあるかと思います。私も4時に起床して備えた時期が有りました。また、同じ声楽家の言葉であったと思うのですが、歌う前にはパスタや麺類が良いということでした。私は素麺や蕎麦を食べましたが、のどの滑らかさという点では、素麺の方が良く、蕎麦はむしろ避ける方が良いかもしれないと思います。アレルギーが無い人でも、少し喉がいがらっぽいような感じが生ずる場合が有るのではないかと思うからです。
 声を出す前に口にしてはいけないと思うものが、他にも有ります。喉が腫れたような感じが出る刺激物などは避けるのが賢明ではないかと思います。ある説教者が避けるようにと言っていたもので、自分も経験的にそう思うものは、ナスです。喉に何かからまっているような感じが残り、うまく声が出せない感じがします。普段気をつけていたのに、ある時うっかり食べてしまい、奉仕が終わってから、どうして声が出なかっただろうかと考えて、ナスを食べてしまったことに気がついて、しまったと思ったことが有ります。
 長く歌わなければならないような時でも、60%ぐらいの力で歌えば、声は以外と長持ちします。そして、実は、普段もそれぐらいの方が安定してきれいな声とコントロールができるものです。
 軽い風邪を引いてしまったりした場合は、本番前にリステリンでうがいをするということを私はしています。むせたりしないように十分注意して、上を向いてガラガラとうがいをします。長さは、息を深く吸い込んでその息が続く限りという感じです。私はできればそれを二回します。リステリンを吐き出すと雑菌や血液だと思える茶色の汚れが出ます。自分の理想としては、そのような汚れが出なくなるまで繰り返します。しかし、かなりの刺激ですので、無理は禁物です。その後は、もう一度水でうがいをして、刺激が長く喉に留まらないようにします。喉の腫れが一回り引いた感じがして、声が出しやすくなります。ただし、これは私が個人的に見つけ出した方法で、必ずしも皆に合うかどうかはわかりません。本当になんとかしたい時、最後の手段として試すのが良いかと思います。実際に風邪気味の時にやってみて、効果を実感したと言ってくれた友人が二人います。
 湿度が足りないと喉の調子が保てない時が有ります。乾燥する時期とか会場においては、経験から相性が良く、効果が有ると感じる喉飴を少しずつなめるのが良いと思います。また、喉に湿度が残るようにすることを考えると、水よりは、適度の甘さのジュースが効果的な場合が有ります。繊細な方は、湿度計と加湿器を持ち歩き、調整をしながら本番に備えるということです。

ポイントの要約はしませんが、誰かの役に立てばと思います。






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