テーマ:愛と共に働く信仰は神の栄光を現すことになる
(奥義書-聖書-が手元に有るという前提で書かせていただいています)
導入
二十六節には「きょう、驚くべきことを見た。」という言葉が記録されています。ここで「驚くべきこと」と訳されたギリシャ語は、パラドクソスいう単語です。パラドクスという英語の元になっています。「期待と反対のこと」、「期待を超えたこと」という意味が有ります。
何か予期しなかったことが起きた時、私たちはどうするでしょうか。どうして、どのようにしてそんなことが起きたのだろうかと考えるでしょう。そこで、調査研究をして情報を集め、何かを発見することになるのではないでしょうか。私たちも、この記事から、どうしてこのようなことが起こったのかを調べ、この箇所の聖書的原則を見つけてみましょう。
本論
ルカは十七節でこの物語の設定を述べています。キリストは教え、また人々を癒していました。彼の前には二種類の人々が居ました。
先ず、パリサイ人と律法学者達を挙げましょう。彼らはキリストの教えを検閲し、キリストに対して優位に立とうとしていました。確かに彼らには偽預言者の教えが広がらないようにする責任が有りました。ヨハネ伝四章一節などから、彼らがキリストの宣教の初期から敵愾心を持っていたことが窺えます。もし、彼らがキリストの間違いを指摘することができれば、彼らはキリストを会衆の面前で貶めることができるのです。彼らも教師でしたから、当時の習慣に従って座っていたと思われます。他の人達は立っていたはずです。
次の種類の人達は、一般の会衆でした。彼らはキリストの教えを聞き、また病気を癒していただくためにそこに集まりました。これまでの説明から十分に想像がつくことです。でも、パリサイ人や律法学者には、教えを聞こうとか癒してもらいたいなどという気持ちは微塵も有りませんでした。
ルカは二十六節で次のように締め括りました。
人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。
この「人々」にはパリサイ人達は含まれていません。彼らは二十一節で、キリストのことを批判していて、受け入れてはいないからです。そうです。人々はキリストを受け入れましたが、パリサイ人達は、キリストを拒絶したのです。
続いて、別の種類の人達を確認しましょう。それは、中風の患者と、彼を連れてきた男達です。マルコ伝では男達は四人であったとされています。寝床や板に載せて病人を運ぶとしたら、四人が具合が良いというのは確かでしょう。男達は中風の患者をキリストに癒してもらいたいと思っていました。しかし、彼らには障害が有りました。キリストの居た家があまりにも多くの人で溢れていて、中に入って行けないということでした。中風の患者は立ち上がって人を掻き分けて人々の中に入って行き、キリストに癒しを願い出ることはできません。しかし、男達はあきらめませんでした。当時のユダヤ人の家は、囲いの有る平らな屋根が有りました。そこに物を置くとか、暑い夜にはそこに床を敷いて寝たりしました。また、祈ったり瞑想したり、時にはおしゃべりをする場所としても用いられました。彼らはその平らな屋根の上に上がりました。
ルカの説明からすると、この屋根はローマ式の家だったと思われるとする解説が有ります。ユダヤ人は屋根にタイルなどを貼ったりはしませんでした。ユダヤ式であれば、枝や泥を塗りこんだものでした。マルコ伝で用いられている語は、掘るという意味が有り、そちらの方がユダヤ人読者には合点が行くのだそうです。すると、ルカはユダヤ人でないテオピロの感覚に合わせて言葉を選んだのだと考えられます。
屋根は床に載せた人を吊り降ろすような大きな開部は有りません。男達はかなりの建材をはがしたということでしょう。
男達が中風の患者を吊り降ろした時、キリストは口を開きました。しかし、その言葉は人々を驚かせました。驚いたのは、キリストが病気と罪を関連付けたからではありません。多くのユダヤ人はそのように考えていたのですから。人々が驚いたのは、キリストが罪の赦しを宣言したからでした。
パリサイ人達が心の中でキリストを非難していることに対して、彼が発言している二十二節からの言葉、特に二十四節の言葉は、そこに居合わせた人々に対する信仰の挑戦であり、自分の神性の宣言でありました。
ところで、二十三節のキリストの質問に、あなたはどう答えるでしょうか。いざ応えてみようとして考えると、どちらが易しいかは言えないように思います。実を言うと、どちらの言葉も人間には容易く言える言葉ではありません。キリストの質問の意図は、誰もどちらの言葉も言えはしないということでした。本当に意味の有る言葉としてそんなことが言えるのは、神だけだということなのです。実際、キリストはその両方の事を中風の患者に言ったのでした。
二十四節でキリストは中風の人を癒す理由を述べました。その言い方は、実際には「私が地上で罪を赦す権威を持っている神であることを見せよう。」という意味でありました。ここでキリストは自分のことを「人の子」と表現しています。これは、アラム語的表現で元来人類という意味でした。しかし、旧約聖書の中では、神の使者の称号として用いられました。神が預言者エゼキエルをこの称号で呼んでいます。そして、ダニエル書七章では「人の子」が天の雲に乗って現われ、永遠の支配を与えられることから、後には神の称号と考えられるようになりました。
ですから、キリストはパリサイ人達や律法学者達に、「私を信じなさい。私は地上で罪を赦す権威が有る神なのだ。もしこの人が癒されたなら、それが証拠だ。」と言ったことになるわけです。パリサイ人達は、キリストを神を汚す者だと思っていましたが、もしそんな存在であったなら、決して病気の癒しを宣言するような力は無かったはずです。キリストが赦しを宣言すると、中風の男はたちまち癒されて、神を崇めながら帰って行きました。こんなにはっきりした証拠がどこに有るでしょうか。
一つ前の話では、キリストは罪のシンボルと考えられたハンセン氏病を癒しました。しかし、今回は、罪のシンボルではなく、罪そのものを赦し、癒したのです。これらの二つの話は、同じ罪というテーマでつながっており、先の話が後の話の導入にもなっていたのです。
キリストは人の罪を赦すことができる神です。そのことをキリストは人々に示しました。そして、人々はその奇跡を証拠として受け入れました。
別の角度から見てみます。
この話の中には神に対する信仰と情熱の有る人達が二種類登場しました。一つのグループは、パリサイ人達や律法学者達でした。もう一つのグループは、中風の男をキリストの元に運んだ四人の男達でした。
前者は、神への信仰と情熱からモーセの律法をきちんと守ろうとしました。しかし、その態度は、律法主義に陥ってしまいました。そして、自尊心に満ちて自己義認の態度を持った人達になってしまいました。自尊心というのは、人間中心で自己中心な態度です。それこそ罪でありました。だから、神に栄光を帰することはできなかったのです。
一方、中風の男を運んだ四人の人達は、神の栄光を現すことになりました。彼らの信仰は、キリストの神性を宣言することにつながりました。更にそれは友人の癒しにつながり、癒された男と人々が神を崇めることにつながりました。彼らは自尊心から行動したのではなく、友人への愛の故に行動しました。愛は神の属性の一つです。彼らはあきらめず、友人をキリストの前に連れて行くために一生懸命でした。彼らはキリストに対する信仰が有り、また、友人への愛が有りました。
横道にそれますが、有名な第一コリント書十三章、愛の章のことを考えてみます。これを書いたのはパウロですが、その「愛は~をせず」という書き方は、彼がパリサイ人であった時の様子を反映したものだと考えることができるそうです。その二節には、『また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。』という記述が有ります。
ここにもキリストの前にいたパリサイ人達と中風の男の友人達との対比を見出すことができます。二節に現われる「山を動かすほどの信仰」というのは、当時のパリサイ人達の考え方を反映しています。彼らは、旧約聖書に関する難しい質問に答えられる人を「山を動かす者」と呼んでいたそうです。そういう人は信仰も篤いと考えられていましたし、パリサイ人達は、自分達こそ「山を動かす者」だと大変な誇りを持って思っていました。しかし、聖霊の実によって、パウロは、「愛がないなら、何の値うちもありません。」と結んでいるのです。中風の男の友人達には、その愛が有りました。
続けて四節では、『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。』と有りますが、パリサイ人達は寛容ではなく、苦しむ人達に親切ではなく、キリストの元に人が集まることをねたみ、その自慢と高慢の故にキリストを十字架にかけました。
パウロはパリサイ人時代の自分を省みて、そんな自分は何の値うちも無かったと認識しているのです。一方、この中風の男の友人達の愛の業は、神の栄光を現すことにつながりました。神に対する信仰と情熱を自負するパリサイ人達の方は、神の栄光を現すことができませんでした。
パリサイ人達のことを考えると残念な部分が有ります。彼らの「神以外に罪を赦すことができる存在は無い」という判断は正しかったのです。彼らが間違った自尊心を捨て、謙遜になることができさえすれば、他の人々と同じようにキリストを受け入れることができたかもしれないのです。しかし、彼らは「何の値うちも無い」ものにしがみついていたのです。私たちにもそういう部分が無いか、繰り返し問い続けることが必要であると思います。
結論
中風の男の友人(おそらく四人)が信仰と愛によって行動した時、神の栄光を現すことになりました。キリストが神であり、罪を赦す権威を持つ存在であることを示すことになりました。私たちも、キリストに従う者たちとして、この例に倣いましょう。神に対する信仰と愛に基づいて行動しましょう。四人が、あきらめずに、立ちふさがる困難を乗り越えたように、私たちもあきらめず、神と人々に対する愛から行動し、また主に近づきましょう。
ヨハネ伝には、最後の晩餐において、キリストが弟子達に「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを与えました。また、その席で天の父なる神に祈った時、弟子達の聖別と加護を求めましたが、その目的は「この世が信じ、知るためだ」と言っています。弟子達が互いに愛し合う時、それがこの世がキリストを信じることにつながり、神が従う者たちを愛しておられることを知らせることになるのです。
私たちは神に対する信仰と情熱を持っているでしょうか。しかし、そこで留まっている時、いつの間にかパリサイ人達のような態度に陥ってしまうことが有るかもしれません。四人の男達の様に、そこに神と人とへの愛を更に働かせましょう。そのことを通して、罪を赦すことができる権威を持つキリストの栄光が現われるように。その信仰と愛を主が用いてくださり、人々が「私たちは、今日、おどろくべきことを見た。」と言う程に神の栄光を現すことができる人生となりますように。
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導入
二十六節には「きょう、驚くべきことを見た。」という言葉が記録されています。ここで「驚くべきこと」と訳されたギリシャ語は、パラドクソスいう単語です。パラドクスという英語の元になっています。「期待と反対のこと」、「期待を超えたこと」という意味が有ります。
何か予期しなかったことが起きた時、私たちはどうするでしょうか。どうして、どのようにしてそんなことが起きたのだろうかと考えるでしょう。そこで、調査研究をして情報を集め、何かを発見することになるのではないでしょうか。私たちも、この記事から、どうしてこのようなことが起こったのかを調べ、この箇所の聖書的原則を見つけてみましょう。
本論
ルカは十七節でこの物語の設定を述べています。キリストは教え、また人々を癒していました。彼の前には二種類の人々が居ました。
先ず、パリサイ人と律法学者達を挙げましょう。彼らはキリストの教えを検閲し、キリストに対して優位に立とうとしていました。確かに彼らには偽預言者の教えが広がらないようにする責任が有りました。ヨハネ伝四章一節などから、彼らがキリストの宣教の初期から敵愾心を持っていたことが窺えます。もし、彼らがキリストの間違いを指摘することができれば、彼らはキリストを会衆の面前で貶めることができるのです。彼らも教師でしたから、当時の習慣に従って座っていたと思われます。他の人達は立っていたはずです。
次の種類の人達は、一般の会衆でした。彼らはキリストの教えを聞き、また病気を癒していただくためにそこに集まりました。これまでの説明から十分に想像がつくことです。でも、パリサイ人や律法学者には、教えを聞こうとか癒してもらいたいなどという気持ちは微塵も有りませんでした。
ルカは二十六節で次のように締め括りました。
人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。
この「人々」にはパリサイ人達は含まれていません。彼らは二十一節で、キリストのことを批判していて、受け入れてはいないからです。そうです。人々はキリストを受け入れましたが、パリサイ人達は、キリストを拒絶したのです。
続いて、別の種類の人達を確認しましょう。それは、中風の患者と、彼を連れてきた男達です。マルコ伝では男達は四人であったとされています。寝床や板に載せて病人を運ぶとしたら、四人が具合が良いというのは確かでしょう。男達は中風の患者をキリストに癒してもらいたいと思っていました。しかし、彼らには障害が有りました。キリストの居た家があまりにも多くの人で溢れていて、中に入って行けないということでした。中風の患者は立ち上がって人を掻き分けて人々の中に入って行き、キリストに癒しを願い出ることはできません。しかし、男達はあきらめませんでした。当時のユダヤ人の家は、囲いの有る平らな屋根が有りました。そこに物を置くとか、暑い夜にはそこに床を敷いて寝たりしました。また、祈ったり瞑想したり、時にはおしゃべりをする場所としても用いられました。彼らはその平らな屋根の上に上がりました。
ルカの説明からすると、この屋根はローマ式の家だったと思われるとする解説が有ります。ユダヤ人は屋根にタイルなどを貼ったりはしませんでした。ユダヤ式であれば、枝や泥を塗りこんだものでした。マルコ伝で用いられている語は、掘るという意味が有り、そちらの方がユダヤ人読者には合点が行くのだそうです。すると、ルカはユダヤ人でないテオピロの感覚に合わせて言葉を選んだのだと考えられます。
屋根は床に載せた人を吊り降ろすような大きな開部は有りません。男達はかなりの建材をはがしたということでしょう。
男達が中風の患者を吊り降ろした時、キリストは口を開きました。しかし、その言葉は人々を驚かせました。驚いたのは、キリストが病気と罪を関連付けたからではありません。多くのユダヤ人はそのように考えていたのですから。人々が驚いたのは、キリストが罪の赦しを宣言したからでした。
パリサイ人達が心の中でキリストを非難していることに対して、彼が発言している二十二節からの言葉、特に二十四節の言葉は、そこに居合わせた人々に対する信仰の挑戦であり、自分の神性の宣言でありました。
ところで、二十三節のキリストの質問に、あなたはどう答えるでしょうか。いざ応えてみようとして考えると、どちらが易しいかは言えないように思います。実を言うと、どちらの言葉も人間には容易く言える言葉ではありません。キリストの質問の意図は、誰もどちらの言葉も言えはしないということでした。本当に意味の有る言葉としてそんなことが言えるのは、神だけだということなのです。実際、キリストはその両方の事を中風の患者に言ったのでした。
二十四節でキリストは中風の人を癒す理由を述べました。その言い方は、実際には「私が地上で罪を赦す権威を持っている神であることを見せよう。」という意味でありました。ここでキリストは自分のことを「人の子」と表現しています。これは、アラム語的表現で元来人類という意味でした。しかし、旧約聖書の中では、神の使者の称号として用いられました。神が預言者エゼキエルをこの称号で呼んでいます。そして、ダニエル書七章では「人の子」が天の雲に乗って現われ、永遠の支配を与えられることから、後には神の称号と考えられるようになりました。
ですから、キリストはパリサイ人達や律法学者達に、「私を信じなさい。私は地上で罪を赦す権威が有る神なのだ。もしこの人が癒されたなら、それが証拠だ。」と言ったことになるわけです。パリサイ人達は、キリストを神を汚す者だと思っていましたが、もしそんな存在であったなら、決して病気の癒しを宣言するような力は無かったはずです。キリストが赦しを宣言すると、中風の男はたちまち癒されて、神を崇めながら帰って行きました。こんなにはっきりした証拠がどこに有るでしょうか。
一つ前の話では、キリストは罪のシンボルと考えられたハンセン氏病を癒しました。しかし、今回は、罪のシンボルではなく、罪そのものを赦し、癒したのです。これらの二つの話は、同じ罪というテーマでつながっており、先の話が後の話の導入にもなっていたのです。
キリストは人の罪を赦すことができる神です。そのことをキリストは人々に示しました。そして、人々はその奇跡を証拠として受け入れました。
別の角度から見てみます。
この話の中には神に対する信仰と情熱の有る人達が二種類登場しました。一つのグループは、パリサイ人達や律法学者達でした。もう一つのグループは、中風の男をキリストの元に運んだ四人の男達でした。
前者は、神への信仰と情熱からモーセの律法をきちんと守ろうとしました。しかし、その態度は、律法主義に陥ってしまいました。そして、自尊心に満ちて自己義認の態度を持った人達になってしまいました。自尊心というのは、人間中心で自己中心な態度です。それこそ罪でありました。だから、神に栄光を帰することはできなかったのです。
一方、中風の男を運んだ四人の人達は、神の栄光を現すことになりました。彼らの信仰は、キリストの神性を宣言することにつながりました。更にそれは友人の癒しにつながり、癒された男と人々が神を崇めることにつながりました。彼らは自尊心から行動したのではなく、友人への愛の故に行動しました。愛は神の属性の一つです。彼らはあきらめず、友人をキリストの前に連れて行くために一生懸命でした。彼らはキリストに対する信仰が有り、また、友人への愛が有りました。
横道にそれますが、有名な第一コリント書十三章、愛の章のことを考えてみます。これを書いたのはパウロですが、その「愛は~をせず」という書き方は、彼がパリサイ人であった時の様子を反映したものだと考えることができるそうです。その二節には、『また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。』という記述が有ります。
ここにもキリストの前にいたパリサイ人達と中風の男の友人達との対比を見出すことができます。二節に現われる「山を動かすほどの信仰」というのは、当時のパリサイ人達の考え方を反映しています。彼らは、旧約聖書に関する難しい質問に答えられる人を「山を動かす者」と呼んでいたそうです。そういう人は信仰も篤いと考えられていましたし、パリサイ人達は、自分達こそ「山を動かす者」だと大変な誇りを持って思っていました。しかし、聖霊の実によって、パウロは、「愛がないなら、何の値うちもありません。」と結んでいるのです。中風の男の友人達には、その愛が有りました。
続けて四節では、『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。』と有りますが、パリサイ人達は寛容ではなく、苦しむ人達に親切ではなく、キリストの元に人が集まることをねたみ、その自慢と高慢の故にキリストを十字架にかけました。
パウロはパリサイ人時代の自分を省みて、そんな自分は何の値うちも無かったと認識しているのです。一方、この中風の男の友人達の愛の業は、神の栄光を現すことにつながりました。神に対する信仰と情熱を自負するパリサイ人達の方は、神の栄光を現すことができませんでした。
パリサイ人達のことを考えると残念な部分が有ります。彼らの「神以外に罪を赦すことができる存在は無い」という判断は正しかったのです。彼らが間違った自尊心を捨て、謙遜になることができさえすれば、他の人々と同じようにキリストを受け入れることができたかもしれないのです。しかし、彼らは「何の値うちも無い」ものにしがみついていたのです。私たちにもそういう部分が無いか、繰り返し問い続けることが必要であると思います。
結論
中風の男の友人(おそらく四人)が信仰と愛によって行動した時、神の栄光を現すことになりました。キリストが神であり、罪を赦す権威を持つ存在であることを示すことになりました。私たちも、キリストに従う者たちとして、この例に倣いましょう。神に対する信仰と愛に基づいて行動しましょう。四人が、あきらめずに、立ちふさがる困難を乗り越えたように、私たちもあきらめず、神と人々に対する愛から行動し、また主に近づきましょう。
ヨハネ伝には、最後の晩餐において、キリストが弟子達に「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを与えました。また、その席で天の父なる神に祈った時、弟子達の聖別と加護を求めましたが、その目的は「この世が信じ、知るためだ」と言っています。弟子達が互いに愛し合う時、それがこの世がキリストを信じることにつながり、神が従う者たちを愛しておられることを知らせることになるのです。
私たちは神に対する信仰と情熱を持っているでしょうか。しかし、そこで留まっている時、いつの間にかパリサイ人達のような態度に陥ってしまうことが有るかもしれません。四人の男達の様に、そこに神と人とへの愛を更に働かせましょう。そのことを通して、罪を赦すことができる権威を持つキリストの栄光が現われるように。その信仰と愛を主が用いてくださり、人々が「私たちは、今日、おどろくべきことを見た。」と言う程に神の栄光を現すことができる人生となりますように。


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