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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

神が用いられる信仰と愛 ルカ伝五章十七節~二十六節

2010-10-29 20:01:24 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
テーマ:愛と共に働く信仰は神の栄光を現すことになる
(奥義書-聖書-が手元に有るという前提で書かせていただいています)

導入
 二十六節には「きょう、驚くべきことを見た。」という言葉が記録されています。ここで「驚くべきこと」と訳されたギリシャ語は、パラドクソスいう単語です。パラドクスという英語の元になっています。「期待と反対のこと」、「期待を超えたこと」という意味が有ります。
 何か予期しなかったことが起きた時、私たちはどうするでしょうか。どうして、どのようにしてそんなことが起きたのだろうかと考えるでしょう。そこで、調査研究をして情報を集め、何かを発見することになるのではないでしょうか。私たちも、この記事から、どうしてこのようなことが起こったのかを調べ、この箇所の聖書的原則を見つけてみましょう。


本論
 ルカは十七節でこの物語の設定を述べています。キリストは教え、また人々を癒していました。彼の前には二種類の人々が居ました。
 先ず、パリサイ人と律法学者達を挙げましょう。彼らはキリストの教えを検閲し、キリストに対して優位に立とうとしていました。確かに彼らには偽預言者の教えが広がらないようにする責任が有りました。ヨハネ伝四章一節などから、彼らがキリストの宣教の初期から敵愾心を持っていたことが窺えます。もし、彼らがキリストの間違いを指摘することができれば、彼らはキリストを会衆の面前で貶めることができるのです。彼らも教師でしたから、当時の習慣に従って座っていたと思われます。他の人達は立っていたはずです。
 次の種類の人達は、一般の会衆でした。彼らはキリストの教えを聞き、また病気を癒していただくためにそこに集まりました。これまでの説明から十分に想像がつくことです。でも、パリサイ人や律法学者には、教えを聞こうとか癒してもらいたいなどという気持ちは微塵も有りませんでした。

ルカは二十六節で次のように締め括りました。

人々はみな、ひどく驚き、神をあがめ、恐れに満たされて、「私たちは、きょう、驚くべきことを見た。」と言った。

この「人々」にはパリサイ人達は含まれていません。彼らは二十一節で、キリストのことを批判していて、受け入れてはいないからです。そうです。人々はキリストを受け入れましたが、パリサイ人達は、キリストを拒絶したのです。
 続いて、別の種類の人達を確認しましょう。それは、中風の患者と、彼を連れてきた男達です。マルコ伝では男達は四人であったとされています。寝床や板に載せて病人を運ぶとしたら、四人が具合が良いというのは確かでしょう。男達は中風の患者をキリストに癒してもらいたいと思っていました。しかし、彼らには障害が有りました。キリストの居た家があまりにも多くの人で溢れていて、中に入って行けないということでした。中風の患者は立ち上がって人を掻き分けて人々の中に入って行き、キリストに癒しを願い出ることはできません。しかし、男達はあきらめませんでした。当時のユダヤ人の家は、囲いの有る平らな屋根が有りました。そこに物を置くとか、暑い夜にはそこに床を敷いて寝たりしました。また、祈ったり瞑想したり、時にはおしゃべりをする場所としても用いられました。彼らはその平らな屋根の上に上がりました。
 ルカの説明からすると、この屋根はローマ式の家だったと思われるとする解説が有ります。ユダヤ人は屋根にタイルなどを貼ったりはしませんでした。ユダヤ式であれば、枝や泥を塗りこんだものでした。マルコ伝で用いられている語は、掘るという意味が有り、そちらの方がユダヤ人読者には合点が行くのだそうです。すると、ルカはユダヤ人でないテオピロの感覚に合わせて言葉を選んだのだと考えられます。
 屋根は床に載せた人を吊り降ろすような大きな開部は有りません。男達はかなりの建材をはがしたということでしょう。

 男達が中風の患者を吊り降ろした時、キリストは口を開きました。しかし、その言葉は人々を驚かせました。驚いたのは、キリストが病気と罪を関連付けたからではありません。多くのユダヤ人はそのように考えていたのですから。人々が驚いたのは、キリストが罪の赦しを宣言したからでした。
 パリサイ人達が心の中でキリストを非難していることに対して、彼が発言している二十二節からの言葉、特に二十四節の言葉は、そこに居合わせた人々に対する信仰の挑戦であり、自分の神性の宣言でありました。

 ところで、二十三節のキリストの質問に、あなたはどう答えるでしょうか。いざ応えてみようとして考えると、どちらが易しいかは言えないように思います。実を言うと、どちらの言葉も人間には容易く言える言葉ではありません。キリストの質問の意図は、誰もどちらの言葉も言えはしないということでした。本当に意味の有る言葉としてそんなことが言えるのは、神だけだということなのです。実際、キリストはその両方の事を中風の患者に言ったのでした。

 二十四節でキリストは中風の人を癒す理由を述べました。その言い方は、実際には「私が地上で罪を赦す権威を持っている神であることを見せよう。」という意味でありました。ここでキリストは自分のことを「人の子」と表現しています。これは、アラム語的表現で元来人類という意味でした。しかし、旧約聖書の中では、神の使者の称号として用いられました。神が預言者エゼキエルをこの称号で呼んでいます。そして、ダニエル書七章では「人の子」が天の雲に乗って現われ、永遠の支配を与えられることから、後には神の称号と考えられるようになりました。
 ですから、キリストはパリサイ人達や律法学者達に、「私を信じなさい。私は地上で罪を赦す権威が有る神なのだ。もしこの人が癒されたなら、それが証拠だ。」と言ったことになるわけです。パリサイ人達は、キリストを神を汚す者だと思っていましたが、もしそんな存在であったなら、決して病気の癒しを宣言するような力は無かったはずです。キリストが赦しを宣言すると、中風の男はたちまち癒されて、神を崇めながら帰って行きました。こんなにはっきりした証拠がどこに有るでしょうか。
 一つ前の話では、キリストは罪のシンボルと考えられたハンセン氏病を癒しました。しかし、今回は、罪のシンボルではなく、罪そのものを赦し、癒したのです。これらの二つの話は、同じ罪というテーマでつながっており、先の話が後の話の導入にもなっていたのです。
 キリストは人の罪を赦すことができる神です。そのことをキリストは人々に示しました。そして、人々はその奇跡を証拠として受け入れました。


別の角度から見てみます。
 この話の中には神に対する信仰と情熱の有る人達が二種類登場しました。一つのグループは、パリサイ人達や律法学者達でした。もう一つのグループは、中風の男をキリストの元に運んだ四人の男達でした。
 前者は、神への信仰と情熱からモーセの律法をきちんと守ろうとしました。しかし、その態度は、律法主義に陥ってしまいました。そして、自尊心に満ちて自己義認の態度を持った人達になってしまいました。自尊心というのは、人間中心で自己中心な態度です。それこそ罪でありました。だから、神に栄光を帰することはできなかったのです。
 一方、中風の男を運んだ四人の人達は、神の栄光を現すことになりました。彼らの信仰は、キリストの神性を宣言することにつながりました。更にそれは友人の癒しにつながり、癒された男と人々が神を崇めることにつながりました。彼らは自尊心から行動したのではなく、友人への愛の故に行動しました。愛は神の属性の一つです。彼らはあきらめず、友人をキリストの前に連れて行くために一生懸命でした。彼らはキリストに対する信仰が有り、また、友人への愛が有りました。

 横道にそれますが、有名な第一コリント書十三章、愛の章のことを考えてみます。これを書いたのはパウロですが、その「愛は~をせず」という書き方は、彼がパリサイ人であった時の様子を反映したものだと考えることができるそうです。その二節には、『また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。』という記述が有ります。
 ここにもキリストの前にいたパリサイ人達と中風の男の友人達との対比を見出すことができます。二節に現われる「山を動かすほどの信仰」というのは、当時のパリサイ人達の考え方を反映しています。彼らは、旧約聖書に関する難しい質問に答えられる人を「山を動かす者」と呼んでいたそうです。そういう人は信仰も篤いと考えられていましたし、パリサイ人達は、自分達こそ「山を動かす者」だと大変な誇りを持って思っていました。しかし、聖霊の実によって、パウロは、「愛がないなら、何の値うちもありません。」と結んでいるのです。中風の男の友人達には、その愛が有りました。
 続けて四節では、『愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。』と有りますが、パリサイ人達は寛容ではなく、苦しむ人達に親切ではなく、キリストの元に人が集まることをねたみ、その自慢と高慢の故にキリストを十字架にかけました。
 パウロはパリサイ人時代の自分を省みて、そんな自分は何の値うちも無かったと認識しているのです。一方、この中風の男の友人達の愛の業は、神の栄光を現すことにつながりました。神に対する信仰と情熱を自負するパリサイ人達の方は、神の栄光を現すことができませんでした。

 パリサイ人達のことを考えると残念な部分が有ります。彼らの「神以外に罪を赦すことができる存在は無い」という判断は正しかったのです。彼らが間違った自尊心を捨て、謙遜になることができさえすれば、他の人々と同じようにキリストを受け入れることができたかもしれないのです。しかし、彼らは「何の値うちも無い」ものにしがみついていたのです。私たちにもそういう部分が無いか、繰り返し問い続けることが必要であると思います。


結論
 中風の男の友人(おそらく四人)が信仰と愛によって行動した時、神の栄光を現すことになりました。キリストが神であり、罪を赦す権威を持つ存在であることを示すことになりました。私たちも、キリストに従う者たちとして、この例に倣いましょう。神に対する信仰と愛に基づいて行動しましょう。四人が、あきらめずに、立ちふさがる困難を乗り越えたように、私たちもあきらめず、神と人々に対する愛から行動し、また主に近づきましょう。
 ヨハネ伝には、最後の晩餐において、キリストが弟子達に「互いに愛し合いなさい」という新しい戒めを与えました。また、その席で天の父なる神に祈った時、弟子達の聖別と加護を求めましたが、その目的は「この世が信じ、知るためだ」と言っています。弟子達が互いに愛し合う時、それがこの世がキリストを信じることにつながり、神が従う者たちを愛しておられることを知らせることになるのです。
 私たちは神に対する信仰と情熱を持っているでしょうか。しかし、そこで留まっている時、いつの間にかパリサイ人達のような態度に陥ってしまうことが有るかもしれません。四人の男達の様に、そこに神と人とへの愛を更に働かせましょう。そのことを通して、罪を赦すことができる権威を持つキリストの栄光が現われるように。その信仰と愛を主が用いてくださり、人々が「私たちは、今日、おどろくべきことを見た。」と言う程に神の栄光を現すことができる人生となりますように。







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キリストの熱望すること ルカ伝五章十二~十六節

2010-10-23 04:38:52 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
導入
 ルカはこれまでにキリストが病気の上に権威を行使することができるメシアであるということを示してきました。この箇所もそういう箇所であるように思えます。繰り返しによる強調とも考えられますが、ここではそれ以上に別の主張がなされているように思われます。


本論
十二節
 これはガリラヤ地方の一都市での出来事と思われます。ルカがある町としか記録していないのは、病気がハンセン氏病の可能性が有るものだったからでしょう。伝染性の病気だったので、偏見によって人々がその都市を避けたりすることの無いようにという配慮であったのではないかと考える説が有ります。この患者は、全身がその症状で覆われていたということですから、ほぼ最終段階近くまで病気が進んでいたと思われます。
 ひれ伏すというのは、礼拝の姿勢であると同時に、熱心な懇願の姿勢でもあります。彼の言葉は、キリストにその意志が有るならば、癒すことのできる方ですという告白が含まれていました。彼は、キリストに病気を癒す力が有ることを疑っていません。つまり、キリストに対する信仰を持っていたということになります。彼の関心は、キリストに彼を癒す御意志が有るかどうかということでした。

十三節
 キリストは病人に触れましたが、それは普通なことではありませんでした。律法の規定では、人がハンセン氏病などの皮膚病の人に触れると、儀式的に穢れたことになるのです。そればかりでなく、そういう病気は伝染するものでした。にも関わらず、キリストは彼に触られたのです。
 キリストは「私の心だ(私は望む)、きよくなれ。」と言いました。そして、たちまち彼は癒されました。つまり、奇跡が起きたということです。殆ど末期の状態であったと思われる人が、たちまち完治したのですから。

十四節
 ここでキリストは癒された人に命じます。ここではパランゲローという語が使われています。それは、必ずなされなければならないことについて述べるという意味合いが有ります。軍事的な命令に用いられるような強い語感が有ります。
 命じられたことは、第一に、どのように誰によって癒されたかを言ってはならないということでした。そして、第二には、律法に従って祭司に癒されたという判定を受けるということでした。それは、彼が社会復帰できるようにするためでした。

十五節
 キリストの強い命令にも関わらず、そのうわさは広がって行きました。その結果、より多くの人々がキリストの言葉を聞くために、そして、病気を癒していただくために集まって来ました。

十六節
 しかし、キリストはよく荒野に退いて祈っていたという記述は、この箇所の結論としては奇妙に思われるかもしれません。多くの人達が集まって来たけれども、キリストは祈るためにたびたび密かに荒野に退いていたというのです。


この物語から私たちは何を理解したら良いのでしょうか。
 ルカは既にキリストがメシアとして病気を癒す権威が有ることを述べています。そすると今回の物語の主眼はもう少し違う所に有るようです。今回は、その病気の種類と、その病人の態度に注目する必要が有るように思います。
 病気はハンセン氏病とも理解できる内容になっています。その場合、病気は白い斑点として先ず現れます。そして、それが全身に広がって行きます。それは神経を冒して感覚が失われていき、ひどい怪我をしても気付かない程になります。また、体が崩れて行き、視力も失われます。
 ユダヤ人にとっては、ハンセン氏病は罪の象徴でした。それは二十世紀になるまでは、不治の病でした。罪の象徴と考えられたのは、その病状と霊性を関連づけたからだと思われます。罪は私たちの人生においては、破壊的な力です。罪は自分の力で取り除くことはできないもので、霊的な対処をしないと、あなたの霊的な生活を飲み込んでしまいます。この病気で体の感覚が失われるように、罪を放置すると良心が鈍くなります。また、この病が不治であると考えられたように、誰も自分の力で罪から救われることはできません。
 この箇所に現れる病人は、適切な場所に適切な態度でやって来ました。キリストの元に、礼拝と祈りの態度と姿勢を持って来たのです。
 ここで、キリストはユダヤ教のラビであったら決してしなかったことをしました。彼はその病人に触ったのです。ということは、もしかしたら半ば腐ったような状態の皮膚やできものに触ったかもしれないということです。そんなことをしたら、穢れが移るばかりでなく、実際に病気が移るのですから、ラビ達は考えもしない行動でした。しかし、キリストはメシアであり、死と黄泉を征服する存在です。例えそればハンセン氏病であったとしても、キリストを穢したりすることはできなかったのです。その代わりに、キリストはその病を癒してしまわれました。直接手を触れたことは、キリストの愛の表れでもあったと思われます。その時キリストは言われました。「私の心だ(私は願う)、清くなれ。」と。「私の心だ」という部分は「私は願う、熱望する。」という意味に成り得ます。キリストは人々が病からも罪からも癒され救われることを熱望しておられる方です。
 この物語において、ルカはこの福音書の最初の読者であるテオピロに、キリストはあなたを罪から救うメシア、救い主だと紹介しているのです。もし、あなたが近寄りさえすれば、キリストはあなたに触れてくださり、癒してくださるのです。だから、どうかキリストを信じてくださいテオピロ閣下、という風に、ルカは訴えていることになります。
 当時はハンセン氏病を含む深刻な皮膚病があちこちに有りましたから、ユダヤ教徒でなくとも、それが罪の象徴と成り得ることは比較的容易に理解できたようです。ルカはあまりユダヤ的な理解の解説をしていません。
 ヨハネ伝三章十六、十七節を思い出してください。キリストは、人々が救われるために遣わされました。ですから、肉体的にばかりではなく、人々が霊的にも清められることが願いであり、熱望していることなのです。

 ルカは、この箇所の締め括りに、キリストがよく荒野に退いて祈っていたということを述べます。四章四十二節にもそのようなことが既に書かれていますから、ルカは繰り返しによってキリストの祈りを強調したのかもしれません。しかし、これがどのように直前の病人の癒しにつながるのでしょうか。
 キリストは、私たちの従うべき模範でもあります。キリストの熱望しておられることは、私たちの神との関係が正しいのであることです。それが霊的な意味における、「清くなれ」の内容でもあります。ですから、キリストは神との正しい関係の在り方の模範を示したのだと考えることができそうです。
 ある大忍(牧師のことです)は、「学ばなければ決して知りえないことが有る。同様に、私たちには、祈らなければ決して知りえない世界が有る。だから、一生懸命祈りましょう。」と言っていました。
 みなさんはどんな祈りの工夫をしておられるでしょうか。人が押し寄せてくるため、キリストの実践した工夫は朝早く荒野に退くことでした。私たちには私たちの現実に合った別の方法が有るでしょう。それを見つけてみましょう。週半ばや早朝の教会の祈祷会に参加することもそういう工夫の一つであると思います。
 キリストが癒された人に命じて「誰にも話してはいけない。」と言ったのも、祈りの時間を確保するために、より多くの人が来ることのないようにと意図してのことであったに違いありません。そうでなければ、奇跡的な癒しを行う神の使者として既に広く知られていたキリストが、そんなことを言うことは理屈に合わないのではないでしょうか。


結論
 ここでは二つのことを結論として挙げておきます。

 第一に、キリストが熱望しておられることは、私たち人類が神といつも正しい関係に在ることです。それは、キリストを信じ、罪を告白し、御心に従い続けることによって成し遂げられます。この箇所の病人が謙遜に礼拝と祈りの心を持ってキリストの前に来たように、私たちも同様の態度を持ってキリストの前に出ましょう。
 第二に、神との正しい関係と力有る霊的生活の源は、祈りです。キリストが工夫して祈りの時間を確保したように、私たちも何かの工夫をして祈りの時間のうちに神との交わりを保ちましょう。
 






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弟子の第一歩 ルカ伝五章一~十一節

2010-10-16 05:57:28 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
テーマ:弟子であるか群集の一人にすぎないかは、教えを信じて実践するか否かにかかっている

導入
 ゲネサレ湖での出来事が記録されています。湖の別名ガリラヤ湖です。時間の流れに従って記されてはいないことが、四章の記述にも関わらず同じ地方にいることから判ります。もしかすると、この部分におけるシモンの態度も、そのことを示していると考えられるかもしれません。
 先に四章で見たように、人々は早朝からキリストを捜し求めました。この記録も朝の出来事についていです。たくさんの人が集まれる場所はそんなに無かったので、湖のほとりの開けた場所に集まったのでしょう。


本論(今回は節を追って述べてみます)
一節
 大変多くの人達がキリストの教えを聞きに来ました。人々は集まり続けて、キリストに押し迫る程でした。人の足を踏んでしまう人もいたのではないかと想像されます。有名な人が来ていると聞けば、多くの人は、少しでも近くに行って見ようと思うものではないでしょうか。
二節
 そんな状況を少しでも緩和しようということではないかと思いますが、キリストは周りを見回して、漁師が船から降りて網を洗っているのを見ました。網を洗っているということは、一仕事終わったということでした。漁は夜から朝にかけて行われました。ですから、その時間に仕事が終わるのはおかしいことではありませんでした。ですから、次の節に書いてあるような依頼が比較的し易い状況になっていたと考えられます。
三節
 キリストはシモンの船に乗り込んで、陸から少し漕ぎ出すように頼みました。そうすれば、群集から距離を取ることができ、群衆にはキリストが少し見やすくなったはずです。また、湖は山で囲まれるような地形でしたから、もしかしたら、キリストの声が響いて、群衆に届きやすくなる効果が有ったかもしれません。キリストが座ったというのは、当時のラビの習慣に拠ったものと思われます。ラビは座って教え、聴衆は立っているのが普通でした。
 シモンはキリストをある程度知っていたので、それが可能だったのだと考えることができます。キリストはその時には命じたのではなく、依頼をしています。
四節
 教えが終わるとキリストはシモンに深みに出て網を下ろすように告げました。それはおかしいことでした。先に説明したように、漁師は網を洗って仕事の片付けをしたのです。今仕事を終えたばかりの人達に、その仕事をするように指示をするのは非常識と言えます。
五節
 ここでシモンはキリストのことを「先生」と呼んでいます。その語には、上に立つ人を指す意味が有り、先生、指導者、司令官を意味する場合が有ります。ですから、シモンはキリストを敬う気持ちが有ったことが判ります。
 シモンは漁の専門家でした。その彼に、人間的には専門の違う大工であったキリストが漁の指示をするのは、素人が考えてもおかしいことです。ですから、シモンも一言、夜通し漁をしたが何一つ獲れなかったという現実を伝えたのです。つまり、漁獲の見込みは無いはずだと言ったわけです。
 魚は夕か朝に捕食をしたりするので、その時間が漁に向いていると考えることができます。そうすると、もう時間が合わないということになります。更にある学者達は、どうしても昼に漁をしなければならない時は、比較的浅い場所を選んだしています。すると、深みに漕ぎ出せという指示は、場所の選択が良くないということになります。
 シモンは一生懸命夜通し働いた後だったのですから、疲れていたはずです。ですから、そのような常識はずれな言葉には、怒って応答してもおかしくない状況でした。にもかかわらず、彼はキリストを先生と呼び、謙遜に聞き従ったことになります。
六節
 シモンがキリストの指示に従った時、その報酬と祝福を得たと言えます。彼の進んで船をキリストに貸したことの引き換えに、多くの魚を得ることになりました。それは、シモンのキリストに聞き従う態度への報酬でもありました。
七節
 大漁のため、シモンはゼベダイの子ヤコブとヨハネに助けを求めなければなりませんでした。そのことによって、彼らもこの奇跡の目撃者となりました。生き物が増えるというのも、神の使者の印と考えられていました。アロンとモーセがたくさんのイナゴやカエルなどを神の力によって呼び寄せたことがその例と考えられました。そして、今回の大漁は、彼らの誰もが経験したことのなかったものでした。彼らにはそれを偶然だということは決してできませんでした。
八節
 シモンの言葉は、神への畏れに打たれた者のそれでした。彼は自分は神の使者の前に居る価値が無いと感じました。シモンの言葉は、四章に出てきた悪霊の「いったい私たちに何をしようというのです。」という言葉とは好対照でした。
九、十節
 ヤコブとヨハネ、更にはアンデレも同様に神への畏れに打たれたと考えられます。キリストは「恐れることはありません」と言いました。人々が畏敬の念を持って応える時、神は平安を下さるのです。そして、ここで、キリストは彼らに使命をお与えになりました。それまでの仕事は漁師でした。魚は一度獲れば死にました。しかし、人間を獲る漁師は、人々が永遠に生きるように導くのです。
 大漁は二つのことを象徴しています。神はその命令に従う者に、十分な必要を満たしてくださるということ、そして、また、多くの人をキリストに導くことができるということです。
十一節
 こうして、彼らは全てを捨ててキリストに従うことになりました。あの大漁だった魚も同僚や父親のゼベダイの収入になったと思われます。相当な金額になったはずです。ガリラヤ地方では、漁師というのは相当稼げる良い職業とされていました。ですから、その仕事を捨てるということは、重大な決定でありました。


結論
 この箇所でルカが読者に伝えようとしたことは何でしょか。今回は次のようにまとめてみました。

第一、キリストは被造物(生物)に対して権威を持つ
 実は六章に至るまで、ルカの関心事は、キリストの権威を知らせる点に有るということが見て取れます。ここでは、病気や悪霊などに続き、生物に対しても権威を持つ存在であることを新たに記録しました。

第二、キリストの弟子、(従う者)の資質
 キリストの言葉を聞こうと人々は熱心に彼の所に押し寄せました。しかし、キリストは彼らの中から誰も呼び出したり頼みごとをしたりはしませんでした。ヨハネ伝一章を読むと、シモン・ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネもキリストの受洗の時から、そういう群集に交じってキリストについて回る時も有ったことが伺えます。他の群集と同じようにキリストについて回ったのですが、特にこれらの人物が選ばれたのは、他とは違う資質が有ったからに違いありません。
 その資質は、シモンの態度に見出されると考えられます。

1. 三節から、シモンはキリストのために進んで働く意志が有りました。集まった群衆はキリストに関心を持ってはいましたが、多くの人達はただキリストから何らかの利益を得ようとしているだけであったのかもしれません。
2. 五節から、シモンにはキリストに対する従順と信頼が有ったと思われます。彼いは漁の専門家として十分にあてにすることのできる知識と経験が有りました。しかし、敢えてそれを横においてキリストの言葉に従いました。彼は自分の知識や常識よりもキリストの言葉を大事にしたのでした。
3. シモンは、キリストを利益を得るための手段とは考えず、神の使者として認識しました。彼は五節ではキリストを先生と呼びました。しかし、八節になるとキリストのことを「主」とお呼びするべき方であるということを悟ったのです。
4. 八節では、シモンは神に対する畏敬の念を持ち、謙遜な態度で応答しました。これは、先にキリストを殺そうとしたナザレの人々の傲慢な態度とは好対照です。彼は自分が神の使者の前に立つのには相応しくないという自覚が有りました。神もまた、謙遜に従うものに栄光をお与えになるのです。(イザヤ書六章五~七節、ダニエル書九章二十節、十章十二節)
5. 十一節では、シモンと他の三人が全てを置き去りにしてキリストに従っています。キリストを真の神の使者であると信じ切った姿勢がそこに有ります。きっと先に列挙したシモンの持つ資質を、彼らも持つに至ったのでしょう。


私たちの応答
 私たちはすでにキリストを救世主であり、全てのものの上に権威を持つことを信じ受け入れた者達です。この信仰の故に、進んでキリストの言葉に従って行動する意志を持ちましょう。聖書に見出される神の言葉に、たとえそれが常識はずれでばかげているように思われる時も、畏敬の念と謙遜な態度を持って従って行きましょう。それが、聖書の教えをただの道徳的模範、知恵の書、教養としてしか捉えない人々と私たちの違いです。








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その権威は神から来る ルカ伝四章三十一節~四十四節

2010-10-09 00:41:26 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
テーマ キリストは全ての物事に権威を持つ

導入
 先にキリストは自分がメシアであることを示しました。彼の使命は、福音を宣べ伝え、人々を罪の縄目から解き放ち、霊と肉の目を開くことでした。しかし、ナザレの人々はキリストを拒絶しました。キリストは自分を拒絶する人々の中で働くことをなさいません。そこで、キリストは再びガリラヤに向かいました。


本論
神の言葉としてのキリストの権威 三十一~二節
 キリストはキリストを受け入れた人々の所に戻って来ました。ルカは異邦人のために福音書を書きましたから、カペナウムを紹介するに当たっては、ユダヤ人には不要な「ガリラヤの町」という丁寧な説明を加えています。ここではキリストは毎週のように安息日に会堂で教えたということですから、人々に受け入れられていたことがわかります。
 ガリラヤの人達の様に、キリストを受け入れることは幸いであると思います。そうすれば、継続的にキリストの言葉を聞くことになるからです。今日でも、聖書の言葉を読み、聖霊の助けを得ることで、キリストの福音を信じる者に相応しい生き方ができるのです。
 人々はキリストの権威に驚いていました。それはどういうことでしょう。当時のラビ達は、有名なラビや伝統による解釈を引用して教えていました。しかし、キリストは自分の言葉として教えていたのです。ですから、人々は驚いたのです。キリストは「神の言葉」と言い表される存在です。キリスト自身が権威そのものなのです。

悪霊を従わせるキリストの権威 三十三~三十七節
 この部分では、会堂にも悪霊の影響下に有る人が居たことがわかります。ルカは「汚れた悪霊」という表現を用いました。異邦人にとっては、悪霊という言葉の持つ意味合いは、「超自然的存在」という程度のものでした。それで、ルカは不道徳で考えや生活が清廉でないというイメージの言葉を付け足しているのです。それは神の意志に反する有様ですから、そんな存在の悪霊はキリストと関わりたがらないので、大声でわめいたりしました。
 悪霊はわめいた時、「私たち」と言っています。複数の霊が働いていたことになります。滅ぼしに来たのだろうということを言っていますから、悪霊達はキリストにその権威が有るということを理解していたことになります。また悪霊は、「神の聖者」という言葉を使いました。これは旧約聖書では神の預言者や大祭司に用いられた表現でした。それがキリストに用いるに相応しい言葉だと理解していたということになります。キリストは神の使者として、また永遠の大祭司として来られたのですから。
 キリストはわめく悪霊を叱りました。叱ると訳される語は、強い禁止・不許可の意味が有ります。また、「黙れ」と訳される語は「くつわを掛けられよ」という意味が有り、この二つの語からも、キリストの強い語調と権威が伺い知れると思います。この権威の故に、悪霊達は男を投げ出しはしましたが、傷つけることはできなかったと考えられます。
 これを見た人々は驚きました。驚いたのはキリストに権威が有ったからです。そのことは人々の言葉からわかります。当時の宗教的な指導者達は、儀式的なことで悪霊を追い出そうとしたり、より力の強い悪霊の名によって追い出そうとしたりしました。カトリックで用いる第二聖典には、腐った魚の臭いを用いて悪霊を追い出すような話まで出てきます。しかし、キリストはそんなことは一つもせず、自分の権威と言葉で悪霊を追い出しました。こんなことは、かつて一度も無かったのです。
 そんなわけで、キリストのうわさは回りの地方の至る所に広まったのです。この「うわさ」と訳される語は、元々は「轟くような音」という意味合いが有ります。「広まった」という語は、広まり続けたという感覚が有り、そのうわさが継続的に広がって行ったことがわかります。広まったそのうわさは、「キリストは悪霊に対しても権威と力が有る」ということでした。

病気を癒すキリストの権威 三十八、九節
 会堂から出ると、キリストはシモンの家に入りました。おそらくそこが、キリストが滞在していた家なのでしょう。そこには、ペテロとその兄弟のアンデレ、彼の妻と妻の母親も住んでいました。
 ところが、この妻の母親が高い熱で苦しんでいたというのです。彼女は高齢になっていたと思われますから、高熱は命取りとなることも考えられ、危険な状況と言えました。
 そこで、人々はキリストに彼女のためにお願いをしました。ちょっと微妙な表現のような感じがしますが、要するに、彼女を癒してくださいとお願いしたことになります。キリストに助けを求めるということは、正しい選択と言えます。
 キリストは高熱に対してもその権威を行使しました。その癒しは驚くべきものが有りました。なぜならば、それは瞬間的で完璧な癒しだったからです。彼女になんの弱さも残っていなかったことは、高齢の彼女がキリストと弟子達のもてなしを始めたことでが物語っています。

キリストの権威の再確認 四十、四十一節
 ルカは、この後に二節を用いて、これまでに確認されたキリストの権威を再確認しています。例えすごいことでも、一度だけならまぐれで起きるかもしれません。しかし、繰り返し起きるならば、それは確実なこととして認められることになります。この繰り返しは、キリストの権威を強調する表現と見ることができます。
 日が暮れるといろいろな病人がキリストのもとに連れてこられました。キリストに癒す力と権威が有ったからですが、どうして日暮れなのでしょうか。思い出してください。この日は安息日でした。安息日には仕事をしてはいけなかったのです。病人が癒されるということは、医者の仕事をすることになると考えた人々は、ユダヤの考え方で日が切り替わる日没、日暮れ時にキリストの所を訪れたのです。
 このことを思うと、日が暮れる前にキリストがシモンの義母を癒したことは、神の本当の愛の姿を現すことだった言えます。また、キリストは集まった人々に直接手を置いて癒したことを通しても、その愛を現したと言えると思います。
 悪霊が「あなたは神の子です。」と叫んでいますが、これは賞賛の言葉ではありません。金切り声で叫ぶのは、むしろ反抗的な態度の表れと考えることができます。キリストは悪霊を叱って、そのようなことを止めさせました。キリストは、悪霊にそのようなことを証言してもらう必要など無かったからです。こうして、この箇所では、キリストが病に対しても悪霊に対しても権威が有る神の子であることが再確認されているのです。

継続し、拡大するキリストの宣教 四十二~四節
 寂しい所というのは、荒地という意味にも取れます。シモンの家から出て、荒地に出て行きました。父なる神とだけ交わる場所が必要だったからです。自分だけになる場所を探すことは、当時は難しいことでした。大抵の人達は早起きでしたし、家も密集していたのです。多くの場合、四つの家が中央に共有の中庭を持つようにして建てられました。それだけでなく、キリストの周りには多くの群集が集まって来ました。ここでも、人々がキリストを探し回った様子が示されています。ここで用いられている動詞は、群集があきらめずにキリストを見つけるまで熱心に探したことを示しています。
 ガリラヤの人々はそのように熱心にキリストを求め、そこに留まるように引き止めましたが、キリストは自分が遣わされた目的、使命を自覚していました。
 ユダヤの諸会堂で教えたということは、継続的にあちこちの会堂で教えていたということになります。ルカは「ユダヤの諸会堂」という表現をしました。ユダヤというのは基本的にはイスラエル南部を指す言葉でしたが、異邦人に向けて福音書を書いたルカが、ここでは「ユダヤ人の地」という意味合いで用いたと理解できます。実際ガリラヤだけを考えると、イスラエル南部ではなく、北部に位置しています。
 私たちも、キリストのように、祈りを通して、また、神の言葉を通して私たちに与えられている目的を自覚する必要が有ると考えることができます。今日も、私たちを通して、キリストの福音が広がり続けることを知り、そのことを自覚する必要が有ると思います。


結論
 この箇所から学ぶべき事柄は何でしょうか。いろいろ考えることができますが、今回は次のことに着目して要点としたいと思います。
 第一に、キリストを受け入れなさい、ということです。直前のベツレヘムの人達の拒絶の記事と対照的に、ガリラヤのカペナウムの人達はキリストを受け入れました。その結果、人々はキリストの権威有る神の言葉を聞き、悪霊を追い出していただき、病気を癒していただくという恵みを得ることができました。ルカも読者達にこのコントラストに気がついて欲しいと願ってこのように記したに違いありません。受け入れるか受け入れないかは単純な選択の違いです。しかし、その結果はこのように違うのです。また、朝早くからキリストを見つけるまで熱心に捜し求めたカペナウムの人達の態度に倣う姿勢を持ちたいと思います。
 第二に、キリスト救世主であり、神の権威を持っている存在だということを繰り返し確認することです。すでに十四節でキリストは神の子としての働きをしてガリラヤの人々に認められていることが述べられていました。しかし、ここで、もう一度その確認がなされ、更に詳しいエピソードが紹介されています。キリストはどのような存在であるのか、その権威はどういうものなのかを、きちんと確認し、信じ続けることが私たちにも求められるのではないでしょうか。
 第三に、私たちもキリストに従う者としての使命を確認し続けることです。キリストは朝早く荒野の退いたのは、祈るためです。休むためならこっそり違う家に移ったりした方が楽だったでしょう。そこで、キリストとしての使命を確認していた部分が有ると思います。ですから、多くの人々が押し寄せてきて、自分達の所に留まってくれるように頼んだ時も、「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません。わたしは、そのために遣わされたのですから。」ときっぱり言い切ったのだと思います。私たちが自分に与えられた使命は何かをよく考えて、それに忠実であるとき、キリストのような宣教はできないかもしれませんが、継続的に神の国が広がって行くのを見ることになるでしょう。

私たちには、神の御言葉、全ての権威を持っておられるキリストが共に居てくださることを、いつも喜び、天からの平安の中に生き続けることができるますように。







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キリストの宣教と我々の態度 ルカ伝四章十四節~三十節

2010-10-01 21:30:11 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
テーマ:人間的自尊心、キリストの宣教の妨げ

導入 十四、十五節
キリストはガリラヤに帰ったということですが、聖霊に満たされていたということが一つの注目点であったようです。その一帯にくまなく広がった「評判」の内容は、次の節で述べられている会堂での教えの素晴らしさだったかもしれません。あるいは、奇跡の業も含まれていたかもしれません。はっきりわかることは、その内容は記されていませんが、キリストの教えを聞き、彼を崇めたということです。ですから、その教えが人々に関心の的であったことは確かです。おそらく、そのような目覚しい働きは、聖霊に満たされていることによって支えられていたということも読み取ってよいでしょう。


ナザレでのメシア宣言
安息日に会堂に入る 十六、十七節
 このナザレの会堂で教えるということは、ガリラヤでの宣教を一年程続けた後でのことだろうと思われます。ナザレはキリストの出身地ですから、洗礼を受けてすぐそこで宣教を始めたりしたら、昨日まで大工しかしていなかった者が何事かということになって、到底受け入れられなかったでしょう。だからこそ、ガリラヤでの宣教と、一帯にくまなく評判が広がることが先ず必要だったのです。
 安息日を守ることは、キリストの少年時代からの習慣でした。私達が、主の日を守り、週の一日を聖別して礼拝することは、その範に倣う部分もあります。
 当時のユダヤ人の会堂での礼拝は、モーセ五書と預言書から一箇所ずつ読まれ、その両方の箇所を関連付けた解説がされたということです。会堂管理者が巻物の聖書を保管し、礼拝の時に読まれる箇所などを決めていたようです。また、会堂管理者が訪問してきた教師に説教を依頼することもありました。ここでキリストが朗読しようとして立ち上がったのも、そのような依頼が有ったからだと考えることができます。そして、その依頼も、ガリラヤでの評判が有ったからこそと言えます。

キリストのメッセージ 十八~二十二節
 聖書箇所が朗読されると、人々はキリストを注視していました。ガリラヤでの良い評判が既に彼らに届いていたからであり、実際に初めて自分達の耳でどんな話が聞けるかと、興味津々であったからでしょう。そんな聴衆にキリストは、読まれた聖書の言葉が今日実現したと宣言したのでした。読まれたイザヤ書の御言葉から、どのようにそれが実現したのでしょうか。読まれた聖書の箇所に現れている人物こそキリストのことだったから、実現したと言えたのです。では、その内容とキリストの共通点を確認してみましょう。

一、キリストはヨルダン川で洗礼を受けた時、その使命のために聖霊に満たされました。
二、キリストは捕らわれた人達に解放を告げ知らせました。
  第一義的には、イザヤはこれをバビロンの捕囚からの解放として語りましたが、キリストは罪からの解放を意味していました。
三、キリストは肉体と霊の目の両方を開きました。
四、キリストは恵みの年を宣言しました。これは、モーセの律法の規定に現れる解放の年のことです。その年は五十年に一度巡って来ました。奴隷は解放され、借金が帳消しにされ、先祖に割り当てられた土地はその家系の人達に返される年でした。キリストは、霊的な負債を帳消しにし、彼の宣教に応えた人々に新しい始まりを与えられました。

これらはキリストの使命のリスト、また、仕事の内容と言えるものでした。

実は、キリストは渡された聖書の箇所を全部読み切らないうちにそれをたたんで係りに返してしまわれました。なぜならば、その続きはまだ成就しない事柄だったからでした。それは、「われわれの神の復讐の日を告げ」(イザヤ六十一章二節)というもので、最後の審判につながるものだったからです。

キリストがこの聖書の箇所が実現したと言った時、キリストは「私はメシアだ。」と宣言したことになるのです。この言葉を聞いた人々は、その宣言に衝撃を受けたことでしょう。ナザレの人達は、キリストを少年時代から知っていたのですから。
 この時、キリストが具体的にどのような説教をしたのかはわかりません。しかし、人々は「みな」キリストをほめたということが書かれています。しかし、徐々疑いや不信が頭をもたげて来ました。「彼はヨセフの息子ではないか。」という言葉は、キリストに自分がメシアだと宣言するどんな権利が有るのだろうかという気持ちが含まれています。

キリストからの警告 二十三~七節
キリストが引用した諺、「医者よ、自分を治せ」というのは、自分を何かであると自称するならば、その資格や能力が有ることを証明しなければならないということを意味します。聴衆には、明らかにキリストがメシアであることを疑っている態度が見て取れたのでしょう。他の共観福音書では、彼らの不信仰のために、キリストは多くの奇跡を行わなかったと述べています。
 キリストがこのように切り出したのは、自分が神に送られた使者であるとはっきり宣言するためであり、同時に、過去に先祖達が神の預言者達を拒絶したようにキリストを拒絶しないようという警告をするためでありました。

先祖の不信仰の例 二十五~七節
 キリストはユダヤ人が不信仰で不誠実であった時代の話をしました。一つ目はイスラエルのもっとも不信仰なアハブ王の時代に起こったことでした。このとき、神の裁きとして飢饉が有りましたが、人々は神に立ち返らず、逆に、神の預言者エリヤやエリシャを受け入れ、その言葉に従った外国人達が奇跡的な恵みを得ました。
 これらの例話の要点の一つ目は、もしユダヤ人がキリストを拒絶するならば、神はその恵みを外国人にもたらすということです。そして、二つ目の要点は、外国人・異邦人も信仰によって神の贖いの対象と成り得るということです。

人々の反応とキリスト 二十八~三十節
 会堂にいた人達はみな怒りました。自分達と、エリヤやエリシャの時代の不信仰な人達が比べられたということへの怒りもありましたが、それ以上に、神の恵みが外国人、異邦人に行ってしまうだろうということに大変腹を立てたと考えられます。
 彼らは、自分たちこそアブラハムの子孫であり、必ずやメシアの到来を通して救われると思っていました。そして、その時には、自分達を苦しめている外国人達は皆滅びると思っていました。ですから、自分達がかえりみられず、神の恵みが異邦人の方に行ってしまうという警告は大変プライドを傷つける言葉でした。
彼らのプライドは不健全でした。あまりに怒り狂って、キリストを町から追い出したばかりでなく、崖から突き落とそうとしました。ナザレの町は丘の上に建てられていて、ある箇所はとても険しい断崖になっていたそうです。彼らは、安息日の礼拝も終わらないうちに会堂の外に出たと思われます。

自分達を神に誠実な民だと思っていた彼らでしたが、その振る舞いは公正なものではありませんでした。彼らの反応がどんなものであるのか、考えて見ましょう。
 第一に、モーセの律法でも判断をくだす前に審理や裁判の過程が有るのですが、彼らはそれを省いて、自分達の判断で突き進みました。
 第二に、安息日に死刑を執行することは律法に反することでした。
第三に、高い所から人を投げ落とすという死刑の方法は公式な執行法ではありませんでした。
 そういうわけで、彼らの行動は律法も神の方式も守らない不信仰で邪悪な人達だということを証明することとなりました。
 そんな状況でしたが、キリストは自分の道を進んで行きました。まだキリストが死ぬ時は来ていませんでした。キリストは彼らの真ん中を通り抜けて行ってしまわれました。どうやって怒り狂う人々の間を通り抜けることができたのでしょうか。それはキリストの霊的な力や神の権威によったのかもしれません。あるいは、奇跡の力で通り抜けたのかもしれません。もしそうだとしたら、人々はキリストに触れようとしても、まるで空気のようにすり抜けてしまったのでしょう。
 適切な準備を経てなされたと思われるキリストの郷里での宣教でしたが、人々は間違ったプライドのためにそれを拒絶してしまいました。

まとめ
この話から学ぶべきことは何でしょうか。
 第一に、キリストは救世主、メシアであるということです。ある人達は、キリスト自身は自分がメシアであるなどと宣言したことはなく、周囲の人達の期待が肥大して救世主、メシアと思うようになったと考えたりします。しかし、その宣言を信じるか否かは個人の判断に委ねられますが、今回の記事に限らず、幾つものキリストの言葉が、自分が救世主、メシアという自覚のもとに語られていることは明らかです。
 第二に、自分のプライドのために神の方式やメッセージを拒絶してはならないということです。信仰の在り方、やキリスト教的な考え方は、自分のプライドから考えると受け入れ難い場合が有るかもしれませんが、怒りに燃えて理性を忘れるような状態になってそれを拒絶するようなことが有ってはいけません。
プライドに訴えるということは、荒野でキリストを試みたサタンのやり方です。しかも、プライドのゆえにサタンは堕落しました。もし、あなたがプライドの故にキリストの方式には従えないと思うなら、それはサタンの方式に従おうとすることだという理解が可能です。
 少しはずれた話になりますが、宣教はよく練られた計画によってなされるという点も心に留めるべきだと思います。キリストが降誕したのが、より広い共通語(ギリシャ語)が存在した時代であったため、弟子達によるより広い宣教が可能であったように、きちんとした準備をして宣教はなされるべき面が有ると思います。この箇所においては、キリストはすぐに故郷に行かず、ガリラヤで宣教して人々の良い評判を得、それが故郷に届くようになってから出掛けました。結果としては、そのようにしても激しい拒絶に遭いましたが、それでも、会堂管理者に説教を頼まれるという効果を引き出しています。








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神の子そして人の子 (ルカ伝四章一節~十三節)

2010-09-23 14:38:03 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
テーマ:イエスキリストはメシアであり我々の倣うべき完璧な模範


緒論
   どんなにいつも聖霊に満たされて生活しているとしても、それはそれは、サタンの攻撃を免れる生活ということにはなりません。私達の主であるイエス・キリストでさえも、聖霊に満たされた後でサタンの攻撃を受けました。しかし、彼はそこで失敗するようなことはありませんでした。キリストが受けた荒野でのサタンの試みの話はおなじみでしょう。しかし、聖霊によって新しい洞察を得ることができると思います。


本論
第一部(場面設定)一、二節
この部分では、このお話の背景が語られます。キリストはヨルダンから帰りました。それは、キリストがヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けたからです。その時、天の父なる神は、公にキリストが「愛する子」であることを示しました。その表現を聞けば、聖書に通じているユダヤ人達は、詩篇二篇七節やイザヤ書四十二章一節をすぐに思い出すことができたでしょう。天からの声は、つまり、この男はメシアだと告げたことになるのです。
 一節の記述は、聖霊がキリストの上に下ったことを思い起こさせます。その同じ聖霊によってキリストは荒野に導かれたのです。おそらくそれはヨルダンの東岸のどこかであったろうと考えられます。
 キリストは荒野で四十日過ごしました。ユダヤ的には四十という数字は試練を表します。キリストもただ荒野でキャンプをしていたのではなかったのです。その四十日間にキリストが遭った試練や誘惑がどんなものであったかは記録していません。しかし、その期間、キリストはサタンの誘惑に遭ったのでした。マタイによる福音書によると、キリストはその期間断食をしていたということです。つまり、人間的に述べると、空腹とサタンの誘惑や試練というダブルパンチに耐えておられたということです。当時、ユダヤ人の習慣によると、断食の期間中であっても、日没後には軽食を取ることは許されていたそうです。しかし、ルカの表現は一切食事をしていなかったことを示しているようです。用いられている動詞から考えると、水も飲まなかったかもしれないと考えることもできます。そんなことは、聖霊の働きが無ければ生身の人間には決してできないことでした。ある学者達は、その期間キリストは空腹感が無かったと考えます。ルカが「その時が終わると、空腹をおぼえられた」と述べているのはそういう理由によるのかもしれません。そして、キリストが肉体的な弱さを感じている時に、サタンは優位に立ってことを進めようとしたようです。


第二部(サタンからの三つの主要な試練)三節~十三節
一つ目の試練三節~四節
「あなたの神の子ならば」というサタンの言葉は、洗礼の時の神の言葉に基づいて出てきています。そして、石をパンに変えさせようとします。ですから、サタンの言葉は、仮定というよりは、「あなたは神の子なのだから」という理由を表していると考えることもできます。確かにキリストは神の子でありますから、石をパンに変える能力が有ります。それでは、そうすることにどんな問題が有るのでしょうか。
 もしサタンの言葉に従ったならば、それは、父なる神への信頼が無いことになります。キリストを荒野に導いたのは聖霊であり、すなわちそれは神ご自身でありました。そして、それは父なる神の計画と導きの中に在ったことを意味します。ですから、その導きに従っている限り大丈夫なのです。キリストは父なる神を離れて独立して生きることを拒否なさったのです。この時キリストは申命記八章三節を引用しています。中途半端な引用ではなく、きっちり「しかし、主の口から出る全てのもので生きる」という部分まで引用しました。言い換えれば、私達も神の約束と戒めに信頼し、従順して生きなければならないのです。私達の肉体的な必要においても、主に信頼して生きなければならないのです。I
 最初のアダムが神から独立して生きるように誘惑された時、彼は敗北してしまいました。しかし、第二のアダムであるキリストは敗北することなく、私達に倣うべき模範を示しました。このことは、彼がメシアであることの証明の第一歩となりました。

第二の誘惑 五節~八節
 次にサタンは彼を連れて上りました。マタイによる福音書では、大変高い山に連れて行ったということです。そして、一瞬にしてこの世の様々な王国を見せました。おそらくサタンの超自然的な能力をもってそういうことをしたであろうと思われます。その地方の一番高い山に登ったとしても、「世界中の」国々を見るなどということは不可能だからです。その表現から、時代を超えて様々な国々を見せたかもしれないとも考えられます。
 ここで、サタンは、権力と支配を間違った方法で得るように提案しています。預言と神の約束によると、メシアは王位に着く前に苦しみを経なければなりません。キリストは十字架を避けて通ることはできないのです。もしそんな提案をのめば、たとえ権力を支配を手に入れても、メシアにはなれないのです。その間違った方法とは、サタンを礼拝することでした。そこではサタンは自分の性格や本質をも現したのです。サタンは偽りと過ちの父なのです。
サタンは確かにこの世の君であり、空中の権を支配する存在ではありますが、彼にはそこで述べたような国々を支配するような権限は有りません。そのことは次のような聖書の記述からも明らかです。
    『まことに、王権は主のもの。主は、国々を統べ治めておられる。』(詩篇二十二篇二十八節 新改訳)
    『王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。』(コロサイ書一章十六節)
それらは、サタンにではなく、神に属するのです。
 サタンは自分を崇拝する者達を捜し求めています。もし、あなたに、人々から賞賛を受けたいという願望が有れば、それはサタンの性質に倣うことになります。しかし、私達は、神の力と恵み以外のに源を持つ力を得ようとするべきではありません。申命記十章二十節には、『あなたの神、主を恐れ、主に仕え、主にすがり、御名によって誓わなければならない。』と書いてあります。「すがる」という表現が用いられているのです。そのような態度で生きることが求めてられています。ですから、もし、私達が他人の賞賛や自分の能力などを頼りにするならば、それは、自分が神にすがる者達、神の子どもであるという霊的な事実を否定することになるのです。私達は、どんな場面においても、ただ主に「すがる」ものであり、権力や支配を手に入れようとする姿勢を持つべきではありません。

第三の誘惑 九節~十二節
 次にサタンはキリストを神殿の有るエルサレムに連れて行きます。学者達は、神殿の南東の角に有った高い塔の部分に連れて行ったのだろうと考えます。そこからはキデロンの谷を見下ろすことができました。谷底までは三十メートルぐらい、一番深い所だと百二十メートルぐらいあっただろうという説も有るようです。
 この誘惑は、キリストに神を試させることによってメシアの資格が無い者にしようという意図が有りました。神を試すということは、神への信頼から出てくる行為ではありません。サタンは、今回は、旧約聖書の言葉を引用しました。しかし、それは文脈からはずれたものであり、サタンの狡猾で邪悪な性質の表れと言えます。彼の目的に合わない部分を抜いた引用をしているのです。詩篇九十一篇十一、二節を確認しますと、「すべての道で、あなたを守るようにされる。」という内容になっていて、人生の歩み全般が守られることを指す内容になっています。高い所から飛び降りるようなこととは関係が無いのです。そんな聖書の言葉の用い方や応用はまったく正しくありません。どんな聖書の引用であっても、それが文脈に沿ったものであるか、正しい理解であるかを確かめる慎重さが私達にも必要です。
 キリストは、これまでと同様に、再び聖書の言葉でサタンの誘惑を退けました。引用された申命記六章十六節は、以前荒野でしたように再び神を試みないようにというイスラエル人への警告と指示の言葉です。キリストは、間違った聖書の引用を、正しい聖書の引用で退けたことになります。


第三部(この物語の締め括り) 十三節
   「手を尽くした」と訳されている語は、完璧な終了の感覚が有ります。彼がし尽くしたことは「誘惑」でした。いや、たった三つの誘惑で「し尽くした」というのは、語感に合わないではないかと思われるかもしれません。どうして、サタンは「誘惑の手を尽くした」ということになるのでしょうか。サタンの三つの誘惑は、肉体的な誘惑、優越感の誘惑、神に対する不信仰の誘惑に分類されます。そして、もし私達が経験する誘惑を突き詰めて分類しようとすれば、この三つですべてが分類できるということに気付くのではないかと思います。そういうわけで、ヘブル書四章十五節においても「すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」と書かれているのだと理解することができます。
 サタンには、この後キリストを十字架につける手立てを講じる時までは、キリストに手を出す機会は与えられなかったようです。


結論
 ルカはこの記述によって何を知らせたかったのでしょうか。第一に、イエス・キリストは神の子であるということです。第二に、キリストは私達に倣うべき完全な模範を示すことのできる人の子であるということです。そして、第三に、キリストは、試練を経てメシアであることが証明された存在であるということです。

キリストは神の子である
 この物語の始めにルカは間接的にキリストの洗礼に言及しています。読者に洗礼の時に父なる神が天からキリストを神の子と宣言したことを思い出させる意図が有ります。サタンはキリストを試す時、二度「あなたが神の子ならば」と言いました。それは疑いを持った仮定ではありませんでした。サタンもキリストが神の子であることを認めているのです。

キリストは我々が倣うべき完全な模範を示す人の子である
 キリストは人でありました。空腹にもなりました。そして、私達に完全な模範を示すためにも、人として来られたのです。洗礼者ヨハネがキリストの洗礼を断ろうとした時、キリストが言った言葉を思い出してみましょう。マタイ伝三章十五節で、キリストはこのように言っています。「今はそうさせてもらいたい。このようにして、すべての正しいことを実行するのは、わたしたちにふさわしいのです。」従って、私達がキリスト者となる時に、その模範に従って洗礼を受けるのです。
 重要で中心的な模範は、今回の聖書箇所に出てくる誘惑への対処です。私達は、真理の言葉によって敵が私達の心に送り込む偽りを撃退しなければなりません。私達は肉体的、物質的な必要に関しても、神に完全に頼る者でなくてはなりません。私達に対する神様の御心を忘れて、優越感を満たすために行動してはいけません。私達は神が生きて働いておられることを疑って、神を試すような行動をしてななりません。私達はいつも信仰を持って神に信頼して歩むなければなりません。

キリストは試されメシアと証明された
 最初のアダムはキリストが誘惑されたのと同様の手口で誘惑されたと考えることができます。
先ず、アダムは肉体的、物質的な弱さを攻撃されました。善悪を知る木の実は見るに美しく食べるに美味しそうであったといいます。石をパンに変えるという考えも、同様に食欲をそそることであったでしょう。アダムは誘惑に負けましたが、キリストは勝ちました。
 また、アダムは優越感を通して攻撃を受けました。善悪を知る木の実を食べれば、より力を得て優れた者になるというのです。サタンを礼拝すれば全世界の権力と栄光が与えられということは、同様の挑戦であり誘惑でありました。アダムは誘惑に負けましたが、キリストは勝ちました。
 もう一つ、アダムは神への不信を通して攻撃を受けました。サタンの言葉は直接的にはエバに向かって語られたのですが、神は人が賢くなることを望まないような、人にとって良いことを出し渋るような神という疑いを引き起こしました。高い所から飛び降りても、キリストなら自分の権威で解決を図ることはできたでしょうけれども、果たして父なる神が助けてくれるだけの愛と守りを持っているだろうかという疑いの行為、神を試す行為になったでありましょう。アダムは善悪を知る木の実を食べれば結果がわかると思ったかもしれません。アダムは誘惑に負けましたが、キリストにはそんな疑いの入り込む余地は微塵も有りませんでした。
 そういうわけで、キリストはメシアとしての資質を試され、メシアであることを証明したのです。私達の人生のあらゆる場面でメシアであるキリストに信頼して歩みましょう。

 サタンはあなたの肉体的、物質的必要を通して、あなたの優越感を満たそうとする欲求を通して、神への不信を通してあなたを誘惑し続けるでしょう。それがサタンの戦略であることを学びました。彼が私達の思いに入れる間違った考えを、キリストの例に倣って、正しい聖書の御言葉でいつも置き換えて退けましょう。キリストこそがメシアであり、私達信じる者達の倣うべき模範です。







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安らかに去らせてくださる (ルカ伝 二章二十五節~三十五節)

2009-12-29 17:43:35 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
この箇所にはシメオンという老人が登場します。今回は、ある大忍を通して、二十九節の言葉に注目して考える機会が与えられました。シメオンはその節でこのように告白しています。

「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」

シメオンは高齢で死期が近づいていました。そういう老人が、これで「安らかに」この世を去ることができると告白したのはどうしてだったのでしょうか。

 彼はイスラエルの慰められることを待ち望んでいたと書かれています。それは、イスラエルにメシアが出現して、イスラエルを解放することの文学的な表現でした。しかし、そういうことであれば、実に多くの人達が同様にメシアの出現とイスラエルの解放を切望していました。では、彼は他の人達と何が異なっていたのでしょうか。
 実は彼には特別な啓示が与えられていました。彼の上には聖霊が止まっていたというのです。聖霊は預言とも密接な関係が有ります。しかし、そのように聖霊が止まっている人物は稀でありますし、四百年にもわたって、大きな働きをする預言者は現れなかったのですから、シメオンは特別な存在であったと言えると思います。そして、その特別な啓示の内容は、彼がメシアを見るまでは死ぬことがないということでした。言い換えれば、間も無くメシアが出現するということでもありました。
 そして、その聖霊が、或る日、シメオンに宮にそのメシアに会いに行くようにと促したのです。ですから、彼が宮に入って幼子イエスを抱いて入ってきたヨセフとマリアを見た時、それが待ち望んだメシアであることが即座にわかったということになります。
そこで、先に引用したシメオン告白がなされ、引き続いて、どうしてそうなのかという理由が彼自身の口から述べられています。
彼が安らかに、思い残すことなく死ぬことができると言ったのは、彼が約束のメシアをとうとうその目で見、またその腕に抱いたからでありました。彼はイスラエルの解放を自分の目で見ることは無いことを知っていたでしょうけれども、メシアの到来を目撃したのですから、その救いを見たのも同然であり、「御救いを見た」と彼は告白しています。

さて、私達の周囲の人々、もしくは自分で想像する時、安らかに去る、思い残すこと無く死ねると言える人はどれだけ居るでしょうか。あれもやっておきたかった、これも完成させてから死にたかったというように、未練に思うことがたくさんあることであろうと思います。自分が始めた人生の中のプロジェクトの完成を見てから死にたかった。息子や娘の立派な姿を見てから死にたかった。もしそんなことを考えたりしたら、ここで死ぬのはとても心残りだと思うに違い有りません。
 それでは、私達はどうしたらシメオンのように「主よ、あなたは、あなたのしもべを安らかに去らせてくださいます。」と告白することができるのでしょうか。また、このシメオンの言葉がルカによって記録されたことに、どのような意味が有るのでしょうか。

三十一節を見ますと、御救いは万民にの前の備えられたということが宣言されていて、更に三十二節には異邦人という言葉も挙げられています。シメオンが見た御救いは、時代と人種を超えた私達にも備えられているのです。その御救いを見たと告白できる時、私達でさえもシメオンと同じように告白することができるのです。
 何でもきっちりやり遂げて心おきなくこの世を去れるなんていう人が一体この世のどれだけ存在するでしょうか。この人生完成、完璧だと言える人が本当に居るでしょうか。そんな完璧で完全な人や人生は存在しないと言ってもよいのではないかと私は思います。いや、そのような人生を目指すこと自体が無理であり、人間はそんな目標には程遠い存在ではないかと思います。パウロが獄中書簡等で訴えている通り、私達の完全は、ただキリストの中に有るのです。それさえ持っていれば、その御救いを見たと告白できる私達であるならば、私達は、あれこれ未練がましく考える必要は無く、安らかに去らせていただくことができるのです。
 もう一つ確認したいことが有ります。シメオンの告白を見ると、彼や私達を安らかに去らせてくださるのは、「主」であるということです。私達は委ねられた人生を一生懸命生きなければならないでしょうけれども、それを完璧なものにすることも、自分で安らかさを得ることもできません。主だけが私達の人生に「御救い」をもたらし、それを見させてくださる方です。

シメオンのエピソードは、ルカによる福音書の二章という早い部分に収められているものですが、私達の人生とキリスト教の本質的な部分に触れていると言えると思います。私達が安らかに死を迎えることができるだろうかという問いや不安は、普遍のものです。様々な考えや教えを披露する人達が多く存在するかもしれませんが、その問いや不安に答えることができる人は、実際にはそんなにいないのではないでしょうか。しかし、シメオンのエピソードは、実にさらりと簡単に、キリストに会うことが安らかに死を迎えることのできる理由なのだと言い切っています。
 御救いを見たという部分の、「見た」と訳されている語は、特定の過去時制でのみ用いられるもので、単純に「見た」という意味の他に、「調べた、知った、理解した、対話した、訪れた」という意味合いが有ります。シメオンがこの動詞を用いたのは、それまでの聖霊による啓示によってキリストのことを調べ、知り、理解し、その上で神殿で実際に幼子イエスと出会ったことを土台として、これで思い残すことなくこの世を去ることができると言い切れる程の出会いを遂げたことを表していると言えるでしょう。そして、私達がシメオンに語りかけたのと同じ聖霊によって霊感された書物である聖書を丹念に調べ、知り、理解し、そこに表されているキリストの心に出会い、対話するような関係が築かれた時には、私達一人一人が死の問題を考える時には、シメオンと同じように、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」という平安の心をいつでも持つことができる者となりたいものです。

私は今までこの箇所をそのように読んだことは有りませんでした。私も割合目標や目的を大事に生きようと考える傾向が有り、この人生で何かを形にしたり完成させようという気持ちに心が向くことが有ります。ですから、私の人生が予想や期待より早く終わったらどうしようというような考えが心を過ぎることが時には有るのです。その時の気持ちはやはり心地よいものでは有りません。しかし、このことを考えさせられた時、私の人生を終えることに関する平安は、私の努力とは何にも関係無く、ただ主によって与えられるしか無いのだということを再確認しました。
 私達キリスト者は、日々努力して生きはしますが、この人生の完成とか完璧は私達の手の中には有りません。私達は律法主義を戒めて、「キリスト無しには、私達は何者でもない」というようなことを言います。しかし、それは、私達の人生や人生の終りにおいても同様に意識されるべきことだと思います。永遠の命が有るから死を恐れなくて良いというようなことだけではなく、何かを成し遂げたりやり遂げたりしなくても、残念に思ったり、未完成であることに失望したり未練に思ったりする必要は無いのです。
 パウロのように「私は走るべき行程を走り終えました。もはや義の栄冠が用意されているだけです」と言えれば、それは素晴らしいことでしょう。しかし、それは自分の計画や自分に与えられた神からの使命を成し遂げたということに重点が有るのではなく、信仰を守り通したということに有るはずです。
 キリストに出会い、キリストと一つにされたということにだけ安んじ、「主与え、主取り給う。主の御名はほむべきかな。」というヨブの告白と、「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。」というシメオンの告白が、私達にその平安を思い起こさせ、味わわせるようでありたいと思います。






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誘惑に陥らないように祈っていなさい (ルカ伝二十二章三十九節~四十六節)

2009-10-10 09:40:00 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
この箇所は、霊的に深い内容が有る場所ですが、中忍の私の現在の力では、そこまでの深みには届きません。しかし、基本的な部分を再確認することにも意義が有ると思います。


導入
最初に、この箇所が文脈上どのような位置に有るのかを確認してみたいと思います。直前の弟子との会話において、キリストは、「わたしにかかわることは実現します。」と言いました。すなわち、民の指導者達に捕えられ、有罪判決を受けて死刑になり、死んで三日目によみがえり、使命をまっとうするということです。そして、この箇所の後に、それが実際にキリストの身に起きてくるのです。この文脈が、単に時間の経過に従って書かれたという以上に、この箇所の主題に関わりが有ると思います。
 そういう状況で起きたこのエピソードの主題は、繰り返しによってこの箇所を前後から挟んでいるキリストの命令、指示である「誘惑に陥らないように祈っていなさい」ということになります。
 キリストは最後の晩餐でその愛を余すところ無く弟子達に示したと聖書には書かれています。ヨハネによる福音書を読むと、そこで与えられた新しい戒めは、「あなたがたは互いに愛し合いなさい。」でありました。しかし、それでも尚、もう一つ最後に命じ、指示しておきたいことが有ったのです。この箇所で与えられた指示は、キリストが十字架に掛かる前に弟子全体に与えられた最後の命令となりました。それも、繰り返して指示しました。それだけに、現代に生きる私達にとっても、重要度の高い命令・指示と考えることができるのではないでしょうか。


本論
いつもの祈りの場所に来たとたんに、キリストは「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」という指示をしました。いったい、そんな場所で誘惑に陥るというのはどういうことを指すのでしょうか。単純に読んだだけではどうもはっきりしないようです。そこで、先ずこの「誘惑」という語がどんな語なのかを確認してみたいと思います。
 誘惑と訳された語は、ペイラスモスという語で、「試験、実証、試み」というのが基本的な意味で、派生的に、「罪への誘惑、苦難」を意味するということです。陥ると訳された語句は、「中に入る」という感覚が有ります。幅広く考えられるようですが、ここでは罪への誘惑にはまるという方であろうと思われます。「誘惑に陥る」という段階では、失敗する、罪を犯すということになろうかと思われます。
 それでは、この箇所においてその誘惑というのは、具体的にどういうことなのでしょうか。彼らが居た場所は、オリーブ山でした。そこにどんな誘惑が起こり得るというのでしょうか。このことを考えるにあたって、導入で確認した文脈が関係してくると思います。キリストには使命が有りました。そして、それは実行されなければなりませんでした。しかし、キリストが祈りの中で告白しているように、できることならばそれは避けたいという気持ちも有ったのです。それが誘惑でした。父なる神の御心を行わず、自分に与えられた使命を果さないことが誘惑であり、罪と成り得ます。しかし、そういうことが有ってはなりません。ですから、キリストはこの箇所の最初と最後に、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」と命令・指示をされ、ご自身がそれをどのようにしなければならないのかの模範を示したのです。

それでは、キリストの模範から学んで行きましょう。繰り返しになりますが、父なる神の御心を行う、使命を果たすという観点を念頭に置くことになります。
 「父よ。」という呼びかけの直後に来るのは、先ず、「みこころならば」でした。自分の願いを求めるにしても、申し上げるにしても、最初に来る前提条件は、父なる神の御心に優先権が有るということでした。
 キリストの願いの内容は、「この杯をわたしからとりのけてください。」でした。杯というのは、第一義的には、福音書の流れに従って考えると、十字架にかかるという苦難です。十二使徒達も杯を飲むことになることは、他の箇所でキリストによって語られています。実際に伝承を調べると、十二使徒(新加入のマッテアを入れて)は苦難を経て殉教しています。第二義的には、旧約聖書の表現から考えて、神の怒りと裁きということです。キリストは神の怒りと裁きを受ける必要の無い存在でしが、私達の身代わりとなって罰を受けるということをなさいましたから、この第二の意味も考えてよろしいかと思います。
 その後に、キリストは「しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」と加え、父なる神の御心が第一であるという前提を再確認しています。キリストの願いとその祈りによる提示は、父なる神の御心にブックエンドのように挟まれたものでした。私達の祈りも、いつも、そういう姿勢であると良いのだろうと思います。特に、それが、キリスト者として為すべきことや在るべき姿勢から離れたいという苦しい気持ちからの祈りと願いであるならば、そうしなければならないのではないかと思います。それがキリストの姿勢に従う者の取る態度であろうと思います。

キリストの祈りの具体的な記録はここまでです。少し離れた所に居た弟子達が、ここまでは聞いたのですが、眠り込んでしまったのかもしれません。あるいは、キリストが同じことを祈られたからかもしれません。しかし、注目すべきことがその後に起こっています。
 四十三節には、天使が現れてキリストを力づけたということが書いて有ります。そして、それを受けて、四十四節では、キリストがいよいよ切に祈られたと書いてあります。天使が現れたのを弟子達が目撃していたならば、すっかり目が覚めて凝視するか、熱心に祈りに励むことになったはずですから、これは、キリストに見えて、復活の時に弟子達に語られたのだろうと思われます。
 この部分で先ず大事なことは、そのような祈りに入れば、天の父からの励ましが送られるということです。我々がそういうことを実感することができるかどうかはわかりません。しかし、そういう期待と信仰を持って祈ることは大事なことではないでしょうか。
 「イエスは、苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた。」という表現は、苦しみや悲しみに強調点を感じますが、その内容は、もしかしたらちょっと様子が違ったのかもしれないという気がします。「苦しみもだえて」と訳された語は、確かに単純に苦悩することを表す部分も有りますが、辞典を見ると、「苦闘、勝利のための戦い」という意味合いを第一義に掲げているように思われます。キリストは、天からの励ましを受けて、更に力を込めて、勝利に向けて祈ったということです。古風に言えば、精進したということなのかもしれません。
 勿論それは尋常なことではありませんから、大量の汗が流れたようです。この部分の表現については、二つの見解が有ります。一つは、汗がぽたぽた滴り落ちる様が、血が滴るような感じであったというものです。もう一つは、古いギリシャの文献にも現れるのですが、深い苦しみを味わうと、汗に血が混ざるという現象が起きることがあり、この箇所もそれを指すのであろうというものです。いずれにせよ、キリストは、誘惑に陥らないように祈るということを、最大限の力で実行し、私達にその姿を模範として残されたと考えることができます。

さて、キリストが戻って来て見ると、弟子達は眠り込んでしまっていたということです。私達は、単純にそれが良くない見本であると意識しますが、その理由はあまり顧みられることがないように思います。
 ルカはその理由を「悲しみの果てに」と記しています。そうか、彼らはそんなにも悲しかったのかと思えば、それは無理からぬことであると思えるのではないでしょうか。子供が泣き疲れて眠り込んでしまうように、大人だって悲しみが深ければ、疲れて眠り込んでしまうことが有ります。
 弟子達は知っていたのです。これから主人であるキリストが、自ら予告されたように、民の指導者達に捕えられ、苦しめられ、死ななければならないのです。いくらその後の復活まで予告されていたしても、人類がかつて経験もしたことのないそのような事件を前にして、如何にキリストの弟子であっても、信仰をもって悠然と構えるなどということができるはずが有りません。しかも、近くで、愛するその主人であるキリストが、必死に祈っているのです。私達が、そういう感情的なプレッシャーに如何に弱いかということを意識することが必要であると思います。

キリストは、祈りを終えて立ち上がりました。それは、その祈りの完了を意味し、祈りの勝利を意味します。それは、数年間の訓練を経た競技者が、優勝を確信して、いよいよ競技場に入るために立ち上がるような瞬間と言っても過言ではないと思います。その勝利者であるキリストが弟子達に近づいて見ると、彼らは眠り込んでいました。そこで、キリストはもう一度弟子達に、最後の命令を繰り返しました。
 「なぜ、眠っているのか。」という問いかけは、実際には理由を問いただす言葉ではありませんでした。キリストにとって、その理由は明らかだったのですから。また、それは叱責の言葉でもなかったはずです。先に書きましたように、ヨハネによる福音書では、キリストはその愛を余すところなく弟子達に示されたと書かれています。新しい戒めを与えると言って、「あなた方は互いに愛し合いなさい。」と言いました。そして、その締め括りのように、最後の指示・命令を与えるその時の気持ちは、弟子達が守られるために必要なことを教え、弟子達の警戒心を高めるためのものでした。さあ、注意して祈っていなければならないよ、という愛の呼び掛けてであったと思われます。キリストは、弟子達がキリストの弟子としての生き方をするという彼らの使命を、もういいや、と諦めてもらいたくなかったのです。そういう誘惑、失敗の中に入り込んでもらいたくなかったのです。
 イエスはこの後にも、愛に満ちた言葉を、十字架の上から使徒ヨハネと母マリアにかけます。しかし、弟子達に対する最後の愛のメッセージは、この指示、命令、「誘惑に陥らないように祈っていなさい。」だったのです。


まとめ
「絶えず祈りなさい」という、テサロニケ人への第一の手紙五章十七節に記されているパウロの言葉は有名です。しかし、そう言わしめたのは、彼の体験もさることながら、心にいつも留めている、彼の主人であるキリストの言葉であったと思います。キリストは、弟子達に大まかに言って、四度ほど、祈りの必要性を教えました。主の祈りの箇所、つまずきが起きるのは已むを得ないが気をつけていなさいという指示、やもめの嘆願の例話などを総合すると、繰り返しそう教えてきたと言って良いと思います。その何れにも共通の事柄は、誘惑や失敗に陥らないように気をつけ、祈っていなければならないということです。
 私達、キリスト者は、キリスト者ならではの守るべき規範も有り、つとめが有ります。しかし、そういう戒めやつとめを、時には放棄してしまいたくなる時が有ります。弟子達が悲しみのあまり祈れなかったように、私達の祈りを妨げる悲しみや欲求不満や心の傷が有ります。しかし、その時にこそ、父なる神の御心を求めて祈り、勝利を勝ち取るという強い希望の元に祈り続け、天来の力を得て、立ち上がる者となりたいと思います。
 私達は弱い存在です。いつもそうできるというわけには行かないかもしれません。しかし、最大の誘惑、失敗である、キリスト者であることを止めてしまうということにならないように、いつも祈りの中に居ることが必要です。それが、キリストが私達に愛をもって願い、語りかけておられ命令です。







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正確な事実 (ルカによる福音書一章一節~四節)

2009-09-29 13:18:57 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
個人的な理由で、ルカによる福音書を最後まで扱えなくなりました。それで、どうしてルカが福音書を書いたかという部分に返って確認をしてみることにいたしました。


導入
原文で見ますと、これは一つの文で、その主節は「順序立てて書くのが良いと思われる」という部分です。彼にはそう考えるだけの使命感が有り、動機が有りました。そして、四節はその理由と目的を示す副詞節になっています。あなたがこれまで教えられてきたことが「正確な事実」であることを「十分に理解する」ためだ、という内容のことが書いてあります。用いられた語が、単にわかるという意味の動詞ではなく、「十分に理解する」という内容を持つため、新改訳では「よくわかる」ためであると訳してあります。

この事実とは、キリストの生涯、キリストの人性と神性、キリストによる救いの成就、様々な福音の要素を全て含んだものです。そして、それは、私達にまで伝えられているのですが、私達もそれが「正確な事実」であることを時々確認しなければなりません。私達はキリスト者として信仰を持っていますが、時にはその信仰が揺るぐ時も有るかもしれません。しかし、その度に、霊感を受けた聖書の記者達が残した言葉の示すところは何かを確認し、それが「正確な事実」であることを「十分に理解する」ことを繰り返していかなければなりません。

「正確な事実」と訳された語は、原文では一語です。その意味合いは「堅固で安定していること。確かで疑う余地の無い真実。敵や危険から安全であること。」というものです。信じて間違いは無く、裏切られることが無いということです。そうです。私達が聞くに至り、信じるに至ったこの福音は「正確な事実」です。ですから、それを信じ続け、信頼し続けることができるのです。ルカはどうしてそれを「正確な事実」として確認できるのかという理由を、その文の前半において、三つ示していると考えることができます。


本論
理由一、すでに十分に説得力をもって示し尽くされた出来事だから
このことは、一節に表されています。「すでに確信されている」と訳された部分は、実はもっと深い意味合いが有ります。「十分に示される。ことごとく任務を成し遂げる。十分な確信や説得力を持たせる。」というニュアンスの言葉です。
 キリストを通して啓示された福音は、あいまいで部分的なものではありませんでした。キリストは、十分に、ことごとくその教えを示され、それを旧約聖書の解き明かし、教えや奇跡などの印によってきちんと確信と説得力を持たせ、その上、救世主としての業の全てを成し遂げられました。すなわち、十字架の死と復活、昇天を通して、それを完成させ、弟子達にも目撃させたのです。だからこそ、それを純粋に受け止めた弟子達は、それらのすべてを「確信する」ことができたのです。
 時を隔てた現代の私達は、それらを直接見聞きしませんでしたが、福音書の記者の残した記録を辿り、その意図するところを理解したならば、その内容を自分の確信と変えることができるのです。


理由二、その資料は信頼に値する情報源によるから
このことは、二節に表されています。「初めからの目撃者」であるばかりでなく、「みことばに仕える者になった人々」が伝えたからだと言うのです。
 何かの事件や事柄について、目撃証言を収集する必要が有ったとしたら、その事柄の過程のほんの一部分を目撃した人の証言よりは、その全てを確認し、その全体像とその事実や本質に近い理解を示せる目撃者の証言の方が判断の材料として貴重なのではないでしょうか。だからこそ、キリストの使徒の条件も、キリストの宣教活動の初めから昇天までの目撃者であるということになっているのです。そして、キリストの福音は、正に、そういう貴重な全過程の目撃者達によって伝えられ、ルカの時代の人達に語り継がれたのです。
 例え何かを全過程目撃したとしても、そのことに何かの価値を見出した人でなければ、キリストの「みことばに仕える者」なることは有りません。しかし、彼らは、そこにそれだけの価値を見出したからこそ、キリストの言葉を伝える、キリストの言葉に仕える者となったのです。それだけの動機を持たせることのできる力の有る教えや出来事を目撃した者達が、そのことを伝えるために、そのことに仕える者、従う者になったということです。そういう人達が情報源であるならば、その伝えられたことは、十分に信頼ができると考えて良いのではないでしょうか。 
 実際にみことばに仕える者となった使徒達の中で筆頭であると考えられているペテロも、その書簡の中で、「私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。」(ペテロ第二の手紙一章十六節)と証言し、且つ、この教えのために殉教までしているのです。


理由三、その資料は、綿密に検証され、確認されたから
このことは、三節に表れています。ルカは医者でした。アカデミックな検証や記述に長けた人であったと考えることができます。そういうルカが「すべてのことを」「綿密に調べている」ということを述べています。
 綿密に調べると訳されている語は、「完璧に理解する」というような意味合いです。「完璧に」という部分は、「正確に、精密に、入念に」というニュアンスが有ります。また、「理解する」と訳されている語は、「追跡する、同伴する、徹底的に検証する、基準や規則を忠実に守る」というニュアンスが有ります。ですから、ルカの検証が、当時のアカデミックな、もしくはジャーナリスティックな手順をきちんと追って、綿密になされた様子が伺われます。
 実際に彼は多くの使徒や弟子達に話しを聞く機会が有ったはずです。そして、自身でそれらの証言を再確認し、時には人物の名前などを福音書の中に残しています。彼が近く寄り添った同労者のパウロも、コリント人への第一の手紙十五章六節で、復活のキリストが五百人以上に現れたということを述べ、その中の大多数はまだ存命だと付け足しています。証言を得たければ、出かけて尋ねてみよと言うことです。そして、ルカは実際にそういう作業をしたと考えられます。


どんなに迷信深い世界や世代に生きていても、完璧に死んだ人が本当によみがえって、多くの人に現れ、天の昇ったなどということは、到底信じられることではありません。そういう馬鹿らしいと思われることを目撃したと証言する人が、五百人近くも居るということは、何か有ると考えることになるのではないでしょうか。そして、材料はそれだけではないのです。キリストが行った奇跡と、その証人達。キリストの教えた旧約聖書の預言とキリストの生涯の整合性など、その他にも多くの材料が提供されているのです。


まとめ
私達キリスト者は、そういう馬鹿らしいと思われることを、私達なりの理由、理屈によって信じることに決め、また、そのことによって得られる力や恵みを体験して生きている者達です。そして、その信じている福音は、「正確な事実」「疑う余地のない真実」であるとルカはここで述べています。

私達に伝えられた福音は「疑う余地のない真実」と考えることができます。
その根拠は、その事柄が「十分に説得力をもって示し尽くされた出来事」で、「その資料は信頼に値する情報源」により、「その資料は、綿密に検証され、確認された」からです。







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寡婦の献金 (ルカ伝二十一章一節~四節)

2009-08-24 14:53:56 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
当時のイスラエルでは、寡婦はたいてい貧しい人達で、社会の助けを受けなければ生活できなかったようです。寡婦が働いて自活することが難しい時代だったようです。使徒行伝を読むと、エルサレム教会も寡婦達のために食料の配給をしていた様子がうかがえます。そんな寡婦でさえ金儲けの口実に使う律法学者達をキリストは非難しましたが、今回の箇所では、実際に寡婦が登場します。

一節
キリストは「目を上げた」ということが書いてあります。教えることや敵対者達との議論などが終わって、休んでいた時のことであろうと考えられます。キリストはしばらく地面にでも視線を落としていたのでしょう。というのは、献金箱は、そんなに高い場所に設置されているものではなかったからです。
 この献金箱と訳されているものは、神殿内に十三個ほど設置されていて、お金を入れる部分は、ラッパの口のように広がっていたということです。一説によると、それは、投げ入れたお金の音が響いて、周囲の人達によく聞こえるためであったそうです。音の大きさなどで、周囲の人が、「この人はたくさん献金した敬虔な人だ」とか考えたり、「自分ももっと献金しなければ」などと考えるように仕向けたかったのかもしれません。金持ちが達が献金を投げ入れていたと書いてありますから、しばらく続いて大きな献金の音がしたのかもしれません。
こうして集められた献金は、神殿の犠牲の動物とか香料を購入などの費用として用いられました。


二節
そこに寡婦が現れて、レプタ銅貨二つを投げ入れました。音の大きさのことを考えれば、カランとか、カチャッとかいう、慎ましい音しかしなかったと思われます。
 この銅貨は、イスラエルで流通していた一番価値の低い貨幣でした。お金の価値の時代考証は難しい部分が有りますが、ある資料に基づいて考えると、十五銭ぐらいの価値ではなかったかと思います。二枚合わせても三十銭にしかなりません。勿論当時の生活感覚からしたら、もう少し価値は高かったと思われます。しかし、いずれにしても僅かな献金でした。当時の献金の規定では、二レプタより少ない献金はしてはいけないことになっていたそうです。この寡婦は、その規定ぎりぎりの二レプタを献金したのであり、したくても、それ以上の献金はできない、貧しい人だったのです。


三節
この献金をごらんになったキリストは、「わたしは真実をあなた方に告げます。」と言いました。実際は副詞で「確かに、真実に」というが使われていて、「まことにあなたがたに告げます」と訳されたりするものです。この言葉が使われる時は、大事なことが続くことが多いのです。その内容は、その寡婦がどの人よりもたくさん投げ入れた、ということです。言い換えれば、量より割合にもっと神様は目を留めておられる部分が有るということではないでしょうか。更に詳しい内容は次の節に有ります。


四節
どうして「どの人よりもたくさん」であるのかが、理由を説明する接続詞に導かれてこの節では述べられています。他の人達は、有り余る中からささげましたが、この寡婦は生活費の全部を投げ入れたからだというのです。
 有り余ると訳された語は、溢れ出てしまう雰囲気を持ったものです。俗な言い方をすれば、腐る程とか、はいて捨てる程という感じでしょうか。とにかく、たくさんささげはしましたが、何の痛痒も感じない、何か余計なものを少し整理して捨てたような意味しかないささげものであったことがわかります。
 それに対して、寡婦は生活費の全部を投げ入れたということでした。虎の子という表現が日本語には有りますが、この寡婦のレプタ銅貨二枚も、そういう大切で手放したくないものだと考えることもできたはずです。それをこの寡婦はささげたのです。そして、それをキリストはご存知であり、その心を尊ばれたのです。


まとめ
この箇所から学べることは何でしょうか。
第一に、この寡婦の神への信仰、信頼、愛に倣うことであると考えられます。それが、キリストの「まことにあなたがたに告げます」という言葉を通して指摘されているからです。
 先に説明した通り、この献金は神殿の運営に必要な犠牲や香料を購入するためのものでした。貧しい人達を助けるための献金ではありません。ですから、この寡婦には、ここに献金して、あわよくばもっと多くの援助を得ようなどという損得勘定の働く余地は有りませんでした。ただ純粋に、神への礼拝のために献金をしよう、献金したいという気持ちが有ったと考えても良いのではないかと思います。それは、生きて働いておられる神との交流の経験が有り、愛の関係になければできないことであったはずです。
 また、キリストが「生活費の全部」と言っていますから、献金をすれば、少なくとも金銭的にはしばらく何のあても無かったであろうと思われます。しかし、それを献金したということは、明日を心配しない神への信仰と信頼が有ったと考えられます。だからこそ、キリストはこの寡婦のことを弟子達に教えたかったのだと考えられます。


第二に、神は心をご覧になられるということです。人間的に見れば、金持ち達の献金の方が貢献度が高く、価値が有ると考えられるかもしれません。周囲の人達も、そのような見方をして、寡婦の献金を尊ばなかったかもしれません。しかし、心をご覧になられる神は、この寡婦の献金を尊び、名前こそ記されてはいませんが、この献金が後世までルカの記録を通して覚えられ、知られるようにされました。


第三に、献金や礼拝の行為を、自分の見栄や誇りのために利用してはならないということも加えて宜しいかと思います。というのは、直前には律法学者達に気をつけるようにという警告が有るからです。彼らは見栄のために長い祈りをしていました。そこに、金持ちという共通点の有る人達の献金と、律法学者が狙って食いつぶしている寡婦の話が続き、好対照を成しています。これは第二の要点の裏返しであると思います。


寡婦から奪い取ってなおも信仰の足りない者たちであった律法学者達に倣ってはならないということで、「律法学者に気をつけなさい」という警告が与えられました。むしろ、有り金全部捧げて惜しくない神への信仰、信頼、愛を持っている、当の寡婦のような神との関係に生きたいと思います。






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