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糸田十八文庫

キリシタン忍者、糸田十八(いとだじっぱち)が、仲間に残す、電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

律法学者たちには気をつけなさい(ルカ伝 二十章三十九節~四十七節)

2009-08-03 15:18:41 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
今回の聖書箇所は三つの場面に分けて確認できます。それぞれの場面毎に内容を確認し、また何を学ぶべきか考えてみたいと思います。

第一の場面(三十九節、四十節)
この箇所の日本語訳(新改訳)は少し状況がわかりにくい訳ではないかと思います。とにかく、何人かの律法学者がキリストに向かって、「先生、立派なお答えです。」と言ったというのです。「立派な」というのは、「みごとな、たくみに」という感覚で理解できる言葉のようです。
 四十節は、原文では理由を表す接続詞がついています。つまり、律法学者がそういう発言をした理由が書かれているということです。「彼らはもうそれ以上何も質問する勇気が無かった。」というのが理由だということです。ここで、「彼ら」が誰を指すのかを考えなければなりません。文脈と状況から考えると、これはサドカイ人達を指すと考えるのが良いところです。 
 律法学者の殆どはパリサイ人達でした。彼らはサドカイ人達と政治権力を分かち合って来ましたが、神学的には違った立場でした。彼らは復活を信じていたのです。自分達と反対の神学的立場を持つサドカイ人達がキリストに論破されたということが、律法学者達には嬉しかったのです。ですから、「先生、立派なお答えです。」という発言がなされたのです。
 しかし、ここで問題なのは、この賛辞と取れる言葉が、はたして純粋な気持ちからであるかどうかということです。宿敵である律法学者のうちの何人かの言葉です。彼らが真実な気持ちからそういう発言をしたとは思えません。キリストのその後の対応を考えても、それは明らかであろうと思われます。
 考えてみてください。サドカイ人達が復活問答をキリストに仕掛けたということは、彼らにとってはそれが有効な質問だと思われたからです。ということは、そういう質問に対して、パリサイ人達や律法学者達は、それまで有効な反論や回答をすることができなかったのだということになりませんか。自分達が為し得なかったことをキリストが為し得たとなると、それは彼らにとって悔しいことであったはずです。そう考えると、この律法学者達の言葉は、自分達こそ旧約聖書の解釈の専門家であるというプライドと高慢な思いから、虚勢を張って、偉そうな態度を取ったということになるはずです。おそらく、先生が生徒をほめるような、「おう、よくやったな、お前。」というような雰囲気が含まれていたと思われます。


ここから私達キリスト者が学ばなければならないことは何でしょうか。私達も、この律法学者達のように、信仰生活が長くなったり、聖書を一生懸命読んできたりすると、自分が聖書のことをよく知っていて、あたかも聖書の権威でもあるかのような態度を取ってしまうことはないでしょうか。自分にはよく答えられなかったのに、他の人がよく聖書の説き明かしができたりすると、つい、プライドから自分も知っていたような態度を取ったりしないでしょうか。そういうくだらないプライドは罪です。限界の有る人間なのですから、知らないことは知らないとして、謙遜に聖書から、また他のキリスト者から学び続ける態度を持つことが大事であると思います。


第二の場面(四十一節~四十四節)
律法学者のプライド、虚勢、偉そうな態度を見て、キリストは彼らに質問をします。それはキリスト(メシア)についての質問でした。ユダヤ人達にとっては、キリストはダビデ王の子孫であるということは共通認識でした。ですから、例えばエリコの町に通じる道で物乞いをしていた盲人であったバルテマイも、「ダビデの子のイエス様、わたしを憐れんでください。」と叫んでいるわけです。しかし、ダビデ自身が詩篇百十篇一節においては、キリストのことを「主」と呼んでいるのです。キリストはその箇所を引用して彼らに質問しました。その質問の内容は、「一体どうしてキリストはダビデの子孫とダビデの主の両方でありえるのか?」ということでした。聖書には律法学者達の回答は記されていません。ユダヤ人の共通理解、常識と言える事柄についての質問であったのですが、律法、旧約聖書の専門家を自認する彼らであったのに、それに答えることができなかったのです。
 キリストは質問をしたのですが、実は、律法学者達と対決し、糾弾したことになるのです。お前達は律法、旧約聖書の専門家であり権威であると自認しているが、このようなことも答えられないではないか。お前達にはそんな権威は無いのだ。私(キリスト)こそが神の言葉であり、権威なのだ。キリストはそういう意図を持っていたと考えてよいと思います。

ところで、キリストが質問をするにあたって引用した詩篇百十篇一節の内容は、キリスト者にとってはどのように理解されるべきなのでしょうか。
 「わたしの右の座についていなさい」という部分から取り上げてみたいと思います。キリストは十字架の死と復活を経て昇天し、神の右の座につかれました。ですから、その一連の出来事、もしくはその時のことを述べていると考えられます。次に、「あなたの敵をあなたの足台とする時まで」という部分を確認します。「足台とする」というのは、勝利をするという意味が有ります。ヨシュア記などを読むと、戦争に勝った時、敵の首に足をかけるという動作が出てきますが、それは勝利の印であり、それを表す象徴的行為でもあるわけです。復活して神の右の座についているキリストが敵に勝利するまで待つということは、最後の審判の時までということですから、この「敵」(複数)は、サタン、悪霊も含まれるかもしれませんが、その時キリストの前に居た律法学者やキリストを受け入れない人達にもっと重点が有るように思われます。
 この箇所を引用したということには、他にも意味が有るように思われます。翌日ぐらいには、キリストは彼らの手にかかり、その後十字架にかけられることになっていました。ですから、これから起ころうとすることの預言というような側面も有ったと考えて良いと思います。また、キリストは自分がメシアであることを、この頃までには旧約聖書全体を通して弟子達に説明し終えていたはずですから、傍にいる弟子達に、その復習をさせたという部分も有るかもしれません。(エマオの途上のエピソードを考えると、弟子達がそれをどれぐらい理解していたかはわかりませんが。)
 キリストは黙示録二十二章十六節において、御自身のことを「ダビデの根、また子孫」と述べています。つまり、ダビデを立てられた主であり、同時にダビデの子孫であるということです。キリストが、家系的にはダビデの子孫として生まれましたが、聖霊によって人としてこの世に来られた神(主)であることをキリスト者は信じており、このことは明らかに示されていると考えられるものです。

この場面からは、キリスト御自身が十分に御自身を聖書を通して啓示しておられるということを受け入れ、キリストの神の言葉としての権威を認め、キリストの啓示に従って読み、理解するべきであることを学ぶことができると思います。
 

第三の場面(四十五節~四十七節)
ここでキリストは、弟子達に向かって、律法学者達に関する警告を発します。しかし、それは「民衆がみなが耳を傾けているときに」なされましたから、民衆や律法学者に対する言葉でもあったと考えて差し支えないと思われます。
 なお、ここで述べられている内容は、他の箇所でパリサイ人達について述べられている内容と一致しますが、律法学者の多くはパリサイ人であったことを考えると、当然であると考えられます。

「長い衣」をまとうということですが、彼らには一応服装の規定が有ったようです。顔を除いては、自分を隠し、肌を見せてはならないということで、袖は指先まで覆える長さ、裾はくるぶしとか踵まで覆える長さという風に決められていたようです。それが神を敬う者の態度だと考えたようです。ここでは、必要以上に長くして、「私は敬虔なのだ」と誇示するような態度を指しているようです。
 広場で挨拶されるということですが、「先生、主よ」などの呼びかけをされることを指しているようです。わざわざ人々がそう呼んでくれる場所にでかけて、私は宗教的指導者だということを誇示する態度を指しているようです。
 「会堂の上席」というのは、律法が読まれたり、解説される講壇の隣ということだそうです。そこに座っているということは、律法や旧約聖書をよく勉強して理解しているということであり、人々の目に触れる、見られるということでもありました。また、「宴会の上席」は、宴会を主催する主人の隣とか近くの席ということでした。とにかく、彼らは敬虔で地位が高いということを誇示したがる人達だったということです。
 しかし、敬虔さと神の言葉の知識が豊富であることを誇示したがっていた彼らの実態が、大変貪欲で悪辣なものであることが四十七節では示されます。やもめの家を食いつぶすというのはどういうことでしょうか。やもめの財産管理を助けてやるという名目で管理権を得て、実際は私服を肥やしていたということだという理解が有ります。もしくは祝福を祈るという名目で尋ね、食事やお礼を出させていたという理解も有るようです。
 そういう良からぬ行為を誤魔化すために、長い祈りをささげていたということが有ったようです。当時、敬虔なユダヤ人は日に三回の祈りの時間を守っていたのですが、更に敬虔な人は、一時間前から祈る場所に来て、祈りの時間が来ると一時間は祈りに割き、その後も一時間そこに留まるものだとされていたようです。すると、全部で三時間です。そうやってやもめの家に居座って、いかにもやもめのために心を使っているようなふりをしていたということのようです。
 また、ユダヤ人達は、そのように長く祈れば、より長生きできるという考えも有ったようです。しかし、その動機が不純なわけですから、キリストはその考えとは逆に、そんな祈りをしても、人一倍きびしい罰を受けるのだと宣言しているわけです。

キリスト者も敬虔なふりをして、その実、主にある兄弟姉妹を苦しめていたり悩ませていたり、またはそういう見せ掛けや言い訳を用いて、彼らから何かの利得をせしめようとすることが有るかもしれません。しかし、そういうことが有ってはなりません。主は人の心をご存知です。あなたのしていることが、人一倍きびしい罰を受けるようなことでないかに気をつけ、点検しなくてはならない時が有るかもしれません。


まとめ
要点一)神の言葉を他人より知っている、理解しているというプライドや高慢を持つことなく、謙遜に聖書を学び続けることが必要です。

要点二)キリストが御自身を啓示されたその言葉の権威を信じ、信頼し、それに従ってキリストを、また聖書を理解することが必要です。

要点三)私達の生き方や行為は、神の善、キリストの教えを反映したものでなければならず、それが神の御心と反対の悪行となってしまうことのないように気をつけることが必要です。







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サドカイ人達を他山の石として (ルカ伝二十章二十七節~三十八節)

2009-07-28 13:35:10 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
キリストを罠にかけようとして、パリサイ人達やヘロデ党の人達などが、民の長老達から送り込まれましたが、みなうまく行きませんでした。それで、今度はサドカイ人達が、「それでは私達の番だ。」と思ったようです。

ルカは異邦人を対象に福音書を著しましたから、ユダヤ教の宗教的グループであるサドカイ人について説明を加えています。それによると、彼らは復活を信じていないということでした。もう少し説明を加えますと、彼らは祭司の一族が多かったのです。ですから、キリストが宮清めをした時や、許可を受けずに神殿の敷地で教えた時には、自分たちの権威をないがしろにされたと思い、怒りをもった人達の中の、中心的存在であったとも言えると思います。また、教義的には、彼らはモーセ五書以外の権威を認めませんでした。復活が無いと信じているせいでしょうか、どちらかというと、享楽的な態度の人達であったという説明も聞いたことが有ります。

キリストのサドカイ人達への回答を、三つの要点を上げて確認してみようと思います。

要点一「正しい世界観を持つこと」
キリストはサドカイ人達の世界観が間違っていることを指摘しています。彼らが取り上げた例は、もし復活が有ったら、一人の妻に七人もしくは複数の夫が居るということになり、人倫に反するし、基本的な生活が成り立たないではないかという考えを示しています。従って、モーセを通して神が与えた律法の規定が、子を残さずに亡くなった兄の妻を弟が娶るように求めていることは、復活が無いことを示していると考えたようです。
 どのような思考過程を経た結果であれ、彼らの世界観は間違っていました。神の子であるキリストがその権威を持って教えた世界観は、この世と来るべき世、朽ちるものと朽ちないもの、物質的世界(存在)と霊的な世界(存在)が有るというものでした。
 キリスト者は使徒信条で告白するように、体のよみがえりを信じています。しかし、同時に、朽ちる体から朽ちない体によみがえることも信じています。そうなれば、実際に肉体をもっていたとしても、天使達と同じような霊的存在と考えることができます。そして、体が朽ちないのであれば、種の存続のために子孫を残す必要は有りません。結婚は、キリストと教会の関係を象徴する奥義であるとパウロは述べていますが、復活の時にはその関係は明らかであり、そのような象徴の必要も有りませんから、結婚も無くなるわけです。すると、性器の無い体になるのだろうか、などの疑問がわくかもしれませんが、それについてはそのものずばりの説明をしている聖書箇所は有りません。しかし、「栄光の体」をいただくことは明示されています。栄光の体であれば、朽ちる体であった時に必要だったものは無くなると考えることになるのではないかと十八(私です)は思います。
 とにかく、サドカイ人達は物質的、現世的世界観しか持っていませんでしたが、キリストはそれをはっきり否定し、正したことになります。

要点二「神の言葉を知ること・理解すること」
サドカイ人達はモーセ五書だけを権威有る神の啓示であると考えました。ダビデが詩篇を書いた時に「御言葉」と言っているのは、モーセ五書です。多くの学者は、その時にはヨシュア記も無かったと考えているようです。しかし、ダビデがモーセ五書を通していかに豊かに神の性質や恵みを理解したかを考えると、私達キリスト者もそれをもっと分析的に熱心に読み取るべき部分が有るのではないかと思います。
 さて、モーセ五書を読む限りにおいて、確かに体のよみがりなどの約束の言葉は有りません。しかし、人は息絶えてよみに下ることは記されています。また、エノクが死を経験せずに神の元に引き上げられたことも記されています。そのような対比を考えると、死後の命や状態を考えるヒントは与えられていたと思います。しかし、サドカイ人達は、ルカが使徒行伝で書き加えた説明によると、霊も天使も信じていなかったということです。彼らが思い込みやプライドで目が覆われてしまったからでしょうか。純粋に保守的に神の教えを守ろうとする態度を持っているように見えるサドカイ人達でしたが、神の言葉を知り、理解するということができていませんでした。
 私達は、これを他山の石とし、また自分達の理解に限界が有ることを認めて、慎重に、熱心に、しかし、広い視点で謙遜に聖書を学び、その理解を点検することが必要であると思います。


要点三「神の御性質を知ること」
サドカイ人達が神の言葉をきちんと理解していなく、ひいては正しい世界観や神の性質を理解していないことを示すために、キリストは彼らが大事にしているモーセ五書の記述を引用します。モーセが主のことを「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」と呼んだことを指摘しています。その元になっている主なる神ご自身の言葉は、出エジプト記三章六節に出てきます。「わたしは、あなたの父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と書いてあります。原文では動詞が示されていませんから、動詞の時制を根拠にすることはできませんが、言おうとすることは同じだと思います。神は生ける者の神であるということです。三十八節にその理由を示す「というのは」という理由の接続詞が使われています。「神に対しては、みなが生きている」というのがその理由の内容です。ここで言う「みな」といのは、神の民のことであるという解説をする注解が有ります。おそらくそれが理にかなった説明であろうと思います。
 考えてみれば、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神だと名乗っているのに、彼らが死に絶えたままで、復活も無く、神との関係も失われるならば、そう名乗る意味が有りません。また、神は彼らと約束をしたのですから、その約束の成就を彼らが認めることができなければ意味が有りません。従って、この世の命を持っていなくても、何らかの形や状態で「生きている」ことが必要になります。しかし、サドカイ人達は、そういう部分に気がつかなかったようです。それは、おそらく、自分達の立場や考えを優先するあまり、自分たちが尊び、価値を認めているはずのモーセ五書に記されていることの意味を読み取れなかったのであろうと思われます。
 神の性質は、ここで示された「生きている者の神」に留まらず、いろいろでありますが、それも聖書にきちんと書き表されています。ですから、私達は、神の性質をきちんと確認していくことが必要です。さまざまな宗教や新しいスピリチュアルな考えが入ってきますが、それは、いつも神を再定義することによって、私達を聖書の神から引き離し、ひいては、「自分が神だ」というサタン的な思いにまで導こうとします。新約の使徒や長老達が警戒し、教会を守ったように、そういう教えの風に吹きまわされないようにしなければなりません。


まとめ
サドカイ人達もユダヤ教の中で大きな一派を形成する、ある面では保守的で真面目な宗教家であったと考えても良いと思います。しかし、それでもキリストに正されるような誤った考えや理解に陥りました。キリスト者である私達が、同じ轍を踏むことのないように気をつけなければなりません。その基本的な一部分として、

一、 聖書的な世界観に基づいて考えているだろうか
二、 聖書の言葉をきちんと手順に従って研究し、理解しているだろうか
三、 聖書の示す神の性質をきちんと理解し、それに基づいて考えているだろうか

ということを時々点検する必要が有ろうかと思います。また、聖書研究の手順や方針を学んだことがないならば、早く一通りの勉強をなさることが大事ではないかと思います。







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神のものは神に返しなさい (ルカ伝二十章二十節~二十六節)

2009-07-21 13:16:47 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
キリストに敵対する指導者たちが送り込んだ人達が、キリストを罠にかけようとして質問をしました。カイザルに税金を納めることが、律法にかなっているかどうかという質問が、どうしてキリストの命を奪う程の罠となり得るのでしょうか。

新改訳は、わざわざ「律法にかなう」と訳、表現を採用していますが、第一義的には、「それは正しい」もしくは「正しいことである」というニュアンスで、「律法にかなう」という表現は、背景を考慮した意訳という部分が有るように思います。ユダヤ人達は、自分たちがアブラハムの子孫であることを誇りに思っており、それは、自分たちが「神の民」であるということですから、どんな束縛からも自由であると考えていました。それは、長老達の言い伝えも含めた旧約聖書の内容に由来する理解でした。それで、「律法にかなう」という表現を採用したのではないかと思います。しかし、現実的には異邦人であるローマ人の帝国に支配されていました。

そういう背景を踏まえて考えると、この質問に「はい」とか「いいえ」で答えることはまずいということがわかってきます。ユダヤ人の神の民の意識に従って、「いいえ」(神の民はどんな束縛からも自由であるから、税金をカイザルに払わなくて良い)と答えると、ローマ帝国への反逆者として、処刑されたりすることになりました。逆に、「はい」(現実にローマの支配下に有るのだから、その政治的仕組みに従って税金を納めるのが良い)と答えると、おまえはユダヤ人を解放する働きをすると思われているメシアであると宣言しているのに、ユダヤ人の解放ではなく、ローマによる束縛を肯定しているということで、メシアでは有り得ないという烙印を押され、ユダヤ人社会における良い評判を失うことになりました。

しかし、キリストは彼らを手順を踏まえて黙らせ、罠にはかかりませんでした。最初にキリストは、「デナリ銀貨をわたしに見せなさい。」と言います。続く質問は、おそらく彼らがデナリ銀貨を出して見せてからされたと思われます。つまり、彼らはローマの貨幣であるデナリ銀貨を所有し、使っていたということになります。次にキリストは、デナリ銀貨についている肖像と銘が誰のものであるかを確認します。彼らはカイザルのものであると答えました。
 彼らは単純にキリストの質問に答えただけだと思ったかもしれませんが、このように答えることは、彼らにとって不利なことでした。貨幣は、刻まれた肖像や銘の人物のものであるという理解が有ったのです。それを所有しているということは、同時に、その肖像や銘の人物の支配を認識し、受け入れたということを意味しました。たとえキリストがこの事実を盾に取っても、「はい」とは答えられなかったのですが、送り込まれた人達の背後に居る祭司長、律法学者、パリサイ人達に、「神に権威を託された唯一の機関であると思っているお前達だって、デナリ銀貨を使ってローマの支配を認めているではないか。」というメッセージを送ることにはなったはずです。

通貨は、そこに像や銘が刻まれている人物のものであるという当時の共通認識をはっきり再確認させた後で、キリストは結論を述べます。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして、神のものは神に返しなさい。」
 明らかに後半に加えられた部分に更なる重点が有ります。そして、それは、単なる付け足し以上の印象を彼らに与えたであろうと考えられます。彼らは旧約聖書に通じていたはずです。創世記一章二十六節の、

そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。-」と仰せられた。

という言葉を知っており、そのことを誇りに思っていたはずです。人には神のイメージが刻まれているのです。人は神の被造物であり、神の栄光のために生きる存在です。ですから、「神のものは神に返しなさい。」なのです。私たちは神のものとして、自分の生き方や行動、心の在り方を、「神に返す」態度で持っていなければならないのです。逆に言えば、民の指導者達から送り込まれた人達には、その有様が「神に返す」生き方なのか、という挑戦であり、問いかけであったと思います。


まとめ
キリストによる結論を通して、私たちは何を心に留めなければならないでしょうか。

第一に、この世の統治者、統治機構には従うということです。それは、神がそういう存在をお立てになったからです。もちろんそれは、神の法則、教えに反していない限りです。しかし、その場合でも、キリストに従う者として、平和の内にそれを為すことを心がけなければなりません。

第二に、繰り返しの確認になりますが、私たちは神のものであるということです。ですから、神のものらしく、私たちの人生を送り、神の栄光のために生きることを求めなければなりません。
 「神のものは神に返しなさい。」という言葉で挑戦されなければならなかった人達のような、プライドや欺瞞、人を罠にかけようとするような邪悪な心で生きてはいけないのです。私たちの中に、そのような部分が知らないうちに忍び込んではいないでしょうか。私たちが、いつも天国に市民権の有る者として、十九章のミナの例話のように、神の国の法則、神の国の価値を大切に握り締めて、私たち自身を生きた備え物として主に捧げる生き方を心掛け続けようではありませんか。








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それはきっと起こる (ルカ伝二十章九節~十九節)

2009-07-06 13:53:57 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
キリストは民衆に悪いぶどう園の農夫の例話を話しました。順を追って、背景などから説明してみようと思います。


当時、地主が農園などを作って農夫に貸すことはよくありましたし、地主がその土地から遠く離れた所に住んでいたり、旅に出たりすることはよく有ったとのことです。農夫は地主との契約で、収穫の時になったら代金などを納めなければなりませんでした。それは収穫の何割であるとか、あるいは決まった金額であるとか、それぞれの契約条件によって異なりました。地主はかなり社会的に力の有る人達で、面倒な問題を治めるために、自前で訓練した私兵を送るということもよく有ったことのようです。

ぶどう畑はここではイスラエルの民を象徴しています。地主は神様で、農夫達は彼らの霊的指導者達です。

最初に送られたしもべは、旧約聖書に現れる、王国形成以降の、比較的初期の預言者達と考えられます。次に送られたしもべは、バビロン捕囚の直前までの期間に遣わされた預言者達と考えられます。そして、三番目に送られたしもべは、バビロン捕囚からエルサレム帰還以後の預言者達と考えられます。そして、預言者達に対する人々の扱いは、後に成れば成る程酷いものになりました。たとえの中のしもべが、どんどん酷い扱いを受けるようになっていくのは、そのことを表しています。預言書を読めば、悪行の故にイスラエルに悪いことが起きると預言した者が、指導者によって殺される記事が出て来ます。

そこで、地主は考えます。自分の愛する息子なら敬ってくれるだろうということで、息子を送ることにしました。「愛する息子」という言葉が、これが神の一人子キリストであることをはっきりと表しています。なお、これは例話での設定で、実際に神がキリストを遣わすに当たっては、民の指導者に敬われないことはわかった上で遣わしました。

跡取り息子がやって来るのを見て、農夫達は、「あれは跡取りだ。」と言います。身なりからか容貌からか、とにかく、見ればわかったということです。このことは、キリストの行うメシアであることの証拠としての印や奇跡を見れば、民の指導者達にもキリストが約束のメシアであることが見て取れたということを表しています。
 そこで農夫達は、パリサイ人達がキリストをどうやって罠にかけようかと話し合ったのと同じように、議論、相談をします。その内容は、『あれはあと取りだ。あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。』というものでした。
 ここを読むと、何故彼を殺すと財産はこちらのものなのか?という疑問がわくかもしれません。当時のイスラエルの法では、相続人が所有権を宣言しない土地は、他人が所有権を宣言したらその人の所有になったのだそうです。ですから、殺して本人に所有権の宣言をさせなければ、後は自分達が実際に働いてきた農夫として所有権を宣言してしまえばこちらのものだというわけです。
 それで、彼らは相談の通り、跡取り息子を殺しました。ぶどう園の外に追い出したのは、ぶどう園の中で死体が見つかると、ぶどう園のぶどうは穢れたものということになって、商品価値が無くなってしまうからでした。実際に民の指導者達は、キリストをエルサレムの郊外の丘で十字架に着けましたし、死刑がエルサレムの郊外で行われるのは、死体の穢れを避けるためであり、穢れのために過ぎ越しの祭りに参加できなくなることを避けるためでもありました。ですから、この部分は、間近に迫った十字架の死の予告でもありました。

さて、ここまでの例話は、その次に来る質問をするための布石であり準備でありました。そこにこの箇所の焦点が有ると言って良いでしょう。質問は、「こうなると、ぶどう園の主人は、どうするでしょう?」というものでした。答えはキリスト自身が次の節で述べています。「彼は戻って来て、この農夫どもを打ち滅ぼし、ぶどう園をほかの人たちに与えてしまいます。」というものでした。これがこの例話の結論です。具体的には、キリストを亡き者にしようとしているこの民の指導者達は、打ち滅ぼされるということです。そして、ぶどう園は「ほかの人たち」に与えられるということでした。神が望んでいたのは、人々の誠実の実、信仰の実でした。神の国はもはやユダヤ人だけに委ねられるのではなく、霊と誠によって神を礼拝する者達、キリストを自分の王として受け入れる人たちに与えられるということです。歴史的には、二世紀になるまでに、殆どのキリスト者は異邦人で占められることになりました。

先に説明した通り、地主が私兵を送って問題を解決することはよく有ったということです。すると、キリストがこの例話で示した結論は、極当たり前なものであると考えられますが、どうしたことか、民衆は、「そんなことがあってはなりません。」と言いました。どういう意味であるかは、二つ程考えられるように思われます。
 キリストのこの例話は、旧約でも用いられる、イスラエル人をぶどう園に例える表現が用いられていましたし、イスラエル人達は、旧約聖書を通して自分の先祖達が預言者を殺す者達であったことを自覚していましたから、彼らには何を意味しているかよくわかったと思われます。すると、現在のローマの圧政の元でなんとかイスラエルを保っている民の指導者達が打ち滅ぼされるというのは困るという気持ちから出た言葉であったかもしれません。
 または、この例話をよく理解した民衆にとっては、彼らが待ち望んでいるメシアを表すであろう「愛する子」が殺されるという展開が受け入れられないという気持ちから出た言葉であったかもしれません。

この結論の後に加えられたキリストの解説が、実はこの聖書箇所ではもっと中心的な内容であると言えるかもしれません。
十七節でには、キリストが民衆を見つめて言われたということが書いて有ります。「見つめて」と訳された語は、「じっと見る、心を向けて見る、熱心に見る」という意味が有ります。ですから、キリストにとっては真剣な説明、メッセージであったと考えることができます。

先に十七節と十八節に表されている要点から確認させていただきたいと思います。
要点一)それはきっと起こる。
要点二)キリストは約束のメシアである。

どうしてそういう要点が読み取れるのでしょうか。それは、引用された旧約の言葉と、「石」という言葉の理解に鍵が有ります。
 引用されたのは、詩篇百十八篇二十二節でした。当時からメシア的詩篇と考えられていたものの一節の引用です。ですから、「ほら、ちゃんと詩篇に預言されているだろう。『家を建てる者たちの捨てた石』と書いてあるではないか。だから、その預言は成就して、このことはきっと起こらなければならないのだよ。メシアは民の指導者に捨てられるのだ。」というメッセージになっているのです。
 石は、旧約聖書中に、何度かメシアを表す言葉として用いられています。創世記四十九章二十四にも見られますし、イザヤ二十八章十六節などは、石がメシアを表しているばかりか、その後のキリストの説明と同じような内容さえ持っています。
 要点一の中には、異邦人が救いに入れられるという部分も含まれているように思えます。例話では、ぶどう園を「ほかの人たち」に与えると表現されている部分です。詩篇百十八篇二十二節後半の「それが礎の石になった」という部分を確認します。この礎の石という語は「隅の頭石」とも訳されるものです。この石は、土台の一部で、二つの壁をつなぎ合わせ、支える働きをします。パウロ書簡を見ると、キリストは隔ての壁を打ち壊して、ユダヤ人と異邦人を神の恵みの共同の相続者とされたことが書かれています。もう一つの可能性は、この石は、屋根の中心に最後に被せて、建築を完成させる石と考えることです。キリストの救いの完成には異邦人への救いが含まれていますから、どちらに解釈しても同じことを引き出すことができるように思えます。
 それはきっと起こるということの中の、民の指導者達が打ち滅ぼされるという部分については、十八節が説明していることになります。この部分は直接的な旧約の引用ではありませんが、ダニエル書二章四十四、四十五節を示唆する内容になっています。そこには、永遠に滅ぼされることのない国の出現が記されています。つまり、キリストによって確立される神の国と考えることができます。そして、人の手によらずに切り出された「石」がいろいろな帝国を打ち砕くイメージが記されています。ですから、キリストの例話のつながりと合わせて考えると、民の指導者達が打ち滅ぼされるということを連想させるようになっています。説明いたしませんが、これは、また、イザヤ書八章十四節や二十八章十六節の内容にもつながっています。
 これらの背景や旧約聖書の理解が有ったため、民衆も民の指導者達も、キリストが何を意図して話しているかはわかりました。十九節では、民の指導者達がキリストを即座に捕らえようと思ったのですが、やはり民衆を恐れてそうしなかったということが書かれており、彼らがキリストの話を理解したことが説明されています。

まとめ
キリストが民衆を見つめて、熱心な思いで語られたこの箇所を学んで、現代のキリスト者である私達は、何を心に留めれば良いのでしょうか。

一つ目は恵みの部分です。ルカやキリスト御自身がくどい程繰り返して述べているように、キリストは約束のメシアであり、救い主であるということです。そして、彼の死と復活は、キリスト自身が死ぬ間際まで宣言し続けた神の約束であり、そのことを通して、私達異邦人にも信仰による救いがもたらされたということです。

二つ目は、神が私たちに望まれていることです。神が預言者達をイスラエルの民に遣わされた時望んでおられたことは、民の中に、誠実の実、信仰の実を見ることでした。同様に、神は、現代に生きるキリスト者である私達が、誠実の実、信仰の実、また聖霊の実を結ぶことを望んでおられます。それは、一重にキリストに対する全幅の信頼と、神の言葉と教え、神の国の価値を守り続けることにかかっています。

三つ目は、警告です。民の指導者達も民衆も、皆キリストが約束のメシアであることを理解していました。しかし、民の指導者は最後まで自分のプライドのために、自分達が主導権を握り続けるために、キリストを拒絶し、死刑に追いやりました。また、民衆は、自分の考えたメシア像と違うキリストの有様に心変わりし、最後は民の指導者と一緒にキリストを「十字架につけろ」と叫ぶことになりました。
 私達にも、神の御心が何であるかが明らかであるのに、従いたくない時が有るかもしれません。自分の期待と異なるから、御心ではないのだと考えたい時が有るかもしれません。しかし、その時には心しておかなければならないことが有ります。その結果を刈り取らなければならないということです。民の指導者達は、エルサレムの崩壊の時に打ち滅ぼされ、その結果を刈り取りました。

この三つの事柄を、キリストの深い眼差しを想像しながら、時々考えてみようではありませんか。







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キリストの権威 (ルカ伝二十章一節~八節)

2009-06-30 03:44:08 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
先の記事では、ルカはキリストの宮清めの記録を紹介しました。今日は、そのことから派生した記事ということになります。エルサレム神殿での商売であるとか、その敷地内で教えるということは、民の指導者達の許可がなければできないことでした。しかし、キリストは御自身の権威でそれをしましたから、民の指導者達にとっては大変な挑戦と取られ、なんとかキリストをなきものにしようとすることになりました。

一節
キリストが神殿の敷地内で教えていましたが、これはおそらく火曜日ぐらいのことであろうとする注解が有ります。共観福音書の記述と比較してのことです。
 先に確認したように、神殿の敷地内で教えるということは、祭司とか民の指導者達の許可を得なければならなかったのですが、キリストはそういう許可は得ずに教えていました。
 そこに祭司長、律法学者、長老達が現れました。これは、彼らがユダヤ人議会の構成員であることを示す言葉です。イエスに「立ち向かって」という箇所に用いられている動詞は、突然現れて立ち向かうという感覚の有る語だそうです。また、彼らの語気は強かったであろうことがうかがわれます。

二節
彼らはキリストの権威がどこから来たものであるかを問い質しました。何の権威によってこれらのことをし、誰がその権威を与えたのかというのです。これらのことというのは、神殿で商売している人達を追い出したことと、神殿の敷地内で教えていることです。
 彼らは、自分達が神からそういう権限を与えられた唯一の機関だと思っていました。ですから、こういう質問をしたということは、「私たちはお前に許可を与えていないぞ。」ということであり、「許可を得たというなら、その人の名前が言えるものなら言ってみろ。」というような気持ちが有ったと考えられます。
 これは、また、キリストに対する罠であるとも考えられました。もし、天から、すなわち、神からその権威を授かったと答えれば、自分達が唯一の神から権威を授かった機関だと考えている彼らから、偽証や冒涜の名目で有罪とされたでしょう。もし、特定の人間の名前が挙がれば、そんな人物は彼らの中には居ないからその権威は無効であるということになるかもしれませんし、偽証したということになるかもしれませんし、少なくとも、そんな人間の権威でそこまでの権限を持たせることはできないという拒絶に会ったことでしょう。

三節
そこで、キリストは逆に質問をします。これは、注意深く自分の回答を避ける、もしくは断ったということになると思います。しかし、祭司長、律法学者、長老達は、キリストが応答したということで、無理にキリストの回答を先に要求するということはしなかったようです。

四節
キリストの質問は、ヨハネのバプテスマは天、すなわち神から来たものか、人から出たものかというものでした。
 こういう質問はもっともでした。それまで、異邦人が改宗する時に、バプテスマを授けるようなことはありましたが、ユダヤ人が悔い改めのバプテスマをするということは無かったのです。それは新しい考えでありましたから、もしそれを実行しようとするならば、ユダヤ人の社会では、祭司長、律法学者、長老達の審議と許可が必要でした。しかし、彼らはバプテスマのヨハネに一応の関心は払いましたが、審議や許可という過程を経ずに見逃していました。それに、マタイ伝三章を見ると、パリサイ人やサドカイ人達が、たくさんバプテスマを受けに来た記録が有ります。そういうわけで、この部分だけ見ても、彼らにとっては少々具合の悪い質問でした。

五節
そこで、彼らは急遽額を寄せ合って、こそこそ相談をすることになります。
 一つ目の回答の可能性は、ヨハネのバプテスマは天から来たと答えることでした。彼らは実際にヨハネがヘロデに捕まえられるまで禁止や処分をしませんでしたから、許可を与えていたようなものです。ですから、そう答えることは、一応辻褄が合います。
 しかし、そう答えてしまうと、問題が生じます。人々はバプテスマのヨハネについて「この人がキリストについて話したことは皆真実であった。」という評価をしていました。ですから、そういう回答をすることは、自分達が敵対しているキリストも天から、すなわち神から権威を与えられた正統なメシアであり、救世主であると認めなければならなくなります。それは、到底彼らのプライドが許さないことでした。ですから、「それではどうして彼を信じなかったか」と問われるような回答をすることはできませんでした。

六節
自分達の望まない展開を導くことになることを回避するために、次の回答の可能性を論じることになりました。それは、ヨハネのバプテスマは人から出た物であり、人の考えであって、神の権威の元に有るものではなかったと答えることです。
 パリサイ人やサドカイ人達がヨハネの所にバプテスマを受けに行った点を非として認めておけば、少なくともキリストを認めるという最も嫌なシナリオは避けることができます。
 でも、これにも大変まずい点が有りました。この時、キリストは神殿の敷地内で人々を教えていたのですから、彼らの答えは人々にも聞かれてしまいます。すると、「民衆がみな私たちを石で打ち殺すだろう」と予想されます。どうしてでしょうか。「ヨハネを預言者と信じているのだから」という理由が述べられています。ヨハネを預言者と信じるならば、それは、ヨハネを遣わしたのは神であると信じているということです。その預言者であるヨハネの業を人の業であると断じて見せることは、民衆にとっては神を冒涜することでしたから、石打ちにされることは有り得ました。
 ここに、彼らが政治的な思惑で行動しているのであり、確固たる神への信頼に根差して行動していないことがはっきりします。彼らが神に忠実であるならば、旧約の預言者達のように、民に拒絶されることを厭わず、真実と思われることを貫くことができたはずです。しかし、彼らは神よりも人を恐れる輩であったのです。箴言二十九章二十五節には、「人を恐れると罠にかかる」と書いてあります。彼らの末路は、まさにこの言葉に当てはまるものであったと言えます。
 ヨハネを預言者と信じるということは、どうして起きたのでしょうか。五節の説明に書きましたように、人々は、彼がキリストについて証言したことがみな真実であったと認めたからです。そして、キリスト自身が、自分がメシアであることを、旧約の預言の成就と言える数々の奇跡を行うことで示したからです。このことは、民衆ばかりでなく、祭司長、律法学者、長老達にもわかるべき事柄でした。彼らが通暁している旧約の預言の通りのことが起きていることは明らかだったし、同じようなことができる人物は他に一人も存在しなかったからです。

七節
すると、三つ目に残されていた回答の可能性は、「わからない」と答えることでした。そうすれば、敵対しているキリストが神の権威で行動していることを認めなくて済みますし、民衆に石打ちにされることも避けることができました。それで、彼らは、良心に裏打ちされた判断ではなく、消去法でたどり着いたごまかしの回答である、「どこからか知りません。」と答えることになりました。

八節
当時でも、キリストとバプテスマのヨハネとの結びつきは人々に明らかでしたので、神の権威を委託された唯一の機関であると自負している民の指導者ともあろう人達が、「わからない」と答えたのであれば、彼らに認められていない立場のキリストが、わざわざ自分の答えを示さなければならないという筋合いは有りません。それで、キリストが「ではわたしも話すまい」と答えても、民の指導者達も文句は言えず、引き下がるしかなかったようです。
 この回答は「本当は全ては明らかで、お前達もわかっているはずだろう」という非難の気持ちが含まれていたのかもしれません。


まとめ
この箇所から、現代の私たちが学ぶべきことは何でしょうか。順番に考えてみたいと思います。
 キリストは十字架にかかる前の最後の週を過ごしていました。神殿で教えていた日が火曜日であるとすると、公に人々を教える最後の機会であったかもしれません。そういう時に教えることが有るとすれば、それがキリストの中心的教えということではないでしょうか。そして、それは「福音」であったとルカは記しています。私たちは悔い改めて生き方を変えなければならないこと、キリストをとして救いが与えられること、神を愛しまた互いに愛し合うこと、天の父なる神が慈悲深いように私たちも慈悲深くあるべきこと、その他山上の垂訓の内容などが繰り返し語られたのではないかと考えられます。ミナの例えの箇所で確認しましたが、やはり、神の国の価値を一心に守るということではないかと思います。私たちがそこに留まることが、キリストの御心であり、願いです。
 そして、そのキリストの教えは、信頼するに足りるということです。旧約の約束と預言を通して、また、キリストが為された奇跡と教えの内容から、彼がメシアであることは、多くの人々に明らかでした。ですから民衆はキリストの元に集まったのです。そして、プライドや権威意識が邪魔しなければ、それは祭司長、律法学者、長老達にも明らかであったはずです。特に、バプテスマのヨハネは祭司の家系に生まれましたから、彼の誕生の次第などは、祭司仲間には良く知られていたはずです。その意味では、キリストを十字架に掛けた人達の中では、祭司長たちは責任が重いと言えるかもしれません。そんなに明らかに示されたキリストの正統性を無視した結果は、エルサレムの崩壊でした。
 明らかにあることが正しいと解かっていても、自分の都合でそれを曲げたくなることは、私たちにも有ることです。しかし、キリストに従う者であるキリスト者は、なんとか聖書の言葉の力、聖霊の力によって、これに打ち勝つように努力しなければなりません。しかし、失敗したら悔い改めなければなりませんが、恐れる必要はありません。キリストはすでにキリスト者の全存在を贖い取ってくださったからです。この箇所に出て来る祭司長、律法学者、長老達を他山の石として、彼らの道に歩まないように注意しましょう。神の意思に私たちが優先順位を持たせることを心がけなければなりません。


キリスト者である私たちには、キリストの権威は明らかです。いつもキリストに私たちの王となっていただく生き方を心に留めましょう。








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宮清め (ルカ伝十九章四十五節~四十八節)

2009-06-15 16:07:06 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
先にエルサレムと神殿の崩壊を嘆いたキリストは、エルサレムに着くとすぐにその神殿に行きました。


四十五節
神殿に着くと、最初にキリストは、物売り達を追い出すことを始めました。これはどういう状況だったのかを確認する必要が有ります。

当時、大祭司カヤパの一族が権力を持っていて、神殿の異邦人の庭で商売をさせていました。その内容は、遠方から来る巡礼が捧げる犠牲の動物を売ることと、両替でした。動物は、大変な高値で売られました。また、犠牲として受け入れられる動物の規格には必要以上に厳しい規定が設けられていて、自分で持ってきた動物は大抵受け入れられず、高い動物を買わされることになったようです。また、神殿での売買は、大祭司の決定により、イスラエルの北に有るツロの貨幣でなければ受け入れられませんでした。そして、その両替の率は、正当な交換率よりも高く設定されていたということです。私の想像ですが、ツロは交易の民であるフェニキア人の国、もしくは都市でしたから、貨幣の力が強く、価値が有ったのだと思います。それで、そういうツロの貨幣を手に入れるために、そういう規定を作ったのかもしれません。そうでなくても、両替をさせて、高い手数料をせしめるためにそういう口実を設けたということは明らかだと思います。これらは、二つの点で悪いことでした。
 一つ目は、巡礼者の事情や足元を見て、そういう非常に高い値段や手数料、両替率などを用いて莫大な富を得るということは、普通に考えても商業道徳、商業倫理に反することでした。しかし、これを神殿の運営ということを口実に、公にし続けていたのです。
 二つ目は、先に述べたように、それが異邦人の庭で行われていたということです。神を畏れ敬う異邦人がエルサレムで主を礼拝したいと思っても、その異邦人の庭までしか入れないのです。敬虔な気持ちで巡礼してきた異邦人にとっては、そこが心を込めて礼拝をする場所でした。しかし、そこには商売人達が机を広げ、動物を並べていたのです。とても集中して礼拝をすることはできなかったでしょう。大祭司も商売人も、同じ神を敬う仲間であるはずの巡礼者を、異邦人であるということで軽視し、無視していたのです。

キリストにとって、それが受け入れられる状況であるはずがありません。それで、キリストは彼らを追い出して、宮清めをしました。これは、キリストによる二回目の宮清めであったと思われます。公生涯の初期に、少し異なった状況で宮清めをした記事がヨハネ伝に記録されているからです。


四十六節
キリストはこの時、旧約聖書を引用して彼らを責めています。
 一つ目は「わたしの家は、祈りの家でなければならない。」という部分で、イザヤ書五十六章七節の言葉です。前後を確認すると、イスラエルの民が神に立ち返るならば、異邦人も含む、全ての民が来て神に祈りを捧げるようになるという言葉も入っています。そういう祈りの場所であるべきエルサレム神殿を商売の場所に変え、その聖書箇所が念頭に入れている異邦人の礼拝を妨げていたのですから、当然この旧約聖書の神の言葉に反する行為です。旧約聖書に通じていた人達は、こう言われれば、例え反発を感じても、引き下がるしかなかったのではないかと思われます。
 二つ目は、「強盗の巣」という部分です。これは、エレミヤ書七章十一節の表現です。バアルに仕えて偶像礼拝をしているイスラエルの民が、エルサレム神殿にも来て犠牲を捧げて礼拝の儀式をして、それで「私達は救われている。」と言っていることに対する叱責が述べられています。そんなことをする民に向かって、「エルサレム神殿が強盗の巣のように見えるのか。」と迫っています。「巣」と訳されている語の語感を理解すると、この意味がもっと明確になります。この語は、「隠れ家、避け所」という意味合いが有ります。そこに入れば、敵の追及を逃れ、安全で居られるのです。ここでは、バアル崇拝をして神の怒りを買うようなことをしているが、エルサレム神殿で礼拝儀式をすれば、その怒りから逃れられ、無事であるという考えを指して、そんなことが有るとでも思っているのかと迫っているわけです。
 実際に大祭司の一族や商売人達は、そのような考えが有ったのかもしれません。しかし、それはゆるされることではありませんでした。エレミヤ書においては、その後のバビロン捕囚も預言されているのですが、紀元70年にエルサレム神殿の崩壊を経験したという意味において、エレミヤ書の預言は二度成就したと考えても良いのかもしれません。

ここで、確認しなければならないことが有ります。この宮清めも、旧約の預言の成就だということです。マラキ書三章一節には、「見よ。わたしは、わたしの使者を遣わす。彼はわたしの前に道を整える。あなたがたが尋ね求めている主が、突然その神殿に来る。」という記述が有ります。キリストは「神殿に来て」「道を整える」ことをしました。三節にはきよめるということも書いて有ります。この使者は、メシアであると考えられていました。ですから、キリストは、この行為によって自分が約束のメシアであると宣言したことになるのです。


四十七節
宮清めが終わると、キリストはエルサレム神殿で教えました。神の国の福音を語ったでしょう。毎日教えておられたということですが、それは、神殿警備隊に逮捕されるまでの数日という意味です。月曜日から水曜日ぐらいまでであったろうと思われます。
 原文ではこの後、「しかし」と訳することができる接続詞が入っています。祭司長、律法学者、民のおもだった者達(ユダヤ人議会の議員という意味です)はキリストを殺そうと狙っていたというのです。どういうことでしょうか。エルサレム神殿の外側の庭などで、ラビや他の教師達も教えていました。そういうことは、祭司長などの許可を得てすることでした。聖書に反した教えが語られることや、民の蜂起を煽ろうとする自称メシアを除外するためでした。キリストが危害を加えられずに神殿で教えていたということは、祭司長の許可が有ったと考えるのが普通なのですが、「しかし」実は、彼らはキリストの命を狙っていたということです。
 キリストは神殿から商売人や両替人を追い出して、彼らの権威を認めませんでした。キリストは、彼らの許可を得ることなく神殿で人々を教えていました。キリストは神であられるのですから、当然彼らの許可など得ずとも何でもできたのですが、この行為は、彼らにとっては十分キリスト抹殺を企てる理由と成り得る挑戦だったのでした。


四十八節
キリストを殺すことを狙ってはいても、その機会を得ることができませんでした。「民衆がみな、熱心にイエスの話しに耳を傾けていたからである。」という理由が記されています。
 彼らは神を恐れない輩でした。だから平気で神殿を商売の場所に変えることもしましたし、異邦人の礼拝を妨げても何の痛痒も感じませんでした。でも、民衆は恐れていたのです。彼らは宗教指導者でも有りましたから、全くもって本末転倒と言わざるを得ません。


まとめ
この箇所から確認できることは何でしょうか。
 くどいぐらいの繰り返しになりますが、新約聖書はいつもイエスはキリスト、救い主であるということを宣言しています。そして、キリストにすべての権威が有ることを示しています。他の権威に服してはなりません。
 また、預言の成就の記事として読むと、神の言葉の権威に心を留めなければならないと思います。キリストは宮清めの後、毎日教えていました。キリストの言葉は神の言葉です。神の言葉に聴くということの大切さを訴えていると思います。律法学者達は、神の言葉の専門家であったはずですが、それができていませんでした。
 
現代に生きる私たちがどうこれを受け止めるかということを考えます。
 私たちの中には、清められなければならない、間違った思いが巣食うことが有ります。それは、キリストが宮清めをなさったように、追い出さなければならない思考です。そして、その後、キリストが毎日教えておられたように、私たちの思いを、神の言葉、聖書の言葉で満たして行かなければなりません。私たちは聖霊の宮なのですから、聖霊と、聖霊によって書かれた神の言葉の満ちている者とならなければなりません。

教会には、教会の商業化の問題が有るという指摘が有ります。投資をして利益を得るという考えが入り込んでくることが有るというのです。例えば、「熱心に教会の食事の用意の奉仕をするから、私をひとかどのクリスチャンと認めて、大事に扱ってくれ」という考えを持っていたら、そこに教会の商業化の問題が見られるのです。食事の用意の奉仕が、奉仕ではなく投資になってしまっているのです。それは、人に認めてもらうという自己満足という利益を得るための活動ですから、奉仕ではなくなってしまっていますし、神に栄光を帰するものではなく、自分のプライドに仕える行為ですから、偶像礼拝と同じです。これでは、神殿を金儲けの手段に変えてしまった大祭司の一族と変わりが有りません。もし、そういう気持ちが自分の中に有ったと思ったら、悔い改めなければなりません。そして、神の御心は何であったかを示す聖書の言葉を反芻して心を満たさなければなりません。

私たちは、キリストとその言葉がいつも最高権威である聖霊の宮であるべきです






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主権はキリストの手の中に有る (ルカ伝十九章二十八節~四十四節)

2009-06-14 16:22:31 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
この箇所は、別な角度から考えることもできますが、今回は、キリストの主権という部分に目を留めて、手短に確認してみます。

エルサレムに上れば、民の指導者達に迫害されて死ぬことになるということを弟子達に予め話しておられましたが、キリストはその成就に向けて、強い意志を秘めてなおもエルサレムに上って行かれました。このことも、キリストの主権の元に事が運んでいることを示しています。

エルサレムに近い町に近づいた時、ふたりの弟子を先に遣いに出して、ろばの子を連れて来るようにと指示をしました。その間、キリストや他の弟子達は、そこで休んでいたと思われます。
 当時、役人などの公務であるとか、宗教的指導者の必要ということで、ろばや馬を借りるということは一般的でした。私たちには少々不自然に感じられることかもしれませんが、当時のイスラエルの人達にとっては一般的な事柄でした。ですから、「なぜ、ほどくのか」という持ち主の質問に「主がお入用なのです。」と答えるだけで、二人の弟子は、妨げられることなくろばの子を連れて来ることができたのです。
 しかし、「主」というだけで簡単に貸してくれるだろうかという疑問を持つ人も居ます。この「主」という言葉は一般的な主人を指して用いる言葉でもあったからです。すると、どの主人かという疑問が次に有ってもおかしくないのです。一方、キリストを「主」と告白することは、キリストを救世主、また神と信じているということです。それで、注解の中には、ろばの子の持ち主も、キリストを信じる仲間で、弟子達とは顔見知りであっただろうという理解を示すものも有ります。いずれにせよ、どこに行ったらろばの子が居るとか、尋ねられたらどう答えたら良いかなどを、予め知っていたのですから、キリストは本当に神であったということを読み取ることができます。そして、このような事柄も、キリストの主権の元に進んでいるということが言えます。

弟子達は、ろばの子の上に上着を敷き、また人々も道端に上着を敷いてキリストを歓迎しました。道端に上着を敷くというのは、敬意を表す行為であり、現代のヨーロッパなどで見られる、赤い絨毯を敷いて来賓を迎える感覚であるということです。キリストはこれらの歓迎を断らずに受け入れました。キリストは救世主でありましたから、その歓迎に相応しい存在だったのです。

キリストの弟子達は、更にキリストを通して為された奇跡の業などを喜んで、大声で賛美し始めました。そして、それだけではなく、詩篇百十八篇二十六節の引用をしてキリストのことを王だと宣言しました。この詩篇は、神に救いを求める詩篇で、そこに神の名によって救いをもたらす者が来るという希望を歌ったものでした。ですから、ここで、弟子達はキリストが約束のメシアであるという信仰を告白していることになります。
 しかし、そういう宣言は、キリストを認めないパリサイ人達にとってはおもしろくないし、とんでもないことでした。ただの田舎の出身のラビをメシアと宣言するのは、神への冒涜であると考えたかもしれません。きちんとした考えの有るラビであれば、弟子達にそんなことを叫ぶままにさせておくはずが無いという苛立ちも有ったと思われます。それで、「お弟子達を叱ってください。」という声を上げる者が居たわけです。
 普通の人間や聖書教師であれば、即座に「はい、そうですね、気をつけさせます。」と応じるところなのですが、キリストは「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」と答えて、弟子達の賛美の叫びを肯定なさいました。ここにも、キリストが救世主であり、主権を持っていることが示されています。キリストにとっては、パリサイ人の権威など、何事でもなかったのです。

エルサレムが近くなると、キリストは、イスラエルの民がキリストを受け入れなかったために、将来エルサレムとその神殿が攻められ、陥落し、崩壊することを預言して泣かれました。「一つの石も他の石の上に積まれたままで残されない」という表現がされましたが、エルサレムの崩壊を記録した歴史家達も、実際にそういう表現を用いたようです。
 キリストは神ですから、エルサレムの崩壊を予見し、預言することができました。そこにも、キリストの神としての力、主権を見ることができると思います。

おおまかにエルサレム入城というテーマで語られる内容ですが、三つのエピソードが並んでいるとも考えられると思います。しかし、どのエピソードも、キリストの神性とキリストに主権が有るということを示しているという共通点が有ると思います。







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ミナの例え (ルカ伝十九章十一節~二十七節)

2009-06-02 11:55:08 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
キリストは、人々が、神の国はすぐにでも現れると考えていることを見て取って、ミナの例えを話ました。

ここで、いくつかの文化的背景を確認しなければなりません。

 一つは、人々が神の国はすぐにでも現れると考えた理由です。十一節には、イエスがエルサレムに近づいているということが理由として上げられていますが、もう少し詳しい説明が必要かもしれません。
 ユダヤ人の理解では、エジプトからの解放を祝う過ぎ越しの祭りの時に、メシアが来て外国人の支配から解放してくれるという期待が有りました。今、メシアだと思われているキリストが、過ぎ越しの祭りを祝うためにエルサレムに向かっているのですから、その期待が高まるのは無理も有りません。それだけではなく、キリストは、先程エリコの町に入る前に、盲人バルテマイの目を開いて、自分がメシアである印を示しました。そして、たった今、ザアカイの回心の告白に応えて、キリストは「きょう、救いがこの家に来た。」と言いましたから、それならばユダヤ人の解放の時も近いと考えたのでした。エルサレムはエリコから直線で三十キロ程の所に有りましたから、キリストのエルサレム入りと挙兵が近いと思ったのでしょう。

 二つ目は、キリストの例えの設定についてです。キリストは、例えが実感を持って理解できるように、三十年程前に起きた出来事によく似た設定の例えを話されました。
 ヘロデ大王には三人の息子が居ましたが、評判も悪く、周囲から悪い話を報告されていたので、長男のアケラオではなく、次男のアンティパスに継がせると宣言していました。しかし、亡くなる数日前に、やはりアケラオに継がせるという変更を遺言して亡くなったそうです。
 ローマの属国の統治者となるためには、ローマ皇帝の決定を仰がなければなりませんし、父親の遺言の急な変更などのために、イスラエルもごたごたしていましたので、王になる前に、アケラオは皇帝アウグストの所に許可を得るためや、自分の弁護のためにローマに出かけなければなりませんでした。その時、反アケラオの勢力は、五十人の使節をローマに送り、アケラオを王にしないで欲しいという嘆願をしました。結局、アウグストは、アケラオに統治させるのが良いと判断しましたが、反対派の意見も受け入れたようで、王の称号は許可せず、領主という扱いにしました。
 統治権を認められてローマから帰国したアケラオは、反対勢力を粛清し、多くのパリサイ人を含む、三千人程を殺したということでした。

 この例えが伝えようとしているメッセージを順に取り上げてみようと思います。

第一のメッセージ:神の国の出現までには、まだまだ時間がかかる。
 
 アケラオの例に似せて、この例えでも、ある身分の高い人が王位を得るために、遠い国に出かけることになっています。そして、アケラオの時と同じように、反対勢力が登場します。すると、この人は、遠い国に往復の旅をしなければならないばかりか、王位を授けてくれる皇帝などの前で、自分がいかに王位に相応しいかを説明したり弁護したりしなければなりませんから、帰国して王位を宣言するまでには相当時間がかかります。ですから、キリストは、そのことを思い出させて、同様に人々が期待している神の国、実際的なキリストによる地上の支配はまだ先のことだと示唆しているのです。
 幾つかの説明を加えておきます。 
 身分の高いと訳された語は、「生まれが良い」というのが原義です。これをキリストに当てはめて考えると、キリストは人間的にはユダ族のダビデ王の家系の出ですから、十分に生まれが良いと言えます。そればかりではなく、キリストは神なのですから、その意味においては、最高に身分が高いと言えたでしょう。
 キリストが王位を受けるというのは、十字架の死と復活の後、使徒信条で告白されるように、全能の父なる神の右に座るということです。そして、再び帰ってくるというのは、再臨の時のことを指します。
 この部分は、数日の内に神の国が出現することを期待していたユダヤ人に対するメッセージですから、現代に生きる私たちには当てはまりません。私達は何時キリストの再臨があっても良いように備えて待つ者達です。
 

第二のメッセージ:キリストの弟子には委ねられた仕事が有る

 キリストが数日内に神の国を建てるのではないかと期待する人々を教えるための例え話ですから、登場する身分の高い人はキリストということになり、呼ばれたしもべ達は、キリストの弟子、もしくはキリストに従う者達ということになります。現代の私達も、その中に含まれると考えて差支えないと思います。何故十人のしもべかという疑問がわくかもしれません。直近の弟子は十二人でしたから、裏切ることになるイスカリオテのユダを除いても十一人です。例え話ですから、実はそんなに深く考える必要は有りません。可能な説明は、ユダヤ文学においては、十という数字は、この世の力を表す数字であると理解されることから、これは、この世でキリストに従う者達を象徴的に表していると考えるというものが有ります。何にしても、大事なのは、キリストに従う者達が呼ばれたという理解だと思います。
 呼ばれたしもべ達には、一人一ミナの資金が渡されました。一ミナというのは、およそ百日分の賃金ということです。現代の日本の感覚で言うと百十万円ぐらいということになるかと思います。なんだ、大した金額じゃないなとお感じになるかもしれませんが、当時、そのぐらいのまとまった額のお金を動かせる人は殆ど居ませんでした。それを十人分用意できたのですから、この主人は豊かな財力を持っていたと考えられます。私たちの主人であるキリストは、確かに、全ての良き物の根源なる方であり、豊かな方です。
 彼らに与えられた使命は、主人が帰って来るまで、それで商売をすることでした。「商売」と訳された語は、「仕事をする、事業をする、金融や貿易の仕事をする」などの意味が有ります。象徴的な意味ですから、キリスト教徒は商売をしなければならないということではありませんで、キリストから委ねられたものを増やさなければならないということであると考えられます。
 それでは、預けられた一ミナは、何を表すと考えるべきでしょうか。キリストのしもべに与えられた均等な機会とか価値であると考えられます。注解の中には、それを、この世の命であるとか、時間であると説明します。しかし、それではこの例え話の状況に合わないと思われます。この例え話には、この身分の高い人に反対の立場の人達が登場します。その人達は一ミナを委ねられていません。すると、その人達にはこの世の命や時間は無かったと言えるのでしょうか。そう考えることはできません。従って、この一ミナは、キリストに従う者だけが持っている価値であると考えるべきです。それは、神の国の価値、福音の価値です。キリスト教徒は、その神の国の価値、福音の価値を増やさなければならないということです。キリスト教徒達の人生が、神の国をできる限り多く反映させたものにならなければならないということです。


第三のメッセージ:キリストの弟子は、その仕事の評価と報酬の時が有る

 主人は帰ってきて、しもべ達の仕事の成果を知ろうとします。そして、評価が下されています。それは、どんなものだったでしょうか。
 最初の二人は、同じ評価を受けています。表現が違うではないかと思われるかもしれませんが、二人目のしもべの評価が示されている十九節には、「同様に」という意味の語と「も」という意味になる語が用いられていますからそう考えて差支えないと思います。実際に最初のしもべに語られた言葉から考えて見ましょう。
 
『よくやった。良いしもべだ。あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、十 の町を支配する者になりなさい。』

二人のしもべが「良いしもべ」である理由は、委ねられたミナを増やしたからです。 「ほんのちいさな事にも忠実だったから」と言われています。この例え話を聞いていた人達は、「え!?一ミナで商売するのがほんのちいさな事か!?」と驚いたかもしれません。思い出してください。これは、キリストが再臨するまでの間の、この地上での生き方に関係が有るのです。そして、その後キリスト弟子もしくはキリスト教徒達に有るのは、神に栄光の体をいただいて、主と共に過ごす永遠の命です。その栄光と永遠の命に比べれば、この地上で成し遂げたことは、「ほんのちいさな事」と言えるでしょう。
 町を支配することが報酬として表現されています。確かにキリストの直弟子達には、神の国の到来の時に、民を治めるということが語られていますが、それが実際どんなことであるかは、その時にならなければわからないのではないかと思います。また、その他のキリスト教徒達が同じように「町を支配する」というようなことになるかも疑問です。しかし、見出される原則は、その忠実さと結果に基づいて、報酬が決まるのだということです。そこに目を留めることが大事だと思います。

 さて、三人目のしもべは、一ミナをふろしきに包んでしまっておいて、実際には委ねられた仕事をしませんでした。しかも、主人のことを、まかない所からも刈り取るひどい人だと言っています。
 百日分の賃金をまとめて動かせる人は少なかったのですから、それは大金であると考えるべきでした。もしそのお金で仕事をしないとしたら、きちんとした箱にでも保管するべきであり、できれば神殿の保管庫のような、厳重に守られる場所に置くべきでした。当時、お金を布に包んで保管するというのは、一番愚かな方法だとされていました。そんな方法で大事な一ミナを保管したと告白してしまったこのしもべは、叱られた上に、預けられた一ミナを取り上げられるだけで、何の報酬も得られませんでした。
 尚、この例話の主人は、「なぜ私の金を銀行に預けておかなかったのか。」と尋ねています。当時は、銀行も現代のように多くの人が利用できるものではありませんでしたから、現代と比べると利率がかなり高かったそうです。ですから、一ミナを委ねられたしもべ達は、事業計画を立てるまでの間だけでも、そのお金を銀行に預けて利息で元手を増やしておこうと考えるのが普通でした。ところが、この不忠実なしもべは、それすらしなかったのですから、一ミナの価値をないがしろにしたか、最初から主人の言うことに真面目に取り組まなかったのだと考えられます。しかし、この人は、次の人達ほど酷い目には遭わずに済んだようです。

 行いに従って報いを受けたもう一つのグループの人達が居ました。主人が王になることを望まず、反対の使節まで送った者達でした。この人達は、皆殺されてしまいました。昔から新しい王の反対勢力は粛清され、皆殺しになりましたし、実際に例話の元になったアケラオは反対派を三千人以上殺しましたから、この部分も実感を持って受け止められたのではないかと思います。
 霊的な意味においては、この人達はキリストを自分の王として迎えることを拒絶した人達です。直接的にはパリサイ人等、そして、拡大して解釈すると、キリストの福音を拒絶した人全てです。


まとめ

 一番注目しなければならないことは、私たちがこの例話においてはしもべに当たるということです。そして、私たちには大切にし、キリストの再臨の時まで、忠実に増やしていかなければならない一ミナが委ねられているということです。 
 一ミナは、キリストのしもべだけが委ねられる、価値のあるもののことです。それは、福音、神の国の価値と、それを一生懸命反映させてこの世の生活を送ることと考えるのが適切であると思います。それを神様との交わりと従順の中に、家族や周囲の人々に、教会の人達や伝道と奉仕の中に忠実に広げていく時、私たちに委ねられた一ミナは増えていくと考えて良いのではないでしょうか。できるだけ忠実に、全ての生活場面に、神様の掟と法則と信仰を働かせていくことが、「小さなことに忠実である」ということだと思います。それは時には計画や努力が必要です。大金を金庫にしまうように、神様の御教えを大切に心にしまって、ここぞと言う時に取り出して用い続けること、それが私たちが御前に立つまで取り組まなければならないことだと思います。 
 例話の中には銀行が出てきます。両替商とも考えられます。彼らは、一ミナという価値を預かったり、動かしたり、返したりということを自由にできるのです。私たちの信仰生活においては、一ミナを銀行に預けるというのはどういうことでしょうか。最低でも、キリストを頭とするキリストの体である教会においては、キリストの愛の掟、奉仕、互いの建徳のために働くことなどの、神の国の価値を広げていくことではないでしょうか。
 毎日、キリストの教え、キリストの掟、信仰を心に固く握り締め、その実践と拡大のために努力し続けようではありませんか。良くやった、良いしもべだ、というキリストの声を聞きたいものです。








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キリストが来られた目的-ザアカイの物語- (ルカ伝十九章一節~十節) 

2009-05-06 18:17:50 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
 エリコの町に向かう途中で、イエスをメシアだと信じる信仰によって視力を取り戻し、イエス・キリストに従う者となった、バルテマイを伴って、キリストはエリコの町に入られました。人々は、バルテマイの視力の回復という奇跡の話を、道行く人たちにも語って、神を賛美していたのではないかと思われます。

 エリコの町にはザアカイという人が居ました。ザアカイという名前は、「純粋な、正しい」などの意味が有りました。有名なラビや、医者の中にもこの名前を持つ人がいました。ところが、そういう良いイメージとは反対に、この人物は、なんと収税人のかしらで、金持ちであったというのです。ユダヤ人達はそういう人を売国奴、罪人と思っていました。
 当時のエリコの町は、バルサム樹とそれから取れる油や樹液が名産で、その交易で栄えていて、比較的裕福な町でした。ですから、ローマもそれに目をつけて、税収を上げるための拠点の一つとしていました。ザアカイは、その税金を扱う総元締めとしての権利を、ローマから得たのでした。どうやってそのような権利を得る程の力を蓄えたのかはわかりませんが、実力の有る人物であったことがうかがえます。
 彼の仕事は、収税人を雇って彼らを管理し、指示をすることでした。彼自身は現場で税を集めることはしなかっただろうと思われますが、雇われた収税人が免許の交付料や手数料などをザアカイに納めたはずですから、それだけでも相当の収入が見込まれました。それに加えて、彼自身も、不正な取立てなどに携わって、貪欲にお金を蓄えていたようです。

 ザアカイの耳にも、キリストがエリコの町を通るという人々の叫び声が届いたようです。道中、バルテマイが目を癒されたという話も聞こえたかもしれません。そうでなくても、キリストの噂は行き渡っていましたから、ザアカイは好奇心にかられて、キリストがどんな人なのか、一目見てみたくなりました。それは、本当に単純な好奇心であっただろうと思われます。
 早速出掛けてはみたものの、ザアカイにはキリストの姿を見ることができませんでした。彼は背が低かったのです。そればかりではなく、キリストの周りには、弟子であるとか、ザアカイと同じようにキリストを一目見ようとする人達が群がっていましたから、人の隙間からキリストの姿を垣間見ることすらできませんでした。
 そこでザアカイが取った行動は、他の人達には考えられないことでした。先ず彼は、キリストの一行の先回りをするために、走りました。当時のパレスチナでは、それなりの地位を持った男性は走りませんでした。それは体面を失うような行為でありました。彼は収税人のかしらですから、行政的には高い地位にいましたが、彼はそんなことには頓着しないで走りました。それだけ好奇心が勝っていたのかもしれません。それに、地位が高くても、周囲の人達には収税人のかしらとして忌み嫌われていたでしょうから、そんな体面には関心が無かったということも有ったのかもしれません。
 そういう気持ちが為せる業でしょうか。彼は更に大胆なことをしました。自分の背の低さを補って、よくキリストが見えるように、いちじく桑の木に登ったのです。いちじく桑の木は、当時低地や谷間などに多く見られた木だそうで、エリコにもごく普通に生えていたようです。この木は幹の部分があまり高くならず、枝が水平方向に伸びる傾向が有ります。ものによっては、殆ど幹が無くて、地面から枝が分かれて伸びるような形のものも有りましたから、背の低いザアカイにも上り易い木でした。しかし、著名なラビとか預言者と思われている人を、どれぐらいの高さからであるかはわかりませんが、見下ろすというのは、当時のパレスチナにおいても失礼な行為であったように思われます。つまり、彼の動機は好奇心であり、キリストに対する敬意も、自分の体面にも気遣いは無かった様子がうかがえます。

 キリストは、ザアカイの居るところまで来ると、上を見上げました。この「見上げ」と訳された語は、単純に「見る」という意味ですが、キリストが天を見上げる時にも使われた語なので、ここでは通常「見上げ」という訳になるようです。実際に、ザアカイがそれだけ高い位置の上ったのかもしれません。周囲の人達よりは高い位置に目が来ないと見えないわけですから、程度の差は有れ、キリストはザアカイを見上げることになったことでしょう。ザアカイは、キリストと目が合った時は、多分悪びれもしなかったであろうと思います。しかし、キリストの言葉を聞いた時、彼は大変な衝撃を受けることになりました。 
 先ず、キリストは「ザアカイ」と彼に呼び掛けました。今まで一度も面識の無かったナザレの出身のラビが、誰にも紹介もされないのに、自分の名前を呼んだのです。ユダヤ人達は、一面識も無い人の名前を言い当てることができる人は預言者であると考えました。彼の衝撃は、一面識も無い人に名前を言い当てられたということだけでなく、本物の預言者に出会ってしまったという驚きによるものでもあったわけです。収税人のかしらとしてユダヤ人社会で大罪人と思われている自分が、本物の預言者に名前を呼ばれてしまったということで、これから嫌なことを聞かなければならないかもしれないと、彼は一瞬身構えたかもしれません。
 しかし、続いて出てきたキリストの言葉に、ザアカイは更に衝撃を受けることになりました。「急いで降りて来なさい。今日はあなたの家に泊まることにしてあるから。」と言うのです。実際の言葉は、「泊まらなければならない」という意味の言葉です。それは、「議会や神の決定による履行するべき義務」という語感の有る表現でした。履行されるべき義務の内容は「泊まる」ことだというのです。それは単に立ち寄るのではなく、親しく留まるということです。キリストが聖霊を通してキリスト教徒の中に留まることを表す時に用いられる語なのです。
 ここで、ザアカイは、二つの意味で神の愛に打たれたと言って良いでしょう。  
 一つ目は、人々が罪人として蔑む自分に、神は災いを下すのではなく、預言者を遣わして、親しい交わりをさせたいと願われたという、その神の愛に打たれたことでしょう。ああ、自分はパリサイ人達が言うような処罰や滅びの対象ではなく、神の愛の対象であったという驚きと喜びが有ったに違い有りません。
 二つ目は、キリストが義務の表現を用いたことです。もしキリストが「泊まらせてくれないだろうか?」と尋ねたらどうだったでしょうか。受け入れたいという願いが有ったとしても、彼は断らざるをえなかったと思われます。彼が承諾しようものなら、周囲の人達が「お前のような罪人が、いくらキリストが頼んだからと言って、彼を家に迎えるなんて身の程を知らない行為だ。今からでも断れ。」と迫ったであろうことは、想像に難くありません。しかし、キリストが、「泊まらなければならない」と言ったのですから、誰ももう文句は言えませんでした。そういう言葉を使ったキリストの愛の計らいに、ザアカイは心を打たれたであろうと思われます。

 ザアカイは「大喜びでイエスを迎えた」と書いて有ります。長年人々の憎悪の目を感じて生きて来たザアカイが、神と神の預言者と思われるキリストに愛の取り扱いを受けたのですから、大喜びするに決まっています。「大喜び」という語は、「非常に喜んでいる、非常に喜んで大声を出す・挨拶する」というような語感が有ります。また、「迎える」という語は、マルタがキリストとその一行を家に迎え入れた時にも使われた語で、「もてなす」という意味が含まれています。

 ここで、人々は一気にしらけてしまいました。その直前までは、キリストは人々にとっては英雄でした。人々はキリストを預言のメシアだと期待していました。メシアは近づいている過ぎ越しの祭りの期間に、エルサレムで王になり、イスラエルを再興すると考えられていました。キリストは正に過ぎ越しの祭りを祝うために、エルサレムに上る途中でしたから、人々には「いよいよ今度だ!」という期待が有りました。そればかりでなく、エリコの町に入る直前に、メシアの証拠である、盲人の目を開くという奇跡を行いましたから、人々の期待はいよいよ高まっていたと言って良いでしょう。それなのに、そのキリストが、人々の忌み嫌う収税人のかしらであるザアカイの家に泊まることになったのです。
 そんな馬鹿なことが有って良いだろうか、と人々は信じられない気持ちであったでしょう。人々の心は、パリサイ人達の心と変わりが有りませんでした。そして、以前、キリストが収税人の家で食事をした時に、パリサイ人達が言ったのと同じように、「あの人は罪人の所に行って客になるとは」という文句を口々に言い出しました。

 ザアカイはキリストを「迎えた(もてなした)」と書いて有りますから、おそらく「どうぞこちらへ」というふうに、自分の家に案内をし始めていたと思われます。神の愛に触れられて大喜びであったザアカイでしたが、少しずつ人々の声が耳に入ってくると、これは拙いことになったと思ったに違いありません。今までに経験したことの無い大きな愛を示してくださったキリストに、今、人々は非難の声を上げているのです。それは取りも直さず、自分の今までの生き方に起因しているのです。ザアカイは、自分が受けた愛と恩に応え、また、人々のキリストへの非難の言葉を止める方法は何だろうかと考えたのではないでしょうか。
 キリストは自分のことをザアカイという名前で呼んでくれました。自分を「純粋な者、正しい者」と呼んでくださったのです。人々は、「お前がザアカイという名前なんて、図々しい」とばかりに、名前で呼んではくれなかったかもしれません。今こそ、その名前に相応しい生き方を始める時だと思ったのではないでしょうか。彼が知っているユダヤ人としての純粋な者、正しい者の生き方は、モーセの律法に従って生きることでした。それまでのザアカイは、人々に罪人と呼ばれる収税人のかしらでした。罪人のかしらとして人々に忌み嫌われている自分をきちんとザアカイと呼んで、家に泊まらなければならないとまで言ってくれるような、大きな愛には触れたことが有りませんでした。ですから、今度は自分が知っている律法の規定の最大限で応える時だと思ったようです。
 先ず、ザアカイは、財産の半分を貧しい人に施すと言いました。ユダヤ人のしきたりでは、施しは財産の五分の一を超えてはいけないとされていたそうです。例外として認められていたのは貧しい人に施しをする場合で、持ち物なら三分の一まで、金銭や食べ物は半分まで施すことができたようです。ザアカイの申し出は、その規定の大きい方を実践するということでした。
 次に、ザアカイは、だまし取ったものは四倍にして返すと言いました。律法では、金銭などの場合は、奪った価値の五分の一を付け足して返せばよいことになっていました。四倍にして返さなければならないのは、子供を産んだり、乳を出したりして、その固体以上の価値が見込まれる家畜に適用される規定でした。ザアカイの申し出は、ここでも補償規定の大きい方を実践するということでした。

 ザアカイの申し出を聞いて、周囲の人達は驚き、また彼の悔い改めを認めざるをえず、黙ってしまったのではないかと思われます。そして、その状況を後押しするかのように、キリストは二つの宣言をします。一つはザアカイについてであり、もう一つはキリスト自身についての宣言でした。

 ザアカイについては、キリストは、「きょう、救いがこの家に来ました。」という宣言をしました。救いがこの家に来た、というのは、ザアカイの悔い改めは本物であるという認定として受け止められたでしょう。そして、それは、ザアカイ一人ではなく、彼の家族まで届くことを示唆しているかもしれません。
 「この人もアブラハムの子なのですから。」という理由は理解しにくい部分が有ります。「アブラハムの子」というのは、「純粋なユダヤ人」を表す熟語でもありました。血統に関しては、ザアカイは言うまでも無く純粋なユダヤ人でした。ですから、そういう理由で「きょう」ザアカイに救いが来たと考えるのは不自然です。それならば、以前から救われていることにならなければおかしいでしょう。 
 ここで考えなければならないのは、そういう血統のことではなく、霊的、信仰的な面です。アブラハムは信仰の父と呼ばれています。神がアブラハムの子孫を大いなる民とし、そこから救い主が出るという約束を信じた信仰によって義とされたからです。すると、ここでいう「アブラハムの子」というのは、アブラハムの信仰の歩み、信仰の姿勢に従う者という意味で理解することになります。簡単に言えば、キリストは「ザアカイは神の約束(旧約の預言など)を信じる信仰を持ったから、きょう救われた。」と宣言していることになります。
 次のキリスト御自身に関する宣言は、「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」というものでした。「人の子」というのは、「ダビデの子」と同様に、メシア、キリスト、救世主の称号です。ここでキリストは再び、「私は約束のメシアだ。」と宣言したことになります。当時、ユダヤ人達は、早くメシアが来て異邦人(特にローマ)と罪人(収税人など)を滅ぼすことを待ち望んでいました。しかし、キリストから見ると、そういう人々は、見出され、救われるべきであって、さっさと滅ぼすしてしまう対象ではなかったのです。「失われた」と訳された語は、「無価値な、死ぬべき、滅びるべき」という意味が有ります。放置すればそうなるでしょう。しかし、なんとかその中から救われて欲しいというのが神の心であり、キリストが遣わされた理由・目的なのでした。

 この箇所のザアカイの話は、ヨハネによる第一の手紙四章十九節を思い起こさせます。

『私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。』


しかし、その愛を受け止める信仰がなければなりません。イエスはキリスト、メシアであると受け止める信仰がなければなりません。その意味において、アブラハムの子でなければなりません。
 キリストの近くには、この時、バルテマイとザアカイが居ました。バルテマイは、自分から呼び掛けて救いを得ました。ザアカイは、キリストに声を掛けられ、その愛に打たれて救いを得ました。救われた時の有様は違っていました。しかしキリストを約束のメシアだと信じる信仰が共通点です。


まとめ

一、イエスはキリスト、約束のメシアである

二、イエスはキリストであるという信仰によってアブラハムの子となり、救われるのである。

三、キリストは、放置すれば滅びる者を、捜し出して救うために来られた。
  
→ 我々キリスト教徒は、キリストの従う者達として、その心を忘れてはならない。






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バルテマイの視力の回復 (ルカ伝十八章三十五節~四十三節)

2009-04-28 15:04:51 | 奥義書(聖書)講解(少忍レベル)ルカの巻
エリコの町の近くに、盲人の物乞いが居ました。マルコによると、バルテマイという名前であったということです。

 バルテマイというのは、「テマイの子」という意味でした。ここから考えられることは、彼は父親に愛されていたであろうということです。お前は私の愛する息子だという気持ちで、テマイの子という意味の名前をつけたと思われます。そういう意味の名前をつけるということは、そういう気持ちが無ければしないことではないでしょうか。また、テマイは彼の属する社会においては、それなりに名前の知れた名士だったのかもしれません。すると、自分の名前を受け継がせることで、息子にも同様な社会的認知を与えることを願ったかもしれません。

 このバルテマイは盲人でした。ユダヤ人の伝統では、手の洗いの儀式などが有りましたが、それでも雑菌などによる感染で失明に至ることは、当時珍しいことではありませんでした。医学も薬学も現代のようには発達していませんでしたから、手当ての甲斐無く失明するということも有りました。バルテマイの父親は、息子を愛していて、それなりに力の有る人だったと想像しますと、できる限り手を尽くして息子の目の治療の努力をしたのではないかと思われます。しかし、そんな父親の愛と努力をしても、彼の目は癒されることなく、失明してしまいました。あるいは、自分の名前を継がせるほどに彼を愛した父親は、彼が眼病を患った頃には、亡くなっていたかもしれません。どんなに愛していても、死の向こう側から息子を助けることはできないことでありました。

 バルテマイは物乞いをしていました。どんなに名士の息子でも、成人して父親も亡くなっていれば、自活しなければなりません。しかし、盲目の彼にできるきちんとした仕事は、当時は有りませんでした。そんな彼ができることと言えば、物乞いしか有りませんでした。道端に座って、自分の前に外套を広げ、人々が置いてくれるお金や食べ物で生活を支えていました。ユダヤ人の指導者達は、体の不自由な者達を助けるように指導していましたが、十分な手当てがなされたとは言えない状況であったようです。それでも、バルテマイは野垂れ死にしたりはしなかったことを考えると、それなりに良い状況であったのだろうと思われます。それは、彼が居た場所と関係が有ったかもしれません。

 バルテマイは、エリコの町を通る街道沿いに座って物乞いをしていました。エリコの町は、旧約聖書で、ユダヤ人がエジプトを脱出してカナンの地に入る時に、ヨルダン川を越えて最初に滅ぼした町でした。後に再建されて、預言者エリシャの時代には、預言者の集団が生活していたりした場所で、歴史的にも意味の有る町でした。また、この街道は、エルサレムに通じていました。ですから、それなりに交通量が多く、物乞いもお金や食べ物を恵んでもらう機会が多かったと思われます。
 この時には、過ぎ越しの祭りが近づいていました。ユダヤ人がガリラヤなどの北部からエルサレムに旅行する時は、関係の悪いサマリヤを避けて、遠回りして東岸のルートを使いました。エルサレムに近い町の成人男子は、必ずエルサレムに上って過ぎ越しを祝うようにという決まりが有りました。すると、過ぎ越しの祭りの時期には、そういう人達で、エリコを通る街道の交通量は増え、巡礼者も善行をしようとしますから、物乞い達にとっては、多くの収入を得る機会が一年に一度有ったということにもなったようです。

 このバルテマイには、心に秘めた、強い願いと希望が有りました。ある時、「ナザレのイエス」という人物の噂が彼の耳に入りました。エリヤとか、昔の預言者の一人の再来であると言われる人物が登場したと聞いたのです。しかも、この人物は、悪霊を追い出し、病を癒し、盲人の目を開き、聾唖者の耳を開き、五千人や四千人の人々に食事を与える奇跡を行ったという話もあるというのです。そして、そのメッセージは「神の国」だということでした。
 バルテマイは、きちんとしたユダヤ人の家庭の出身と考えられます。そうすると、旧約聖書のメシア預言などのことはよく知っていました。メシアが来れば、盲人の目は開かれ、多くの人に食物を与えるという記述が有るのです。そして、彼が耳にしたナザレのイエスという人物のすることは、まさにメシアの印であると思われました。モーセは、たとえ力強い奇跡を行う指導者が出現しても、その人が異なる神を礼拝するように言う時は、偽預言者であるから殺さなければならないと教えました。でも、この人物は「神の国」を伝え、悔い改めを求めていました。彼の中で、このナザレのイエスこそ旧約聖書に預言された約束のメシアだという確信が芽生えてきました。
 彼の家や家族がどうなっており、どこに住んでいたかはわかりません。しかし、彼はエリコからエルサレムに向かう街道沿いで物乞いをしていました。ですから、多くの巡礼が通る時、きっとそのナザレのイエスにも会えるだろうと思ったに違い有りません。その時には、必ずやそのメシアでるナザレのイエスにこの目を開いてもらおうという思いを持って、彼はそこで待ち続けました。しかし、ナザレのイエスが通った道が違ったり、時間が合わなかったりしたのでしょうか、二年ぐらい彼に出会えずに過ぎてしまいました。彼にとっては長い二年であったかもしれません。しかし、ナザレのイエスこそメシアだという確信と、彼に会ったらこの目を開いていただくのだという思いは決してしぼむことがありませんでした。

 ある日のこと、大変多くの群集の気配が近づいて来ました。いくらここが巡礼者達の通る街道であるとしても、こんなに大勢の群集の騒がしさはなかなか有るものではありませんでした。これは何事だろうかと思ったバルテマイは、最初に近づいてきた足音の主に、この騒がしさは何かと尋ねました。なんと、その人は、「ナザレのイエスがお通りになるのだ。」と答えるではありませんか。彼が待ち望んでいた日が、とうとう来たのです!この機会を逃してはなりません。この方こそ約束のメシアだと信じたあのナザレのイエスが通るというのですから、なんとしてでもお願いして、目を開いていただかなくてはなりません。彼は全身全霊で、自分の信仰を言い表しながら叫び出しました。「ダビデの子、イエスよ!私を憐れんでください!」「ダビデの子」というのは、来るべきメシアを意味する称号でした。彼はナザレのイエスを、メシアもしくはキリスト、つまり、救い主と信じているということを言い表しながら叫び求めたのでした。

 群集の先頭に居た人達は、バルテマイが突然大声で叫びだしたので驚きました。次に、厳しく彼を叱り付けて黙らせようとしました。当時、ラビやユダヤ教の教師達は、巡礼の道すがら、同行する人達を教えるという習慣が有りました。この時も、キリストは弟子や同行する人達に旧約聖書の説き明かしや、神の国のメッセージを伝えていたのでしょう。そういう大事な教えの途中に、大声を上げる物乞いに邪魔されるのは到底受け入れられることではないと考えたに違い有りません。
 しかし、バルテマイにしてみれば、厳しく叱られたぐらいで黙れるような状況ではありませんでした。この方こそメシアだという信仰を持って以来、二年以上も待ち続けたのです。何としてでも自分の願う声をナザレのイエスに聞いていただき、奇跡の業をもって応えていただかなければなりません。ですから、何度も自分の信仰を言い表しながら、「ダビデの子、イエスよ!私を憐れんでください!」と諦めずに繰り返し叫び続けました。そして、ついにその声はキリストに届き、彼はキリストの前に連れて来られることになったのです。

 キリストは、彼の叫んだ言葉を聞いたでしょう。キリストは神ですから、バルテマイの心を見ることができ、彼が信仰を持っていることを理解したに違い有りません。また、彼の願いが、再び視力を取り戻すことであることも知っていたに違い有りません。しかし、キリストは、敢えて尋ねました。「わたしに何をして欲しいのか。」バルテマイは、即座に、「目が見えるようになることです。」と答えました。それは、「あなたはメシアです。そうすることができる方です。」という信仰告白でも有りました。キリストは、その告白を、もう一度周囲の人に聞かせたかったのであろうと思われます。そして、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と宣言して癒すことによって、バルテマイの信仰が正しいこと、ナザレのイエスはメシア、キリストであることを宣言したのでした。

 この後、バルテマイは、神を崇め、また、これを見た人達も神を賛美しました。バルテマイの信仰は、神の栄光を讃え、それがまた、人々の心を神に向けることになりました。そして、それだけでなく、彼はキリストに着いて行きました。おそらく、エルサレムまで同行し、キリストの受難と復活の後も、エルサレムか、エリコのキリスト教徒の共同体の一員であったであろうと思われます。それが、エルサレムに家が有ったマルコが名前を書き残した理由でもあると思われます。



ポイント
1)人の力は人を救えない。
2)イエスをキリストと信じる信仰こそが大事である。
3)真実の信仰は、神の業につながり、人々の目を神に向ける。






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