3月29日
15:12
母・光子(てるこ)が亡くなりました
93歳でした
大正の終わり間近、14年12月に生まれ
平成の終わり間近、31年3月まで生きました
本人の強い希望で
「親族以外には一切伝えない
お見舞い、御香典なども一切受け取らない
ごく近しい親族のみで
火葬式、納骨」
とさせていただきました
2016年1月18日に
父(中村梅之助)が亡くなり
納骨の時に
「もうすぐ行くからね」
と話しかけていた母
翌年の夏、医者から
「今年いっぱいですね」
と言われ
私も覚悟しましたが、その後復活
昨年9月に
「今月いっぱいですね」
と言われて
いよいよターミナルケアに入ってから
7ヶ月
その間、4度の危篤に慌てて駆けつけると
「あら、来てたの?」
と、ケロッと復活
しぶとく生きてきましたが
今回いよいよ危ないと言われて
夜中に近しい親族皆んなが集まり
母の様子を見ながら
12時間もベッドのそばで昔話に盛り上がる中
体温上昇、酸素量・脈拍上昇
「これはまだ少し大丈夫だね」
と、休憩に皆んなが居なくなった瞬間に
逝きました
父は、さぞ痺れを切らして待っていたと思います
「今だ!早くこっち来い!」
と呼ばれたような
或いは、死に際を見られたくなかったのか
母らしいと思いました
葬儀や死装束、墓についても、本人が確認して、自分で選んでいました
亡くなる前日に
「桜が見たいわ」
と言っていたので
棺には桜の花をたくさん入れました
とても穏やかな顔でした
豊かな家庭に生まれ
のんびりと大らかに育ち
ピアニストの道を歩むはずだったのに
父と出会い
運命がガラリと変わり
激動の時代に翻弄されつつ
辛抱強く、力強く生きた、ど根性お嬢様でした
息子のためなら、と
劇団のとんでもない安月給をやりくりし
どんな労力も惜しまずやってのけた
強靭な精神を持った母親でした
ピアノを、ベートーベンのソナタをこよなく愛し
エミール・ギレリスの演奏をずっと流していました
意識が薄れていく中でも
指先や目が鍵盤を追っていました
お母さん
私を生んでくれて
育ててくれて
ありがとう
お疲れ様でした
本当にご苦労様でした
息子は
頑張って生きていきます
見守っていてください

母90歳、息子60歳 2016年12月
母の世話をして下さった皆さん
母を支えて下さった皆さん
母と親しくして下さった皆さん
母のピアノの生徒の皆さん
ほんとうに
ありがとうございました
| Trackback ( )
|
|