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「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        オバマ大統領のインドネシア語学習法

2013-06-02 15:27:33 | Weblog
オバマ米大統領は実母の米国人がケニア人の実父と離婚した後、留学先のハワイで知り合ったインドネシア人と再婚した。その関係で1967年から70年までの4年間、義父の祖国ジャカルタで生活している。オバマ少年が6歳から9歳までの少年期である。最近僕は、オバマ少年がインドネシアに渡ってすぐの1年間、ジャカルタのASISIというカトリック系の小学校で勉強した当時のことを小説風にかいた「Obama dari ASISI」という本を読んだ。

僕は新聞社の特派員として1966年から67年までジャカルタに滞在しており、最後の1年間はオバマ一家と同じ時期で、しかも僕の住んでいたホテルは、オバマ一家が生活していた地域の近くで、当時まだ市内を走っていたベチャ(人力三輪車)で行ける距離であった。1967年たった1年間だけだが、僕は後年米国の大統領になる少年が近くにいたわけで、もしかすると町のどかで会っていたかもしれない。

この本を読んで僕が驚いたことの一つは、オバマ少年はインドネシアに来たとき、インドネシア語は”terima kasih"(有難う)しか知らなかったのに、僅か半年でインドネシア語で教える小学校の授業についてゆき、8か月後の学校の成績ではクラスの10位に入っている。著者によると、義父の毎日の特訓もあったが、オバマ少年自身も家の中の家具や食器、食べ物の名前など、自分が知らないものは、すべてカードに書いて覚えたとのことだ。

一方、級友からは″二グロ”とか”黒い西欧人”とか言われたが、オバマ少年は進んで友達と遊び、現地の食べ物を屋台で食べたり、池で裸になって遊んだりして言葉を覚えたようだ。当時、外国人の金持ち階級は子供はインターナショナル.スクールに通学させたものだが、義父は軍の地図研究所の職員で給料が安く、このカトリック系の学校も1年で、次の年からは一般の子供が通学する公立の学校に転学させている。多分、子供の時に4年間も習ったインドネシア語である。大統領のインドネシア語は本物だろう。