「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

              帝都防衛の高射砲陣地

2013-06-05 06:22:27 | Weblog
東京の中心部に近い北区の上中里駅前の国有地で旧陸軍の高射砲弾が見つかり、昨日、不発弾処理のため自衛隊が出動、近くを通る東北、上越、長野新幹線や京浜東北線など140本の電車が一時ストップ、9万人に影響がでた。戦争が終わって68年も経つのに、なんと人迷惑な話である。

東京に80年も住んでいるのに僕はまだ上中里駅で乗降車したことがない。日本橋から一里の滝野川の一里塚に近い場所にありながら一日の乗降客は7千人にすぎない。戦争中、ここには帝都防衛の高射砲陣地があり、戦後も国有地として利用されてきた影響なのだろう。

戦争末期、都内各地に高射砲陣地があった。わが家近くの碑文谷ダイエイ店裏の雑木林の中にもあった。当時、この辺りは田園地帯でサレジオ教会のへんは田畑と竹林であった。しかし、この陣地のためか5月24日の空襲で付近に焼夷弾が落ち東横線第一師範(現学芸大学)駅の商店街に被害が出ている。

僕の母方の本家は昭和20年3月、五反田から強制疎開で小田急線梅ヶ丘駅近くに引っ越した。当時梅ヶ丘付近も田園地帯で、ここなら空襲も大丈夫だと思ったのだろうが5月の空襲で焼夷弾が落ち、全焼してしまった。やはり、ここにも近くの都立千歳が丘高校の校庭に高射砲陣地があって、これが狙われた”それだま”だったらしい。

夜空にB29の大群が襲来すると、たしかにそれを狙って地上から高射砲の発射音がしていた。しかし、僕はB29に命中したのを見たことがなかった。逆に、今思うと米国は、郊外の小さな高射砲陣地まで所在を把握していたのかもしれない。