子宮頸がんの手術後、約2年経過。
※思い出
2年前の今頃、医師から約8時間の手術と聞かされて私も周囲の人もビックリ!
もしかしたら死ぬのかな?
麻酔が効いてる間に死ぬんなら怖くないからいいけど、突然死なれたら息子は困るだろうな~と、余計な心配をして、入院前には預金や保険の事まで話し合ってしまったよ(笑)
手術後誰かが遠くで私を呼んでる。返事をしたいけど強烈に眠い。
ぼんやりした頭で「そうだ!私手術したんだっけ」と思い出した。
心配してくれている皆さんにお礼を言いたいが声が出ない。
「終わったんだよ」という息子に「凄く眠い、声が出ない」つまり話したいが話せないと伝えるので精一杯でした。
ICUに居たのは2晩。
体中に管やら何やら色々付いてて本人は身動きさえ取れないと思っているのに、翌日から歩くためのトレーニングが始まった。
水平になっている身体を起こしただけで、クラクラしたっけ。
身体を起こし立ち上がりベッドの脇で足踏みするだけ。たったそれだけの事が、凄く大変で助けてもらわないと出来なかった。
翌日のトレーニングはICUのカーテンを開けて部屋内を歩いた。
飲んで良いのは水だけ。痛みと辛さでお腹は減らない
その次の日にICUから一般病棟に移った。
おしっこの管以外は全部取れてかなり身軽になったが、お腹に力が入らない為寝たり起きたりが超大変。
6人部屋なんだけど居住者は私だけ。TVもイヤホーン無しで見れる。物音を立てても平気。
病院内をウロウロ歩いていいよと、勧められる。 シャワーも許可される。
元気な時には何にも食べられない“ひもじい思い”をすると思っていたが、そんなこと無かった。
自分の置かれた境遇に体がビックリしてて、食欲なんかまったく湧いてこない。
やっと流動食→3部粥→5部粥と進んでゆくが、まずいまずい。全然食べられない。
ちょっと食べると「ふ~、もういいや」
シャワー&シャンプーして部屋に戻って来るだけで、相当疲れてぐったり。
その頃おしっこの管が抜かれて、さぁここから辛く長い排尿障害との戦いが始まった。(まさかその後1年半以上にも及ぶとは考えもしなかった)
看護師さんがどれくらい水分を摂ったか?どれくらいおしっこが出たか?日に3度聞きに来る。(それで私はメモを取るようになった。)
とにかく便座に座れば何も考えなくても出るはずのおしっこが出ないんです。オシッコの仕方忘れちゃったよ!どうしたらオシッコは出るの~?
(一応そういう事も有りますと説明は受けていたけど、まさかそれが現実になるとは。)
これは本当に困りましたね。 いちいち看護師さんにお願いして取って貰わねばなりませんでした。
退院する頃には回復しているだろうと期待したが、そんなに甘いもんじゃなかった。
つい先日エコーによる残尿検査があったが、結果は40ccでした。
まぁまぁだね。もう2年だもんね。次回の残尿検査は9月。
今思うとその全てが懐かしい思い出になろうとしている。
患部の組織検査も先日の胸部CTも異常なかった。
再発や転移は2年以内が多いと聞かされてるが、笑顔で3年目を迎える事が出来そうで~す。
私は幸いにして放射線治療や抗がん剤といった追加治療が無かったので、一歩一歩快方に向かうのみ。健康は有難い。幸せです。
今年はへし折れた心も少し立ち直ったので年に1度の健康診断を受けた。
(子宮頸がん以外)
早期発見、早期治療、心掛けましょう。